樹海へ
書籍についての話を、活動報告に書きました。
よろしければ、読んでやって下さい。
「アオシ。お願いがあるんだが」
マナのおかげでシンユーから解放されたオロチが、青志に切り出した。
ちなみに、猿酒は小樽ごとシンユーに渡してしまっている。シャガルの分は、1滴も残らないだろう。
「ん? 何かな?」
「樹海での狩りに付き合ってくれないか?」
「樹海?」
青志の脳内に刻み込まれた知識によれば、それは火竜山の麓に広がる深い森のことだ。恐ろしく強力なケモノが数多く棲息し、銀鑑札クラスの実力がないと足を踏み入れるのは自殺行為という場所の筈だ。
「いやいや。それは、無理すぎるだろ?」
「もちろん、樹海の浅い場所まででいいんだ。その程度なら、僕らでも十分に狩りが行えると思う」
「うー。自信ないなー。でも、なんでそんなとこで狩りがしたいんだ?」
「まずは、戦力の増強。手持ちのゴーレムたちを強化し、更に強いケモノの魔ヶ珠を手に入れる。
それともう1つは、人間相手に商取引のできる素材を得ることだ」
「人間と交易をしようっていうのかい? でも、いちいちそんな危険な狩りをする必要があるんじゃ、安定した取り引きなんてできないんじゃないのか?」
「いや。人間との交易自体は、すでに行われているんだ。それも、僕たちが落ちてくる前からずっとね」
「そうなんだ? 驚くね。商人ていうのは、どこの世界でもチャレンジャーなんだなぁ。
だとしたら、何か特別に欲しい物があって、その為の金が要るとか?」
「その通り。知識の魔ヶ珠を、いくつか手に入れたい」
落ち着いた様子で語るオロチを、青志はじっと見つめた。
異世界で好きなように生きられたらいいと思っている自分に対し、同じ境遇の筈の目の前のゴブリンは、ずいぶんと高い視点に立って、物事を考えているようだ。
「自分と同じようなゴブリンを増やす気か?」
「ああ。現状では、ゴブリンの新しい街を作っても、僕がいなくなれば、またすぐにその機能を失ってしまうだろう。
また、人間と友好条約を結んだとしても、簡単に反古にしてしまう可能性がある。
だから、僕の補佐や後継者を作っておきたいんだ」
「なるほどなぁ。それに、進化したゴブリン同士で子供を作ったら、進化した状態の赤ん坊が生まれてくるかも知れないもんな」
「そ、そう思うか?」
急にどもるオロチ。なぜだか、その頬がほんのり赤い。
青志は、あーこいつ、ゴブリンにはモテないんだったなと、思い出す。つまり、自分好みのゴブリンの女性に知識の魔ヶ珠を使いたいわけだ。
知識に目覚めた女ゴブリンが、オロチのことを好きになってくれるかどうかは、また別の話だろうに・・・。
なんとなく、オロチが不憫に思えてきた青志であった。
「金が必要な理由はわかったけど、だったら、アダマンタイトなんかを売った方が早いんじゃないの? 戦争のとき、あんな勿体ない使い方するぐらいだったら」
「いや。その勿体ない使い方が問題だったんだ。あれのお陰で、大量のアダマンタイトが人間の手に渡ってしまった。今、アダマンタイトでは商売にならないぐらいにね」
「ああ、そうか。あれを丸々人間に取られちゃったのか」
青志が介入しなければ、もしかしたらゴブリンが勝利し、そのアダマンタイトも人間に奪われなくて済んだのだが、敢えて青志もそれを口にする気はない。
「樹海での狩り、アオシにとっても悪い話ではないだろう? それに、お礼代わりにアオシが使う程度のアダマンタイトを渡してもいいと思ってるんだ」
「よし、行こう!」
間髪を入れずに返ってくる了解の言葉。しかし、それは青志の声ではなかった。
素っ裸のまま仁王立ちになったシャガルが、いつの間にか復活して、満面の笑みを浮かべて快諾したのだった。
「アダマンタイトの為だったら、樹海だろうと行かねぇわけにはいかないよな!」
そう言って、ガハハと笑うシャガル。
「おお、行ってくれるんだね。嬉しいよ!」
そう言って、アハハと笑い出すオロチ。
唖然とする青志には、まるで視線を向けようとはしない。勝手に2人で盛り上がっていく。
ここで乗っかっておけば、有耶無耶のうちに青志の参加が決まる事を、すでに見抜いている様だ。
空気を読まないドワーフと、空気の読み具合が天才的なゴブリンのタッグを相手にして、青志に勝ち目はまるで無さそうである。
「師匠って、思ってたよりずっと大物だったんだ・・・」
宴が捌けてシンユーが姿を消した後、思い思いに横になっているアオシたちを眺めながら、シムは1人で目を輝かせていた。
シャガルを迎えに来ただけの筈が、なぜか明日からは樹海に向かう事になってしまったが、不思議とシムに恐怖心はない。
もちろん、自分は足手まといにしかならないと分かってはいるが、アオシの強いところを見られると思ったら、ワクワクする気持ちを抑えられないのだ。
水魔法使いである我が身をずっと呪い続けてきたシムだが、アオシに出会ってからは、そんな暗い感情が綺麗に洗い流されてしまっていた。
明日からは、荷物持ちと料理係として頑張ろう。そう独り言ちながら、シムは横になる。
昨夜は、ずいぶん遅い時間まで裸のまま酒盛りをしていたというのに、夜明けとともに青志は目を覚ました。
少し身体がだるいが、治癒魔法を体内で循環させると、すぐに細胞全体が目を覚ましたかのような爽快感に身が包まれる。
日本にいた時なら、休日ともなれば寝られるだけ寝ていたというのに、我ながら驚きの激変ぶりだ。
寝袋から抜け出すと、ミスリル棒を持っただけの軽装で拠点を抜け出す。
シャガルはもちろんだが、オロチまでが目を覚ます気配もなく熟睡したままだ。
マナは青志の寝袋に潜り込んできていたが、これまた起きる様子がなかった。とことん規格外のゴーレムである。
他のゴーレムたちは睡眠も休憩もなしに、ずっと周囲を警戒してくれてるというのに。
一応デンキゴブリンだけを連れ、青志は拠点から少し離れた場所にやって来た。
ミスリル棒をデンキゴブリンに手渡すと、ブーツを脱いで裸足となる。
そしてしばしのストレッチの後、徐に始めたのは、空手の型だった。
身体の向きを変えながら受けや突きを出す、基本の稽古用に作られたものから始まり、ピンアンの初段から五段まで、そしてナイハンチ。
黒帯になる前に稽古に行かなくなってしまった、青志が知っているだけの型を一通り演じていく。
日本で真面目に稽古をしていた頃に比べても、はるかに身体の動きがいい。
我が身体ながら、キレがあるのだ。
突きや蹴りの際に、肉体が内から衣服を叩き、スパーン!と小気味いい音を立てる。
魔力により肉体が強化されたおかげだ。
もちろん、少々身体が動くようになったと言っても、四十代のインドア男を基準にしての事である。
まだまだ、本気で空手をやっている人には敵わない。
それでも、少しでも速く正確に動ければ、それだけ生き残れる可能性も高まる筈だ。
突きや蹴りにしても、いくら鍛えても、それでケモノを倒せるものではない。空手の達人がこちらに落ちて来たとしても、それは同様だろう。
しかし青志には、魔法で発生させた衝撃波で、ケモノにダメージを与える事ができる。
衝撃波は、空手の突きや蹴りに乗せて使うのに好都合なのだ。
拳、肘、爪先、膝。あらゆる身体の部位から、とっさに衝撃波を生み出せるようにする。それが、今の青志の目標である。シムにも伝授するつもりだ。
空手と衝撃波を組み合わせた稽古を終えると、今度は、衝撃波を水魔法に組み合わせる戦法を模索する。
衝撃波自体も水魔法なのだが、例えば水で球体を作り、そこに衝撃波を乗せて遠距離攻撃ができないかと考えているのである。
それが可能なら、ずいぶん安全にケモノが狩れるようになる筈だ。
が、事は簡単ではない。
水で球体を作っても、それを目標に向けて飛ばした瞬間に、すぐに水が散ってしまうのだ。
水が球体を維持するように魔力を込めれば、球体を保ったまま何メートルかを飛ばす事は可能だろう。でも、球体の水をぶつけたとしてもロクな破壊力は得られない訳だから、そんな事に魔力を使っても意味はない。
込めたいのは、衝撃波なのだ。
しかし、掌の上に浮かせた直径30センチの水の球体に衝撃波を込めた瞬間、水の球体は爆散し、青志の上半身をぐしょ濡れにした。
「途中までは素手で戦う訓練と分かったんだが、最後の水浴びの意味が分からないな」
「汗をかいたから、水を浴びたくなったとかじゃないですか?」
気づくと、オロチとシムが呑気に見物をしていた。
「勝手に覗くなよ」
「悪いね。興味があったんだ」
悪いと言いながら、オロチに悪びれる様子はない。シャガルやシンユーや、青志の周りに寄って来るのは、そんな者ばかりだ。
シムだけは、謙虚でいて欲しいと思う。
「空手といって人間同士で戦う技術なんだけど、一緒にやってみるか?」
「ほぉ。人間同士で戦う意味が分からないが、僕には役に立ちそうだね。ぜひ教えて欲しい」
「師匠、僕もいいですか?」
「ああ、もちろん。つか、弟子の方が優先だからなー」
「まあ、それは仕方ないね」
正直なところ、黒帯になる前に挫折した青志には、他人に空手を指導するほどの実力はない。
が、稽古相手を確保する為だからと自分に言い訳しながら、青志はオロチとシムに空手を教え始めた。
青志が習っていた流派には、試合というものがない。稽古の中心は、型と約束組み手であった。
型は、1人でも稽古ができる。
が、2人で決まった技をかけ合うという約束組み手は、相手を必要とする。
その稽古相手を、なんとか育成しようとしているのである。
で、教えてみて分かったのは、空手やボクシングという概念さえ知らない者には、拳を真っ直ぐに突き出す動きさえ簡単にはできないという事だ。
パンチを打たせてみたが、猫がじゃれついているようにしか見えない。キックはというと、足裏で相手を押す事しかできない。
「これは、じっくりやるしかないなぁ」
シムたちが青志の稽古相手になれるまでには、ずいぶん時間がかかりそうである。
稽古を切り上げて拠点に戻ると、やっと目を覚ましたマナとシャガルが、寝床の上に座り込んだままボーッとしていた。
シャガルはともかく、マナの寝起きの悪さは、ゴーレムとして問題があり過ぎるような気がする。
「シム。朝食を頼めるか?」
「分かりました!」
二つ返事で、準備を始めるシム。
シムの爪の垢をマナに飲ませたら、性格が融合してくれないだろうか? つい、そう思ってしまう青志であった。
朝食を摂ると、休む間もなく出発である。
目指すは、樹海。
温泉地帯から更に東に向けて歩くと、2日ほどでたどり着ける距離だ。
富士山の麓に広がる樹海のイメージが、ぴったりの場所である。富士の樹海と違うのは、そこに恐ろしく凶暴なケモノが大量に棲息しているという事だ。
召喚したまま連れて行くのは、ゴブリン5体と鷹3体、ミゴー。それに、もちろんマナ。
デンキゴブリンを鉄で作った以外は、全て鎧竜の装甲で作っている。
大型のケモノを相手にする為にも、鎧竜も作っておきたかったのだが、それだけの装甲が残っていなかったので断念した。必要な時には、土や岩で作り出すしかないだろう。
オロチは、大蛇4体にオーク1体の布陣だ。
なお、そのオークの材料として、鎧竜の装甲を貸してある。大蛇4体の分もとオロチにねだられたが、大蛇が意外に大きくて、まるで装甲は足りなかった。
「ああ、そうだ。アオシ、この魔ヶ珠は使えるかい?」
そう言ってオロチが渡してきたのは、やや大ぶりの魔ヶ珠が1つ。
「これは?」
「僕が使ってるオークだよ。アオシにプレゼントしようと思ったんだけど、先に僕がいじってしまってるから、アオシに使えるのかなと思ってね」
「そういう事か」
青志は、手にした魔ヶ珠に魔力を通してみようとする。
が。
「ありゃ、通らないな・・・」
「やっぱり、僕がゴーレム化した時点で、僕専用になってしまってるのか」
「じゃ、これは?」
オークの魔ヶ珠を返すのと一緒に、蟻の魔ヶ珠を渡す青志。
「ああ、駄目だね。何の反応もない」
「そっか。まあ、オロチがマナを召喚しちゃったら人格がどうなるかとか、悩まなくて済むからいいか」
「残念。ドラゴンのゴーレム、作りたかったな」
「あ! 昨日、ウロコもらおうって話にならなかったね」
「恐れ多くて、ウロコをもらうなんて考えもしなかったよ」
「そりゃ、そうか」
青志だって、シンユー側からくれたから良かったものの、自分からウロコをねだるなんて真似はできないだろう。シャガルのような厚かましさは持っていないのだ。
「そうだ。シム、剣は使えるか?」
「はい。知り合いに少し習った程度ですけど」
「だったら、これを渡しとくよ」
青志は、クリムトからもらった小剣をシムに手渡した。
「え? いいんですか!?」
「短剣だけで樹海に行くのは、さすがに不安だろう?」
シムの持っている武器は、粗末な短剣だけだったのだ。大型のケモノには、ほとんどダメージを与えられそうにない。
頬を紅潮させながら、シムは静かに小剣を抜いた。
そのまま力みのない動きで、左から右へと水平に剣を薙ぐ。
剣先が空気を裂くピウッという音が、青志の耳に響いた。
「ほお?」
剣の扱い方を知らない青志であるが、空手をやっていた頃に、居合いの有段者の演武を見た事がある。
剣道では、できるだけ竹刀を直線的に振る。目標を素早く打つために、竹刀を最短距離で動かすのだ。
が、居合いでは、剣先が弧を描くように剣を振らなければならない。そうせねば、目標を斬る事ができないのである。その時、剣先はピウッという音を立てる。
「シムの剣は、斬る動きなんだな」
青志は、西洋剣術に斬るというより打つイメージを持っていたので、驚いたのだ。
「僕に剣を教えてくれた人は、緩い片刃の曲刀を使ってましたから」
「そうか。今度は、オレに剣術を教えてくれよ」
「は、はい! 僕で良ければ!」
背筋を伸ばし、嬉しそうに答えるシム。
「よし。じゃ、そろそろ出発しようか!」
そんなシムを見やりながら、青志はニヤリと笑うのだった。