再びのゴブリン・キング
ぎこちなく立ち上がろうとする、ジャイアント・オークの屍たち。
シムは胸のうちを絶望に染めながら、それを見上げていた。
衝撃波が通用しない今、水魔法使いたちには、ジャイアント・オークのゾンビはおろか普通のゾンビ・オークさえ倒す手立てが残されていないのだ。
「くっ、このままじゃ・・・!」
つい、自分の無力さに歯噛みをしてしまう。
「足を止めるな! ゾンビどもの動きは鈍いぞ!!」
そこに聞こえて来たのは、アレクの叫び声だ。
仲間たちを叱咤し、活路を見出そうとするその姿に、シムも冷静さを取り戻す。ジャイアント・オークのゾンビたちが暴れ始める前なら、まだ撤退は可能だ。そのためには、シムがゾンビ・オークたちを引っかき回す必要があるだろう。
ジャイアント・オークのゾンビに背を向け、シムは団員たちの救援に向かおうとする。
が、状況はそれを許さない。
「ぎゅるるるるおおおぉぉぉああああぁぁぁぁ~~~~~っっ!!」
ジャイアント・ゾンビ・オークの1体が天に向けて吠え上げると、大量の炎の矢を吐き出したのだ。辺りが一瞬で、炎の色に染まった。
「み、水に潜れ!!」
水の円盤を盾にしながら、シムが叫ぶ。
直後。
雨のように降り注ぐ炎の矢が水の円盤と水面に着弾し、連続で猛烈な爆発を起こした。
前後左右から爆風が叩きつけられ、急流に浮かんだ木の葉のように回転するシムの身体。
「ぐあっ!!」
瞬間的に意識が飛んでいたようだ。水面に突っ込んだところで、シムは我に返った。
慌てて水面から身を起こして周囲を見回すと、自分の足で立っているのはゾンビ・オークだけという有り様だ。周囲にはきな臭い匂いが立ち込め、『アンダインの爪』の団員たちは、倒れたまま水に沈みかけている。
そして、ゾンビ・オークたちも炎の矢を浴びたようで、身体の一部を失っていたり、その身が炎に包まれている者もいた。が、自らの身体がどうなっているのかを気にする様子もなく、ノロノロと、しかし確実に水魔法使いたちに迫っていく。
「立て! 立て!!」
叫びながら、団員たちが沈もうとする水に向けて、シムは治癒魔法を全力で流し込んだ。団員たちの何人かがそれに反応し、ピクリと身を震わせる。
「立てぇっ! オークが来てるぞ!!」
ゴブリンゴーレムたちがゾンビ・オークの動きを阻止しようとしているが、まるで手が足りていない。元々の数が違う上に、1体ごとのパワーでも負けているのだ。しかも、ゾンビは不死身に近いせいで、更に始末に負えなくなっている。
「くそっ!」
団員たちを助けようと、なんとか立ち上がるシム。
が、次の瞬間、その身体が強烈な圧力に包み込まれた。
「がはっ!!」
ジャイアント・ゾンビ・オークの巨大な手が、シムの身体を掴み取ったのだ。
骨が激しくきしみ、肺の中が一気に空っぽになる。
「シムぅっ!!」
叫ぶグレコの声が、やけに遠い。
視界が急速に暗くなり、シムの意識が薄れていく。
このとき、もうシムの中に生き残ろうとする気力は残されていなかった。今、ジャイアント・ゾンビ・オークをどうにかできる戦力は、ここに存在しない。つまり、シムの命運は尽きたのだ。シムにできるのは、自分の身体がばきばき音を立てるのを、他人事のように聞くばかりである。
ぱさり・・・。
そんなシムの耳に届いたのは、何かが空気を打つ音。
目を開くと、なぜかコウモリが一直線にこちらに飛んでくるのが見えた。
コウモリ? いや、違う。コウモリのゴーレムだ。
ジャイアント・ゾンビ・オークの間近まで飛んできたコウモリゴーレムが、足に掴んでいた何かを地面に落とした。右足から1つ、左足から1つ、ごく小さなものだ。
その何かが落ちた場所から、水面を割って巨大な影が2つ立ち上がった。
上半身は人型だが、あちこちに大きなヒレと透明な羽のようなものが付いており、手には巨大な三叉矛。下半身は逞しく太い蛇体だ。その大きさは、ジャイアント・ゾンビ・オークを凌駕している。
これもゴーレムなの? なんで、最初っから武器を持ってるの? 朦朧とする意識の中そんなことを思うシムの目に、次なる光景が飛び込んできた。
『アンダインの爪』の隊員たちが満たした水面の上を、イルカだかサメだかのような謎の生き物が飛んできたのだ。そして、その背びれに不格好に捕まる1人の男。遠目だったが、シムにはその男が誰か一目で分かった。もちろん、青志である。
やっと、来てくれましたか・・・。
シムは微かに笑みを浮かべたまま、安心したように意識を手放した。
蛇体サハギンのゴーレムが三叉矛を振るうと、ジャイアント・ゾンビ・オークの腕はすっぱりと断たれ、その手のシムごと地上に落下していった。
シムの身体は甲冑鷹ゴーレムが、しっかり空中でキャッチ。そのまま運び去る。
片腕を失っても、すでに死んでいる者には関係ない。前進し続けようとするジャイアント・ゾンビ・オーク。その身体を、蛇体サハギンゴーレムの三叉矛がズタズタに切り裂く。
ゾンビ・オークの群れに対しても、新たな援軍が攻撃をかけていた。
身長2メートル弱。オークよりわずかに小柄だが、鎧をまとっている為、重量感ではまるで負けていない。重装サハギンだ。その数は3体だけだが、ゴブリンゴーレムたちと一緒になって、ゾンビ・オークたちを押し返していく。
青志にとっても嬉しい誤算だったのは、蛇体サハギンの三叉矛と重装サハギンの鎧が、生体組織が変化したものだったことである。つまりゴーレムとなっても、最初からそれらが装備されていたのだ。
で、当の青志は、やっと戦場にたどり着き、水に浸かってない場所でへたり込んでいた。
シムたちを助けるために走り出したがすぐにバテてしまい、ゴーレムの目を通して見た『アンダインの爪』の団員たちの水の円盤を真似ようとして自爆。結局、水円盤に乗るのをあきらめ、イルカゴーレムの背びれに捕まって、なんとかここまでやって来たのである。
おまけに青志は、途中でシムたちを救うために蛇体サハギンと重装サハギンのゴーレムを召喚したせいで、魔力的にもギリギリになっていた。地面にへたり込んだ後、霊獣ゴーレムを呼び寄せ、その魔力増幅の能力を使って、やっと一息つけたような状態だ。
「マナも援軍に行ってくれるか? ミウは悪いけど、連中に治癒をかけて回ってくれ」
「パパは平気?」
「しばらく休んだら復活するよ。護衛にはスライムたちがいるし」
「分かった。さっさと片付けてくるから、ゆっくり休んでて」
ミウがシムたちのように水円盤に乗って浮かび上がると、マナがその背中にしがみついた。青志がイルカゴーレムに捕まって移動してるとき、ミウとマナは水円盤に2人乗りして、易々とイルカゴーレムのスピードについてきたのだ。青志からすると妬ましい運動神経である。
ゾンビ・オークたちの群れに近づくと、マナはミウの背中から重装サハギンの肩の上に飛び移った。その右手には、漆黒の刃に炎のような模様が真っ赤にギラつく1振りの剣。ジュノの作った剣を、火竜のウロコを使ってシャガルが改造したものだ。
同じように、ミウの手には青い波紋の美しい剣が握られている。
「燃えろっ!!」
マナの赤い髪がザワッと波打つと、火の剣の先端から、真紅の光条が放たれた。
ジャッ――――!
空気の焦げる匂いがしたときには、1体のゾンビ・オークの胸にソフトボール大の穴が開き・・・一拍置いて、その全身が燃え上がった。それだけ、マナの撃った光線の温度が高かったのだ。
「いけるじゃない!」
尖った歯を剥き出して笑うと、熱線を連射するマナ。
動きの鈍いゾンビ・オークの群れは、次々と灼熱の矢に貫かれ、燃え上がっていく。
「うおっ! マナ、すげー! 1人でゾンビ・オークを全滅させられるんじゃないか」
マナの戦い振りに、青志は呆れたように拍手をするばかりだ。
ジャイアントの方も蛇体サハギンで勝ててしまいそうだし、『アンダインの爪』の団員の救出もミウとデンキゴブリンに任せていて大丈夫そうである。
「オレ、必要ないな・・・」
「退屈しているのなら、我の相手をしてもらおうか?」
突然頭の上から聞こえた声に、青志は飛び起きた。
「お前――――!?」
頭上を見上げた青志が見たのは、平然と空中に立つ鎧姿の巨漢だ。
その身長は2メートル超。逞しい肉体を漆黒の金属鎧に包み、仄かな燐光を放つ長剣を肩に担いでいる。頭部を覆う兜からは、太い角が威嚇的に左右に伸びていた。
「えっと・・・もしかして、ゴブリン・キング・・・さん?」
「正解だ」
兜のせいで顔が見えないのに、ゴブリン・キングがニヤリと笑ったのが、青志には分かった。
「なんだか、ずいぶん大きくなってません? それに、言葉も流暢になってるし・・・」
「我は進化したのだ」
いやいや、進化させてもらったんでしょ? 青志は、その言葉を胸のうちに押し止めた。そして、「あんたはもう死んでるんでしょ?」という言葉も。
とりあえず、ゴブリン・キングを挑発すべきでないことだけは、なぜかよく分かったのだ。
「で、そのゴブリン・キングさんが、どうしてまたオレなんかの所に?」
「せっかく、我を殺した人間が訪ねてきてくれたのだ。精一杯もてなすのが、筋ってものであろう?」
「うわぁ、憶えてたんだ・・・」
「もちろんだ! その間抜け面、死んでも忘れられなかったわ! さあ、戦え!!」
「そ、その前に、1つだけ質問!!」
「ちっ! 不粋な。言うてみろ!」
「あんたの息子がここを取り返しにきたと思うけど、どうなった?」
「あいつか? ワイバーンなんぞに乗ってきて、刃向かおうとするから、叩き落としてやったわ! その後のことは知らん! どこかで潰れておろうよ。
で、それがどうかしたか?」
「いや。なんでもないよ。
・・・じゃあ、やりましょうか」
青志はミスリル棒を構えると、ゴブリン・キングに鋭い視線を向ける。
ゴーレム軍団の援軍により、オークたちの敗北が決まったかと思えた戦場。そこにまた、戦局を逆転させ得る存在が姿を現していた。
1体目は、青志との戦闘に突入したゴブリン・キング。正確には、ゴブリン・キングがゾンビとなり、更に進化させられたものだ。その固有能力は、他種族の隷属化。ジャイアント・オークを操っていた存在である。
ゾンビとなったせいで青志の衝撃波が通じなくなっている上、進化までしたゴブリン・キングの戦闘力を前に、青志の苦戦は必至と言えた。
そして、それ以上に危険かも知れない存在が、オーク・キングとオーク・クイーンだ。
領主館の2階のバルコニーに立ち、オークたちを束ねる2体が、無言のまま戦場を眺めている。
オーク・キングとオーク・クイーンの大きさは、他のオークたちと違いはない。が、その体毛は燃えるように赤く、頭頂から背中にかけて立派過ぎる鬣が逆立っている。
人間たちがまだ誰も注目していない中、オーク・キングが片手を上げた。それに呼応し現れたのは、新たなオークの一団。ゾンビ・オークと戦うマナたちを、押し包んでいく。
「ミウ! 早くみんなを逃がして!!」
「いや! 生身のオークなら、我々で相手ができる! お前ら、立ち上がってオークの相手をするんだ!!」
『アンダインの爪』の団員を逃がそうとするマナに異を唱えると、アレクは自ら先頭に立って水の鞭を振るい始める。
そんなアレクに続こうと、他の団員たちもミウの治癒を受けながら、戦闘に復帰していく。
一度は、『アンダインの爪』のメンバーだけでオークたちを倒したのだ。衝撃波の利かないゾンビたちでなければ、水魔法使いたちにも、大いに勝算があるはずなのだ。
水魔法使いたちは痛む身体の治癒も後回しに、水面に立つと水の鞭をオークに向けて叩きつけるのだった。
「くっ。まだ、オークがあんなにいたのか!」
「おいおい。よそ見をしている余裕があるのか?」
そして、やはり青志は苦戦を強いられていた。
ゴブリン・キングとの戦闘に突入したときには、ゾンビ・オークを一掃したマナたちがすぐに応援に来てくれるとの目算があったのだ。が、大量のオークが現れたことにより、その期待は崩されてしまった。ゾンビと比べると動きの速いオークたちの攻撃をかわすために、マナが固定砲台でいられなくなってしまったのだ。
重装サハギンの肩の上にいるところを狙われ、マナは水に浸かった地面に落ちてしまっていた。水面に立てないマナの動きは一気に制限されてしまい、今は襲いかかってくるオークたちを剣でさばきながら、散発的に熱線を放つことしかできなくなっている。
マナや水魔法使いたちがオーク軍団に負けることはないだろうが、決着がつくまでには、かなりの時間を必要としそうだ。
つまり、目の前のゴブリン・キングは、青志がなんとかしなくてはならない訳である。
水面に立つ青志に対し、ゴブリン・キングは風魔法で宙に浮いたまま、鋭い斬撃を繰り出す。
ミスリルの棒でその攻撃を弾き続ける青志には、まるで余裕がない。防御に徹しているからこそ、ぎりぎり大きなダメージを受けずに済んでいるだけだ。
「ほらほら! しっかり受けろよ、人間!!」
そんな青志を嘲笑いながら、ゴブリン・キングは嬉々として剣を振るう。
「くっ!」
さすがに保たないと感じた青志は、直径1メートルを超える水の球を生み出すと、ゴブリン・キングに叩きつけた。衝撃波も腐食も乗せていない、ただの水の球だ。しかし、その量は尋常ではない。
正面からぶつけられた水の圧力に押され、空中で姿勢を崩すゴブリン・キング。
そのタイミングを逃さず、水中から何本もの土の槍が飛び出した。水中に潜んだスライムとミミズゴーレムの仕業である。
ガキン――――!!
直撃!
スライムのユニーク魔法で硬化された土の槍は、ゴブリン・キングの金属鎧を貫けないまでも、更にその姿勢を乱させる。
「ここだ!」
ゴーレムとの連係で作り出した隙を見逃さず、青志が無数の腐食球を放つ。逃れ様のないタイミングだ。
が。
腐食球が着弾する寸前、ゴブリン・キングを中心に突風が巻き起こった。軌道をそらされ、あらぬ方向に飛んでいく腐食球たち。その一部は、青志自身に返ってくる形になる。
「うわっ!」
とっさに水の壁を作って、腐食球を防ぐ青志。
たちまち、小さな穴だらけとなる水の壁。青志は自分の技の凶悪さに肝を冷やす。直接受けていたら、とてもグロい結果になっていただろう。
「ほう? 前とは違う技のようだな。我を穴だらけにしようとしたのか?」
「いやいや。そんな物騒な真似をする訳ないじゃないですか」
手の内がバレバレになり、焦る青志。まだ細かな水の球にしか腐食魔法を乗せられないせいで、強い風には致命的に弱いのだ。だからこそ、ゴーレムの土魔法を見せ技にしたのだが。
「どうやら、あまり遊んでいる場合ではないようだな」
ゴブリン・キングが長剣を青志に突きつける。
キョトンとする青志。
あれ? 絶体絶命?