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司書さんのお仕事  作者: 水島緑
散りゆく花は美しく
11/43

そのいち

 生憎の雨模様である。


 雨戸を叩く水音にすっかり眠気を誘われてしまったアズがカウンターに突っ伏して寝息を立ててからそう時間は経っていない。


 心地良さげにすやすやと眠るアズを羨ましげに見遣ってから、カエリは図書館の出入り口に目を向けた。


 こんな天気では、いつにもまして利用者なんてこない。いっそ、今日はもう閉めてしまおうかと思い立ち、音を立てないよう立ち上がるとカエリは図書館を閉めてしまった。


 湿気は本の天敵だ。雨の日に扉を全開にしていては本かダメになってしまう。


 というのは本音でもあるが建前で、どうせいつもと同じように誰も来ないだろうと陽も高いうちに閉めてしまった。


 大雨というほどではないが、気軽に出歩けるような天気でもないので、図書館だけではなくどこの店も今日は早仕舞いだ。アズが働く喫茶店も今日は休みにしたようで、朝早く雨の中を走ってきたアズがひどく不機嫌で、カエリは宥めるのに苦労した。


 何故、わざわざ雨の中をやってきたのかわからない。アズは働いている喫茶店の店長が大家である店近くの長屋に暮らしているのであるが、びっしょりと濡れてまで外に出ようとはカエリは思わなかった。


 それだけ暇だったのかな、などと見当違いの言葉に持ち直したアズの機嫌が底辺にまで落ちていったのは言うまでもない。


 ここ数日、フロウがやってくることはなく、新入りのクロエをびしばし指導していて忙しいのだろう。以前フロウが来たときにはクロエも伴っていて、これから実地体験も含めて様々な仕事を見せると言っていた。もしかしたら他国に出向いているのかもしれない。


 それに、『木陰』が期待した手腕はクロエにはなかった。彼女が貴族であるフラッペンに近づくことができたのは、単にフラッペンが女好きでクロエを狙っており、本人は捨て身でフラッペンの屋敷を訪問したからだ。上手い具合に噛み合った結果が毒殺未遂に繋がっただけの話だ。だが、クロエは正式に『木陰』の一員になったようだ。カエリにはわからなかったが、首領の目に留まるだけの能力があったのか。それとも単に約束を守っただけなのか。他の何か、例えば、復讐心だったり、悪を憎む心だったり、感じ入るものがあったのかもしれない。


 図書館を閉めたカエリが、寒いときに羽織っているブランケットをアズに掛けてやると、自分は本の積まれた籠を抱えて本棚に向かった。


 本の数はあまり増えていない。というのも、フラッペンが死んでから警備兵の巡回が厳しくなっており、物々しい雰囲気からブロッサは一時的に活気を失っているのである。


 なにせ、この都市国家を回している貴族が殺されたのだ。同じ貴族からしてみればいつ凶刃が自らに振るわれるかわからないのだ。特にフラッペンと同様の、権力を傘にきて好き勝手やっていた貴族は己の屋敷に閉じこもって出てこないほどである。


 それに釣られるようにして、庶民たちにも不安が伝播したのである。フラッペンが死んで喜んでいたのもつかの間のことだ。


 町の活気が失われれば客足は遠ざかり、客がいないのでは店を開けている意味もないと明かりを消してしまう店が多く、大通りも今は人が疎らに通るだけの寂しい光景になっていた。


 司書であるカエリとしても、いつまでも本棚がすっからかんではいけないと思うが、いかんせん仕入れる場所がなくなってしまった。フラッペンを殺したことに一片の後悔もないとはいえ、住み慣れた町が暗く沈んでいる現状にはなんとかしたいという気持ちが湧いてくる。


 湧いてくるだけなので特に何もしないが。


 しかし、ふとカエリは思う。ずっと続く雨が止んで、透き通るような青色が空に戻れば自然と町の活気も元通りになるのではないだろうか。


 いつまでもこんな状態が続くとは思えない。というより、逞しい商人たちがこれを商機だと見て何かやらかすのではと考えていた。


 所詮、殺されたのは一人の貴族だ。たった一人死んだところでブロッサが立ち行かなくなるわけもない。


 時間が解決してくれることだろう。





 しばらく集中して本の整理に没頭していると、かすかな物音が聞こえた。

 アズが起きたのか、と階下を見るが彼女は気持ち良さそうに眠りこけていた。


 もしや泥棒か、と考えた。いくら雨の中だからといって、外に漏れる明かりくらいは判別できるはずだ。人のいる場所に入ろうとする間抜けはいないだろう。となれば雨宿りにきた通りすがりかなにかだ。


 そこで図書館の利用者という考えが浮かばない辺りが寂れている証拠だ。


 いったん手を止めて門口へ向かうと、雨音に紛れているが確かに扉が叩かれている。

 慌てて扉を開けると、雨具をびっしょりと濡らした人影が申し訳なさそうな顔をして佇んでいた。


「あれ、こんな天気でもお仕事なんですか?」

「ああ、どんな天気でも騎士だからね」


 バロウズ・グルスリッドがそこにいた。


 突然の出現に息を詰めたのもつかの間、カエリは咄嗟に言うと、バロウズは苦笑を浮かべた。


「聞きたいことがあるのだが、構わないだろうか?」

「ええ、いいですよ」

「そうか、すまない。早速だが……」

「ああ、どうぞ、中へ入ってください。雨の中問答っていうのは流石にちょっと」

「む、それはそうだ。ではお言葉に甘えて有難く」


 バロウズがびしょ濡れの雨具を軒先に吊るしている間に、カエリは清潔な布を用意した。


 どうやら、雨具の下に例の三つ爪の鎧を着ているようでしっとりと濡れている。


「これ、使ってください。本に湿気は厳禁なので」

「それはまずいな。すまない、助かるよ」


 バロウズが全身を拭うのを待っていると、アズがむずかるような寝言を漏らして首を竦めた。


 おや、とバロウズが目を瞬かせるとカエリが苦笑して階段の踊り場を指差した。それに頷くと、バロウズは鎧の擦れる音を立てないように歩いた。彼の後ろを追いかけるカエリは初対面のときと変わらないバロウズの威圧感に唾を飲み込んだ。一目見ただけでもわかるほど体を鍛え抜いている。武術の心得もあるようで、彼の歩き方はとても綺麗だ。背筋はしっかりと伸び、足運びは疲れにくいものになっている。それに、特に際立っているのがバロウズの警戒心だ。どこからの攻撃でも対応出来るよう、全方位に気を張っている。それがこの異様とも呼べる威圧感の原因だと気づき、カエリはバロウズへの警戒を強めた。


 ただ背後から不意を打っただけでは軽く躱されて返り討ちに遭ってしまいそうだ。


「それで、聞きたいことっていうのは? あ、この前の件でしたら僕は何も……」

「いや、そっちの件はもう解決したんだ。今回は別件でな」


 解決した、とは言っているが、バロウズ本人は眉を寄せて納得のいかない表情を浮かべている。やはり、彼はフラッペンの一件に違和感を覚えているのだろう。


 解決したんですか、と白々しく安堵の表情を浮かべたカエリにバロウズは難しい表情で頷いた。


「また、人を探しているのだ。今回は人相書きの類がなくて、特徴だけなんだがな。年は二十代後半から三十代前半。痩せぎすで背の高い、そうだな、きみよりも一回り大きいな。首にスズランの刺青をしていて、もしかしたら首を隠していたかもしれない。髪は長髪、目が隠れるほどだ。見かけたことはないか?」


 しばらく考え込んで、カエリは答えた。


「いえ、心当たりはありませんね。利用者として来てもいないですし」

「……そうか。そうだ、もう一ついいか?」

「なんです?」

「小さな子供のいる母親が一人で出かけるとしたら、どこへ行くと思う?」


 なぞかけか何かか、と訝しんだが、バロウズはいたって真剣な表情でカエリの答えを待っていた。


「うーん、そうだなあ。買い物ですかね。子供が小さいのなら、あの人混みは一緒に歩けませんし、危ないし」

「なるほど、買い物か。いや、参考になったよ。協力に感謝する」

「いえ。……よかったら雨宿りしていきませんか? この雨の中じゃあ風邪引いちゃいますけど」

「む? いや、有難い提案だが、まだ仕事があってな。気持ちだけ受け取るよ。ありがとう」


 そういうと、バロウズは本当に帰っていってしまった。


 雨の中を駆け抜けていく背中をしばらく眺めて、カエリは呟いた。


「良い騎士っていうのはああいう人のことなんだろうね」

「でも普通じゃなかったよ?」


 背後からの声に、カエリは驚くことなく振り返った。


 眠っていたアズがむずがったとき、カエリは彼女が目覚めたことに気づいた。バロウズが図書館に入るまでは確かに眠っていたのだろうが、彼の威圧感に叩き起こされたのだ。


「普通じゃない、か」


 アズの表現は確かに的を射ている。意味ありげな鎧の装飾もさることながら、一寸の隙も見受けられない身のこなし。


 ただの騎士とは到底思えない要素が揃いすぎている。

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