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司書さんのお仕事  作者: 水島緑
散りゆく花は美しく
17/43

そのなな

 季節の変わり目に降り続ける雨がようやく止み、ブロッサは寒冷期に入った。


 あれだけ雨が降っていたのに、空はからっと晴れて乾燥している。これから少しずつ肌寒くなっていくことを考えると、衣替えをしないといけない。


 薄い上着を羽織って窓を開けると、向かいのアトリエも同じように窓を開けていた。


 ふと目についた壁に手配書はなくなっていて、どうやら雨に流されてしまったらしい。


 あの夜、カエリがスズランの女と話した夜から数日が経った。あれからスズランの女は活動を控えているようで、めっきり姿を現すことがなくなった。


 厳重な警備では復讐どころではないだろう、とカエリの予想通り、彼女は街が落ち着いてから再開するつもりのようだ。


 早ければあと数日、いや、今日にでも再開しそうである。


 なにせ、ここ数日平和だったものだから、夜中巡回している兵士たちの数が少しずつ減らされているのだ。兵士たちのモチベーションの低下もさることながら、灯りの費用も相当嵩む。にもかかわらず、連続殺人鬼の足取りすら掴めないとなると、費用対効果が望めないとして徐々に捜査網が縮小されていくだろう。指揮官が顔を真っ赤にして部下に怒鳴り散らしている姿が目に浮かんでくるようだ。


 客の行列もようやく収まってきたらしく、アズも昨日から顔を見せるようになった。


 アズが来なかった間の生活を問い質されるとかわしきれず、カエリはありのままを話してしまって案の定こっぴどく叱られた。小言を言いつつ、頬を膨らませながらも早速手料理を作ってくれたアズには頭が上がらないカエリである。


 お互い顔を合わせなかった間の報告をしながら夕食を終えると、アズがふと呟いた。


「ねね、あたしもそのお姉さんに会ってみたいな。今日会えるかな?」

「さあ、どうだろう。あの人は結構慎重そうだし、まだ早いと思うよ。少なくとも、今日は出てこないんじゃないかな」

「そっかぁ、残念」

「そういえば、猟騎士のほうにも会ってないね。一時期はびっくりするほど出くわしたのに」


 連続殺人事件が大きくになるにつれて、バロウズとは会わなくなった。彼もこの一件で動いているのだろうが、あれ以来一度も見ていないのは不思議だった。


「もしかして、やられちゃったんじゃないの? 例の女の人、すっごく強いんでしょ?」

「どうだろうね。流石にバロウズが一方的にやられるってのは考えられないけど」


 あの猟騎士がそう簡単に負けるとは思えない。いかにスズランの女が強かろうが、単身で打ち倒すことは難しいとカエリはみた。


「ってあれ、どこか行くの?」

「うん、多分出てこないだろうけど、念のためね。あ、アズは駄目だよ。もしあの人が兵士たちと戦ってたりしたらきみも飛び込みかねないからね」

「そ、そんなことしないって! ……うぅ」


 長く続いた雨に加えて、『木陰』の仕事もまったく来ないのでアズの鬱憤は相当に溜まっている。それこそ、街中で殴り合いでも起きれば喜び勇んで乱入してしまうほどである。なので、アズはもっぱら留守番ばかりだ。


「いいなぁいいなぁっ、あたしも暴れたいよぉ」

「目的が変わってるってば」


 駄々をこねるアズを宥めて、カエリは外へ出た。


 実のところ、今日はスズランの女を探すつもりはなかった。


 カエリは自分の予想通り、あの女はまだ動かないと思っている。だが、妙な胸騒ぎがするのだ。


 胸焼けなどというベタな勘違いではなく、虫の知らせのようなものが朝から鳴り止まないのである。

 アズを同行させなかった理由は先ほどカエリが言った通りだが、なんとなく連れていくことは避けたかった。


 嫌な予感がする。


 久しぶりに雨具を被ることなく夜のブロッサに出たカエリは、いつも通り屋根に飛び上がった。


「やっぱり、虫の知らせなのかな」


 スズランの女がどこにいるのか、なんとなくわかる。今日に限って、いやむしろ今日だからこそ、なのかもしれない。自分の直感を信じて歩くと、ブロッサから出てしまった。


「おかしいな……」


 いままで、スズランの女の復讐は全て街の中で行われていた。しかし今日に限って街の外だ。何か理由があるのだろうか。


 闇の中に紛れるようにして進むと、カンテラに照らされた馬車があった。


 どうやら車輪が壊れてしまったらしく、めくれ上がった幌から荷物が散乱している。近くに馬がいないのは逃げてしまったからなのか。


 用心しながら近づいてみると、馬車の陰にうずくまる人影がいくつか見えた。


 なにか、抱えているように見える。


 目を凝らすと、それは血まみれの子供だった。

 子供を抱えている人影は女で、血まみれの子供に縋りつく人影もまた子供だった。母親と、兄弟を心配する子だろう。


 馬車が倒れた拍子に怪我をしたのか、とも考えたが、それにしては他の二人に怪我がみられないことが気になる。


 しばらくカエリが様子を窺っていると、遠くから男が馬車に近づいていった。


 男にすがりついた女を見て、カエリは納得した。あれは家族で、大怪我を負った子供をなすすべなく抱きしめているらしい。いや、もしかしたら子供のほうは死んでしまったのかもしれない。


 しかし妙だ。


 何故日の落ちたこんな時間に馬車を出しているのだろうか。あの家族は裕福そうには見えないし、幌からこぼれている荷物を見ると旅行へ向かう最中のようには見えない。


「もしかして、例の……」


 子供だけが血まみれ。それに心当たりがある。


 更に注視すれば、父親がしきりにケリオスの滝のほうを気にしていて、カエリは合点がいった。


「兵士からケリオスの滝に逃げた、のか? もしかしたら騎士、いや猟騎士かもしれない」


 ケリオスの滝にスズランの女がいて、追われている可能性が出てきた。もし合っていたら。それを考えて、カエリは馬車の家族を無視してケリオスの滝へ向かった。

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