アンダインの爪
結局、シムの来訪、オロチの発見、オークの襲撃のうち、最初にやって来たのは、シムの来訪だった。
翌日の夕刻のことである。
昼間は例によって偵察用のコウモリとネズミの捕獲をゴーレムに行わせていた青志。焚き火のそばで待っているばかりだったせいで、かなり退屈をしていた。
何せ、ゴブリンゴーレムたちの性能が上がって、食事の準備までやってくれるようになっていたのだ。
「お前たちも、一緒に食べられたらいいのになー」
黙々と働くゴーレムたちに、青志はボヤくばかり。マナとミウさえ食事は摂らないので、ゴーレムたちにかしずかれながら青志が1人だけ飲み食いするのは、ひどく居心地が悪い。
だから、シムらしき人影が近づいてきているのに気づいて、かなりホッとした気分になったものだ。
甲冑鷹ゴーレムからの情報によると、接近してくる人影は5人。
先頭を歩いているのがシム。身長が少し伸びたように見える。なんだか逞しくなったな。青志の胸の内を、父親のような思いが去来する。
青志と離れている間のおよそ半年、シムがどのような体験を積んだのかは分からない。が、それが安穏とした日々でなかったことは、容易に想像ができた。
「お久しぶりです、師匠」
「久しぶりだな、シム」
1人で待つ青志の前に現れると、シムは丁寧に頭を下げた。その所作に、半年前にはなかった落ち着きを感じる青志。
「アオシさん、ご無沙汰してます」
シムの後ろから声をかけてきたのは、グレコとマハだ。シムの幼なじみで、青志とも一緒に初心者ポーターをやった面々のうちの2人である。
「ああ、君たちか。シムと一緒にいたんだな」
水魔法使いの集まりと聞いていたのに、火魔法を使うグレコと風魔法を使うマハがいるとは、意外な展開だ。
そして、残る2人のうちの1人は、昨日も顔を合わせた年嵩の男。最後の1人は、ひょろりと背の高いキツネ目の青年だった。年嵩の男は、アレク。キツネ目の青年はミハイルというらしい。
焚き火のそばに座るように促すと、5人はおとなしくそれに従った。
「マナたちは?」
「林の中で遊んでるよ」
「僕たちを狙ってるんですか?」
「そんなことはないよ」
「まあ、僕たちなんて師匠1人でどうとでもできますもんね」
「つっかかるなよ。そこのアレクさんにも言ったけど、シムたちと対立する気はないんだ。ただ、オレはオレで大事な用があるんでな、ここから動くつもりはないだけだ」
「すいません。アレクたちが簡単にあしらわれたって聞いて、嬉しいような悔しいような複雑な気分になってしまって」
シムは素直に頭を下げた。
お茶を飲みながら話を聞いてみると、やはりシムはこの半年で己を厳しく鍛え上げたようだ。
青志たちの前から姿を消した後、シムは樹海に舞い戻り、その外縁でギリギリの狩りを行っていたという。もともと青志たちがやる予定だったことを、忠実になぞった訳だ。1人きりでそれを成し遂げたというなら、ずいぶんな成長をしたことだろう。
1ヶ月余りの修行を終えてサムバニル市に帰還したシムは、北門ギルドにてグレコたちと再会し、行動を共にすることになる。衝撃波の扱いに習熟し、治癒もこなせるシムは、パーティーにとって大きな戦力となったはずだ。シムの加入したグレコのパーティーは、急速に頭角を現していく。
それと同時に、戦える水魔法使いとして、シムの名は知られるようになっていった。
そんなシムの所に、強さを求める水魔法使いが集まることになったのは、自然の流れであったろう。
農民魔法と揶揄されながら、冒険者として生きていこうとする水魔法使いたちの姿は、昨日までのシムそのものであった。シムは、そんな水魔法使いたちに、衝撃波の技を惜しみなく伝えていった。
その結果が、『アンダインの爪』である。
アレクとミハイルの手前、『アンダインの爪』について多くを語らなかったが、現状はシムの望んだ形ではないようだ。
そして、理想と現実の板挟みになっているシムをグレコたちが支えているのだが、水魔法使いではない者がシムの側近としていることを良く思わないメンバーも少なくないと思われる。
ただ水魔法使いたちを助けたかっただけなのに、いつの間にか、水魔法を蔑む旧体制に反旗を翻す武闘集団の首領に祭り上げられてるなんて、シムに同情せずにはいられない青志であった。
でも青志なら、そんな集団の長になるのなんて真っ平御免で、逃げ出すなり集団の形成自体を阻止したであろうが、シムが何のかんの言いつつ『アンダインの爪』の首領でいるのは、良くも悪くもシムの中の「男」の現れなのかも知れない。
普通の男なら、たくさんの部下を従える立場に憧れるものだ。特に、所持する魔法の属性が水と分かるまで仲間うちでリーダー格だったというシムは、そういう傾向が強いのだろう。
対して、日本での社会人時代から、会社に使い潰されることを嘆きながらも、責任ある役職への出世から逃げていたのが青志だ。素直に、シムに男として負けていることを痛感してしまう。
「それで師匠は、ここで何をやっているんですか?」
ひとしきり自分のことを話すと、シムが質問を向けてきた。
「実は、オロチを探してるんだ」
「オロチさんを?」
「ああ。どうも最後に目撃されたのがこの辺りらしくてな、ここを拠点にオロチの痕跡を探してるところだ」
オロチがゴブリンで、しかもゴーレム使いであるのを言葉に出せないため、青志は詳しい説明することができない。が、シムはそれで大体の事情を察してくれたようだった。
「分かりました。僕がモウゴスタ市に入るときは、その点も気をつけておきます」
が、ゴブリンは問答無用で敵と見なされるのが当たり前だ。オロチがゴブリンであることを隠している限り、シムがオロチを助けられる可能性はほぼゼロであろう。
「まあ、気にしておいてくれるだけでいい。そもそも、オロチがまだこの辺りにいるとは限らないんだ」
シムの立場を慮って、青志は一言添えておいた。
人間ぽいゴブリンを探せとか救出しろとか、不自然な指示をシムに出させる訳にはいかないのだ。『アンダインの爪』の中に、シムに取って代わろうとする輩だって必ずいるであろうから。
シムたちが立ち去ると、マナとミウがトコトコと近寄ってきた。
「コウモリとネズミ、いっぱい穫れたよ」
「悪いな、地味な仕事ばかりで」
「それはいいよ、パパの役に立つんだったら」
そう言うマナの横で、ミウも静かに微笑んでいる。
「可愛いこと言ってくれちゃうね」
マナとミウを抱き寄せ、青志は優しく頭を撫でる。
「それより、シムは雰囲気が変わったわね」
「男臭くなったよな」
「まだまだお尻に卵のカラが付いたままだけど、少しは見れるようになってきたかな」
「採点が厳しいね」
「自分が引っ張ってるんじゃなくて、半分利用されてるようなものでしょ? そういう意味では、半人前もいいとこよ」
マナの批判が怖くて、青志は目を泳がせる。批判の矛先が自分に向けられたらと思って、ゾッとしたのだ。日本でもこの世界でも、ただ流されるままに生きてきた青志なのである。他人に誇れる人生を送ってきた自信は、まるでない。
「シムたち、明日モウゴスタ市に攻撃をかけるらしいぞ。はっきり教えてくれなかったけど、けっこう人数もいるらしい」
「勝てるのかしらねー」
「自信は、あるみたいだったな」
「大丈夫かなぁ? パパは、応援に行かないの?」
「オレが行っても、歓迎してもらえそうにないからなぁ。鷹に監視だけさせておいて、危なそうだったら助けに入ろうかな。あー、でも、シムたちが勝てない相手に、オレが向かっていって、なんとかなるかな?」
「パパなら大丈夫でしょ。あたしたちもいるんだし」
「そうだな。お前たちがいれば、心配ないか。ゴーレム軍団は頼りになるもんな」
翌日――――。
シムたちは総勢40人余りで、モウゴスタ市の北門から堂々と攻め入った。
時間は早朝。夜間は眠っているオークたちが、まだ活動を開始する前を狙ってのことだ。街の中でだらしなく横になっているオークたちに水の鞭が叩きつけられ、弱ったところを槍でとどめが刺されていく。
『アンダインの爪』の面々は全員が革鎧で武装し、その動きは見事に統制が取れていた。軍事的な経験、もしくは知識のある者が、組織の中にいるのかも知れない。水魔法使いでありながら、軍属であったとしたら、大いに苦労をしたことだろう。
指揮を取っているのは、キツネ目のミハイルのようだ。シムと並んで、後方から戦いの趨勢を見据えている。
ミハイルがかつて軍属だったとすれば、年齢的に若過ぎるようだ。が、若年に似合わない落ち着いた雰囲気は、青志には油断のならない人間と感じられる。
青志はありったけのコウモリ、そしてネズミのゴーレムをモウゴスタ市全域に配置すると、静かに戦局を見守った。
「第一関門は、ジャイアント・オークだな。うまく衝撃波を集中できれば、倒せない相手じゃないはずだけど・・・」
ジャイアント・オークがどれほどのパワーを持っていようと、蚊が止まるぐらいのスピードしかなければ、水魔法使いたちの敵ではないだろう。
しかし。
「イヤな予感がするんだよなぁ」
青志は心配げにつぶやく。
その青志のイヤな予感は、やはりジャイアント・オークの姿でシムたちの立ちはだかった。
領主館のそばにある倉庫らしい大きな建物から、3体の巨人が現れたのだ。
「3体? それに、オレがやったのより大きい・・・。まさか、数を減らして、その分1体1体をより進化させたのか?」
ユウコの情報では、ジャイアント・オークの数は5体であるはずだった。しかも1体を倒しても、すぐに別のオークが進化させられて、新たなジャイアント・オークになるという話だった。
それが3体しか現れない上、大きさが2割増しぐらいになっている。ゾンビとして蘇り、更に進化させられたゴブリン・キングのオークを操れる限界が、その線なのであろう。
「問題は大きくなったことじゃなく、体型がスマートになったことだな」と、青志は思う。
青志が戦ったジャイアント・オークは、ほぼゴリラに近い体型であった。
短く太いがに股の足と、歩行時は前足代わりになると思われる、長くて太い腕。その腕が武器と盾を持つために歩行に利用できず、その動きはひどく鈍かったのだ。
が、新型のジャイアント・オークの体型は、すっきりスマートだ。本来の人間型のスタイルのまま、3メートルを優に超える巨体を実現している。
これは物理的に無理があるはずだと、青志は考える。
骨格や筋肉がその巨体を支えようとすれば、ゴリラ体型から抜け出せる訳がないのだ。
それがいきなり背筋がしゃっきり伸び、ゴリラ型に比べて足が細く長くなったのは、身体強化魔法ありきでその身体がデザインされているからに違いない。
己の身体を維持するために魔法を使っているということは、戦闘にだって魔法を使う可能性が大きいということだ。魔法によって強化された肉体も、どれほどの運動性能を発揮するか知れたものではない。
どう考えても強敵になる。
シムの危機を確信した青志は、ゴブリンゴーレムたちに出動をかけた。
「シムたちの救援を頼む。でも、やばかったら逃げていいからな!」
「パパ、あたしが言うのもおかしいけど、パパさえいればゴーレムは無限に生き返れるのよ?」
「それはそうなんだけどさ。ゴーレムがやられるのを見ると、胸が痛いんだよ。マナやミウがやられたら、とんでもないショックを受ける自信があるし」
「まあ、大切にしてくれるのは嬉しいけど、パパの安全を一番に考えてよね」
「うーん、善処するよ。とりあえずスライムと猫とミミズは、護衛に置いとくか」
「あたしたちも忘れないで!」
「マナとミウは、攻撃の切り札でもあるからなー」
疾走していくゴブリンたちの後ろから、マナとミウを従えた青志も頑張って走り始めた。
領主館を目前で新型のジャイアント・オークに遭遇した『アンダインの爪』の10人ほどの一団は、それまでの優勢ぶりから一転し、ひどい劣勢に立たされていた。
その巨体に似合わず新型たちの動きが素早く、水の鞭の攻撃がなかなか当たらないばかりか、命中して損傷を与えても、すぐに傷が再生してしまうのだ。
「怯むな! 攻撃を当て続けろ! 奴らも不死身ではないぞ!!」
その場のリーダーらしき男の叱咤に励まされ、水の鞭を操り続ける団員たち。が、先に消耗しているのは、確実に彼らの方だった。
いくら水魔法により疲労軽減ができるとはいえ、超巨大な敵と対峙しなければならない精神的な疲労が、あまりにも大き過ぎたのだ。
やがて男たちは、散発的に水の鞭を放ちながら、新型ジャイアントから逃げ回るばかりになっていた。新型ジャイアントたちが武器を持っていなかったから、なんとか逃げられているが、棍棒でも持っていたら、被害者続出であったろう。
「馬鹿な。アオシさんが戦った程度のヤツなら、簡単に勝てたはずなのに!」
アレクも予想外の現実を怨みながら、必死に逃げ惑う。
そこに、『アンダインの爪』の残りのメンバー30人ほどが集まってくる。その中には、シムの姿もあった。
「一斉攻撃!!」
ミハイルの指示のもと50~60本に及ぶ水の鞭が、3体の新型ジャイアント・オークに集中する。
命中必至の攻撃だ。
そして、それだけの集中攻撃にさらされれば、さしもの新型ジャイアントといえど、大ダメージを負うことは避けられないはずである。
ゴバァッ――――!!
水魔法使いたちが勝利を確信した瞬間、爆発のような炎が全ての水の鞭を蒸発させていた。
「なっ・・・!?」
新型ジャイアント・オークたちが火魔法を使ったのだとシムが気づいたのは、更に団員たち目がけて無数の炎の矢が放たれた後だ。
「防御!!」
とっさに張られた水の盾が炎の攻撃を受け止めるが、人間とジャイアント・オークでは有する魔力量がまるで違う。人間たちの作り出した盾は、アッという間に穿たれ、削られ、消滅してしまった。
それでも炎の矢は雨のように降り続き、着弾と同時に炎の華を咲かせ、大量の土砂を巻き上げる。
「ぐわあっ!!」
苦鳴とともに、『アンダインの爪』の団員たちの身体も軽々と吹き飛ばされ、地に転がった。
「う、うぅ・・・」
炎の矢が降り止んだとき、そこに、自分の足で立っている人間はいなかった。全ての男たちが地面に横たわり、弱々しく呻くばかりだ。
そんな人間たちを、はるか高みから睥睨する新型ジャイアント・オークたち。
反抗する力を残している者が残っていないと見ると、合図らしき鳴き声を上げる。
そして、その声に応じて、まだ生きているオークたちが集まってくる。『アンダインの爪』の団員もそれなりの数のオークを狩りはしたが、まだまだ生き残りのオークは無数にいたのである。
近づいてくるオークの群れ。
水魔法使いたちは己の死を予感し、絶望に表情を染めた。
「くそっ、こんなはずじゃあ・・・」
誰かが悔しそうに漏らした言葉は、『アンダインの爪』全員の気持ちを表していたことだろう。それでも、まだ心の折れていない者は治癒魔法を使いながら、なんとか立ち上がろうともがいている。
「あきらめるな! 立ち上がれ!!」
そう叫んだのはシムだ。が、叫んだシム自身が立ち上がることができずにいた。
もう、近づくオークたちのゴフゴフという鳴き声が、はっきりと聞こえている。焦る気持ちが、よけいに治癒魔法の働きを妨げてしまう。
「うわっ、やめろ、やめろ、やめろ~っ!!」
一番離れた場所まで飛ばされた男に、オークたちが群がる。臭い涎を垂らしながら腕を伸ばし・・・。
その腕が、音もなく斬り飛ばされる。
きょとんとするオーク。
次の瞬間には、そのやたらと太い首までが、音を立てずに宙を舞っていた。
「な・・・に・・・?」
驚愕するシムの目に映ったのは、真っ黒なフード付きの外套で顔まで隠した小柄な人影。その手には、1振りの小剣。
一見、子どもにしか見えないその姿だが、シムにはひどく見慣れたものだった。
超音波ゴブリン――――。
青志が来てくれたのだ。