死闘の終わり
「人間の言葉を・・・!?」
生命の危機に直面しながら、青志の口から出たのは、その言葉だった。
「アア、分カルサ。知識ノ魔ヶ珠ノオ陰デナ」
「知識の魔ヶ珠だって!?」
それは、青志の脳に、この世界の言葉や常識を刻み込んだ物だ。
先にこの世界に落ちてきた地球人が、後から落ちてくる者の為に用意してくれた物だと、青志は理解している。
何らかの理由により、その1つがゴブリンの手に渡っていたらしい。
「つまり、お前は“落ちてきた者”ということか?」
「ソウイウコトダ」
そう言うと、異形のゴブリンは、ニヤリと笑ってみせた。
明確な知性を感じさせる笑みだ。
これまで青志が相手してきたケモノたちとは違う。はっきり、そう知らしめられる笑みであった。
「オ前サエイナケレバ、アノ砦ヲ落トセタノダ。我ハ一旦退クガ、オ前ダケハ、息ノ根ヲ止メテオク必要ガアル。覚悟スルガイイ」
妖しい光を帯びる長剣を片手に、ゴブリンが歩を進めようとする。
「勝手なことを言ってくれるなよ!」
腰のポーチから取り出した数個の魔ヶ珠を、ゴブリンの周りに投擲する青志。
「――――!?」
投げられた魔ヶ珠に注意のそれたゴブリンに、ミゴーが襲いかかる。
空を裂く、刃のごとき両の爪。
それを迎え撃つ長剣。
ミゴーの両腕が斬りとばされ、宙に飛んだ。
それでも。ゴブリンに抱きつこうとするミゴー。
再び閃いた白刃が、その胴体を見事に両断する。
しかし、その時には3体のゴブリン・ゴーレムが異形のゴブリンに肉迫していた。先ほど青志が投げた魔ヶ珠がゴーレム化したものだ。
ゴブリン・ウィザード。デンキゴブリン。超音波ゴブリン。青志の頼むゴブリン・トリオが絶妙の連携で攻撃をしかける。
正面からウィザードの火炎魔法。
左右からデンキゴブリンと超音波ゴブリン。
武器を持たないゴブリン・ゴーレムには、致命的な攻撃を行うことが出来ない。唯一使えるとすれば、デンキゴブリンの電撃だけだ。
ウィザードと超音波ゴブリンが牽制している間にデンキゴブリンが電撃を喰らわし、青志がトドメをさす。それが、青志の狙いだ。
が、地面から強力な炎が噴き上がった瞬間、異形のゴブリンは何の挙動もなしに、ざっと10メートルも後方へ飛び下がった。
風魔法を使ったようだ。
おかげで、超音波ゴブリンとデンキゴブリンの攻撃も、届かずに終わってしまう。
「風魔法か・・・。そういえば、空を飛んできたものな」
そう言いながら、青志は態勢を整え直す。
正直、狙いをあっさりかわされて、内心は焦りまくっている。
「変ワッタ魔法ヲ使ウノダナ。シカシ、ソンナモノカ?」
剣を一振りすると、無造作に近づいてくるゴブリン。
「ソノ程度デ、王ニ勝テルト思ッテイマイナ?」
「王?」
「ソウヨ、我コソハ、ゴブリンノ王ヨ!」
空気の破裂する音とともに、異形のゴブリン、いやゴブリン・キングが一気に前に出る。
とっさに壁を作る3体のゴブリン・ゴーレム。
キンッ――――!!
鋭い金属音。
ウィザードと超音波ゴブリンの身体が真っ二つになる。
圧倒的な力だ。
が、その斬撃をかいくぐり、デンキゴブリンがキングの腰に組み付くのに成功していた。
「おおっ!?でかした!!」
すかさず、デンキゴブリンの電撃攻撃!
・・・不発。
「ああっ、土で作った身体じゃ、電気が流れないんだった!」
「離セ!」
ゴブリン・キングを中心に、強烈な風が噴出した。
デンキゴブリンと青志の身体が、簡単に吹っ飛ぶ。
「んなっ!?」
デンキゴブリンが斬り捨てられるのを目撃しながら、青志の身体は激しく水面に叩きつけられた。
「コノ程度ノ人間ニ、我ガ宿願ハ阻マレタノカ?」
つい数秒前までゴブリンの姿で動いていた土塊を踏み越え、キングは歩き出す。
人間の住み処を奪うという野望を邪魔した人間を、許す訳にはいかないのだ。
今、ゴブリンたちは廃墟同然の城塞都市に住み着いている。
20年以上も前に、人間から奪ったものだ。
が、ゴブリンとしては飛び切り優秀であった当時のリーダーでさえ、都市の価値を理解してはいなかった。
結果、欲望のまま破壊の限りを尽くしたのだ。
彼は、そんな街に“落ちて”きた。
都市の一番大きな建物の中で、偶然、知識の魔ヶ珠を拾ったせいで、彼はキングへと成長を始めることになる。
人間の知識を得た彼がまず気づいたことは、仲間たちの住む環境の劣悪さだ。
せっかく人間の都市を手に入れながら、それをわざわざ破壊してから住み着いているのだから、嘆かわしい。
自分がキングになったからには、出来るだけ無傷のまま新たな人間の都市を奪い、ゴブリンの王国を築いてやるのだ。
そう決意しての緒戦で、図らずも彼は敗退してしまった。
失敗の要因は分かっている。
まだまだウォリアーとウィザードの数が不足していたのだ。
その分は、キングの固有魔法で従えたオークたちで補えると思っていたのだが、目算が甘かったらしい。
だが、敗因が分かっているなら、また時間をかけて、それを克服すればいい。
が、危険な因子は、今のうちに潰しておく必要がある。
だからこそ、キングは仲間たちを逃走させておきながら、ただ1人でここに現れたのだ。
砦にも何人か厄介な人間がいたようだが、巨大な鳥を使って空から攻撃をかけてくる者に比べたら可愛いものである。
実際、あの鳥は、強力な風魔法で上空まで舞い上がれる自分でなければ、対処できない相手であった。
巨大な鳥とほぼ同じタイミングで、大きな魔力を持つ人間が戦場の縁に現れたことは、索敵魔法で分かっていた。
ならば、その人間が巨大鳥を操っていると考えるのは当然だ。
巨大鳥を屠った流れで、そのまま鳥の操り手を急襲したのは、まさにキングの真骨頂だったと言えよう。
落ちた場所が水面であったのは、青志にとって幸運だった。
全身に鈍い痛みは感じているが、骨折とかしている様子はない。
慌てて身を起こすと、水面は膝より少し上ぐらいの位置であった。
逃げようかと逡巡したが、風に乗って飛んでくるような奴を、膝までジャブジャブ水に浸かりながら振り切るのは、とても不可能だ。
だったら、どうするか?
正面から立ち向かうのは、自殺行為。
ゴーレムも、青志が使える最大戦力は、もろくも敗れ去った。火竜のゴーレムのことが脳裏をよぎったが、裸の幼女をゴブリンの王にぶつけるのは、ひどく躊躇われた。そもそも、あの幼女にどれだけの戦闘力があるのかも、まだ把握していないのだ。
戦局を打破できる可能性があるとすれば、水魔法だろう。
なにせ、これだけの量の水があるのだ。何か打てる手がある筈だ。
例えば・・・、例えば・・・。
風魔法で跳躍速度や距離が強化できるように、水に潜ったら高速で移動できるとか?
いや、駄目だ。
もう、ゴブリン・キングが猫のように光る目で、こちらを睨んでいる。仮に少々高速で泳げたとしても、空を飛ぶスピードには勝てないだろう。
やるなら、水面に落とされたと同時に、やるべきだった。
今では、もう遅い。
ならば、どうする?
考えろ。考えろ。考えろ。
そう。まずは、身を隠さねばならない。
だったら、どうするか?
霧だ。この大量の水を使って、霧を作れば・・・
泥水に浸かって、呆けたように立ち尽くす人間が眼下に見える。
夜目の利くゴブリンなれば、索敵魔法を使わずとも、人間の表情まではっきり視認することが出来る。
状況が許すなら、いたぶり抜いてから殺したい相手だが、ここはひと思いにやってしまうつもりでいる。まだ、どんな隠し球を持っているか、知れたものではないのだ。
キングは風をまとうと、フワリと宙に浮かんだ。
人間のそばに舞い降りると同時に首をはねれば、それで終わりだ。
ゴブリンの支配する街で手に入れた剣は、驚くほどの切れ味を持っている。痩せた人間の首など、なんの抵抗もなく斬り落とせるだろう。
と、いきなり、視界が白く閉ざされた。
「コレハ、霧カ!?」
濃密な霧だ。自分の手さえ見ることが出来ない。
だが、いくら何でも突然すぎる。追い込まれた人間が、苦し紛れに魔法を使ったとしか思えなかった。
「霧ヲ操ルトイウ事ハ、水魔法ノ使イ手ナノカ? 驚キダナ。人間デモ水魔法ハ戦闘ノ役ニ立タナイトサレテル筈ダガ」
しかし、キングが剣を一振りすると旋風が巻き起こり、その霧もあっさりと吹き散らされた。
「コレ以上、小細工ヲ弄スル前ニ、仕留メテクレルワッ!」
半ば水中に身を沈めている人間を発見するや、キングは急降下し、その勢いを乗せて剣を振り下ろす。
轟と、風が鳴った。
剣が振り下ろされると同時に、巨大な水しぶきが上がる。
「――――!?」
が、その瞬間、キングは己の失敗を悟っていた。
確かに、剣は人間の頭部を断ち割った筈なのに、そこに手応えらしい手応えを感じなかったのだ。
そう。まるで、ただの水に斬りつけたかのような・・・。
「水ヲ使ッテ、人間ノ形ニ!?」
ゴブリンの夜目が利くとはいえ、暗い場所では色まで識別することは出来ない。人間の形をしていれば、人間と思うのが当然のことだ。
まさか、それが水で作られた人形だと、誰が疑うことだろう。
結果、人間を斬るつもりで振り下ろされた剣は、水を断ち割っただけで、その下の地面にまで食い込んでいた。
一瞬だが、キングの動きが止まる。
その腹部に、水中から伸ばされた1本の棒の先端が、ピタリと押し当てられた。
内臓が爆発した。
少なくとも、キングにはそう感じられた。
金属鎧を着けているにも関わらず、その一撃はキングに大ダメージを与えたのだ。
「ガフッ!」
思わず剣を手放し、身体を二つに折ってしまう。
そして、激しく吐血した。
その頭部に、再び押し当てられる棒の先端。
キングが最後に見たのは、水浸しになった人間が、ミスリル製の棒を自分に押し当てている姿だった。
「我ノ息子ハ、コンナモノデハナイゾッ!!」
頭部に衝撃波を撃ち込むと、耳、目、鼻、口から血を噴き出させながら、ゴブリン・キングはぶっ倒れた。
霧でキングの視界を遮ると同時に、青志は水人形を作り出し、自分は水中に隠れたのだ。
後は、キングが水人形を攻撃した隙を突いて、ミスリル棒で衝撃波を叩き込んだだけである。
「いい加減、この紙一重な戦闘を卒業したいよな」
そう独り言ちた時、史上最大の痛みが青志に襲いかかった。
ゴブリン・キングを単独で倒した代償だ。並大抵のものではない。
「ぎぎぎぎぎぎ!! ぎがぎがぎががががっ!!」
全身を引き裂くような痛みに、青志は身体を仰け反らしたまま、激しく痙攣する。
白目を剥き、泡を噴き、大声を発し続けた。
そして、あっさりと意識を失い、糸が切れたように、すぽんと水中に没してしまった。
ぶくぶくぶく・・・。
泡だけを残して。
ぶくぶくぶく・・・。
いっこうに、浮いてこない。
ぶくぶく・・・。
その泡も少しずつ減ってきて。
ぶく・・・。
途切れた。




