成長の感覚
猫人の里は、いくつもの巨岩、そしてケモノの嫌うツタに囲まれていた。
人口は、100人近く。もちろん、その住人のほとんどは猫人だ。
猫人以外の滞在者は4人。全て人間で、銀色の鑑札持ちの冒険者である。
1人目は、もちろんゴディ。
2人目は、キサクという30代半ばの男。ゴディほどではないが大柄で、陽気な好漢だ。腰に吊ったごつい拳銃が、人目を引く。
3人目は青志と同年代の男。名前は、タンタン。身体は大きくないし、マッチョでもない。気が抜けるぐらいに柔和な顔をしていて、まるで強そうには見えない。着ている服は、カンフー着のようなデザインである。
4人目は、なんと女性だ。20代後半。冒険者にしては小柄で、なぜか裸同然の格好をしている。胸と腰に布を巻きつけ、マントを羽織り、サンダルを履いているだけなのだ。武器を持っている様子もない。ショートカットの似合う美女。名前は、マオ。
青志たちは、猫人たちとキサク、タンタン、マオから大歓迎され、到着以来、連日の宴会責めに遭っていた。猫人たちは予想外に人懐っこく、享楽的であったのだ。青志は、ご満悦である。
場所は、宿屋と併設された居酒屋。
ただしそれは、巨木の枝の上に建てられていた。そう。猫人の里は、幾本もの巨木の枝が絡み合った空間に、立体的に築かれていたのである。
樹上に登るのはハシゴを使い、枝から枝へは、丸太を2~3本束ねただけの橋を渡る。
猫人たちは苦もなく移動していくのだが、青志たちには移動だけで一苦労であった。特に酒が入っている状態では、命がけになってしまう。
そんな中、青志が空手をかじっていると知ったタンタンが、手合わせをしようと言い出した。
「いや、やってたと言っても、黒帯も取れてないんですよ? おまけに、稽古から遠ざかって、ずいぶんになるし・・・」
気後れする青志。
「そんなの全然構わないよ。なにせ、この世界には、素手で人間同士が戦う技術が発達してなくてねー」
常にケモノという脅威が身近に存在する環境では、人間同士で戦っている場合ではなかったのだろう。
「あれ? タンタンさんは、・・・その、“落ちてきた者”ですか?」
「うん。そうだよ」
「それで、空手を知ってたんですね? この世界に来て、どれぐらいになるんですか?」
「うーん、ちゃんと数えてないけど、7~80年ぐらいじゃない?」
「へ?」
「さあ、僕のことはいいから、さっさと始めようよ!」
アオシとタンタンが手合わせすると聞き、シムは好奇心満々でその後を追った。酒に飽いたらしいオロチも、静かに付いて来る。
シャガルは猫人たちとの酒宴を中断する様子はなく、マナは宿屋側で眠りこけているはずだ。
木に手を添えることもなく、平地を歩くのと同じように、樹上をスタスタと歩いていくタンタン。酔っているはずなのに、その背はピンと伸び、不自然なまでに姿勢がいい。
その後を、青志は危なっかしい足取りで付いて行く。
「タンタンさんは、中国武術をやっておられるんですか?」
「うん。そうだよ。まだまだ未熟だけどねー」
その答えに、謙遜にも程があるだろと、心の中で毒づく青志。
危なげなく樹上を歩いている姿を見ただけで、タンタンの平衡感覚や足腰の強さ、そして柔軟性が常人ばなれしていることが一目瞭然だったのだ。
しかし、そんな達人に稽古を付けてもらえることが、滅多にない機会であることも間違いない。青志はワクワクしながら、タンタンの背を追う。
どん――――!!
シムの目の前を、アオシの身体がすっ飛んで行った。
構えるでもなく自然に立ったままのタンタンに、アオシが正面から突きを見舞おうとした瞬間の出来事である。
タンタンは半身になりながら右足を上げ、その足裏でアオシのお腹を受け止めた――――シムには、そう見えた。
が、腹に響く重い音とともに、アオシの身体は軽々と吹っ飛んだのだ。
「げはっ!」
血の混じった吐瀉物を吐きながら、アオシが慌てて自分の腹部に治癒魔法をかける。
「あー、ごめんごめん。ちょっと、やり過ぎだった?」
「げふっ!・・・あ、いや・・・このぐらいなら、自分で治せるから、なんとか・・・大丈夫・・・ですよ」
心配げなタンタンに、アオシが苦しそうに答える。それはシムから見ても、明らかに痩せ我慢しているのがバレバレだった。
「そう? なら、良かった」
しかし、タンタンは額面通りに受け取ったようだ。
「少々やり過ぎても自分で治せるなんて、最高だね!」
アオシが必死に立ち上がった目の前に、タンタンが一瞬で移動していた。
そして、軽くしゃがむような姿勢になりながら、無造作に右拳を突き出す。
どばん――――!!
再び、アオシの身体が吹っ飛んだ。
そのまま、激しく地を転がって行く。
「・・・」
唖然とするシム。
1対1でゴブリン・キングを倒した師匠が、完全に子供扱いされている。
「すごいね。シムも稽古に混ぜてもらった方がいいんじゃないか?」
「オロチさんこそ、師匠の技に興味があるんでしょ?」
「・・・正直なところ、あそこに参加するよりは、ケモノを狩ってた方が強くなれるような気がするな」
「僕も、それに賛成です」
「じゃあ、狩りでも行っちゃう?」
背後からの声に振り返って見れば、マオがニコニコしながら立っていた。その後ろには、キサクの姿もある。
「わざわざ、こんな場所まで来たってことは、お金儲けか、強くなることが目的なんでしょ?」
「タンタンさんに付き合ってたら、身体がもたないぞ」
「あ。やっぱり、そうですか?」
2人の誘いに、シムとオロチは、ありがたく同道させてもらうことにする。
「ぼぐぁ!」とか「おげぇ!」とか、アオシの呻く声が背後から追いかけてきたが、シムとオロチは聞こえない振りでマオたちに付いて行った。
「まずは、手頃なところから始めましょ。鬼猿だと、魔力を取り込む時の負担が大き過ぎたでしょ?」
「そうだね。一戦ごとにあの痛みを味わうのは、勘弁してもらいたいね」
思い出しただけでげんなりした表情になって、オロチが答える。
「この先にクモガニのコロニーがあるんだけど、そいつらの強さが手頃な上に、お腹の中に貯め込まれたチーズが最高級の食材なのよ」
「チーズ、ですか?」
「チーズに見えるってだけで、別物なんでしょうけどね。でも、味もチーズっぽいのよ。それも、とても高級な、ね」
シムとて、チーズぐらい食べたことはあったが、高級だとどうなるのかの見当が付かなかった。シムが食べたことがあるのは、石のように固まったしょっぱいもので、とても美味しいとは言えなかったのだ。
「高級食材ってことは、高値で取り引きされるのかい?」
「そうね。貴族や豪商なら、金に糸目をつけないぐらいにね」
「でも、ここから街まで運ぶ間に傷んでしまわないかい?」
「それは大丈夫。そこもチーズと一緒で、傷みにくいから。実は肉の方も最高に美味しいんだけど、そっちは傷むのが早くて、取り引きには使えないけどね」
「なるほど。金儲けには打ってつけの相手らしいな」
オロチがやる気になると、マオとキサクがやけに嬉しそうに笑みを浮かべる。
目的地は、猫人の里から1時間もかからない場所だった。
小さな泉がいくつも湧き出す岩場だ。
そこに、人間の子供ほどの大きさのカニが、無数に蠢いている。
「これはまた、気色の悪い・・・」
オロチが呟く。
「カニって言うよりは、完全にクモですもんね」
シムも、げんなりしながら言う。
クモガニと呼ばれるだけあって、シルエットがカニよりクモに近いのだ。
赤黒い体色で細かな体毛に覆われた胴体は、一般のカニのように立っておらず、地に臥した形態である。
そこから、やはり細かな体毛に覆われた細長い脚が生えていた。
ハサミが付いてなければ、クモにしか見えない。
それが、泉の中や付近の岩場に重なりながら、無数にカサカサ動いているのだ。
マオやキサクまでが、イヤそうな表情になっている。
「うまい具合に、他のケモノもいないわね。このカニは、ケモノから見ても美味しいらしくて、よく出会すのよ」
「じゃあ、今のうちに――――」
オロチが水の蛇を作り出す。
堅い甲殻に守られていようとも、内部の水分に衝撃を与えれば、問題なく倒せるはずだ。
「待って!」
水の蛇をけしかけようとしたオロチを、マオが止める。
「こいつら、かなりタフだからね。仕掛けるなら、1体ずつ確実に倒してほしいの。下手に何体も巻き込んで攻撃したら、他のカニまでどんどん群がってきて、逆に狩られちゃうわよ」
「う・・・。分かった。慎重に狙うよ」
クモガニの群れに襲われる自分の姿を想像し、オロチが表情を曇らせる。ゴブリンも、クモ系は苦手らしい。
「では、今度こそ行くよ」
オロチが水の蛇を走らせる。
狙いは、群れから外れた場所にいる1体だ。
両のハサミで何かを啄んでいたその個体は、避ける様子もなく、その胴体に水の蛇の一撃を喰らった。
衝撃波が胴体から全ての脚の先端まで駆け抜け、その細長い脚が激しく反り返り――――バタンと地に落ちる。
「どうだ!?」
一発で獲物を仕留めたと確信したオロチだったが、クモガニがゆらりと立ち上がった。
そして、ブクブクと泡を噴きながら、オロチに向かって、覚束ない足取りで歩き始める。
「なかなか興味深い技だったけど、そいつのしぶとさも、なかなかのものよ?」
「なら、僕も!」
シムが両手から水の鞭を繰り出す。
鬼猿を相手に一度だけ使った技が、すでに二刀流に進化している。
「おお!?」
目を見張るオロチの眼前で、2本の水の鞭がクモガニの胴体に直撃。ビクビクと全身を震わせるクモガニ。
が、それでもクモガニは倒れない。
更に激しく泡を噴きながら、前進し続ける。
「これでどうだ!!」
そこに、オロチが3体の水の蛇を突っ込ませ、今度こそクモガニは力無く地面に崩れ落ちた。
「ふぅ・・・」
脱力するオロチとシムの胸の中で、魔ヶ珠がゴリゴリと成長する。鬼猿を倒した時の痛みに比べれば大したことはないが、はっきりと魔ヶ珠が大きくなるのが感じられた。
危険を冒して鬼猿クラスを狩るよりは、このクモガニを何体も狩った方が、確実に成長効率はいいだろう。そして、クモガニはまだ無数に目の前にいるのだ。
キサクがクモガニの死体に近づき、ごつい山刀を甲羅の隙間にこじ入れ、バリリと剥がすと、その中から人間の頭ほどの袋状の器官を取り出した。
「ほら。こん中にチーズが詰まってる。食べてみな」
ナイフで袋を裂くと、黄金色のクリームっぽい物がこぼれ出た。
恐る恐る、それを口に入れるオロチとシム。
「――――!!」
「うまっ!!」
更に、クモガニの脚を割り、中にみっちり詰まった白い肉を、キサクが手渡してくる。
「こっちは、宴会用だ」
まだ宴会を続ける気かよと思いながら、シムは繊維状の白い綺麗な肉を口に入れる。
「うわっ! こっちも、美味しい~!」
シムにとっては、ちょっと酸っぱ味のあるチーズより、クセのない味の肉の方が好ましかった。
オロチとマオは、チーズの方が好みのようだ。キサクは、シムと同じく肉派らしい。
1体分のチーズと肉を試食として堪能すると、オロチとシムは張り切って狩りに没頭した。いつも飄々としているオロチが、目の色を変えているのが印象的だ。
オロチが群れの外側にいるクモガニに攻撃をしかけ、近寄ってきたところにシムが一撃を加え、オロチがとどめを刺す。2~3体が同時に襲いかかってきても、問題なく処理できている。マオとキサクはやる事がなくて、チーズとカニ肉の回収に専念しているほどだ。
クモガニを1体倒すごとに己の胸の中で魔ヶ珠が育つ感覚に、シムは酔い始めていた。
冒険者を目指して1人で狩りを続けてきたが、魔ヶ珠が育つ感覚など、ほとんど感じたことがなかったのだ。それが、大した労もなく、連続ではっきり感じられる。その力の感覚にシムが酔ってしまっても、無理からぬところだろう。
クモガニを20体近くも倒した時点で、マオがストップをかけた。
「これ以上狩っても、せっかくの美味しい物を持ち帰れないわ」
4人分の背嚢は、すでにパンパンに膨らんでいる。
シムとしては、まだまだ狩りを続けたい気分だったが、さすがに1人では樹海で通用しないという自覚はあった。不満な感情を押し殺して、クモガニの解体を手伝う。
そんなシムの視界の隅で、何か蠢くものがあった。
視線を向けてみると、大人の手のひらほどの大きさの不定形の生き物が、何体もクモガニの死体に群がろうとしている。
スライムだ。
どんな環境にも生息している掃除屋である。しかし、ひどく臆病なケモノなので、意外と目にすることは少ない。普段は、土中や水中に潜んでいるのだ。
シムは水の鞭を形成すると、スライムの1体を打ち据えてみた。
もちろん、衝撃波付き。
身体のほとんどが水分であるスライムは、あっさりと破裂し、中身を辺りにぶちまけた。
「こらっ!」
至近距離でスライムの内容物を浴びる形になったマオが、シムの頭に拳骨を落とす。
「ご、ごめんなさい!」
予想以上に強力だったマオの拳骨に涙目になりながら、しかしシムは、スライムとはいえ樹海のケモノを自分が一撃で倒せた事実に呆然としていた。
大量の戦利品とともにシムたちが猫人の里に帰って来ると、仰向けに倒れたアオシの口を両手で押さえながら、タンタンが血相を変えていた。
「どうかしたの?」
「ああ、いいところに帰ってきた! アオシの魂が抜けていきそうなんだ!!」
「ええっ!?」
シムとオロチが大慌てで駆け寄り、アオシに治癒魔法をかける。
やがて、真っ白になっていたアオシの顔の色が、赤みを取り戻す。
「助かったよー。少々やり過ぎても治癒魔法で治せるもんだから、ついつい本気になっちゃってねー。あはは・・・」
「あははじゃねぇから!」
マオの拳骨が炸裂し、タンタンが頭を押さえてのたうち回った。