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船旅の始まり

 この惑星の天候は、ひどく安定している。

 青志は、この世界に落ちてきて以来、雨らしい雨に降られた記憶がないぐらいだ。

 そして、海はひたすら凪いでいる。

 船が外海に出たというのに、驚くほど波がない。

 恐らくは、この惑星に月がないのが、大きな原因だ。

 月の重力による干渉がないため、海の干満がないのである。潮の満ち引きがないため、海水の動きがなく、大きな波が立たない。もしかすると、海流もないかも知れない。


 雨があまり降らないのも、やはり月がないせいだ。

 月による潮汐力は、海だけではなく陸地や大気にも及ぶ。そのおかげで気流が発生する。陸地が動き、複雑な地形を形成する。それらが相まって、様々な天候が生じる。

 月がないこの惑星は、陸地と言うかプレートが動かないせいで、地形に起伏がほとんどない。青志が知る範囲で言えば、山らしい山は火竜山しかないのだ。おかげで、複雑な気流も発生しない。自転にともなう偏西風が吹くばかりである。

 

 そんな世界に雨が降るのは、夏場に熱せられた空気が上昇気流を生み、雨雲となったときぐらいである。いわゆるスコールだ。

 が、火竜山の周囲だけは、例外的に雨が多いと思われる。偏西風が山にぶつかり、雲を発生させるためだ。火竜山の麓に樹海が広がっているのも、その雨を抜きには考えられない。

 それほどに、この惑星の天候は安定している。


 しかし、月が存在するからこそ、地球の自転が安定しているのだという説がある。もし月がなければ、地球の自転は揺らぎ、地表は大嵐になるというのである。

 そういう意味では、この惑星の自転が安定しているのは、異常なことかも知れない。が、青志にとっては、ありがたい異常だ。そうでなければ、青志など、落ちてきた瞬間に死んでいたところである。


 そんな気候の下、青志たちにとって初めての船旅は、実にのどかなものになっていた。

 空はどこまでも青く、雲は白く眩しく、太陽は手加減なしに照りつける。

 海は美しく澄み、太陽の光をキラキラと反射。

 風は穏やかで、潮の香りが鼻腔をくすぐった。

 完全にバカンス気分だ。


 本来、地球において、大航海時代の船旅は過酷なものだった。

 冷蔵や冷凍の設備がないため、食料の保管がとても難しかったのだ。

 肉や魚は、塩漬けや薫製にし、水は腐ってしまうので、ワインやビールを積み込んでいた。想像したくはないが、虫がわいたビスケット等を、当たり前に食べていたらしい。もちろん、新鮮な野菜も食べ様がない。

 自由に水も使えないため、ロクに身体や衣服も洗えない。衛生状態も最悪だ。おかげで、栄養失調は当たり前。不衛生から来る病気もまた当たり前だった。


 しかし、この世界での船旅は、魔法のおかげで、水は自由に使える。すると、飲料水には困らないし、身体や衣服も洗い放題。野菜の栽培だって可能だ。食用の家畜だって、乗せられる。

 おまけに、航行中でも、魚がよく釣れた。

 ケモノ除けに膨大な量のツタを引き摺っているため、この船――――アルガの船足は、かなり遅い。しかし、そのせいで、甲板から釣り糸を垂らすと、頻繁に魚が釣れるのだ。

 本来は魚も嫌うはずのツタに、身を守る目的で住み着いている魚も多いらしく、それも魚がよく釣れる原因になっている。なお、青志とオロチのゴーレムも、海中に伸びたツタの中に潜んでいた。


 船室は、青志とオロチとシューマンで1室、アイアン・メイデン3人で1室、ウィンダとナナンとマナで1室が与えられている。

 もちろん、客人ということで、破格の待遇だ。

 一般の船員たちは、船室とも倉庫とも区別が付かないスペースに、所狭しとハンモックを吊って、身を休めているのである。そこに、プライバシーなんてものは存在しない。


 そして、そんな空間に女性が共にいられる訳がない。

 下手をすると、女性の取り合いで殺し合いが起こってしまう。

 地球では、世界中の多くの地域で、古来から船に女性は乗せないという慣習があったが、そういう事態を避ける意味合いが強かったのではないかと、青志は勝手に思っている。

 そんな中に、ウィンダやアイアン・メイデンのような美しい女性たちと乗り込んでいる青志は、ひどく胃の痛む気分を味わっていた。


 何せ、ユカやトワは、水着を持ってくれば良かったなどと、恐ろしいことを本気で言うのだ。

 ユカとトワが水着で船内をウロウロしたら、確実に血の雨が降ることになるだろう。

 できるなら、真っ白な太ももが見えるようなスカート姿も、やめて欲しいのである。船員たちが、どんな目で自分たちを見ているのか気づいてないのかと、青志は不思議でならないぐらいだ。

 





 そんな中、青志は空手の稽古に精を出している。

 他にやることがないせいもあるが、死ぬ寸前までタンタンに鍛えられて以来、空手への稽古熱が一気に高まったのだ。

 カウラウゴ艦長に許可をもらって場所を借り、ここ数日、何時間もぶっ続けで汗を流している。

 稽古相手は、オロチ1人。オロチもまた、ヒョウタにボコボコにされたのを機に、徒手での戦いに目覚めたらしい。


 しばらくすると、そこにヒマを持て余していたアイアン・メイデンの3人が加わった。口にはしないが、やはりヒョウタに歯が立たなかったことを気にしての参加のようだ。

 青志に空手の型を習った後は、ひたすら、それを繰り返している。

 型稽古は、始めたからといって、すぐに効果が感じられるものではない。地道な積み重ねにより、ゆっくりと身体と身体の使い方を変化させていくものだ。

 そのことを教えた訳でもないのに、ストイックに稽古に没頭する少女たちに、青志は感心するばかりである。


 が、アイアン・メイデンの3人が稽古に参加するようになって、ついに青志の恐れていた事態が発生した。

 いつの間にか、ウィンダにマナにシューマン兄妹が稽古を見学するようになっていたのだが、船員たちまでもが見学に現れるようになっていたのだ。

 船員たちの目的は、もちろんアイアン・メイデンの3人であろう。

 21世紀の日本の技術とセンスで磨かれた美少女たちが、スカート姿で激しく動き回り、汗を流しているのである。それは、見物したくもなるというものだ。


 青志がやっていた空手は、古い形のものなので、蹴りを出すときも腰から上まで足を上げない。それに、アイアン・メイデンの3人からすれば、スカートの下には、見られても平気な物を着けているという意識があるのだろう。

 しかし、日本の女子高生の常識など、この世界のむくつけき男たちが知るはずもない。船員たちは、青志が不安になるぐらいに、鼻息を荒らくしている。


 そして、その男は現れた。

「よおよお、お嬢ちゃんたち、そんなつまんねぇことはやめて、俺と楽しいことやんねぇか?」

 突然、見物人たちの間から出てきた大男が、横柄な口調でユカの腕を掴んだのだ。

 見れば、身長が2メートルに達する獅子面の男である。


「お前! 客人に失礼であろう! その手を離さんか!!」

 シューマンが怒鳴りつける。

 さすがの軍人らしい態度だ。

 が、獅子人は気にする様子もない。

「だから、俺がもてなしてやろうって言ってんじゃないスか。よけいな口を挟まないでもらいたいっスねえ。

 さあ、お嬢ちゃん、こっち来いよ」

 獅子人が、ユカの腕を引く。


「獅子人って、チンピラばかりなんですね。この間も、ヒョウタさんに1発で失神させられてた人がいましたし」

 2メートルの大男に腕を引っぱられ、簡単に持って行かれると思われたユカの身体だったが、その場から全く動こうとしない。

 そして、ゴミを見るような目で獅子人を()め付けると、吐き捨てるように辛辣な言葉をぶつけたのだった。

「な、なんだと!?」

「ユカちゃん、その人、多分ヒョウタさんにやられた本人だよ」

 横から、可笑しそうに指摘するトワ。

「あ、やっぱり? あんなカッコ悪い人、何人もいないと思ったんだー」


 ユカの言葉に、見物人たちから失笑が漏れる。

 同時に、簡単に頭に血を上らせる獅子人の男。

「この(アマ)ァ! 言わせておけば!!」

 ユカの腕を掴んでいた手を離し、獅子人がその手を振り上げた。ギラリと光る、鋭いツメ。

 その瞬間。

 ユカの身体がスッと沈み、真っ直ぐに拳が突き出された。

 なんの力みもない、自然な動き。

 ユカの拳が、吸い込まれるように、獅子人の腹に突き刺さる。


「――――!!」


 身体を二つ折りにし、目を剥く獅子人。

 そのまま、ヨロヨロと2~3歩後退(あとずさ)る。

 驚愕の声を上げる見物人たち。

「やっぱり、口だけなのね」

 蔑みの表情のユカ。

 ごく一部の嗜好の人間なら泣いて喜びそうなユカの態度だが、獅子人は当たり前に激昂した。

 獅子の吠え声とともに、ユカに躍りかかる。


 その前に、つい飛び出してしまう青志。

 はっきり言って、決死の思いだ。身長2メートルの獅子人の一撃を食らえば、青志の首など簡単に折れてしまうだろう。

 しかし、その一撃をユカに見舞わせる訳にはいかない。その思いだけで、青志は飛び出した。

「邪魔だ!」

 獅子人が右腕を振り下ろす。


 風を斬る音。

 強烈な圧力。

 そして、殺意。

 腹を決めた瞬間、青志の視界が鮮明に晴れ渡った。全ての物の動きが、ゆっくりになったように見える。

 これが、ゾーンという感覚なのかも知れない。青志は、他人事のように、そう思った。

 こんな感覚、大学時代に徹夜でビリヤードをやっていて、ポケットへのラインが白く光って見え・・・。いや、そんなことを考えている場合ではない。


 振り下ろされた獅子人の右腕を、身体を左にずらしながら、左手で外側から押さえる。

 それだけで重心を崩し、前のめりになる獅子人。

 獅子人の右腕が、青志の右腰の辺りまで流れてくる。それに右手を添えると、青志は自分の頭の上を通しながら、自分の左腰の辺りまで捻った。

 獅子人の巨体が、己の右腰に引っ張られるように横回転する。

 そのまま受け身も取れずに、激しく背中から甲板に激突。


「がふっ!」


 びたん! という音が、聞こえたかと思った。

 それほど見事に、獅子人は大の字のまま甲板に打ちつけられた。

 見物人たちから凄い歓声が上がる。


「あ・・・れ・・・? 投げられた・・・」

 自分でやっておきながら、呆然とする青志。

「アオシさん、やるうっ!」

 喜ぶユカ。青志の背中を、ばんばん叩いてくる。マナとトワも、嬉しそうにハイタッチしていた。

 ウィンダが静かに拍手してくれているのに気づいて、青志は急に照れくさくなる。


 獅子人に目をやると、ゆったりと身を起こしている最中だった。

 肉体的なダメージは、ほとんどないはずだ。

「い、今、何をやった・・・?」

「空手だよ」

「カラテ? さっきまでやってた踊りみたいなのが、そうなのか?」

「そうだよ」

「そうか・・・」

 ひどく疲れたような様子で、獅子人は立ち上がり、見物人たちを掻き分けて去って行った。


「ふぅ~・・・っ」

 緊張感が解けて、青志はしゃがみ込む。

 やっぱり、ケンカなんて自分の柄じゃないな。しみじみと、そう実感する。後でまたリベンジされる可能性を考えると、胃が痛くなってしまう。いや、本当にどうしよう? こちらの手の内は知られてしまったんだから、次は青志に勝ち目はない。あの獅子人、ちゃんと手加減してくれるんだろうか? あ。ダメだ。凹んできた・・・。青志は、頭を抱え込む。


「アオシ、せっかく格好良かったのに、何を落ち込んでるんだ?」

 オロチの声に、青志は我に返った。

「いや。次やったら、負けるんだろうなと思って・・・」

「もう、そんなこと心配してるのか。アオシらしいな。

 それより、今のも空手なのか?」

「ああ。空手には、今みたいな投げ技とか関節技とかもあるんだ。そのうち教えるよ」

「それは楽しみだ」

 ニヤリと笑うオロチ。


 入れ替わりに押し寄せてきたのは、船員たち。

「やるじゃねぇか、お客人!」

「あいつぁ新入りなんだが、胸くそ悪いヤツでな、スカッとしたぜ!」

「今度、俺らにも、さっきのを教えてくれよ!」

「今から一杯やらねぇか!?」

「お嬢ちゃんも、良かったぜ、さっきの1発!」

 好きなだけ青志の背中を、どやしつけてくれた。

 はっきり言って、泣きそうなぐらい痛い。しかし、それは嬉しい痛みだった。





 夜――――。

 起きているのは、最低限の見張りぐらい。

 帆も下ろされ、海のただ中で停泊中である。レーダーもソナーもないので、急ぎでもない限り、視界の閉ざされる夜は航行を止めるのである。

 船上には篝火も焚かれているが、その数は少ない。

 青志は、そんな暗い甲板で、1人海を眺めていた。

 実は先ほどまで、船員たちの酒盛りに巻き込まれていたのだ。


 港を塞いでいた巨大クラゲを退治した件で、船員たちからは元々好意的な目で見られていた青志だが、獅子人――――ガオンという名前だった――――をぶん投げたおかげで、更に株が上昇したのだ。

 それで、夕食後に船員たちに甲板まで引っ張って行かれ、大星雲の下の酒盛りとあいなった訳である。

 酒盛りにはオロチとシューマンも参加し、青志があまり酒が強くない分を補って、大いに飲んでくれた。そうでなければ、青志はまた潰れていたところだ。


「ふぅ・・・」

 夜の風が、酔い醒ましに丁度良い。

 夜陰に乗じてガオンに襲われる心配もあったが、誰も見ていない今なら、ゴーレムを使って返り討ちだ。

 頭上には甲冑鷹が飛んでいるし、姿を消したスライムも船の舷側に貼り付いている。むしろ、闇討ちをかけてくれれば、後顧の憂いを断てるのにと、ちらっと思ったりもする。

 やはり、酔っているようだ。反省する青志。


 そんな青志の隣に、ふわりと立つ人影が1つ。

 ガオンではない。

 ウィンダだ。

 シャンプーの香りが、青志の鼻をくすぐる。

「大丈夫ですか? この前、飲み過ぎて倒れたばかりなのに、またずいぶん飲まされていたって聞きましたが――――」

「ありがとう。今日はオロチとシューマンが庇ってくれたから、まだマシかな。こうしてたら、楽になってきたし」


「あまり飲み過ぎませんようにって言いたいですけど、前回といい今回といい、しょうがないのでしょうね」

「だよねぇ。せっかく、街の人や船員さんたちが受け入れようとしてくれてるのに、それに水を差せないからねぇ・・・」

「ここで、お酒も強ければ、格好が付くのでしょうけど」

「あはは。今ひとつ締まらないよね、いつもいつも」

 自嘲して笑う青志。

「・・・アオシさんは、それでいいと思います」


 ちらっと青志に視線を向けたウィンダの瞳、その白目の部分が、闇の中に濡れた光を反射した。

 

 


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