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司書さんのお仕事  作者: 水島緑
死遭わせのクローバー
21/43

そのさん

『目の前の壁を壊して~家畜から王へと成り上がった英雄の物語~』


 という本がある。タイトルが長いので、『家畜の王』と呼ばれることが多い本だ。


 あまりに凄惨かつ救いのない実話を元にしている英雄譚なのだが、実はこのシリーズは有害図書として認定され、国営の図書館では取り扱っていない。


 有害図書とされるだけあって、過激な性描写や気分の悪くなる残酷な描写が終始続いている作者の神経を疑う本なのだが、カエリは運良くこれを手に入れていた。


 タイトル通り、壁に覆われた人間牧場の生活に嫌気が差した主人公の少年が、生きる意味を求めて牧場から逃げ出し、世界中を回ってゆくゆくは一国の王になる話だ。


 度重なる挫折と絶望によって、少年が青年となり、王になる頃にはかれは心無い人形王と呼ばれるようになってしまい、最後には人間牧場からともに逃れ、妻となった幼馴染が惨殺されたことをきっかけに、人形王は自らの国を巻き込んで自殺するという陰惨な結末である。


 焦点の当たる主人公ですら、そんな結末なのだ。他の登場人物など、不幸でない過去を背負った者などいない有様である、


 主人公が人間牧場から逃げ出そうとしたのは飢えのあまり、同じ牧場の人間たちがもっとも役に立たない同胞を殺して食す場面に遭遇したからであるし、共に逃げた幼馴染は一度貴族に攫われて奴隷として扱われていた。


 そんな描写が延々と、作者の淡々とした文体で続いていくのである。


 全三巻と比較的短いが、これは作者があくまでも大衆向けにマイルドに書いたためにその巻数で収まっているだけで、本来は主人公の生涯をあますことなく書き記すつもりだったらしい。


 朝っぱらからそんな本を読んでいたカエリだったが、どうにも集中できずにいた。


 確かに、主人公と幼馴染が牧場の番人たちに追いかけられるところなど手に汗握ったし、旅の道連れとして加わった神官が罠に嵌められて薬物依存に堕とされるところなど、眉を寄せたくらいだ。


 だが、どうにも頭の隅々まで集中し切れないのだ。


 その理由はわかっている。


 カエリの仇、野盗だった連中が騎士になっていること。

 いや、それは悩みの種ですらない。彼らが末端の人間であるのなら、憂なく殺せる。


 しかし、彼らは末端、つまり手足に過ぎないことが問題だった。


 そして、カエリがもっとも憎む彼らの頭脳は、このブロッサの大総統補佐という地位の高い貴族だ。


 そもそも、大総統というのは貴族が回すこの都市国家では便宜上の役職だ。実際には行政区全体で決議をして、この街の行く末を決めている。その背景には、貴族の位による優劣を曖昧にして、名ばかりの上級貴族を押さえつける狙いがあるのだが、それはどうでも良い。


 問題は、大総統並びに、大総統補佐という立場の貴族は、実際に極めて優秀であることだ。


 本来ならばカエリの村を襲った野盗とのつながりなど、闇に葬ることすら可能だった。しかし、今回は野盗側から漏れた話のようで、それがなければ『木陰』でも尻尾をつかむのは困難だったらしい。


 となれば、大総統補佐、グレイフル・ブラッセルを闇夜に紛れて暗殺することは難しいと考えたほうがいい。


 短絡的に、正面から突っ込めば、とも考えたが、それでは護衛の人間にあっというまに返り討ちだ。何せ、猟騎士バロウズはグレイフル・ブラッセルによって招かれたという事実がある。


 ただ近づくだけでも相当に困難なはずだ。


 仇は近くに、同じ街で暮らしているのにまったく手が出せない。そんな毎日に悶々として、ぼんやりすることが多くなったのである。




「あいつらを殺せばすっきりするか……?」


 物騒な言葉と共に頭に浮かんだのは、村を襲った野盗連中だ。フリステンが言うには、この街で騎士をしている奴らは五人。野盗の集団なので他にもいるらしいが、そちらはフリステンが捕まえてくれると約束したため、いまはブロッサの街にいる五人でいい。


 彼らは五人とも騎士になり、普段は詰所で酒を煽っては管を巻いて日々を過ごしているらしい。というのも、騎士は本来貴族の跡継ぎでない人間が務めるものであり、その貴族が勤勉に巡回などするわけがないからだ。兵士という、なんでも言うことを聞く部下がいてわざわざ自分で汗を流すようなことはしない。ましてや、元はならず者だった連中だ。善良な町民のために働くわけがない。


 詰所の位置は事前に調べてある。四方にそれぞれ詰所があり、元野盗たちは北の、図書館から遠い場所の担当だ。


 まずは奴らから、と決まればやることは五人の住まいを調べることだ。


 住まいを調べたあとは周辺と道、それが終われば勤務先への道順、生活習慣など、事前調査は多い。


 勤務先も住まいも調べてあるので、あとは五人それぞれが一人になるタイミングで仕掛けるだけである。いや、五人一緒でも良いかもしれない。


 ひとまず、今日は図書館を閉めたままにして五人の様子を窺うことに決めると、カエリは普段着のまま外へ出た。


 相変わらず盛況な大通りは避けて、狭い路地を進んでいくことしばらく。壁に囲われている行政区画をぐるりと迂回してブロッサの北側へやってきたカエリはさっそく詰所を目指した。


 南側とは違って、ずいぶんと落ち着いた気風だ。北側はあまり商売などは活発でなく、店自体少ないため人通りがあまりない。


 が、ここは刃物や金物をよく取り扱っている店がちらほらとあり、雑貨屋ではまかなえない物は北側へ出向いて購入する必要があった。


 あまり足を運んだことのない北側だが、この静けさは嫌いではない。行政区画の近くだからか、すすれ違う人々はみな清廉な格好をしている。裕福層が多く暮らしているおかげか、道はしっかりと掃除されているし、泥と汗で汚れた人間は一人もいない。まるで別の街に来たようだ。


 灰色がかった建物が見えてきて、カエリは心なしか足を早めた。どうにも感情の抑えが効かないようで、彼とすれ違った人々は驚いた様子で振り返る。


 すぐそこに奴らがいると思うと、酷薄な笑みさえ浮かぶ。


 兵士たちが棒を振り回して鍛錬らしきことをしている鍛錬場が見えてきた。当然のように、鎧をつけた騎士はいない。むしろ、やる気のない上司にあてられて兵士たちすら手抜きでほとんど遊んでいるような始末だ。


 棒切れを剣に見立てて適当に振り回し、ごっこ遊びのようにぶつけ合って笑っている。


 あれくらいなら片手でも簡単に片付けられる、とカエリは笑った。



 兵士たちは誰一人としてカエリに気づかず、彼が門番もいない詰所へ入り込んでも何ら騒ぎにはならなかった。


 広い通路を歩いて、半開きになった扉を覗いてみればやはり騎士たちは昼間から酒を煽ってはバカ騒ぎしている。貴族の息子もいるようだが、あれでは平民以下にしか見えない。


 どこの部屋を覗いても昼間から騒いでいて、まるでやる気が感じられない。働かなくても給金は出るので、誰一人として真面目に働こうとする人間はいなくなったようである。


 これだけ緩いのであれば、元野盗の五人も悠々と殺して引き上げることが出来るだろう。誰にも気づかれないまま事を済ませ、誰にも気づかれないまま引き上げることだって難しくない。


 いや、とカエリは頭を振った。


 ただ殺すだけで満足出来るのか?


 あれだけの所業をしておいて、堕落した日々を過ごしている奴らをただ殺してしまうのか?


 否だ。


 奪われたように、奴らの全てを目の前で奪ってやる。


 絶望と無力感の中で打ちのめしてやったほうが理解させることが出来るはずだ。


 涙も出ないほどの絶望を。気が違えてしまいそうな憤怒を、そっくりそのまま受けさせてやる。


 退屈そうに談笑する元野盗の五人を見つけて、カエリは踵を返した。




 不真面目な騎士たちは定時になる前に詰所から出てきた。近くの花屋の屋根に身を隠して監視していたカエリは目を凝らして五人が出てくるのを待った。しばらくそうしていると、泥酔しているらしい一人を笑いながら肩を貸す五人組が出てきて、そのまま歩き出した。


 騎士たちの姿を認めた通行人は目を伏せながら足早に立ち去っていく。どうやら付近の住人にも嫌われているようで、騎士たちが近づくと露骨に避けている。慣れたものなのか、酔っ払っていて気づかないのか、騎士たちは歓楽区画へと向かった。


 カエリにはあまり馴染みのない、所謂大人の遊び場が軒を連ねる区画である。


 賭博はもちろん、娼館や闇市なども存在していて、ならず者たちが頻繁に出入りしている。


「酒に女に賭け事、ね。他の国だったら見つかり次第追放か縛り首だな」


 それだけ他国の騎士は重い仕事なのであるが、ブロッサは違う。

 さっそく客引き女に纏わり付かれている騎士たちを呆れた目で見下ろして、カエリは後を追いかけた。

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