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司書さんのお仕事  作者: 水島緑
散りゆく花は美しく
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そのはち

 ケリオスの滝の入り口になる森は、以前クロエの身柄を確保するためにフロウたちと入ったとき以来であった。


 木の上に登って周囲を見渡すと、音を立てて流れ落ちる滝が照らされている。


 ついでに、かすかな剣戟の音を捉えてカエリは木から木へ飛び移っていった。


「ああ……さっきの家族は逃げようとしたんだね……」


 思わず、ため息に似た声が出てしまった。


 見覚えのある三つ爪の鎧が、スズランの女を追い詰めていた。


 女は既に血みどろで、左腕があがらないのかだらりと揺れている。対する猟騎士――バロウズはわずかに息を乱しているだけで傷は見受けられない。


 これが、結末なのか。


 カエリが共感を覚えた復讐者は満身創痍で、いまにも膝をついてしまいそうだ。


 出来れば、そんな姿は見たくなかった。しかしあの女の技量をもってしても敵わないほど、バロウズは強いのだろう。


 スズランの女が右手のナイフを閃かせると、バロウズが唐突に左手を突き出した。ぐっ、と何かを握りこんだようだ。ぱっと握りしめていた手を広げると、針が落下した。


 女が手の中に仕込んでいた針を飛ばして、バロウズがそれを掴み取ったのだ。いくらカンテラの灯りがあるとはいえ、森の中では頼りない光だ。そんな中でもバロウズは不意打ちを防いで見せた。


「諦めろ。その体ではもうもたない。おとなしく捕まってくれないか?」


 バロウズの厳しい声が聞こえた。いつの間にか、二人の声が聞こえる場所まで近づいてしまっていたらしい。


「お断りよ。捕まってもどうせ斬首でしょう? それならどこで死んでも同じよ」

「そうか。……騎士の義務だ、聞いておこう。何故子供たちを殺した。動機は?」

「目星はついているのでしょう? ……まあ、復讐よ。私の子がいじめ殺された復讐」


 だから子供を殺して回っていたのだ。わが子を殺されたから、その復讐。


「だろうな。同情はするが、見逃すつもりはない」

「ええ、そうでしょうね。貴方には確固たる正義があるようだもの。でも、一ついいかしら」

「最後だ。話せ」

「復讐って、そんなに悪いことなの?」

「というと?」

「私の子は殺されて、でも殺した子供たちはのうのうと生きていた。それは罪じゃないの?」

「ああ、罪だ。だが証人がいない。目撃者もいない。証拠もない。……周りの人間が口を閉ざしていたことは知っている」

「なら、おかしいと思わないの?」

「ああ、おかしい。おかしいが、それだけでは足りない。証拠さえあれば、俺が彼らを切っていた」

「……そう」


 断言したバロウズに偽りは感じられなかった。


「復讐を否定するつもりはない。大切な者を理不尽に奪われた怒りは正当なものだ。しかし、人を殺せば罪人へと変わってしまう。どんな理由があろうとも、貴族だろうが平民だろうが例外はない」


「嫌になるくらい正論ね」


 そうだ、人殺しは罪だ。でもそれがなんだというのだ。そもそも奪われなければ、家族が死ななければ復讐なんて行動は起こさなかった。


 バロウズの言葉に間違いはない。だが、カエリはそれを飲み込めなかった。受け入れられなかった。他人では駄目なのだ。自らの手で、他でもない自分の手で、家族の仇を取らなければ生きていけないのだ。


 犯人が捕まって処刑されて、これで明日も生きていける。そんな風には喪失感が埋まらないから、自らで動くことを決めた。


 スズランの女の心が、いまならわかる。耐え難い無念と、抑えられない怒りがいつまでもいつまでも胸の中で燃え続ける苦痛は、痛いほどわかった。


「その正論を貫いていく覚悟はあるの?」


「でなければ騎士になどならないさ」


 はじめて、バロウズの声が柔らかくなった。


「貴方は本当に騎士なのね」


 感嘆の声とは裏腹に、眼は落胆の色で暗く染まっていた。


「あのとき、貴方のような騎士がいてくれたらこんなことにはならなかったのかもしれないわね。……いえ、やめましょう。仮の話をしたところで何も変わらないわ」

「ではもういいのか?」

「ええ、自分を殺す相手の人となりを知れて良かったわ」

「そうか」

「それに、もう悔いはないわ。復讐はきちんと終えられたから」


 カエリの潜んでいる木に、一瞬だけ視線を向けた。


 そっか、さっきの子供で最後だったのか。


 スズランの女がナイフを構え直した。バロウズは無骨な長剣をかざして、女に接近した。

 膂力に勝るバロウズとまともに打ち合えばナイフは根元から折れてしまう。そんなことは対峙している人間が一番分かっているのだろうが、ずたぼろの体では立っているだけで精一杯だった。


 刀身が見えなくなるほどの振り下ろしに、彼女はかろうじてナイフを突き出して防いだ。だが、ナイフは根元からぽっきりと折れて破片を散らした。

 これで終わってしまうのか。


 切り返された長剣が、まっすぐ女の首筋へ吸い込まれていく。


 これが、結末なのか。

 美しいスズランの刺青が二つに割れて、止んだはずの雨が一瞬だけ降った。


 彼女は笑顔だった。安らかな死に顔だった。


 復讐を終えたことに満足だったのか。最後まで果たすことができて幸せだったのだろう。


 あるいは、空虚なまま生きていくことにならなかったからなのか。


 多分、その全てだと思った。カエリだったらその全てだ。


 孤独な復讐は終わった。騎士に斬られたことで、ブロッサの街も落ち着くに違いない。


 眼下の猟騎士が剣を納めるのを見つめて、カエリは彼が自分とは違う場所に立っていることを理解した。


 彼は騎士の信念を貫いた。おそらくこれからも折れず曲がらないもしかしたら、今度はカエリがバロウズとぶつかるかもしれない。


 復讐に理解を示しながらも決して許さないバロウズとは絶対に相容れないことを知った。


 バロウズは騎士で、カエリは復讐者だ。


 二人の道が交わるとしたら、それは互いが敵として対峙するときだけになる。


 だが、いまはまだ。

 カエリの正体が知られていないうちはバロウズと敵対することはないのだろう。






 死者は何も語らない。


 名も知らぬスズランの女は、本当に満ち足りて死んだのだろうか。


 彼女の最後を目撃したカエリでも、本当のところはわからない。


 連続殺人犯が猟騎士に処断されたことで、ブロッサの住民にバロウズは好意的に受け入れられるようになった。


 雨も止んだことで街は活気を取り戻し、再び商業都市の名に相応しい騒々しさが広がっている。


 街の片隅では殺された子供の葬式が行われていたが、犯人がいなくなったことに比べれば些事だった。


「うーっ! やっぱりついていけば良かった! 結局一回も会えなかったじゃんかーっ」

「あのねぇ……アズ、きみが猟騎士を間近にして堪えることが出来るとは思えないんだけど」

「そ、それは……が、我慢できたし! できたし!」

「怪しいなぁ」


 カエリからことの顛末を聞いたアズは不満たらたらの様子で、不機嫌にカエリにくっついては仕切りに文句を零している。


 朝からずっとこれではいい加減にカエリもうんざりとして、腹にすりつけてくるアズの頭を強引に引き剥がした。


「いたたたっ、ちょっと、乱暴だよっ」

「ええい、離れろじゃじゃ馬娘!」


 まるで蛸のように絡みついてくるアズの鼻を摘みながらひっぱっても彼女は一向に離れない。諦めてカエリは本の整理に戻った。


「ねえ」

「ん?」

「あの人はどんな気持ちで死んだんだろうね」

「……僕が見たのは穏やかな顔だったよ。少なくとも、猟騎士のことを恨んで死んだようには見えなかった」

「そっか。だったら満足だったんだね。殺されることも含めて、あの人は幸せに死ねたんだ」

「……どうなんだろうね」


 大切な人を失ったまま生きていくよりは、死んでその人に会いにいったほうが幸せなのかもしれない。


 復讐の果て、彼女は幸せそうに死んだ。死ぬことを選んで、消えていった。


 自分が復讐を終えた後、果たしてどうなるのか。


 いまはまだ、その答えが出せそうになかった。

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