そのいち
炎が肌を焦がそうとも、彼は動けなかった。
点々と落ちる血痕を辿れば、山のような死体が無残にも打ち捨てられている。
火が放たれた村に一人、彼は立ち尽くしていた。
彼が見ているのは、家族の骸。それも、人間の尊厳を踏み躙られた死体だ。
木こりだった父はその自慢の両腕を潰され、自らの仕事道具である斧に腹を割られていた。
裁縫が得意だった母ひ体中が穴だらけで、両の眼球には木の棒が突き立っていた。
年の離れた妹は首と右手だけが胴体にくっついているだけで、残りの手足は腸の代わりに胎内に収められていた。
村の人間は皆、彼の家族に劣らぬほど凄惨な骸を晒していた。
家屋は軒並み炎にまかれて倒壊し、丹精に世話をした畑には踏み潰された収穫物の代わりに村人の頭が転がっている。
女も子供もお構いなしだ。誰も生きていない。
友人たちと競って登っていた木は灰と化し、よく釣りにいった小川は真っ赤に染まっていた。
夢だと理解しても、カエリは涙を堪えられなかった。
かつて見た光景、全てを失った瞬間がいまもこうしてカエリを蝕んでいる。
だが、カエリはこの記憶を嫌っては嫌っていても、夢に出ることは嫌っていない。
崩れた家を見れば身が引き締まる。
家族の骸に目を向ければ頭が冷える。
炎に飲み込まれて消える村を見続けていれば、汚れた外套の後ろ姿が思い出せる。
この夢を見るたびに、心が焼け付くのだ。いまはそれが心地良い。
「突然押しかけてすまぬ。実はお主、カエリに話しておかなければいけないことがあるのだ」
衣替えの真っ最中に図書館へやってきた首領ことフリステンに大層驚きながら、カエリとアズは大慌てで散らかった服をそのままにお茶の準備をしてフリステンの前に立った。
「そう緊張するな。力を抜け」
「は、はぁ」
上品にカップを傾ける幼女に緊張しっぱなしのアズは放置して、カエリが応対することにした。相変わらず、人形のような人だ。その美貌も去ることながら、無機質な目がまっすぐカエリを見つめている。そんな瞳を見返すカエリは、緊張のあまり生唾を飲み込んだ。
「単刀直入に言おう。カエリの仇が見つかった」
「っ!」
思わず立ち上がったカエリに、目の前の幼女に見惚れていたアズが飛び上がって驚いた。
「そ、それは、本当に……?」
「うむ、見つけた。このブロッサで騎士をしているそうだ」
「騎士だって……? 嘘だろ、だってあいつら、あいつらは野盗で……」
ありえない言葉に絶句し、信じられないと目を見開いたカエリにフリステンは溜め息混じりに首を振った。
「事実だ。何度も洗いざらい調べても、彼らの経歴はならず者の一味だった。どんな取引があったのかわからないが、今の彼らはれっきとした騎士という身分だ」
「どうして……どうして」
「カエリっ」
悪い夢を見ているような気分だった。堪えきれずに口元を押さえたカエリの背を、隣のアズが甲斐甲斐しくさすった。
危ういところで吐き気を堪えたカエリは、アズに礼を言うことすら頭に浮かばずフリステンに詰め寄った。
「どこにいるんですか。あいつらはどこに……」
「落ち着きなさい。逸る気持ちはわかるが問題がある」
「問題ですか……?」
「……彼らはいわば手足だ。末端だ。下っ端だ。指示され、実行したに過ぎない。大元がいる。お主よ村を焼くように指示した人間は、他にいる」
「誰なんですか、それは」
たとえ誰であってもやることは変わらない。暗い炎を灯すカエリの目をまっすぐに見つめたフリステンが、やや言いにくそうに口を開いた。
「大総統補佐、グレイフル・ブラッセル。思いのほか、大物だった」
『下手をすれば都市国家ブロッサを崩壊させてしまうかもしれぬ。だが、その覚悟があるのなら妾は全面的に協力しよう』
そう言い残して立ち去ったフリステンを呆然と見送ったカエリは、アズの提案を受け入れて、図書館を閉めた。
どうせ利用者はこないだろうが、こんな状態では仕事にならないだろう。
大総統補佐、グレイフル・ブラッセルは何故、他国の村を襲わせたのか。
フリステンによれば、不安定だったブロッサを安定させるための措置だったそうだ。
というのも、表面上は都市国家として成り立っていたブロッサであるが、その頃はまだ商業都市としての名もなく、攻め込まれてしまえばあっさりと崩れてしまうほど脆弱だった。それを危惧した行政区の役人は、議論をかさねて一つの策を実行した。
隣接する国から信頼されること。同盟とはいかずとも、友好国としての立場を盤石にすることで、都市国家を外敵から守ろうとしたのである。
一番手っ取り早く、効率的なのは攻め込まれている国へ援軍を出すことだったが、生憎と世界は平和だった。
そこで、ブロッサが考えたのはマッチポンプである。
適当な盗賊やならず者を金で雇い、隣国を荒らさせたのである。
そして、隣国が困っているとみるや、軍を動かして雇った者たちを捕まえる。
それを周辺諸国に実行し、ブロッサは今の地位を築いたのだ。もっとも損失が少なく、短期間で済む一擲の策であった。
なんてことはない。貴族が平民を平気で足蹴にするような所業の規模を大きくしただけだ。
怒りでどうにかなりそうな頭を必死に動かして、カエリはその話を聞いた。
離れに戻ってアズはカエリを座らせた。されるがままのカエリを心配そうに見て、少しでも落ち着けるようにとアズはお茶の準備をした。
「――けるな」
「え?」
深く俯き、座ったまま体を丸めていたカエリが呟いた。手を止めたアズが振り返ると、彼は血の気が失せるほど強く握られた拳がテーブルに置かれていることに気づいた。
「僕はやるぞ……相手が誰でも関係ないっ。ころしてやる……絶対にころしてやるっ!」
底なしの怒りが吐き出されて、カエリは強く瞼を閉じた。こうでもしないと目に見える全ての物を破壊しかねないのだ。
ブロッサが許せない。そこに住む人間も、行政区も、すべてが矛先になった。
「ほら、これでも飲んで」
「……いらないよ」
差し出されたカップから爽やかなハーブの香りがした。困った表情を浮かべるアズを睨みつけると、カエリはひどく痛む胸を押さえた。
「……あんまり考えちゃだめだよ。いまはお話を聞いたばかりだから、どんなことを考えても短絡的な答えしかでないよ?」
「…………」
「せめて明日まで、冷静に考えられるようになってから考えようよ」
「うるせいっ! 僕は、僕はっ、僕の家族は、クソみたいな都合で殺されたんだぞ!? 何が都市国家だ! 何が商業都市ブロッサだ! こんな街、消えてしまえばいいっ!」
感情のままテーブルに拳を叩きつけたカエリは、そのまま突っ伏してしまった。気遣ってくれたアズに八つ当たりした情けなさと、これ以上彼女と顔を合わせているとまた八つ当たりしてしまうかもしれない自身に対する怒りに、涙が零れてきた。
テーブルが揺れた拍子に、カップからこぼれた雫を拭き取りながら、アズはカエリのそばに寄り添い続けた。
「ごめん、それとありがとう」
部屋から出てくるなりキッチンに立つアズに頭を下げたカエリは、昨日よりも落ち着いたようだった。
そんな彼の顔をみて、アズはほっとしたような、嬉しそうな表情で頷いた。
「ううん、いいよ。あんな話を聞かされたらね」
いつもと変わりない笑顔を向けてくれるアズに小さく安堵すると、カエリは寝癖でぼさぼさの頭をそのままにして椅子に座り込んだ。
目の前のテーブルに、昨日の焼き増しのようにカップが置かれた。湯気から漂う香りは昨日と同じハーブだ。
「お話、聞くよ?」
「いいの? いや、そっか。ありがとう、お願いするよ」
「うんっ」




