卒業試験
前回からペースアップしたつもりが、シムくんショックでまた時間がかかってしまいました(汗)
気化冷却――――。
液体が気体になる時に、周囲の熱を奪うという現象。
汗が蒸発するときに体温を下げるなんていうのが、身近な例だ。
技術的には、冷蔵庫などにも応用して使われている。
青志は、それを魔法を使って大規模に行ったのである。
先に水魔法でリッパーごと周囲を水浸しにし、その後、自分にできるギリギリの量の水を、一気に気化させたのだ。
その結果は、凄まじいものだった。
地面や木の幹は瞬間的に凍結し、その色を真っ白に変え、空気中の微細な水分までが氷となって宙を舞ったのである。
もちろん、リッパーたちも無事では済まない。体表を凍りつかせ、地に転がった。
そうなれば、もう狩り放題だ。
マオとシャガルが、間髪入れずにリッパーに襲いかかった。
キサクも拳銃を腰のホルスターに戻し、2人に続く。その右手には、大ぶりの山刀。
シャガルの斧、キサクの山刀が荒っぽく振るわれ、動きの止まったリッパーの身体を容赦なく切り裂いていく。凍った地面の上で何度も姿勢を崩しながら、2人はしゃにむに駆け回る。
しかし目を引いたのは、マオの戦いぶりである。
どう見ても動きにくそうなフナムシ型の生体装甲姿で、舞うように身を翻しながら、リッパーたちの急所を抉っていくのだ。
フナムシって、そういう生き物だっけ?
思いながら、青志も後に続こうとし、1歩踏み出したところで強烈な目眩を覚え、その場にうずくまってしまった。
「あ・・・れ・・・?」
結局、マオたちによってリッパー全てが屠られてしまうまで、シムとオロチは立ち尽くしたままであった。
同じ水魔法使いとして、アオシが氷を生じさせたことが、とてつもなくショックだったのだ。
そして、当のアオシが昏倒してしまったために、一行は休憩に入っていた。
「これは、一時的な魔力の涸渇だと思う」
アオシの様子を見たマナが、そう診断を下す。
「魔力の涸渇? そんなの、聞いたことないぞ?」
「魔ヶ珠っていうのは、魔力を生み出す通路であるとともに、魔力を貯める容器でもあるの。普通の魔法は、通路を通って生み出される魔力だけで行使できるわ。
でも、パパが使った魔法は、通路からの魔力だけでは足りずに、魔ヶ珠に貯められていた魔力まで全て食い潰してしまったのよ」
「そうすると、こうなるのか?」
キサクの問いに、マナはコクリと頷いた。
「水を分子単位で操るなんて、人間には負担が大きすぎる魔法なんだわ」
ゴブリン・キングと戦ったときにも、アオシは似たような魔法を使っている。
そこにあった水を使い、霧を発生させたのだ。
が、あの時は水を水のまま周囲に撒き散らしただけであった。
気化冷却も起こりはしたが、少し気温を下げた程度だったし、莫大な魔力を喰われることもなかったのである。
「自分より強いはずの相手でも、工夫して倒してしまう――――本当に、アオシは凄いね」
またもマナに膝枕されているアオシを見やりながら、オロチが呆れたように言う。
シムはうなだれながら、その言葉を聞いていた。
そうだ。元々、自分が弟子入りを決めたときだって、アオシはゴブリン・キングを相手に、決してカッコよく戦っていた訳ではなかった。それでも、水魔法という戦闘に向かないはずの魔法を使い、シムには考えも及ばない方法でゴブリン・キングを倒してしまったのだ。
そんなアオシの姿に、シムは憧れたのだった。
憧れたはずであった。
「はい。師匠は凄いです・・・」
衝撃波という、アオシの考え出した水魔法の使い方をたった1つ身に付けただけで、アオシを超えた気分になっていたなんて、とんだお笑い草だ。
アオシの強さは、衝撃波が使えるからではなく、衝撃波のような独創的な手段を考えつけるところにあったのに。
自分は、弟子失格だ。
シムの目に涙が浮かぶ。
幸いなことに、青志は30分ほどで目を覚ました。
軽い虚脱感はあったが、歩けないほどではない。気を失っている間にリッパーたちを倒した分の魔ヶ珠の成長があり、涸渇した魔力が速やかに補充されたのかも知れなかった。
温かいお茶で一服すると、再び歩き始める。
が、氷の魔法について、他のメンバーが見逃してくれる訳がない。オロチを先頭に、水魔法使いではないマオやキサクまでもが、青志に食いついて来る。
それほどに、魔法で氷を生み出すことは、衝撃的な現象だったのだ。
「ちょっと、難しい話になるぞ?」
そう断って、青志は「物質には、固体と液体と気体と3つの形があってな・・・」と話し出したが、マオとキサクはアッという間に理解することをあきらめたようだ。
シャガルは、元より興味がないみたいだし、最後まで説明を聞いていたオロチとシムも、とても理解ができた様子ではなかった。
せめて小学校程度の科学知識がなければ、まるでチンプンカンプンな話であろろう。
青志としては仕方ないと思うと同時に、この技は盗まれる心配がないと、安堵する気持ちにもなるのであった。
「でも、アオシが氷を操れる唯一の人間となると、とんでもない注目を浴びる可能性があるね」
「う。それは、イヤだな」
青志が甘いことを考えていると、オロチが冷静な指摘をしてくる。ゴブリンでありながら、この男は、青志の目立つことを嫌う性格を理解しているのだ。
「でも、氷の魔法は簡単に使っちゃ駄目よ、パパ」
「え? そうなの?」
「多分、使う毎に気を失う羽目になるわ」
マナが言うには、魔法の規模の大きさに関わらず、分子レベルで物質を操作しようとすることが、人間には過ぎた真似らしい。ごくわずかな氷を生み出そうとしても、暴走気味に魔力を使い切ってしまうのだそうだ。
「じゃあ、飲み物を冷やそうとかいうのは?」
「却下。気を失うのを承知でならやってもいいけど、目が覚めたときには、また温くなってるでしょうね」
「ガーン・・・!」
どうやら氷を生み出すことは、最後の手段として考えておかなければならないようである。
そこから応用して、氷の矢だの氷の槍衾を作ることを夢想していた青志は、大いに落胆することになった。
やはり、一足飛びに強くはなれない運命のようだ。
「それはそうと、マナ、元気になったな」
思えば、猫人の里では、マナはまるで元気がなかった。
青志がタンタンにあの世を見せられた後には、さすがに起きてきて怒りまくっていたが、それ以外はずっと眠っていたのである。さすがに、心配になろうというものだ。
「ごめんね。あたしが1人で鬼猿を倒しちゃったせいで、パパの魔力だけじゃ足らなくなってたの。でも、パパがリッパーたちを倒してくれたから、また魔力に余裕ができたのよ」
マナが鬼猿を倒したとき、青志の魔力不足でデンキゴブリンが形を維持できなくなった。それでも、まだマナをゴーレムとして維持し続けるには、青志の魔力はギリギリだったようだ。
もし、マナが戦闘モードに入ろうとしたら、また別のゴーレムが形を失っていたことだろう。
「そうか。やっぱり、リッパーたちのおかげで、だいぶ魔力が増えたんだな」
リッパーたちにとどめを刺したのはシャガルたちだが、その前に青志が氷漬けにしたダメージも相当に大きかったとみえる。
「多分、魔力切れで気を失ってなかったら、魔ヶ珠が大きくなる痛みで、どっちにしろ気を失ってたと思うわよ」
「えー。また、そのパターンだったのか。いい加減、そういうハイリスク・ハイリターンな狩りからは卒業したいなぁ」
「だったら、樹海になんて来るんじゃないわよ」
「ごもっとも・・・」
元気になったマナは、少し口調が大人っぽくなったようである。
翌日の夕刻、青志たちは無事に樹海の外に出た。
樹海から出ると、そのまま野営準備に入る。マオとキサクも一緒だ。これから暗くなる中を樹海にとんぼ返りするのは、マオたちにしても危険が大きすぎるのだ。
火魔法を操るキサクが手際良く焚き火を作ると、リッパーの肉を豪快に焼き始めた。リッパーの肉は、鳥肉のような淡白な味である。昨夜のシェルターでの泊まりの際にも、すでに青志たちは口にしており、けっこう気に入っている。
キサクはこういう作業が好きな様子で、嬉々として肉を焼いている。それも、焼き網を使っているのだ。普段から背嚢に入れて、持ち歩いているらしい。
青志からすると、BBQ好きの兄ちゃんにしか見えない。
そんなキサクを、黙ってシムとトルサが手伝っている。リッパー戦以降、明らかにシムの様子が変わったのは分かっていたが、青志はシムに対する態度を決めかねていた。
その日の晩餐は、リッパー肉の焼き肉。
さすがに焼き肉のたれなどないので、塩だけをつけて食べるスタイルだったが、十分に味わえるものだった。
樹海は、ケモノの強さも突出していたが、食材の豊富さ、その美味さでも突出しているようだ。
いつか、ゴーレム抜きで銀鑑札並みの実力を持てるようになったら、猫人の里で暮らすのもいいなと思う青志である。
「師匠、その・・・」
焼き肉を堪能した後、熱いお茶を飲んで皆が寛いでいる最中に、シムが青志に何かを切り出そうとした。
いつになく表情が硬く、言葉もうまく出て来ない様子だ。
「向こうで話すか?」
青志の助け船に、コクリとうなずくシム。
背嚢からLEDランタンを取り出すと、青志はシムを皆から離れた場所に誘う。
マオとキサク、トルサは怪訝そうに2人の背中を見やったが、マナ、オロチ、シャガルは敢えて無視しているようだった。
オロチたちの視線が届かないように岩の陰に回り込むと、シムがいきなり地面に膝を付く。
「師匠!」
そのまま地面に手を付き、額を小石の落ちている土の上に擦り付ける。
「す、すいませんでした!」
そんなシムを、青志は立ったまま、困ったような表情で見ていた。この世界にも土下座ってあるんだな、とか見当違いのことを考えていたりする。
「何も、謝る必要なんか、ないだろ?」
「いえ! 師匠にはお分かりではないと思いますが、こうでもしないと、僕の気持ちが収まりません!」
そう言ったまま、シムは頭を上げようとしない。
「シム・・・」
「はい!」
「悪かったな。オレが師匠らしくなくて」
「いえ、そんなことありません! ぼ、僕が勝手に・・・!」
「もう、面倒くさいな。シム、ちょっと手合わせしてみるか?」
シムが一時的にでも青志を侮ってしまったことを、シムに口にさせる訳にはいかなかった。
それを口にさせてしまった途端、シムと青志の関係に、決定的なヒビが入ってしまう。青志は、そう感じている。
自分が師匠として失格だとしても、シムとの縁を切りたいのではないのだ。
「手合わせ・・・ですか?」
シムが驚いたように顔を上げる。
「別に意味はないけどな、1回ぐらい師匠と弟子みたいな真似をしてもいいだろ?」
ああ、こういうことこそ、もっと早くやるべきだったのかも知れないと、青志は思った。
「さあ、立てよ。まずは、武器なし、魔法なしで始めようか」
「は、はい!」
実のところ、青志は組手が得意ではない。
組手とは、ボクシング等でいうスパーリングのことだ。
動体視力や反射神経のよくない青志には、空手特有の、先に相手に攻撃させてから効果的な反撃を入れるという真似が、苦手中の苦手だったのである。
相手の攻撃を待っていたら、無防備なままにその攻撃を喰らってしまうなんてことばかりであった。
それが今、矢継ぎ早に繰り出される攻撃をかわし、いなし、シムを翻弄してみせている。
シムが弱過ぎるのもあるが、タンタンとの地獄の稽古が成果を上げているのかも知れなかった。タンタンの動きが全く見えなかったのに対し、シムの動きは丸見えだったのだ。
それは、動きの速さの問題ではない。予備動作の有無だとか、相手の虚を付けるとか、そんな些細なことの積み重ねの問題である。
「くっ・・・!」
攻撃をかわされた途端に、訳も分からず地に転がされ、悔しそうに呻くシム。さっきから転がされてばかりで、ダメージは受けていないが、体力は相当に削られているはずだ。
「よし。魔法もありにしよう」
本当のところ、青志は魔法を使っての組手までは、やる気ではなかった。魔法という要素を加えたとき、組手がどのような形になるのか、青志には予想し切れなかったからだ。
しかし、このまま組手を終わらせるのは、あまりに中途半端であったのである。
「ならばっ!」
寝転がったままのシムの両手から、水の鞭が一直線に青志に襲いかかった。清々しいまでに、ためらいのない一撃だ。
その瞬間、青志の口元がニィッと吊り上がる。
笑ったのである。
なぜだかは分からない。
ただ、シムとのこの時間が、とても好ましいものであると感じたのは確かだ。
自分の顔と胸に迫る水の鞭を、青志は両手で払いのけた。
むろん、シムの放った水の鞭には衝撃波が込められており、青志も両手からの衝撃波で、それを相殺したのだ。
水の鞭が弾け、水飛沫が飛び散る。
それに紛れるようにシムが身体を転がし、青志から距離を取る。
立ち上がったシムの口元にもまた、確かに笑みが浮かんでいた。
とても嬉しそうな笑みが。
明け方――――。
うっすらと辺りが白み始めた頃。
シムは静かに毛布から抜け出すと、わずかばかりの荷物をまとめ始める。
結局、昨夜はアオシにボコボコにされたせいで、まだ身体の節々に痛みが残っている。むろん治癒魔法はかけてあるが、完全に痛みは取れなかったのだ。しかし、なぜかその痛みを心地よく感じてしまう。
青志から借りていた小剣と、持たされていた道具類は、すでに別にしてあった。
アオシは、マナとともに寝袋で眠っている。
オロチたちも横になったまま、寝息を立てている。
一見無防備に見えるが、ケモノが接近してくれば、たちまちゴーレムがそれを察知するので、何の心配もないはずだ。
マオやキサクに至っては、眠っていても、ケモノの接近を感じ取れるらしい。
アオシ、そしてその他の面々に深々と頭を下げると、シムは薄明の中にそっと足を踏み出して行った。
正直、今回のシムくんの行動は元々の予定にはなかった為、もっと良い展開がなかったか、悩ましいところです。
でも、この物語が続いていくなら、また重要な役回りでシムくんに再登場してもらいたいと思います。