ブルードラゴン
「おい! 目を覚ませ! さすがに寝てる場合じゃないぞ!!」
耳元で怒鳴られた上、容赦なく頬を張り飛ばされ、青志は渋々と意識を取り戻した。
「う・・・あ・・・、オロチか? うぅっ、身体中が痛い!」
「そんなことは後にしてくれ! 本格的にやばいぞ!」
「後にしろって、死ぬほど痛いんだけど・・・」
「あれを見ろ! そんなこと言ってられなくなるから!!」
オロチに言われて青志が目にしたのは、高層ビルのようにそびえ立つ巨大な龍の姿だった。
「はうっ!?」
青志は、ピョコンと身を起こした。
「な、なんだ、アレ? 首長竜が合体でもしたのか!?」
海のように青い蛇体。
その胴回りは、伝説の世界樹を思わせる太さだ。
視線を上に向ければ、その巨体には不釣り合いに小さな腕があり、背には半透明の皮膜のような翼が見える。更にその上には、東洋の龍そのものの頭が乗っていた。
頭部から後方に向けて鹿のような角が伸び、せり出した口元には鯰のようなヒゲが生えている。
そして、その目が燃えるように赤い。
通常の目の色が何色なのかは知らないが、どうにも怒っている色に見えてしまう。
「ブルードラゴンだ」
「ブ、ブルードラゴンなんて、どこから出てきたの?」
「いや。だから、そういう話は全部後にしてくれ。今は、あれをなんとかするのが先だ」
オロチが、いつになく真剣な表情で凄んでくる。
考えてみたら、ブルードラゴンを目の前に呑気に会話をかわしている場合ではないのは確かである。
「パパ、目を覚ました?」
そこに近寄ってくるマナ。
青志が気を失っている間に、なんとなく雰囲気が大人っぽくなっているようだ。肩より少し長いぐらいだった髪も、背中の半ばまで伸びている。
マナに何が起こったのかも知りたいが、それも後にするべきなのだろう。加えて、すぐ近くにリュウカたちやシューマン兄妹も倒れているのも、青志にとっては気になって仕方ないところだ。
「マナ、もしかして、あのドラゴンは怒ってる?」
「うん。弱点の逆鱗が剥ぎ取られたせいで、痛みのあまりに、暴れようとしてるみたい」
いつの間に、そんなことになった? 青志は、頭を抱えたくなる。
「どうしたら、落ち着いてくれる?」
「気の済むまで暴れたら、落ち着くと思うけど」
「それって、この船が真っ先に壊されるよね?」
「うん」
青志は、頭を抱えた。
「まだ襲って来ないのは、なぜだ?」と、オロチ。
「多分、堪えているのよ。でも、すぐに理性が負けるわ。ドラゴンは、そんなに我慢強い生き物じゃないから」
事態は、楽観できる状況ではないらしい。
流れに身を任せていたら、海の藻屑となることは確実だ。
「さすがにアレを倒すのは無理だろうし、色々と嫌がらせをして退散してもらうのが一番なのかな?」
「うん。それしかないわ。アレを倒しちゃったら、魔人化どころか、身体が弾けて死んじゃうと思うし」
大型のケモノを倒した後、肉体を襲う想像を絶する痛み。それを知っている青志には、マナの言うことはひどくリアルに感じられた。
「厄介なのは、ウロコを剥ぎ取るだけでも魔人化する恐れがあるってことだ」
「そ、そうなの?」
「ガオンが、半分魔人化した」
「ガオン? 例の獅子人?」
「ああ、よりによって逆鱗をやってしまったらしい。
今のアオシなら、ウロコ1枚ぐらいなら魔人化せずに済むかも知れないけど、2枚3枚となれば、危ないだろうな」
ダメージを与えないように、上手く撃退しなければならないなんて、無理難題にも程がある。
「仕方ない。やるしかないか。ゴーレムを使えば、オレたちの魔人化の危険度も下がるだろうし」
「そうだね。船員たちは気絶してるし、遠慮する必要もないだろう。心置きなく、ゴーレムを使うことにしよう。
で、それはそうと、そこのお嬢さんたちにも手伝ってもらわないか? 彼女たちも“落ちてきた者”だろ? だったら、普通の人よりは魔人化もしにくいはずだ」
「心配ではあるけど、それがいいだろうな」
オロチの言を入れて、青志はリュウカたち3人を叩き起こした。
リュウカたちを目覚めさせ、青志にしたのと同じ説明をオロチが繰り返す。
そのタイミングで、ブルードラゴンが身をくねらし、甲高い鳴き声を上げ始めた。空気がびりびりと震え、身が竦む。ついに逆鱗を剥がされた怒りが、理性を打ち負かしたらしい。
作戦を考える時間はなかった。
行き当たりばったり、各チームで個別に戦うしかない。青志のチーム、オロチのチーム、リュウカのチームだ。
「あーん、彼氏も作らずに、おっきな蛇に食べられたくないよー!」
トワが駄々をこねる声を背中で聞きながら、青志は戦闘を開始する。
船に食らいつこうとするブルードラゴンの眼前に、甲冑鷹の土魔法を発動。直径1メートルほどの岩の塊を生み出す。そして間髪を入れず、それを砂の大きさに分解し、ブルードラゴンの顔に叩きつけた。
もちろん、そんなことでブルードラゴンにダメージは与えられない。
だが、目と鼻と口に大量の砂を浴びせられれば、さしものドラゴンも平静ではいられなかった。目に入った砂は一時的に視覚を奪い、鼻と口に入った砂は呼吸を阻害する。
ブルードラゴンは、ぎゅっと目を瞑り、あろうことか咳き込み出した。
「ドラゴンでも、普通の生物みたいな反応をするんだな」
「ドラゴンだって、普通の生き物よ。分かっててやったんじゃないの?」
変なことに感心する青志に、マナが突っ込みを入れる。
「とりあえず、今がチャンスだ」
青志は、ゴーレムたちを使って、ドラゴンに全力攻撃を仕掛けることにした。その結果、自分の身体が爆散することになっても、それは仕方ないと思う。
まずは、水の円盤の生成。これは、青志自身が作った。直径2メートルぐらい。厚さは、2~3センチ。それを、高速で回転させる。
これまでは、生み出した水に別の効果を乗せようとしたら、魔法の通る糸を繋いでおく必要があった。衝撃波で遠隔攻撃を行おうとしたときに、鞭やヨーヨーの形を取ったのは、そのためだ。
なのに今は、離れた場所に作った水の円盤を自由自在に操ることができる。気絶している間に、とんでもなく魔力量が増えたようだ。
次に、円盤の中全体に砂を形成。これは、スライムゴーレムにやらせた。ついでに、スライムゴーレムの硬化魔法を使用。砂の硬度を上げる。
続いては、甲冑鷹ゴーレムの加速魔法を発動。円盤の回転速度をアップさせる。
最後に霊獣ゴーレムを召喚し、その魔力増幅能力を使い、水円盤に注ぎ込まれる魔力を増幅。ブルードラゴンの首に叩きつけた。
イメージは、回転するウォーターカッターだ。
ざざんっ!!
水円盤がドラゴンの首に食い込むと同時に、水と砂が降ってくる。さすが、ドラゴン。青志のありったけを込めた水円盤が、逆に削れているらしい。
「でも、そっちも只ではすまな・・・え!?」
水円盤が完全にドラゴンの首に埋没したと思いきや、そこには傷の1つも刻まれていなかった。水円盤はドラゴンの首に食い込んだのではなく、一方的に削れてしまったのだ。
「う、嘘だろ・・・」
呆然とする青志。
「今度は僕だ!」
オロチが叫ぶと、海中から何本も水の鞭が伸びた。オロチ自身も、水の鞭を繰り出す。
衝撃波の集中攻撃だ。オロチのゴーレムたちまでもが、衝撃波を放ったのだ。
これまで、青志もオロチも、ゴーレムに衝撃波を使わせようと試したことはあったが、1度も成功していなかった。それを今、オロチが軽々とやってのけた。オロチとゴーレムたちも、青志と同様に使える魔力量が大きくアップしているようだ。
しかし、衝撃波の集中攻撃は、まるでドラゴンにダメージを与えられなかった。魔力がドラゴンのウロコを、わずかにでも貫通できなかったのだ。空しく、水飛沫を散らしただけである。
「次は、私たちが!」
リュウカたち3人が前に出る。
3人とも、緊張感からか顔が真っ白だ。足も震えているように見える。それでもドラゴンに立ち向かおうとする姿に、呆然としていた青志は気を取り直す。
リュウカ、ユカ、トワが横並びになり、ドラゴンに向かって両手を突き出した。
左右の手のひらの前に、長さ30センチ大の銃弾型の土の塊が現れる。いや、土ではなく岩だ。とても硬そうな質感をしている。
それが赤熱し始めると、高速で回転しながら、目にも留まらぬ速度で発射された。計6発の高熱弾が、ドラゴンの身体に命中、爆発する。
が、リュウカたちの攻撃は、それだけでは終わらない。
間髪を入れずに同じ高熱弾を作り出すと、延々発射し続けたのだ。
たちまち、ドラゴンの身体が爆炎に包まれる。
熱。
光。
黒煙。
そして、轟音。
高熱弾の連射が止まったときには、青志の耳はバカになっていた。
凄まじい飽和攻撃だ。首長竜なら、それで仕留められたかも知れない。そう思わせる威力だった。
しかし、黒煙の向こうから現れたドラゴンは、やはり全くの無傷だ。
「ドラゴンのウロコは硬いだけじゃなくて、魔法に対する防御力も超一級よ。魔法より大砲の方が、まだ効果があるかも知れないわ」
「どうも、そうみたいだな」
マナの言うことに、青志は納得するしかなかった。
ミゴーゴーレムを大砲の所に移動させる。オロチのミゴーゴーレムも、それに続く。
「あ、ブレスが・・・!」
狼狽えるマナ。
見れば、ドラゴンが大きく息を吸ったところだ。黙って青志たちの攻撃を受け続ける気はないらしい。
「まずい!!」
ドラゴンのブレスの破壊力がどれほどのものかは分からないが、命中すれば、青志たちは消し飛ぶ羽目になるに違いない。下手をすれば、アルガ号だってバラバラになるかも知れない。
青志は大慌てで、猫ゴーレムのシールド魔法をドラゴンと船の間に展開。甲冑鷹とスライムの土魔法でも、岩の壁をシールドの手前に生成。スライムの硬化魔法と霊獣の魔力増幅を投入。リュウカたちも空中に岩壁を作り出す。
そこにブレスが炸裂。
無音のまま、真っ青な光が迸った。
瞬間的に、シールドと全ての岩壁が砕け散る。
が、青志たちに届いたのは、叩きつけるような圧力のみ。
ブレスそのものは方向を逸らされ、マスト1本を粉々に砕いて虚空に消えた。
「う・・・わ・・・!」
ブレスのあまりの威力に、誰もが言葉を失う。
ブルードラゴンだけに、そのブレスは水か氷かと予想していた青志だったが、実際は正体不明のエネルギーだった。そんなものを吐きまくられた日には、船など簡単に沈んでしまうだろう。
その場しのぎにしかならないが、スライムの土魔法で作った砂を、青志は再びドラゴンの顔に浴びせる。
ドラゴンがそれを嫌う様子を見せた隙に、青志はミゴーに大砲を発射させた。
ガギッ!!
ウロコに弾かれ、あらぬ方向に飛んで行く砲弾。
オロチのミゴーが着いた隣の大砲も光を噴くが、やはり簡単に弾かれてしまう。
「喉を狙って! 逆鱗があった場所!!」
マナが叫ぶ。
逆鱗が失われて剥き出しになった喉になら、攻撃も通じる可能性もあるというのだろう。ましてや、逆鱗に隠されていた場所は、弱点でもあるはずだ。
「ダメだ。大砲は、そんな高い角度には向けられない。マナ、大砲で牽制してるうちに喉を狙えるか?」
「分かった。やってみる」
「リュウカたちは、さっきと同じ要領で攻撃を頼む。喉は狙うなよ」
「分かりました」
「オレとオロチも、魔法で牽制を入れる」
「心得た」
ドラゴンが暴れ出さないうちに、勝負を決めなければならない。
手段を選んでいる場合ではなかった。
万が一ドラゴンを倒してしまったら、2度とマナをゴーレム化できなくなってしまう。それはマナも分かっているはずだが、何も言いはしなかった。黙って、青志を見つめただけだ。青志も黙って、その目を見つめ返した。
「行くぞ」
マナは、毅然と頷いた。
もう1度ドラゴンに砂を浴びせてから、ミゴーに命じて大砲を発射。
やはり、簡単に弾かれる砲弾。
しかし構わず、オロチが水魔法を発動。衝撃波の込められた水の鞭が何本もドラゴンの身体を叩く。
青志も遅れて、水魔法を使う。ただし青志から放たれたのは、水の鞭ではなく水の球だ。もちろん、衝撃波が込められている。衝撃波の完全な遠隔攻撃ができるようになったのである。
更にそこに、リュウカたちが高熱弾による飽和攻撃を開始。
たちまち爆炎がドラゴンの身体を包むが、もちろんダメージは与えられない。
そこに、2度目の大砲発射。
金属音とともにその砲弾が弾かれた瞬間、マナが特大の熱線を放出した。
真っ赤な光線が空気を灼きながら、ドラゴンの喉元に命中する。
「どうだ!?」
が、熱線はドラゴンの身体を灼くことができずに、拡散してしまう。
「くっ! シールドで魔法を遮断してるっ!」
「ブレスが来るぞ!」
悔しげなマナの声と、警告を発するオロチの声がかぶった。
ドラゴンがブレスを吐くために、大きく息を吸う。
タイミングが最悪だ。攻撃に専念していたために、とっさに防御に移ることができない。
それでも、攻撃に参加していなかった猫ゴーレムがシールドを展開した瞬間。
オークの槍が、ブルードラゴンの喉に突き立った。
「え――――?」
青志の目に映ったのは、弩を射ち終えたウィンダの姿。
ごばぁっ――――!!
ドラゴンの喉から青い光が迸った。
オークの槍に破られた傷口から、ブレスのエネルギーが噴き出したのである。それは、爆発そのものだ。
飛び散る肉片、そしてウロコ。
絶叫するドラゴン。
その強烈な波動だけで、青志たちは圧し潰されそうになる。
しかし、青志は歯を食いしばって、その圧力に耐えていた。
そして、ウィンダだけを見つめていた。
ウィンダは、ドラゴンからの圧力の中、超然と立ったまま青志を見つめている。
その唇に、寂しげな笑みが浮かび――――。
ウィンダの肩から、背中から、太ももから、頭から、真っ青な光が噴き出した。
髪をまとめていたリボンがほどけて、宙に舞う。青志がプレゼントしたリボンだ。
「ウ・・・ウィン・・・ダ!!」
青志は、必死に叫ぶ。
その前で、ウィンダの肉体が変貌していく。
全身が青く染まり、衣服を引き裂き、背中から半透明な羽が生え出した。髪の間からは蝶のような触覚が伸び、その瞳からは黒目が消え、白目だった部分も金色に輝き始める。
衣服を失ったその身体は、人間のシルエットを保ちながら、人間のものではなかった。
しかし、そこには種族を超越した美しさが宿っている。
そしてそれは、ガオンのような中途半端な魔人化ではなかった。
完全な魔人の誕生だ。
魔人となったウィンダが右手を差し出すと、一陣の風が吹いて、その手の中にリボンが戻ってきた。
最後に青志を一瞥し。
ウィンダは飛び立った。