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司書さんのお仕事  作者: 水島緑
散りゆく花は美しく
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そのろく

 スズランの女が本格的に表沙汰になったのは翌日のことだ。


 ブロッサで密かに噂になっている、連続少年殺人事件。これの犯人がスズランの女だという。

 果たして本当に彼女が関わった事件なのか、その疑問とは別に、関わっているのであれば、彼女は少年たちに何を奪われたのか。


 クロエのときと同じように、図書館の向かいのアトリエの壁に人相書きが貼り付けられていた。


「あんまり似てないな」


 本物はもっと怜悧な美女、といった容姿だったとぼんやり考えて、カエリは図書館へ戻った。


 すると直後、またしても雨が降り出してカエリはうんざりしながら開けたばかりの窓を閉める作業に入った。


 壁に貼り付けられた人相書きはみるみるうちに濡れそばり、刺青部分のインクが滲んで、首元が黒く染まった。



 それはまるで、首を刎ねられたような――。








 鳩時計が気の抜ける音を出したのに気付いて、カエリは手を止めた。既に日が傾きはじめているが、彼はまだ昼食を終えていない。というか、食べてもいなかった。


 いつもならアズが騒がしく扉を開けるため、自然と作業の手が止まるのだが、もう十日近くは昼食を抜いている。


 特に支障はないのだが、いかんせん気がつくと腹が減っているのが厄介なのだ。決まってパンとチーズで夕食を兼ねて済ませてしまうのであまり体には良くないのだが、家事はてんで駄目なものだからなにか作れば買った食材以下のものになる。


 この日も結局同じ食事で済ませて、カエリは雨具を被った。


 最近の日課だ。いまのところ必ず目的の人物を見つけることができているのでいつまで続くのか、といった楽しみが密かにある。


 雨の中外に出ると、いつにも増して街は静まり返っていた。

 件の事件が尾を引いているようで、子供たちはもちろんのこと、大人たちも万が一に備えて夜間の外出は控えているらしい。行政府が呼びかけているということもあるのだろうが、純粋に恐ろしいのだろう。


 そんなその場凌ぎでは止まらないだろうな、とカエリは思う。あの女は本物だ。己が牢屋に放り込まれるか、斬られるまで復讐を続けるはずだ。


 だからこそ、ひどく惹かれるのだ。


 外出を自粛した住人たちとは対照的に、光源を身につけた兵士たちが夜の街を闊歩している。大抵は二人一組か三人一組で固まり、いざというときのためにブロッサ中を巡回している。


 厳重な警戒だが、カエリにはいつもの道と変わらない。


 真夜中、それもいつやってくるかわからない犯人を待ち続けてただただ歩くだけの作業はどうしたって集中力が続かない。ろくに警戒もしないまま談笑する三人組を隠れ蓑にしながら、カエリはスズランの女を探す。


 目の前の三人組は若者たちのようで、くだらない世間話から下品な話まで、ころころと話題を変えながら練り歩いている。


 彼らの話を聞き流しながら追従すると、三人のうち二人が尿意を訴えて、近くの路地裏で済ませてしまおうという話になった。


 三人組が路地裏へ入り、カエリは壁を蹴って屋根まで上がり、耳を塞いだ。


 屋根からは巡回中らしい兵士たちのカンテラの灯りがよく見えた。彼らは担当区画を順繰りに回っているようで、他の兵士たちが少しずつ近づいてくる。


 それをぼんやりと眺めていると、用を足し終えた三人組が路地裏から出てきた。


 巡回に戻ろうとする彼らの背後から人影が浮かび上がるが、三人組は誰一人として気づかない。


 狭い路地裏で二人並び、一人がその後ろを歩いていた。そのため、後列の一人を無力化してしまえば前の二人を気づかせることなく仕留めることが出来る。


 見下ろしていたカエリがおや、と注視すると同時に、路地裏の影から細い腕が覗いた。

 まるで撫でるような動きで後ろの一人の首に巻きつくと、彼は瞬きの間に気を失った。


 人影は力の抜けた彼を優しく抱き留め、音を立てずに地面に横たえると、前方の二人にも同じように腕を首に回して絞め落とした。


 鮮やかな手際だ。なにをしたのか、ほとんど一瞬で男たちは気絶している。


「やっぱり。お久しぶり、というのはおかしいかしらね」

「流石にここまで近いと気づかれちゃいますか」


 突然、カエリが潜んでいる屋根を見上げたと思えば、影から現れたスズランの女が穏やかに言った。

 特に驚いた様子のないカエリが屋根から女の目の前に飛び降りると、むしろ彼女のほうが驚いた表情を浮かべた。


「あれ、見てたのばれちゃったかな?」

「一応。視線を感じましたから」

「ふーん、若いのにすごいんだね」


 ほとんど初対面と変わらないというのに、二人は気安く言葉を交わしている。カエリが彼女にシンパシーを感じていたように、彼女もまた、自らを観察するカエリにシンパシーを覚えているのだ。


「僕を見つけたのはこれが初めてですか?」

「ん? んー、そうね。兵士たち以外にも追いかけられてるとは感じていたけど、きみだったなんて」

「……やっぱりかくれんぼは苦手ですね。すぐに見つかってしまいます」

「あは、それは慣れないと難しいわ。死角と視覚を意識すれば大抵の相手には気づかれないと思うけれど」

「いえ、僕は勉強したくて貴方を追いかけてるわけじゃないんですけど……」

「あ、それもそうね」


 その反応に、カエリは確信した。

 この人は僕の目的を知っていて、友好的なんだ。


「そっちのほうは順調ですか?」

「ええ、おかげさまであと一人というところよ」

「それは……良かった、と言っていいんですかね」

「もちろん。全てが終わった暁には、誕生日パーティーよりも豪勢なお祝いをしたいくらいよ」

「わからなくもないです」


 それだけ晴れやかな心地なのだろう。


「でも、すこし寂しいのよね。これが終わってしまえば、あの子が死んだことを受け止めて生きていかないといけないから……」

「それは……」


 彼女の懸念は、カエリにとっても他人事ではなかった。

 復讐を果たして、それから。


 志半ばで倒れるなら、それでもいい。だが、復讐を終えて、それから生きていくことになったらどうするのか?


 復讐は目的であり生きる意味だ。カエリはそうだし、アズも、目の前の女も同じだろう。では、生きる意味を失ったあと、なにを掲げて生きていくのだ。主義も目的もなく、道端の石ころのような人生を進んでいくのか。


 きっと、抜け殻のように毎日を惰性で生きていくのだろう。その未来がありありと見えた。


「でもまあ、失くしたならまた探せばいいのよね。そうやって人間は生きていくんだもの」

「本当にそれが出来ると思っているんですか……?」


 呆然と呟いたカエリは、どこか恐ろしいものを見る目を女に向けた。

 カエリには考えつかなかったものだった。生きる理由など、復讐のためだ。それで十分だった。むしろ、それ以外の理由は願い下げだった。


「さぁ、どうだろう。本音を言えば、自信はないよ? でも、それが当たり前なのよ。わたしもきみも、元はそうやって生きてきたはずなんだから」


 素直に凄いと思った。

 強い人だ。

 強くて、眩しい。


 復讐に身を焼いているだけでは決して思いつかない考えを持っている。

 カエリは瞼を閉じた。


「それじゃあ、わたしはそろそろ行くね。ちゃんとした答えになってるのかわからないけど、きみはまだまだ子供なんだから、ゆっくり考えてみなさい。先は長いのよ?」

 そう言い残して、彼女は闇に消えた。


 女の言葉を反芻して、カエリはぼんやりと佇んだ。いまここで答えをださねば一生空虚なまま生きていくような気がして、怖かった。


 されども答えは出ず、カエリは屋根に登った。


 屋根から眺めるブロッサの街には、巡回の兵士たちが持つカンテラの光がぽつりぽつりと浮かんでいるだけだ。


 静まり返った街はまるで己の未来を暗示しているようで、空恐ろしいものを感じた。

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