ルベウス
マオ、キサク、トルサは、朝食を摂ると、樹海の中へ戻って行った。
別れ際には再会を約束し、名残惜しげな表情も見せてくれた3人であった。
マオに至っては、オロチに興味を示しかけていたが、オロチはまるで気づいていなかったようだ。元々、人間の女性の美しさには興味がないのだから、どうしようもない話なのだが。
同時に、シムが姿を消したことは気にしているようだったが、何も言わないでくれた。
「さて、我々も行くかい?」
オロチの問いかけに、青志はうなずく。
「あ。でも、オロチはサムバニル市で商品をさばく気か?」
「その予定なんだけど、協力してもらえないかな?」
「それはいいけど、さすがに変装は必要だろうなぁ」
すると、シャガルが自分の背嚢の中から何かを取り出して、オロチに向かって放り投げた。
「ヒマ潰しに作った物だ。使えるんなら、使ってくれ」
オロチが拾い上げた物は、鈍色に輝く仮面だった。
鼻の辺りから顔の上部を覆い隠すようになっている物だが、特徴的なのは額の両端から突き出した2本の角だ。
それは、明らかにオロチの顔を模した仮面だったのである。
黙ってオロチがそれを顔に装着してみると、当然のようにジャストフィットする。
鈍色の仮面の下から緑色の口元だけが覗いているのだが、逆にゴブリンだかオーガだかのコスプレをしているように見えるのだ。
「なるほど。ゴブリンがゴブリンのコスプレをしているとは、誰も思わないよな」
シャガルがそこまで計算していたのかは分からないが、この仮面を着けていれば、街の中に入るのも問題なさそうだった。
「お前も着けとけば、尚更いいだろ」
そう言って、同じ仮面をもう1つ投げて寄越すシャガル。
「ぬ?」
なぜか目をキラキラさせているオロチからの視線を感じながら、青志もその仮面を着けてみた。たちまち、ゴブリンのコスプレが、もう1つできあがる。
「に、似合う?」
「パパ、男前~!」
「え、ホントに? って、顔が隠れてるやろー!」
マナの茶化しに、青志はがっくりとうなだれる。
「でも、アオシが同じ仮面を着けてくれるなら、よけいに誤魔化しやすくなりそうだね」
「了解了解。街に入るときは、この仮面を着けさせてもらうよ」
「シャガル、ありがとう」
礼を言うオロチに、シャガルは面倒臭そうに片手を振っただけだった。
そして、青志たちも野営地を出発。
日はすでに高く昇り、汗ばむ陽気になっている。
樹海に滞在している間に季節が変わって、夏が訪れたようである。
樹海から十分離れた地点で、久々にゴーレムたちとも合流。ずっと、青志がコントロールできるギリギリの距離をキープしたまま、後を付いて来させていたのだ。ちょっと、ホッとしてしまう。
デンキゴブリンのみ魔ヶ珠に戻ってしまっていたので、腰の魔ヶ珠専用のポーチに入れておく。
そこで、見覚えのない魔ヶ珠がポーチ内にあることに気が付いた。
「あれ? 何だ、この魔ヶ珠?」
1度でもゴーレム化した魔ヶ珠は、触ったり見たりしただけで、それが何の魔ヶ珠かが青志には分かるようになっている。つまり、それは未使用の物だということである。
「リッパーたちの物ではないの?」
「いや、リッパーにしては小さすぎる」
青志は手にした小さな魔ヶ珠に魔力を通すと、地面に落とした。他のゴーレムを引っ込めなくても、召喚できるほどの小ぶりな物だったのだ。
地面に落とされた魔ヶ珠は、周囲の土を素材とし、速やかにケモノとしてのボディを造り上げた。
それは――――。
「スライムだね」
「うん。・・・でも、いつ手に入れたか、全然記憶にないぞ」
「多分、シムだね。アオシがタンタン氏に稽古してもらってる時に狩りに行ったんだけど、唯一シムが自分だけで狩ったものだよ。アオシが気絶してる間に、ポーチに入れておいたんだろう」
「そうか・・・」
ゴーレムの編成について青志が悩んでいるのを見て、シムなりに協力してくれたのだろう。
人目に付かずに役立つゴーレムという意味では、スライムはかなり条件に適っていると思える。
「置き土産として、ありがたく使わせてもらうよ、シム」
土でできていながら、グネグネと不定形に蠢くスライムを見て、青志はしみじみとした気分になる。
「そのスライム、シムって名前にする?」
「それは、ダメだろ」
マナが少しずつ毒舌になってきている。
「でも、土じゃなくて金属で作ったら、けっこう使えそうだな」
「金属なら、あるよ」
オロチが言うと、オロチが連れている大蛇ゴーレムが、ペッと何かの塊を吐き出した。
「デンキゴブリンの残骸だ」
「え? 回収してくれてたの? つか、ゴーレムに呑ませて物を運ぶなんて、そんなことできたんだ・・・」
「蛇は、物を丸呑みできるからね。騎乗用の二足トカゲの鞍も、別の大蛇に呑ませているよ」
そう言えば、温泉の拠点に、オロチは二足トカゲに乗って現れたのだった。
「これは助かったよ。ありがとう!」
青志はスライムゴーレムを一旦魔ヶ珠に戻し、オロチが回収してくれていた鉄を使って作り直した。
たちまち、鉄製でありながらゲル状という、不思議なゴーレムが姿を現す。
「おお、これは色々と応用が利きそうだな」
スライムゴーレムでは使いきれなかった鉄は、ゴブリンゴーレムの背嚢に収納しておく。大蛇のように丸呑みはできないが、ゴブリンには汎用性の高さという利点があるのだ。
「シムのことは、心配じゃないの?」
スライムゴーレムをつつきながら、マナがポツリと口にした。
「もう、オレのゴーレムが付いて行ける範囲からは抜け出しちゃったからな」
実のところ、シムが出て行ったとき、その場にいた全員が目を覚ましていたのだ。そして、青志は当然のごとく、鷹ゴーレムでシムの行く手を偵察させていたのである。
「じゃあ、今はどうなってるか分からないのね?」
「いや、オロチが見てくれているよ」
「え?」
「樹海でオロチのゴーレムを見てて気づいたんだけど、大蛇ゴーレムたちの後ろからリスみたいなゴーレムが付いて来ててさ、一定距離ごとに小さな魔ヶ珠を地面に埋めてるんだ。それも、少なくとも2匹で」
「それが?」
「中継アンテナ代わりになってるんだろう。その魔ヶ珠がオロチの魔力を減衰なしに伝えてくれるおかげで、はるかに離れた場所でもゴーレムを操れるらしい。ここから温泉やサムバニル市の間には、当然魔ヶ珠を設置済みだ」
「じゃあ、シムは安全なのね?」
「フクロウと大蛇を、1体ずつ出してくれてるよ」
「そう・・・」
それで安心したのか、スタスタと歩き出すマナ。
「マナ?」
「ん?」
「シムのこと、ごめんな?」
「別にシムのことはいいのよ。パパが気にしてるかと思っただけ!」
マナとシムが特に仲良くしていた印象はないが、青志の知らないところで交流を深めていたのかも知れない。どうにも、そんな気がして、しょうがない。
「師匠としてだけじゃなく、父親としても失格だな・・・」
小さく呟くと、マナを追って青志は歩き始めた。
「アオシ。温泉に人がいるぞ?」
温泉まで数時間というところで、オロチが口を開いた。
「ありゃ、先客か。温泉に入れないのは残念だな」
青志が見つけた温泉は人目に付きにくい場所にあったが、特別に隠されている訳ではない。他の人間に見つけられる可能性も、決して低くはないのだ。
そして、別の誰かが温泉を使っていたからといって、青志たちに所有権を主張する権利はない。
「温泉付近には20人近い人間がいるが、そのうちの3人はアオシの知り合いだね」
シムをサムバニル市まで見送った後のフクロウゴーレムが、情報を送ってきているのだ。青志のゴーレムの行動範囲は、まだ温泉に届いていない。
「3人? オロチも知ってる3人といったら、アイアン・メイデンの3人ぐらいか」
「戦場で出会った、美しく強い少女たちだよ」
「でも、3人以外にもいっぱいいるんだよね? みんな、女の子ばかりかい?」
「いや。鎧姿の男が10人。身なりのいい男女が1人ずつ。鎧姿ではない男が1人に女の子が3人・・・」
「そこにアイアン・メイデンを入れて、19人か」
「何だと思う?」
オロチが問いかけてくる。
「正直、分からないな。アイアン・メイデンは、捕らわれているんじゃないんだろ?」
「捕らわれてはいないな。むしろ、身なりのいい男女とは親しげな様子だ」
「むぅ~。アイアン・メイデンがいるんなら、顔を見せない訳にいかないな。でも、とりあえずオロチは姿を隠してた方がいいね」
「そうだね。フクロウで様子を見ておくよ。場合によっては、そのまま消える」
オロチと打ち合わせをしながら歩いていくうちに、青志の鷹ゴーレムでも温泉が確認できるようになった。
確かに、見慣れたアイアン・メイデンの姿が見える。
3人は辺りを歩きながら、おしゃべりに興じているようだ。花を見たり、虫をつついたり、実に楽しそうである。
そこに、危険な兆候は見られない。
問題は、鎧姿の兵士たちだ。
彼らが襲いかかってくる可能性を捨て切れない以上、護衛は抜きにできない。ゴーレムを人目にさらすのは気が進まないが、超音波ゴブリンとデンキゴブリンを連れて行くことにする。一応、フードで顔を隠させてだ。
空には、鷹ゴーレム3体。デンキゴブリンのフード内には、鉄スライム。そして、いつでもリッパーを召喚できるようにしておく。
兵士10人ぐらいなら、これでなんとかなるだろう。青志だってそれなりの戦力にはなるし、シャガルとマナもいるのだ。
「あ、アオシさーん!」
青志たちに気が付いたユカとトワが、跳ねるように駆け寄ってくる。
相変わらずのゴスロリ・ファッションだ。さぞや暑いだろうにと思ったら、胸元や背中がシースルーの夏仕様になっていた。
「マナちゃんも、お帰り~!」
嬉しそうに、マナに抱きつくトワ。
マナの表情も、心なしか綻んでいる。
「で、3人はどうしてここに?」
マイペースなリュウカが、のんびりした足取りで追いついてきたところで、青志は白々しく問いかけた。
「それが、ルベウス様がアオシさんに話があるからって・・・」
事情を説明してくれるのは、ユカである。
「ルベウス様?」
「サムバニル市の領主さんよ。生徒会長さんの旦那様」
この場合の旦那様は、夫という意味だ。青志は、リュウカたちと一緒に落ちてきた生徒会長が、サムバニル市の領主の第二夫人になっているという話を思い出した。
つまり、オロチの言った身なりのいい男女というのは、サムバニル市の領主とその第二夫人という訳だ。どうも、話が大事になってきた。
「その領主様が、わざわざこんな場所に来てるの?」
「うん。静養も兼ねてるらしいけど、アオシさんが街に戻って来る前に会う必要があるみたい」
「なんか、イヤな予感しかしないな」
昔から、偉い人に会うのは苦手な青志である。
「大丈夫よ。偉い人だけど、話の分からないタイプじゃないから」
「そう願いたいね・・・」
青志が案内されたのは、温泉の周りにいくつか設営された天幕のうち、最も大きく豪奢な物だった。
入り口には金属鎧に全身を包んだ偉丈夫が2人、槍を片手に微動だにせずに立っている。夏の日射しに熱せられて、兵士たちが鎧の中で蒸し焼きになってやしないか、青志は本気で心配になった。
「お邪魔しま~す!」
そんな衛兵に軽い挨拶をしながら、ユカとトワは天幕の中に入って行ってしまう。
ビビってリュウカを見ると、「大丈夫」という感じで頷いてくれたので、青志は恐る恐る天幕に足を踏み入れた。シャガルとマナ、ゴブリンゴーレムたちも、黙ってそれに続く。
天幕の中には高そうな絨毯が敷かれ、大きなクッションにもたれて、2人の男女が寛いでいた。
2人とも、まだ若い。
女の方は、真っ白なブラウスと空色のロングスカート姿。怜悧そうな顔立ちの美人だ。リュウカたちよりは大人っぽく見えるが、彼女がリュウカたちの言う生徒会長なのだろう。
男の方も、下手をすると、まだ10代かも知れない。
少しふくよかな体型。素直で穏やかそうな表情。言い方は悪いが、一見してボンボンと分かる外見だ。
オロチと同じように、ダブレットと呼ばれる上衣と、太股部分が膨らんだズボンを身に着けているが、オロチのような武人じみた雰囲気はまるで感じられない。
「アオシさんを連れて来たよ~!」
トワの明るい声を聞き、2人の視線が青志に向けられた。
今更ながら、この国の礼儀作法を知らないことに気づき、狼狽える青志。
とりあえず片膝ぐらい着くべきかと思うが、領主らしい少年の寛ぎぶりやトワたちの気楽そうな態度を見ると、それも場違いに思ってしまう。
仕方ないので、立ったまま軽く頭を下げ、「お初にお目にかかります。青志といいます」と挨拶しておいた。
「ルベウスだ。お呼び立てして、申し訳ない。その辺りに座ってくれ」
ルベウスの言葉に、ユカとトワが座布団のような物を置いてくれたので、青志たちはそこに腰を下ろす。礼儀作法にはうるさくないようなので、青志はホッと息を吐いた。
「オロチ殿は、どうされた?」
が、続いて投げかけられた言葉に、青志の心臓は止まりそうになる。
オロチとは樹海に向かう直前に合流したのだから、アイアン・メイデンの3人でさえ、青志とオロチが一緒にいたことは知らないはずだ。
「何のことを――――」
とにかく誤魔化そうと、青志が言葉を口にしかけると、ルベウスが手のひらを向けて、それを制した。
「面倒なやり取りは、抜きにしようではないか。私は、ゴブリンの次期王たるオロチ殿が、アオシ殿たちと同行していたことを承知している。それに、オロチ殿がクモガニのチーズを売って、知識の魔ヶ珠を買い求めようとしていることも知っている」
「え・・・」
ルベウスのセリフに、青志は言葉を失う。
「付け加えると、私はクモガニのチーズが大好物でな、それを全て買い取る用意がある。これと引き換えにな」
そう言って、ルベウスが懐から取り出したのは、青志にも見覚えがある知識の魔ヶ珠であった。




