サハギンの群れ
アメノトリフネでの航海は、青志の想像以上に順調であった。
海上を進む速さが、アルガ号とは明らかに違ったのだ。
ズダが言うには、蒸気機関にしろスクリューにしろ、まだ完成には程遠いとの話だったが、十分実用に耐えるレベルにあると言えるだろう。
難があるとすれば、船の速度が速すぎて、航行中に魚が釣れないということぐらいだ。青志のミゴーゴーレムも船体にしがみつくことをあきらめて、甲板の隅で体育座りで待機させてもらっている。
しかし、どんなに速度を出せるからと言っても、闇の中での航海は不可能だ。夜間は停泊することを余儀なくされる。
毎夕、都合よく港に入れれば良いが、その点、ズダたちは行き当たりばったりだったので、海上で投錨して夜を過ごすことが多かった。そもそもアスカは、サムバニル市方面への航路事情に疎かったので、詳細な計画など立てようがなかったのである。
そして、海上で停泊することは、通常はひどく危険な行為なのであった。
航海が始まって、10日目頃。
日も陰ってきたので、アメノトリフネは停泊をする準備に入った。
付近に港はない。
着岸に適した地形も見られない。
アメノトリフネは、陸地から数十メートル離れた辺りで巨大な錨を下ろし、その身を休めることになった。
往路に乗ってきたアルガ号は、海棲のケモノ除けに、甲板から海中にまでケモノの嫌うツタを垂らしていた。
しかし速度重視のアメノトリフネは、ケモノ除けのツタなど生やしていない。その代わり停泊中は、ツタから抽出したケモノの嫌う成分液を満たした樽を海中に沈めるのだ。樽からは成分液が少しずつ染み出し、ツタそのものよりケモノ除けの効果が大きいというものである。
それでも、近寄ってくるものはいる。ある程度の知能を有しているケモノであれば、ケモノ除けの匂いよりも、船に対する好奇心が勝る場合があるのだ。
海に棲む知能あるケモノと言えば、例えばサハギン――――。
簡素な武器と衣服をまとい、水中を魚のように自由自在に泳ぐヒト型のケモノだ。停泊中の船が時折襲われることはあるが、その生態はよく知られていない。
そのサハギンの群れが、大挙してアメノトリフネに押し寄せた。
深夜――――。
ゴーレムたちが異変を察知し、青志は目を覚ます。
「シューマン! 何かが船に迫ってる!!」
青志の声に、シューマンは一発で飛び起きた。
マナとミウも、のそのそと起き始める。
「アオシ殿、一体何が!?」
「海中からヒト型のケモノが大量に近づいて来てるみたいだ」
「分かりました。船長には、私が。アオシ殿は、ナナンたちへの連絡をお願いします!!」
話しながら鎧を身に着けたシューマンが、部屋を飛び出して行く。ジュノが作った鎧は、軽くて丈夫なだけでなく、装着するのも簡単なのだ。従来の鎧であれば、装着するのに、他人の手を借りて小1時間かかるところである。
青志も防具をまとうと甲板に向かった。女性陣に知らせるのは、マナとミウに任せてある。
甲板に出ると、深夜だというのにあちこちに篝火が焚かれて、思った以上に明るかった。寝ずの番の水夫たちも、生真面目に暗い水面を睨んでいる。が、まだ異変には気づいていないようだ。
そのとき、甲板から水面に向かって光の玉が飛ばされた。
バレーボール大の光は、船から10メートルほどの位置でピタリと停止する。その光に照らされた海中を、ヒト型の影が横切っていく。
「何かいるぞ!」
見張りが大声を上げた途端に、水夫たちが慌ただしく動き始める。
更に、甲板からは次々と光の玉が放たれ、船のあらゆる方向に光源を浮かべた。どうやら、乗組員のユニーク魔法のようだ。水夫たちの中にも、ユニーク魔法持ちがいるのだろう。
青志は、水夫たちとともに舷側から海面を覗き込んだ。
「サハギンだ!」
「多いぞ!」
口々に叫ぶ水夫たち。
船の周りは、波間から突き出された無数の頭に取り囲まれていた。
表情のない巨大な目。厚ぼったい唇。ぬらぬらとした肌。頭部を飾る刺々した鰭。半魚人という言葉が、青志の脳裏に浮かぶ。
そんな半魚人の群れが、後ろから押されるようにアメノトリフネに近づいて来る。
こしゅー。
こしゅー。
同時に、低くかすれた不気味な音が、重なりながら波のように押し寄せて来た。
サハギンたちの呼吸音である。
そして、辺りに漂い始める、腐った魚のような生臭い匂い。
青志の背を怖気が走る。
今すぐにでも、水中のミゴーとイルカゴーレムに攻撃命令を出したい気分だ。
しかし、水夫たちは攻撃をかけようとしない。
船長からも攻撃命令が出ない。
異世界に来てまで、日本人らしく専守防衛の精神を守っているのだろうか? ケモノと見れば問答無用で狩っていた青志は、我が身の行いを軽く反省したくなる。
そんな中、水夫の1人が海上に向かって大声を上げた。
「お前たち、どういうつもりだ!?」
「ええっ? サハギンて、人間の言葉が分かるの?」
「ヤツは、テレパシーが使えるんだ。サハギンぐらいの知能があれば、意思疎通ができるらしいぜ」
青志が驚いていると、近くにいた水夫が説明をくれた。テレパシーという概念を知っているあたり、その水夫も“落ちてきた者”らしい。
そして、テレパシー男が呼びかけた途端に、サハギンが大声で騒ぎ出した。まるでウシガエルの鳴き声のようであったが、どう聞いても攻撃的な雰囲気だ。
「交渉決裂らしいな」
誰かが呟くと、水夫たちが一斉に短剣を抜き放った。船上という限定された空間で戦うために、水夫たちの武器は短剣で統一されている。
はたして――――。
「戦闘準備ぃぃぃっ!!」
指揮官の声が響き渡ると同時に、サハギンたちも船縁をよじ登り始めた。手足に吸盤があるのか、鉄の船体に貼り付き、じりじりと登って来る。
水夫たちの放った魔法が、大波のようにサハギンたちを呑み込む。
炎。風。土。その全てが、バラバラではなく一体となって襲いかかり、サハギンたちを一掃したかに見えた。
が。
船縁に貼り付いたサハギンの数は、まるで減っていない。
「ちっ! こいつら、魔法が効かないぞ!!」
青志が放った衝撃波を込めた水の球も、サハギンの体表に波紋を散らしただけだ。
そこにジュノが現れると、やたらとゴツい拳銃を登って来るサハギンに向けた。
轟音――――。
弾け飛ぶサハギンの頭部。
「物理攻撃は効果があるな」
続いて4回の轟音とともに、4体のサハギンが肉体の一部を爆散させ、海中へと沈んでいく。
「しかしこれは、効率が悪すぎる」
ぼやきながら拳銃の回転式弾倉を横に振り出すと、空薬莢を排出するジュノ。
その手にあるのは、ただゴツいだけの回転式拳銃に見えるが、ジュノの設計によって作られたものだ。青志にはよく分からない話であるが、弾丸発射の際に弾倉部分からガスが漏れない構造になっているらしい。これにより、発射エネルギーのロスが抑えられ、弾丸の威力が各段に増しているそうだ。
淡々と弾込めをするジュノを尻目に、青志はジュノの作った小剣を抜く。180センチもあるミスリル棒は、さすがに船上で振り回す訳にはいかないので、船室に置いてきてある。
しかし衝撃波が通用しないのでは、青志の戦闘力は大きく削がれることになってしまう。戦闘が始まった途端に、いきなり胃が痛い現実だ。
水夫たちも、船縁を登って来る途中のサハギンを攻撃するのは諦めて、登って来たところを叩く戦法に切り替えた。
たちまち乱戦に突入する船上。
青志も腹を決める。
魔法攻撃が使えなくても、これまでの戦闘で大きくなった魔力量は、青志の肉体を十分に強化してくれる。それに、タンタンとの地獄のような稽古により、戦う技術やコツも成長しているはずだ。
跳躍するように甲板に降り立ったサハギンに、青志は迷うことなく突っ込んで行く。
四つん這いで着地したサハギンが、立ち上がろうとするところへ、小剣を一閃。
手応えらしい手応えもなく、その首が宙に舞う。
「うえっ!?」
あまりにできすぎな結果に、青志は変な声を上げる。
「こ、これは、予想以上にオレの強さが・・・? いや、剣のせいか!!」
青志はジュノが作った小剣に目を向けた。
その漆黒の刀身は冴え冴えとした光を放っており、サハギンの血や脂を一片たりともこびり付かせていない。
「どういう造りなんだよ?」
半ばぼやきながら青志が見たジュノは、両手に漆黒の短剣を持った上、ボディスーツの肩、肘、膝、爪先、踵からも漆黒の剣身を生やして、異様な動きでサハギンたちを屠っていた。
肘や膝の刃が、ジュノの肉体から直接生えているのかは、青志には分からない。でも、直接生えていたとしても不思議でないのがジュノである。
水夫たちもその異形ぶりを不気味に感じるのか、ジュノを遠巻きにしているようだ。
リュウカたちはと見れば、慣れない短剣を持ち、窮屈そうに戦っていた。やはり、レイピアやハルバートを船上で振り回すのは憚られたらしい。
ハルバートはユカやトワの身長より大きいし、レイピアも剣身だけで70センチぐらいはあるのだ。
ただ、リュウカたちの短剣を扱う様子も堂に入っている。おまけにマナとミウ、それにナナンも一緒にいるので、心配はないだろう。
海中では、ミゴーとイルカゴーレムが暴れている。
もっと水中戦用のゴーレムを用意しておけば良かったのだが、今更どうしようもない。オロチがいれば、大蛇ゴーレム4体と河童型ミゴーが加わっていたのだ。それだけの数のゴーレムがいれば、船に取り付くまでにかなり多くのサハギンを倒せたことだろう。
水中でサハギンたちを掃討するのは断念し、青志は小剣を振るい続けた。
正面から迫るサハギンの首筋を撫で斬り、左にいた個体に横蹴りをくれ、他の水夫に組み付いている奴の背中に小剣を突き入れる。
サハギン1体の強さは、ゴブリンより少し強い程度のようだ。
なぜか魔法攻撃が利かないのと、体表が鱗に覆われて頑丈なのが厄介である。ただし、本来は水棲のケモノなので、陸上での動きは鈍くなるし、体力も長くは続かない。
青志ほどの強さがあれば、同時に多数の個体を相手にしない限りは、問題のない敵なのであった。
そんな戦いが数十分も続いた後。
甲板を揺るがす振動とともに、重量級の巨体が船上に降り立った。
「――――!!」
それは、金属鎧に全身を包んだ重装歩兵だ。
身長は2メートル弱。鈍色の鱗を張り合わせたような鎧姿で、長大な三叉矛を振り回す。中身は、もちろんサハギンである。その数、5体。
その重さ故に、他の個体に比べ、移動に時間がかかったのであろうか。よくも船縁を登れたものである。
そんな大物の接近をゴーレムたちが見逃してしまったことを、青志は歯痒く思った。
「距離を取れ!!」
水夫たちが、重装サハギンを取り囲むように距離を取る。
「魔法攻撃!!」
土魔法による石の飛礫が放たれるが、あっさりと鎧に弾かれてしまう。元々魔法攻撃に強いサハギンだが、物理的にもかなり堅固なようだ。
三叉矛を構えたまま、水夫たちに迫る重装サハギン。
「任せろ」
重装サハギンを見据えたジュノが、前に進み出た。
その手には、ゴツい回転式拳銃。無造作に構えると、立て続けに引き金を引く。
5つの銃声が重なるように轟く。
ガッ!
ガィン!
ギァン!!
激しい金属音とともに、次々と甲板に転がる鎧姿。
が。
弱った様子もなく、再びゆっくり立ち上がる。
弾丸が当たった痕は、わずかにへこんでいるだけだ。
「ほお。何の金属だ? 興味深いな」
呑気な感想をもらすジュノ。
「今度は私たちが!」
立ち上がったばかりの重装サハギンに、リュウカたちが斬りつける。
ギガッ!!
すぐさま飛び退くリュウカたち。
重装サハギンたちに変化はない。
「駄目。刃が通りません!」
無念そうに、リュウカが言う。
その手の短剣がジュノの作ったものでなければ、刃が折れていたかも知れない。
水夫たちも短剣を振るうが、やはり鎧を傷つけることさえできない。逆に三叉矛を振り回され、あっさりと跳ね飛ばされてしまう始末だ。
「くっ! なんとか足止めしろ!!」
空手や組み技の心得がある者が、次々と仕掛ける。しかし、サハギンの鎧は打ち破れない。
そして、重装サハギンが食い止め役となっている間に、他のサハギンたちが続々と船縁を越えて来る。とてもまずい状況だ。
「よし。オレが試してみる」
「勝算があるのか、アオシ?」
「ちょっと、考えてた技があるんだ」
ジュノに笑ってみせると、青志は重装サハギンの前に出た。
サハギンが青志に三叉矛を向ける。
青志は右手を自分の左腰まで持っていくと、指を広げたまま、手の甲で物を払うように前方に振り抜く。
飛び散ったのは、細かな水の飛沫。
じゅっ――――!
微かな音を立て、青志に近づこうとしていたサハギンの鎧の前面に、細かな穴がいくつも穿たれた。
1個1個は、パチンコ玉ほどの大きさの穴だ。
それが重装サハギンの顔面から胸元、腹にかけて、何十も一斉に口を開いたのである。
鎧の口元から「ごふっ!」という音とともに真っ赤な血が迸り、サハギンは力なくその場に倒れた。
「おおっ!?」
驚きの声を上げる水夫たち。
「いけそうだ、これ」
青志は独り言ちると、手のひらの上にソフトボールほどの大きさの水の球を作り出す。
その水の球をつかむと、手首のスナップだけを使って投擲。
水の球は一直線に飛ぶと、2体目の重装サハギンの胸に、ぞぶっという音とともに吸い込まれた。
「おおっ、また!?」
2体目の重装サハギンの胸に開いたのは、ソフトボール大の穴。
銃弾でも貫けなかった金属鎧が、切り取られたかのように損なわれていた。むろん、その内側の肉体も無事ではない。サハギンは胸の穴から大量の血をこぼしながら、膝から崩れ落ちる。
「錬金魔法か? 鎧とサハギンを水で溶解させたのだな?」
「正解」
ジュノの指摘に青志は得意気に答えると、今度はゴルフボール大の水の球を10個ばかり生成。残る重装サハギンに向かって投擲した。
重装サハギンがいなくなると、残るは数が多いだけの雑魚サハギンばかりである。そうなると、アメノトリフネの乗組員たちに負ける要素はない。
水夫たちは連携した動きでサハギンの群れを押し包み、急ぐことなく確実にサハギンの数を減らしていく。
青志たちは、その包囲の外に抜け出したサハギンを狙って、刃を振るい続けた。
雑魚サハギンを倒すごとに、魔ヶ珠が育つ痛みが、ちりちりと胸の奥に走る。
重装サハギンを倒したときには、少し大きな痛みを感じた。
しかしそれは、青志にとってはすでに誤差のようなものだ。もっと大物を相手することを望んでいる自分に気づき、青志は苦笑する。
「こんなことを考えてて、本当にデカブツが出て来たら、シャレにならんよな」
青志がそんなことを考えたとき。
アメノトリフネのすぐ横に、巨大な影が立ち上がる。
それは、下半身が蛇体の異形のサハギンであった。




