水魔法使いたちの奮戦
黒い外套の人影は、舞うがごとき軽やかさでオークの群れの中を駆け巡り、流れるような滑らかさで剣を翻した。
明らかにその動きは、風魔法によって加速されている。
オークたちは、その速度に付いていけない。
腕を切られ、足を薙がれ、腹を裂かれ、戦闘力を削られていく。
が、オークの最大の武器は、そのしぶとさだ。
片腕が使えなくとも、足を引きずりながらも、腸をこぼしながらも戦意を失わず、黒い人影を追い回す。
オークたちの腕が黒い人影に届こうとしたとき。
猛烈な炎の渦が、オークたちに叩きつけられた。
「ゴバァッ!!」
火だるまになり、地面を転がるオークたち。
凄まじいまでに強力な火魔法だ。
悲しいかな、グレコではその足元にも及ばない。シムは驚きの目で、新たに姿を現した人影を見やった。
やはり、黒い外套を身にまとった小柄な人影だ。
ゴブリン・ウィザード――――。
超音波ゴブリンに引っかき回されたところを炎で焼かれたオークたちは、明らかに怯んだ様子を見せる。
そこに更に突っ込んだのは、第3の人影。
黒い外套で正体を隠しているのは同じだが、その手にあるのは金属の手槍だ。その手槍に打たれたオークが、なぜか簡単に倒れていく。
デンキゴブリンだ。
手槍を通じてオークたちを感電させ、動きを止めているのである。
「今だ! 一旦、撤退!!」
その機を逃さず、シムが叫ぶ。
逃げるにしろ、反撃をするにしろ、オークの包囲網から抜け出す必要があったのだ。
シムの言葉に『アンダインの爪』の団員たちは即座に反応すると、驚くべき速度で移動を開始した。
「援軍の後方50メートル地点に集結!!」
そう叫ぶと、シムは足の下に直系40センチほどの水の円盤を作り出すと、その上に立つ。そして自分が乗ったままの円盤を、高速で射出させた。
ぐんと身体に加速を感じたときには、シムの身体はオークたちの頭の上だ。
呆然と見送るしかないオークを尻目に、水円盤に乗ったシムは、あっと言う間に集合地点に到着していた。
他の団員たちも、次々とシムの周りに集合していく。その全てが、シムがやったのと同じように、自分で作った水円盤に乗って移動してきたのだ。
これが、青志と別れた後に、シムが独自に編み出した水魔法の新たな使い方だった。
水で円盤を作るぐらいは、水魔法の使い手なら誰でもやれることだが、同時にその上に立つこと、立ったまま水円盤を動かすことは、かなり繊細な魔力の操作を必要とする。
加えて、移動する円盤の上に立ち続けるのは、純粋に肉体的な能力の問題だ。
今回のオーク襲撃に参加した顔ぶれは、それだけの難関を越えて、新たな水魔法の使い方をものにした面々だったのである。
「あの人たちは何者なんだ?」
逃げ遅れた者がいないか確認中のシムに近寄ってきたのは、グレコとマハだ。
水魔法使いではない2人は、もちろん水円盤の技は使えない。グレコは火魔法を自分の足元で爆発させることにより、強引に飛翔したのである。着地のときも小さな爆発をいくつも起こして、落下の勢いを殺したのだ。
もちろん、その爆発で自分が傷つく訳にはいかないので、同時に火魔法で我が身を護りながらのことである。
その難易度は、水円盤よりも高かったはずだ。技を習得するまでに、グレコは何度も傷だらけになり、その度にシムが治癒魔法をかけたものだ。
一方マハは、風に乗って大きく跳躍するという技がすでに風魔法使いたちに知られていたので、大きな苦労はなかった。
「詳しくは言えないけど、あの人たちは師匠の兵隊だ。だから心配しなくていい」
グレコとマハに治癒魔法をかけてやりながら、シムは答えた。2人にならゴーレムのことを教えてもいい気がするが、周りに他の団員たちが集まっている状況では、迂闊なことを口にできない。
しかし、外套姿のゴブリンなら誤魔化しも利くが、異様な姿の鷹や半透明のキツネまでがいつの間にか参戦しているのを見て、やり過ぎだろとシムは顔を覆いたくなった。
「シムさん、なんとか全員そろっているようだ。まだ回復し切れてない奴もいるが・・・」
案の定、ゴーレムたちに視線を据えたまま、アレクとミハイルが近づいてきた。
「あれは、もしかしてゴーレムですか?」
眉をひそめるミハイル。やはり、あっさりバレている。アレクは、やけにムスッとした表情だ。
「ゴーレムですね。でも、信用していいですよ」
「ゴーレムをですか?」
「ゴーレムでも、だ」
シムに食いつこうとするミハイルを、なぜか横からアレクが抑えようとする。
「アレクさん、何か知っているのですか?」
「何も知らねえよ」
「それより、この後のことを決めましょう。このまま撤退するか、態勢を立て直して反撃を行うか」
シムの言葉に、ミハイルもゴーレムのことを追究している場合ではないと悟ったようだ。態度を改める。そして口から出たのは、次の一言。
「できるなら、ジャイアントの1体ぐらいは倒しておきたいところですね。そうでなければ、格好がつきません」
「格好に拘って、団員を犠牲にする訳にはいきませんよ?」と、シム。
「しかし、このまま尻尾を巻いて逃げてしまっては、『アンダインの爪』が笑い物になるだけです!」
ミハイルは水以外の属性使いへの対抗意識が、特に強いのだ。ときとして、その想いが過激な行動に走りがちなことを、シムは以前から懸念していた。
「ミハイル、『アンダインの爪』はあくまで水魔法使いを救済する組織だ。お前の野望の道具にはならねぇぞ」
アレクもシムと同じ危惧を抱いていたらしく、かなり手厳しい口調でミハイルを諫めようとする。
「僕の野望だなんて心外な! ここで戦果を上げてみせることこそ、水魔法使いの地位向上に繋がることが、どうして分からないんですか!?」
「そのために、何人の仲間を犠牲にする気なんだ?」
「犠牲を怖れていては、大業を果たせません! 今こそが血を流すべき瞬間なのです!」
「だったら、お前が真っ先に血を流してみせるんだな!」
徐々にアレクとミハイルの舌戦は熱を増していく。
団員たちは己の身体を癒やしながら、その行き着く先を見守っている。
が、その結論が出る前に、事態が動いた。
ゴーレムによりオークたちの数が減らされてきたせいで、ジャイアントたちが動きを再開したのだ。
3体のジャイアント・オークが、同時に炎弾の雨を降らせる。
凄まじい爆音と炎の照り返しが、ゴーレムたちのいた一帯を包み込んだ。
熱い爆風が、シムたちにまで届く。
「議論をかわしている暇はありませんね! ゴーレムたちが健在のうちに、もう一当てしましょう!!」
シムが決然と告げた。
「ええっ!? あの炎の中で、ゴーレムたちは平気なのか!?」と、アレク。
「大丈夫です。彼らはあの程度では倒れませんよ!」
言いながら水魔法で円盤を作り、その上に飛び乗るシム。
「ゴーレムの手前10メートルまで移動!! ゴーレムたちを盾に攻撃を行う!!」
「おおっ!!」
団員たちが声を上げたときには、もうシムは飛び出していた。
瞬く間にゴーレムたちの頭上を越えるや、速度を落とさないままジャイアント・オークたちの横をすり抜ける。
そして、すれ違い様に放つ水の鞭。
1体のジャイアント・オークの顔面から鮮血がしぶく。
水の鞭が片目を潰したのだ。
ジャイアント・オークが顔面を押さえ、苦しげに身悶える。
団員たちが同様の攻撃を続けて行えば、そのままジャイアント・オーク1体ぐらい倒せたことだろう。が、残念ながら、円盤に乗りながら水の鞭を扱えるのはシムだけだった。
ゴーレムたちの後方にたどり着いた団員たちが水の鞭を使い始めるが、距離が遠いせいで、顔面にまで攻撃が届かない。威力も弱い。
ジャイアント・オークたちの足を中心に水の鞭が打ちつけられる。しかし、その頑丈な身体をどこまで壊すことができるのか。
それでも、ジャイアント・オークの足を止められれば良いと、シムは考えていた。そして、少しでも注意を引ければ良い、と。悔しいが、師匠のゴーレム頼みだ。
団員たちの前方で炎に焼かれたはずのゴブリンゴーレムたちは、シムが予想した通り、炎が消えた後に、まるで損傷を負った様子はなかった。ただ、その身を隠していた外套は焼け落ち、漆黒の金属鎧を着込んでいるような姿を晒してしまっている。
その外見は、シムの記憶にあるものより、数段強そうに見えた。
が、それを気にする素振りも見せず、ジャイアント・オークたちが猛然と襲いかかる。
「ぐおおおおぉぉぉっ!!」
全身がびりびりするような吠え声とともに、振り下ろされる巨大な拳。
ゴブリンゴーレムたちは機敏な動きで、己と変わらない大きさの鉄槌から逃れる。
直後に地面を打った拳が轟音を生み、土砂を飛び散らせる。
猛烈な勢いで飛んできた小石が直撃し、団員の何人かが悲鳴を上げて倒れ込んだ。
「散れ! 1箇所に固まるな!!」
ミハイルの怒声に尻を叩かれ、男たちが慌てて周囲に散ろうとする。
「オークと距離を取りながら、隙を見て攻撃をかけろ!!」
もっともな指示だが、とても状況の改善には繋がらない。散発的な攻撃では、一生ジャイアント・オークに致命傷は入れられないだろう。
シムは1人、水円盤を駆って、ジャイアント・オークたちの間をすり抜け、水の鞭を振るう。
鞭を伝って放たれる衝撃波は、分厚い毛皮と脂肪を透過し、確かにジャイアント・オークに血を流させることができる。が、ジャイアント・オークの肉体の再生力は度外れだ。シムが片目を潰したはずの個体が、もう区別できなくなっている。下手をすると、片腕ぐらい失っても簡単に生えてきそうだ。
それでも、今のシムにできるのは、愚直なまでに同じ攻撃を繰り返すことだけだった。
3体の巨大なオークの攻撃をかわし、すれ違い様に衝撃波を叩きつける。そのままオークの手の届かない所まで行き過ぎると転進し、再びオークへと突撃し直す。
効果がほとんどないとは言っていられない。シムが攻撃をやめれば、ジャイアント・オークの攻撃の矛先が一気に団員たちに向いてしまうだろう。
かと言って、シムの体力も無限ではない。
シムが撤退の機会をうかがい始めたとき。
ジャイアント・オークたちの動きが、突然鈍くなった。いや、正確には足が動かなくなった。
「――――!」
不思議に思ったシムが目にしたのは、水だ。
ジャイアント・オークたちの足元を浸した、一面の水だ。
現在シムたちが戦っている領主館の敷地内は、一部を除いて舗装などされていない。一面の水の下は、泥と化しているだろう。
とんでもない体重を持つジャイアント・オークは、泥濘に足を取られ、まともに動けなくなっていたのである。
しかし、どうしてこれだけの水が?
視線を巡らしたシムの目に入ってきたのは。
「デンキゴブリン!?」
それは、ジャイアント・オークたちのただ中で、殴られながら、踏みつけられながら、水を生み出し続けているデンキゴブリンの姿だ。他のゴブリンゴーレムも、デンキゴブリンを守る位置に立っている。
「そ、そうか・・・。
みんな! 水だ! 水を生み出して、ジャイアント・オークの動きを封じるんだ!!」
シムの声に応じて、ばらばらに散っていた『アンダインの爪』の団員たちが、ジャイアント・オークたちの足元に激しく放水をし始める。
ジャイアント・オークの足首ほどだった水位が、一気に上昇し、ますますその動きを阻害する。
対して、『アンダインの爪』の団員たちは、全員が水の上に立てる程度の実力は持っているのだ。正に逆転のときだった。
「一斉攻撃!!」
水魔法使いの男たちが、水面を走ってジャイアント・オークに肉薄する。『アンダインの爪』の団員たちは、シムのように水円盤と水の鞭は同時に使えないが、水面に立って水の鞭を使うことはできるのだ。地形を水浸しにする戦い方は、これからの『アンダインの爪』の主戦法になるかも知れない。
『アンダインの爪』の団員たちが一斉に水の鞭を飛ばす。
「ぐがあっ!!」
3体のジャイアント・オークの全身が衝撃波に打たれ、真っ赤な血の霧を宙に撒き散らした。猪頭の巨人たちが苦悶し、がっくりと膝を付く。
「行けるぞ! 畳み込め!!」
叫んだのは、アレクだ。
水魔法使いたちが、再び水の鞭を振るう。シムも水円盤を解除して、水の鞭に全力を注ぎ込んだ。
どぱん――――!!
重い破裂音が3つ重って聞こえたかと思うと、ジャイアント・オークたちの身体がゆっくりと傾き、池のような水の中に倒れ臥した。
「や、やった・・・?」
その途端にシムを、胸の内側から引き裂くがごとき痛みが襲う。
「ぐ!・・・ぐあああっ!!」
痛みのあまり水面に立っていられず、思わず溺れそうになるシム。そしてそれは、他の団員たちも同じだった。
攻撃に参加できなかったグレコとマハだけが取り残された形となり、慌てて水に沈もうとする団員たちを引き上げにかかる。
「おい、みんな! しっかりしろ!!」
グレコとマハだけでは、まるで手が回っていないので、シムは痛みを堪えながら、ゴブリンゴーレムたちにも団員の保護をお願いしようとした。
が、ゴブリンたちは、まだ戦闘態勢を解いていない。武器を構えたままの5体が背中を合わせて、全ての方角に注意を向けている。
「まだ、敵が・・・?」
シムは自らの治癒魔法で痛みを和らげると、周りで苦しんでいる者たちにも治癒魔法を投げかけた。
「他の者に治癒魔法をかけてやれ! まだ戦いは終わってないぞ!」
こぽり――――。
そう叫ぶシムの目の前で、何者かが水中から身を起こす。
「オー・・・ク?」
それは、ひどく緩慢な速度で動いた。
見た目は、確かにオークだ。
ただ、その瞳に光は全くなく、焦点はどこにも合っていない。
耳と鼻には、少なからず出血した痕がある。つまり、水の鞭による衝撃波で脳を破壊された個体だ。
ゾンビ・オーク――――。
シムの背筋が一気に冷える。
そして。
こぽり――――。
こぽり――――。
団員たちのそばでも、生気の抜け落ちたオークの屍が、ゆっくりと立ち上がり始めた。倒した全てのオークが、ゾンビと化したようだ。
驚いた団員が水の鞭をゾンビ・オークに叩きつける。ゾンビの動きが鈍いおかげで、その一撃は過たず頭部に命中した。
が、ゾンビ・オークは何の反応も見せない。相変わらず、緩慢な速度で水魔法使いたちに迫ってくる。
「う、うわあああぁぁぁっ!!」
水の鞭が利かないことに恐慌を来し、短剣でゾンビ・オークに斬りつけたのは、やたら青志に噛みつこうとした少年だ。名をジークという。
まだ身体ができあがっていない上に、水魔法使いのために肉体の魔力的効果も期待できないジークの一撃は、ゾンビ・オークの左腕にあっさりと弾かれた。
「そ、そんな!?」
水魔法使いたちは、その表情を恐怖に歪める。
衝撃波が通用しなければ、水魔法使いたちの身体能力は、他の属性使いたちよりはっきりと劣るのだ。
ゾンビ・オークが無造作に振り回した腕に、ジークの小柄な身体が軽々と吹っ飛ばされた。
突き刺さるように水中に沈んだジークをすぐさま拾い上げたのは、デンキゴブリンだ。治癒魔法をかけてジークを正気づかせると、その身体を背後にかばう。
そこに再び接近してくるゾンビ・オーク。
デンキゴブリンは金属製の手槍で応戦。その穂先をゾンビ・オークの土手っ腹にえぐり込む。そして、すかさずの電撃。
が、すでに死んでいるゾンビ・オークは、その身を盛大に痙攣させたものの、電撃が途切れると、また当たり前のように前進を再開するのだ。
デンキゴブリンは一度手槍を引き抜くと、今度は片足を狙って攻撃を集中。その頑丈な足が半ば千切れそうなところまで攻めて、やっと動きを止めることができた。
が、それでも前進が止んだだけだ。
上半身が無事では、危険なまま過ぎる。
片足が駄目になって、座り込んでいるおかげで攻撃が頭部に届くようになったので、ジークとともに頭部に攻撃を繰り返す。
そのまま攻撃を続けること、5分余り。
ゾンビ・オークが完全に屍に戻ったのは、その頭部がほぼ原形を失ってからだった。
「嘘だろ。非力な水魔法使いに、これはキツい・・・」
シムも、衝撃波が利かない相手には、為す術がない。
唯一、効果的な攻撃を行えているのは、瞬間的に筋力を大きく増加できる火魔法使いのグレコぐらいだ。
しかし、一面の水が、グレコの移動速度を阻んでいる。まるでゾンビ・オークたちの数を減らすことができない。
そして最大の悪夢が、悠然と立ち上がった。
ジャイアント・オーク3体が、ゾンビとなって動き始めたのである。