そのきゅう
フラッペン卿の遺体は自らの屋敷の門前に晒し者にされている状態で発見され、騎士たちの捜査に地下で囚われていた女性たちも無事に発見された。
フラッペンを晒し者にしたのはカエリたちで、第一発見者は早朝の散歩に出かけていた老婆だが、これはフロウである。
早い話が、すべて事前の打ち合わせ通りなのだ。
クロエの話から、攫われた女性がどこかに監禁されていることは知っていた。だが、暗殺と救出を共に行うのは不可能だ。助け出す人数はわからず、警備は厳しく、兵士に見つからず全員を助け出す予定はなかった。
しかし、これがフラッペンの遺体が見つかれば話は別だ。
常々、怪しいと思われるフラッペンに騎士たちが手出しできなかったのは、ひとえに貴族という身分があるからだ。特に、都市国家であるブロッサは国家運営の知識を持つ貴族は尊ばれるものであり、貴族を下手に害してしまえばブロッサが立ち行かなくなる可能性がある、とフラッペンに脅されていたせいだ。
しかし、その本人が既に死んでいるとなると、貴族という盾は既に存在しない。
主が貴族であることを傘にきて、悪行を重ねてきた兵士や使用人は軒並み逮捕される運びとなった。
そして、彼らの捕縛と余罪の調査のため、いままで手出しできなかったフラッペンの屋敷に踏み込み、監禁されていた女性たちは全員救出されたのである。
久方ぶりの大捕物に町の住人は何事かと騒いだが、これがフラッペンの殺害とその傘下の者たちの逮捕劇だと理解すると、凄まじい歓声を上げて次々と屋敷から出てくる騎士たちに感謝の言葉を降らしていた。
どれだけ嫌われていたのかわかる光景で、クロエはわずかな誇らしさを覚えた。
とはいえ、ただ見て見ぬ振りをしていた使用人たちは特に罪を問われることなく解放されたため、クロエの復讐の矛先はそちらへ向かっていた。
「いやぁまったく癪だなぁ。なぁんで何にもしてない騎士たちがえっらそうにしてるのかねー?」
「さぁ、威張ることも仕事なんじゃないですか?」
ぷりぷりと怒りながら眼鏡のレンズを拭うフロウに、カエリは気のない返事を返して本の頁を捲った。
「特に気に入らないのが嬉しそうにしてない騎士だよね。ああいうのって納得するまで調べるからしつこいんだよ」
「仕事熱心でいい事じゃないですか」
「その熱心さが気に入らないの! 万が一にも私たちに目が向いたらどうするのさ」
不機嫌そうに漏らすフロウに、カエリはようやく顔を上げたが、眦を釣り上げてひどく顔をしかめている。
「まさか、僕とアズがそんな不始末をするとでも?」
「そうは言ってないでしょー」
『木陰』で活動し始めた頃ならいざ知らず、流石に今も信用されていないとなると不機嫌になりもする。この場にはいないがアズも同じ反応を見せるに違いない。
「……まあ、言いたいことはわかりますよ。確かに我が物顔で自慢する騎士たちには腹が立ちます」
「でしょ!?」
「当然といえば当然なんですけどね」
フラッペンを殺した犯人がわからずとも、加担していた人間を大勢逮捕することが出来たのだから騎士としてこれほど名誉なこともあるまい。しかし、ごく一部の騎士は一片も喜びを見せず、むしろ歯噛みして表情を怒りに染めている。
なにせ、虎視眈々と隙を窺っているうちに、横から掻っ攫われてしまったのだから当然だ。
フラッペンの死因は刺殺。恨まれることが仕事のような被害者であったことから、私怨による殺害として片付けられたのである。だが、少し頭の回る騎士であれば違和感を覚えるであろう。
すなわち、どうやって屋敷に侵入したのか、ということである。
使用人や兵士たちが手を掛けた、と言われればそれまでだが、屋敷に通う大半の人間はフラッペン側の人間だ。現に、捕まった者たちは誰一人として知らないと供述している。
そんな事情もあって、喜ぶ騎士とそれ以外の騎士とで微妙な温度差があった。
「私ね、思うんだ」
ふと黙り込んだと思えば、どこか憂いを帯びた表情で遠くを見るフロウに、カエリは目を剥いた。
「人間の正義って安っぽいものなんだなぁって。だってそうでしょう? カエリくんたちっていうきっかけがなければあの騎士たちは前と同じままなんにも出来なかった。なのに、今では自分が解決したとでもいうような厚顔さじゃん。顔をしかめてる騎士だって、おかしいと思ってるならおかしいって叫べばいい。なのに、難しい顔で黙り込んだまま。結局、騎士の言う正義ってその程度なんだよ。本当に憂いているなら手段なんていくらでもあるのにさ」
「……あくまでも仕事ですからね。仕事だから取り締まっているのであって、騎士の鎧がなければそこらの人と変わりない人間です。余計なことを言って仕事を失くしたくはないんでしょう」
「まったく、男とは思えないね!」
今度はぷんすかとわかりやすい怒りの表情を浮かべたフロウは立ち上がり、じっと己を見つめるカエリに気づいて照れ隠しのように丸眼鏡を押し上げた。
「あ、そ、そうだ。クロエちゃんのことなんだけどね?」
「ああ、クロエさんはしばらく見習い扱いって話ですよね?」
「そうそう。なんていってもクロエちゃんはドのつく素人ちゃんだからねー。びしばし鍛えてあげないと。でね、クロエちゃんは私につくことになったんだ」
「ということは、ここにも寄ることがあるってことですね」
「うん、だから仲良くしてあげてねー」
言われるまでもない。元より、『木陰』の人間は身寄りがないか、家族を失った人間ばかりだ。両親を失ったクロエの気持ちは痛いほどわかるし、彼女の憎しみにも共感出来る。特に、アズがクロエを気に入ったようで、今度来たときには喫茶店に招待すると張り切っていた。
「……クロエさん、大丈夫ですかね。慣れればどうってことはないですけど、慣れるまでが大変だから」
「まーそうだね。でもあの子はやる気満々だよ、無表情だけど」
共にフラッペンを殺したカエリにしてみれば、それは聞かされるまでもないことだ。
「あ、そういえば首領から伝言頼まれてたんだ」
「伝言?」
「バロウズ・グルスリッドには気をつけろ。だってあれはただの騎士じゃないから、また図書館に来ても同じように対応してってさ」
「あのバロウズって騎士も、フラッペンの件では喜んでない側でしょうね」
あの男は並の騎士ではない。フロウも頷いて心配そうな表情を浮かべた。
「とにかく、気をつけてよ?」
「もちろんです」