大星雲と治癒魔法
それは、夜空の三分の一を占める巨大な渦巻星雲であった。
地球のある天の川銀河なのか。
アンドロメダ大星雲なのか。
他の無数に存在する銀河の一つなのか。
青志には、分からない。
ただ、地平線から天頂にかけて横たわる壮絶にして神秘的な光景に、圧倒されるばかりである。
聞こえる筈のない音楽が、聞こえてくるようだった。
無数の星々の煌めきとともに、天上から音が降ってくるようだった。
高く澄んだハンドベルの音が。
静かに、厳かに、地上に降ってくる。
気がつけば、青志は涙を流していた。
感動と畏怖、それに名前のつけられぬ感情が彼の中で渦を巻き、涙が止まらなくなった。
今、彼は神と邂逅しているのかも知れなかった。
「こんな光景が見れるなんて、神隠しに会った甲斐があったなぁ」
皮肉ではなく、心からそう思ってしまった。
と同時に、おそらく元の世界には戻れないだろうと気づいてしまう。
今見てるのが天の川銀河だとしても、地球まで数百とか数千光年離れているという理屈になる訳だ。
魔法が存在するとは言え、そんな距離を越えるのは不可能に近いだろう。
「まあ、いいけどな。
魔法があって、こんな景色が見れるんだ。楽しそうじゃないか。
あとは、人間さえいてくれたら文句なしだ」
その夜は、温かなコーヒーを飲みながら、いつまでも大星雲を見上げ続けた青志だった。
翌日は、眠い目をこすりながら、川を下り始める。
人が住んでる所を探すなら、川沿い――――水辺は外す訳にはいかない。
川の両側は3メートルほどの崖になっていて、身を隠すのにも都合が良かった。
空からは鷹ゴーレム、青志の周辺ではネコゴーレムが斥候役を担っている。
小鬼やオオトカゲは、戦闘用だ。呼び出すのに必要なコストも多く感じるので、常時召喚は行っていない。
ネコゴーレムが倒れている人間を発見したのは、太陽が中天に差し掛かった頃だった。
大きな石がゴロゴロと転がっている川原に、ぼろ切れのようになって打ち捨てられている男を見つけたのである。
ぴくりとも動かない男は、鷹ゴーレムの警戒網には引っかからなかった様だ。
「もしもーし、生きてますかー?」
おそるおそる近づくも、その男は、とても生きてるようには見えなかった。
身体中のあちこちを切り裂かれた上、部分的にひどく焼け焦げている。
そんな状態で崖から落ちて来たらしい。しかも、この付近だけ崖の高さは10メートル近くある。そのせいで、追っ手から見逃してもらえたのだろうか。
青志のゴーレムと化している小鬼たちが、その犯人かも知れない。
呼びかけにも反応は無いが、ネコゴーレムに調べさせると息はしてるみたいだ。
小鬼ゴーレムを1体呼び出すと、崖の下まで運ぶのを手伝わせる。
血まみれの人間を触るのは、おっかなびっくりだった。
自分の血はともかく、他人の流す血は怖い。それに、運んでる最中に手や足がポロポロ落ちるんじゃないかという心配もあった。
小鬼2体に運ばせれば良かったと気づいたのは、運び終わってからだ。
崖が抉れたようになっている場所に、寝袋の下に敷くマットを置いて、怪我人を横たえた。
ここからなら、崖の上からも見られにくいだろう。
念の為に蟻ゴーレムを召喚し、崖の上に登らせた。さすが蟻だけに、大きな図体に関わらず、すいすいと急斜面を登っていく。
ちなみに、小鬼も蟻も、岩の上で召喚したせいか、質感が土じゃなくて岩になっていた。
鉄の上で呼び出したら、アイアン・ゴーレムになるのかも知れない。
しかし、現在の問題は、目の前で死にかけている男だ。
推定20代後半。身長180弱(青志より、わずかに小柄)。体格、マッチョ。金髪。肌は浅黒く、イケメン。
分厚い生地の膝丈まである上着を着ているが、その裏地は薄い金属片が貼られて補強されている。
両手には、キチン質っぽい素材の籠手。
腰には、中身のない鞘が吊られている。中身は――――
近くに血糊が付いた剣が落ちていたので、拾ってきた。
剣士というイメージそのものの男だ。
「オレ、絆創膏ぐらいしか持ってないんだよなぁ・・・」
男を運んだはいいが、その傷のひどさに、途方に暮れる青志。
それでも、血まみれで焼け焦げてボロボロの着衣を、もう修復のしようもないと判断し、ナイフで切り裂いていく。
全裸に剥かれたイケメンの身体は見事に満身創痍で、特に左腕は二の腕で千切れかけていて、脇腹の皮膚が炭化して、その下に見えちゃいけない物が見えていた。
とりあえず、覚え立ての魔法で指先から水を出し、傷口を洗う。
攻撃的には使えないが、これぐらいの事になら、役に立ちそうだ。
傷口が綺麗になるに連れて、男の下に敷かれたマットは濡れそぼり、血に汚れていく。青志も、また。
「服とマットがやばいけど、考えるのは後にするとして・・・。
小説やゲームだと、治癒は水魔法になってることが多いんだけどなー」
試しに、傷口に向けて「治れ!」と念じてみる。
と、身体から何かが抜けていくのが感じられ――――
傷口で霧散した。
「やっぱり、そんな都合よく治ってはくれないか・・・。
でも、魔法が発動する感覚はあったよな。て、ことは、オレの魔法が非力過ぎて、大きな怪我を治せないだけか?」
男の頬に1センチほどの傷を見つけ、もう1回、魔法をかけてみる。
と――――
「うおっ、治った!」
小さな傷口だったが、確かに青志がかけた魔法により、見る見るうちに塞がってしまった。
つまり、ごく狭い範囲なら、魔法が効くという訳だ。
「なら、やり様はある」
一気に肉体を修復出来ないなら、部分的に、それこそ細胞単位で修復していけばいい。
「まずは、太い血管をつないで、出血を止めるところからだな」
二の腕の傷口に目を向け、青志は魔法を使い始めた。
手許が暗いなと思ったら、夕方になっていた。
何時間もぶっ続けで治療を行っていたらしい。
その間、危険そうな存在の接近は無かったようだ。ゴーレムたちが見張ってくれてるからいいが、あまりに無警戒すぎたかも知れない。
でも、おかげで、二の腕と脇腹の太い血管だけは繋ぐことが出来た。
医療知識も無ければ人体の構造にも詳しくはないが、それでも魔法はきちんと作用してくれるようだ。
しかし、何時間も連続で魔法を使い続けたわりに、魔力が切れる気配はなかった。
魔力というものは、自分の身体の中で生み出されるのではなく、自分の身体を通路として、別の場所から送られてくるもの。
魔法を使い続けながら、そういう風に感じ始めていた。
「なんにせよ、さすがに休憩だな。
何か食べたいし、野営の準備もしなきゃ」
背伸びをしながら振り返ると、そこに小鬼が立っているのに気づいて、青志は飛び上がった。
「うわっ、うわっ、うわーーー!」
びっくりしながらよく見ると、その岩のような肌は、自分が作り出したゴーレムのものである。
イケメンを運ぶのに使ったまま、忘れてしまっていたのだ。
ゴーレムを4体呼び出したまま魔法を使い続けていたことに、驚きを覚える。
「あー、焚き火用の木を集めて来れるか?」
青志の問いかけに、小鬼は黙って動き始めた。そこいらに落ちている木の枝を拾い始める。
木の枝を集めるとか、オオトカゲを解体するとか、生前にもやっていた作業なのだろう。そういうものは、ゴーレムになっても忘れないのかも知れない。
小鬼くんは、戦闘用だけでなく、何かと便利に使えそうだ。
「だったら、人間の胸から宝石を取って、ゴーレムにしたら・・・」
そこまで考えてから、青志は激しく首を振った。
「いかん、いかん、地獄に落ちちまうわっ!」
苦しそうに顔を歪めたままのイケメンを見て、静かに誓う。
――――絶対、助けてやるからな。