リベンジ
突然の浮遊感――――。
肩の痛みなんか、瞬時に忘れてしまった。
地上20メートルからの風景が、青志の目に灼きつく。
小さな川と、それに浸食された岩地。
その向こうの草地。
それらが、眼下に広がっている。
そして、次に当然のように訪れる墜落の瞬間。
己の身体が重力に捕らわれたのを感じると同時に、陰嚢が縮み上がる。
「うわああああぁぁぁ~~~~~~~~~~っ!!」
ゴッと、風が鳴った。
四肢を広げ、少しでも空気の抵抗を増やそうとする青志。
もちろん、そんな事で、落下が止まる訳はない。
が、次の瞬間、がくっと緩くなる落下速度。
青志の両の二の腕を、2体の鷹ゴーレムが掴んだせいだ。
断崖に向かって走りながら、青志が召喚していたのである。
ゴブリンウィザードが破壊された時点で、彼は断崖からダイブするしかないと腹をくくっていたのだ。
しかし、2体の鷹だけでは、70キロを越える重さを支えることは出来ない。
「鷹」と言いながら、その実態は、地球の鷹とは似て非なる存在だ。身体も、はるかに大きい。
それでも、人間の大人は重過ぎる。
緩やかになったとは言え、落下は止まらない。
そこに急接近する、もう1つの影――――。
常時召喚中のアイアン・鷹ゴーレムだ。
青志の肩に鉤爪を食い込ませると、その落下に力強く制動をかけた。
そのまま好きな場所に飛んでいくのは無理にしても、地面に軟着陸するぐらいは可能そうだ。
近づく草地を見ながら、青志はホッと一息つくのだった。
地上に下りると、ウサギとミゴーを呼び出す。
ウサギは索敵、ミゴーは護衛役だ。
鎧竜が断崖を飛び下りてくるとは思えないが、急いでその場を離れる。
青志の心臓は、早鐘のように鳴り続けたままだ。
現在、生きているのが不思議なくらいの状況なのだから、無理もない。
草地の中にちょっと大きな木を見つけると、その陰に身を潜める。
実際のところ、そんな木じゃ盾にならないことは分かっているが、そこは気分の問題だ。
少しだけ冷静さも戻ってきて、鷹ゴーレム2体を断崖の偵察に向かわせた。
アイアン・鷹ゴーレムは、自分の上空に留めたままだ。
「あの程度の落とし穴じゃ、もう抜け出しちゃったか・・・」
断崖の上に、もう鎧竜の姿はなかった。
鷹1体を、断崖の向こうに飛ばせる。今なら、まだ鎧竜の跡を追えるだろう。せめて、青志に近づいて来ているかどうかは、確認しておく必要がある。
もう1体の鷹は、断崖の上の捜索だ。大事なゴブリン3体の魔ヶ珠を回収するのだ。
「リベンジするにしても、逃げるにしても、あの3体を置いては行けないからな」
そう独り言ちながら、ほぼ、青志は逃げる気になっている。
ちゃんと作戦を立てれば、なんとかなるんじゃないかという思いもあるが、先ほど感じた恐怖は強烈すぎた。
ゴブリンの魔ヶ珠を回収次第、早々に逃げ出すつもりでいる。
そして、二度とこの温泉地帯には近づかない。
アイアン・メイデンにも危険を知らせておくべきだろう。
それとも、あの3人なら鎧竜にも楽勝なのだろうか。
「いくら強いからって、女子高生たちを弾よけにしちゃいかんよなぁ」
危険を知らせることによって、逆に、彼女たちが鎧竜を狩りに来てくれるんじゃないかと考えてしまい、青志は自己嫌悪に陥った。
「むぅ~。やっぱり、オレがなんとかするべきなのか」
どちらにしろ、ゴブリンの魔ヶ珠を回収してからだと思うのだが、その魔ヶ珠が見つからない。
ゴブリンたちが使っていた手槍、その身体を構成していた鉄や土の塊は、すぐに目に入る。
が、魔ヶ珠がどこにもない。
「つか、魔ヶ珠を漁った痕があるじゃないか。まさか、食っていったのか?」
魔ヶ珠を食べれば、体内にある間は、己の魔力量を増やすことが出来る。
それを知ってかどうか、鎧竜はゴブリンたちの魔ヶ珠を食っていったのだ。
「まずいな。どこかで排泄されたら、ゴブリンたちとお別れになっちゃうぞ」
排泄した魔ヶ珠をもう1回食べて利用するケースも考えられるが、その可能性は半々である。
「つまり、早急にヤツを倒して、腹の中の魔ヶ珠を救出しないといけない訳か。
無理難題もいいところだな」
鎧竜は、断崖からほど近い藪の中で休んでるのが分かった。
ここ10日ぐらいの間に翼竜を丸々食べたんだとしたら、そんなに飢えてはいないのかも知れない。
しかし、青志が断崖に行けば、また鎧竜は姿を現すだろう。
不本意ながら、彼はやる気を固めざるを得なかった。
問題は、どうやって、鎧竜にダメージを与えるかだ。
通常の物理攻撃は、まるで通じない。
電撃も効かなかったところを見ると、あの装甲は金属ではないのだろう。
どの道、電撃も火炎も使えない訳だが。
いくつかの武術には、人体の表面ではなく、内部に威力を通す攻撃技術がある。
中には、“鎧”越しに人体を破壊できることを謳っている門派さえ存在している。
青志も真面目に空手をやっていた頃に、内部に浸透する突きを見たことがあるし、実際に受けてみたこともあった。
が、彼自身は、その技術は使えないし、理屈さえ知らない。
中国武術の一部の門派では、人体を固体ではなく液体と考え、そこに波紋を生じさせて、内部に威力を伝えるという。
だからと言って、どんな突き方をすれば、そうなるのか。
しかし、今の青志には魔法――――それも、水魔法がある。
それを利用すれば、鎧竜にダメージを与えられるかも知れない。
断崖下の川に移動。
鎧竜のいる場所とは、反対側だ。鎧竜の動向は、鷹ゴーレムが監視している。
「さて・・・」
片膝をついて、川面に掌をつける。
何か出てきてもいいように、青志の隣ではミゴーが待機済みである。
そして、年甲斐もない特訓が始まった。
掌から、水に衝撃波を伝えるというイメージで、水魔法を放つ。放って放って、放ち続ける。
川の中を波紋が広がり、時折、小さな魚がプカリと浮かび上がった。
青志が狙っているのは、もっと大きな魚だ。
川の中に大きな魚影を確認するたび、水魔法を連発する。
彼は、同時にミミズゴーレムにも仕事を命じていた。
ちなみに、ミミズゴーレムは、落とし穴を1つ掘った後、断崖の上で放置されたままだ。
今度は、かなり大きな落とし穴を作らせている。
翼竜をゴーレム化できれば、怪獣大決戦をさせて、鎧竜を断崖から落としてやればいいだけなのだが、あいにくまだ青志の魔力量が足りなかったのだ。
その夜は、最初に避難した大木の陰で野営した。
テントも何もかも拠点に置いたままなので、焚き火にあたりながら、大木に身を預けて仮眠しただけだ。
夕食は、特訓の際に仕留めた魚を焼いて、丸かじりして済ませた。
結局、青志の特訓は、満足のいく結果を得られなかった。
水を媒介として衝撃波を伝える技は身につけられたものの、それは直接触れた状態でしか叶わなかったのだ。
はっきり言って、鎧竜に直接触れるなんてナンセンスである。自殺行為でしかない。
衝撃波は、もっと小物を相手に使うことにする。
水魔法を初めて戦闘に有効利用できそうだ。
その為にも、ここは生き延びなければならない。
昨夜の残りの焼き魚を朝食にし、青志は断崖に向かった。
いよいよ、勝負のときである。
頭の片隅には、このまま逃げた方が賢いぞという声がエコーしていたが、なぜか踵を返す気にはなれない。
口をへの字に結んだまま、断崖の上に続く道を登り始める。
今回の地上戦力は、ミゴーのみ。
水牛やノーマルなゴブリンでは、鎧竜を足止めすることも出来ないと分かっているからだ。
ミゴーとて、ほぼ役に立たないだろうが、水魔法が使えるだけマシだろう。
もちろん、鷹は3体とも稼動中だ。
そのうちの1体が、鎧竜が動き出したのを察知した。
「来たか・・・!」
断崖上へと登る足を速める青志。
もう、逃げられない。
心拍数が跳ね上がり、イヤな汗が流れ始める。口の中も乾き出す。
でも、全ては一瞬で終わる。
それまでの我慢だ。
一瞬で終わらせることが出来なければ、青志に勝ち目はないのだから。
急な斜面を登り切ると、そのまま断崖の突端を目指す。
ゴブリンたちを形作っていた鉄の塊や手槍が目に入ったが、気にしている場合ではない。
手槍を持てば少しは心強いかも知れないが、武器を手にすれば、その武器に頼ってしまうことは自明の理だ。
そして、手槍では鎧竜に歯が立たない。
ならば、素手の方がいい。
断崖の突端に辿り着くと、息を整えながら、鎧竜が姿を現すのを待つ。
ミゴーは、青志の隣に静かに控えている。
すぐ近くの土中にはミミズが、上空では鷹が2体、待機中だ。
鎧竜を監視していたもう1体の鷹が、そこに加わる。
来たのだ。
鎧竜が。
地響きとともに、再び青志の前に現れた凶悪な姿。
真っ直ぐ彼に近づこうとして、不意に足を止めた。
ケモノなりに、何かを感じたのだろう。
じっと、青志を睨み付ける。
強烈なプレッシャーが彼を襲うが、下っ腹に力を入れ、その圧力に耐える。
次の瞬間、鎧竜が大きく口腔を開くや、水流のビームが放たれた。
ゴブリンウィザードのボディを貫いた一撃だ。
が、それを予測していた青志は、直径50センチ近い水球を生み出し、それを受け止める。
着弾のショックで、水のボールは大きく歪み、波打ち、体積を削られた。
それでも、水の一撃は水のボールを貫くことが出来ない。
青志は、己の水魔法で、鎧竜の魔法攻撃を受け切ったのだ。
気づいてみれば、ゴブリンウィザードは土で作られたゴーレムだった。
鉄製のゴブリン2体だったら、水ビームを受けても、何の影響もなかったことだろう。
青志の肩当てを弾き飛ばし、青志自身を吹き飛ばした威力は大したものだが、彼の身体には傷一つついた訳ではない。
おまけに、鎧竜の魔力が干渉するのは、水を生み出し、収束して射出するまでだ。
そこからは、純粋に物理法則に従うのみ。
そして、水ボールに着弾した瞬間からは、青志の魔力の干渉を受けることになる。
水そのものの物理的抵抗と青志の魔力的抵抗により、鎧竜の水攻撃は、あっさり無効化された訳だ。
遠隔攻撃が通じないと見るや、鎧竜は警戒していたのも忘れ、青志目がけて走り寄った。
その目が、殺意に光っている。
凄まじい地響き。
肉の圧力。
逃げ場は、どこにもない。
が――――。
青志の目の前で、巨大な落とし穴が鎧竜を呑み込んだ。
一瞬で、その巨体が掻き消える。
後ろを振り向いた彼の目に映ったのは、断崖の中腹に開いた穴から飛び出し、20メートル下の地面に向かって落ちて行く鎧竜の姿だ。
鳴くことも忘れたまま、スローモーションのように、その巨体は落ちていった。