疑惑
サムバニル市の外壁が見える木立の中――――。
ムングは、2人の仲間とともに身を潜めていた。
北門から東に向かって、半日ほど来た辺りである。
商人の行き来はないし、冒険者が姿を見せることも、ほとんどない。
襲撃には打って付けの場所だ。
「そのオッサン、本当にこっちに来るんだろうな?」
仲間の1人が、しつこく絡んでくる。
ここに陣取って1週間になるのだ。
他の連中が北に向かっているのが分かっているだけに、自分が分け前を手に入れられるかどうか、気が気でないのだろう。
「何度も言わせるなよ。俺ァ、ヤツが東に向かうのを見たんだよ」
あの日は、狩りからの帰還が遅れて、サムバニル市の閉門時間に間に合わず、城門前で朝を迎えたのだ。
門が開いたのを見て、そちらに向かい始めた時、あの男が出てきたのである。
まるで鍛えられていない痩せた身体。
素人丸出しの身のこなし。
黒瞳、黒髪でのっぺりとした顔立ち。
あのウィンダを部屋に連れ込んだことで有名になったオッサン。
アオシだ。
何本もの手槍を背嚢の脇に固定し、ガチャガチャいわせながら、城壁に沿って東に向かって行く。
突然姿を現したこの男を、北門ギルドの者たちは、どこかの貴族か豪商の関係者と考えていた。
それも、何らかの理由で、この年齢まで軟禁状態にあったのではないかというのだ。
学があって、上品な様子。そして、全く魔法的に鍛えられてない様子。極めつけは、水魔法の使い手なのに冒険者を目指そうとする様子。これらから導き出された推論だ。
が、ムングは、アオシのことを“落ちてきた者”だと思っている。
サムバニル市の住民の多くは、“落ちてきた者”を伝説の類だと思っているようだが、ムングがかつて暮らしていた王都には、少なくない数の“落ちてきた者”が実際に住んでいるのだ。
サムバニル市にだって、つい昨年に“落ちてきた者”らしい少女たちが団体で流れ着いている。
そして、王都時代にムングが得た情報では、黒髪黒瞳の“落ちてきた者”は、なぜか温泉好きである。
だからこそ、アオシが東に向かうのを見た時、温泉地帯に向かうのだなとピンと来たのだ。
「間違いない。ヤツは東に行ったんだ。ここで待ってれば、確実に出会えるさ」
ムングは、王都の裕福な商家の生まれだ。
金には不自由せずに育った。
頭も悪くなかったので、15才からは有名な私塾に入り、その頃に“落ちてきた者”に関する知識も得た。
それが今は、王都にいられなくなり、サムバニル市で冒険者を隠れ蓑に盗賊をやっている。
何時しっぺ返しを食らっても、不思議じゃない毎日。
そこから、ムングは抜け出そうとしていた。
狙いは、アオシというオッサン。
ロクに戦えもしないのに、高価な魔道具を持っているという情報が流れたのだ。
情報の出所は、ウィンダらしい。
ギルドで食事をしながら、若手の冒険者と話していたんだそうだ。
盗賊連中は、すぐに動いた。
が、アオシは大荷物を持って、市外に出た後だった。
そこからは競争だ。
どいつもこいつも、アオシの姿を求めて北に走った。
アオシが北門を出たのだから、そのまま北に向かったと考えるのは当然だ。
しかし、ヤツは東に行った。
ムングだけが、それを知っている。
チャンスだ。
あわよくば、自分だけで魔道具を独占できるかも知れない。
盗賊仲間でも信用のおける者に声をかけ、その日からここに罠を張っている。
「来たぞ」
木の上で見張っていた男が声を発した。
ムングも視線を東に向けると、確かにアオシらしい人影が歩いて来るのが見える。
ただ、出る時は1人だった筈なのに、小柄な連れの姿が増えている。
フード付きの外套を身にまとっている為、連れの顔は見えない。
「ガキかドワーフか。けっ!1人ぐらい増えても、何も変わらねえさ。手順通りにやるぞ」
「おう」
ムングは長剣を抜くと、藪に身を潜めた。
冒険者と盗賊を5年以上やっているのだ。
昨日今日、初めて剣を手にしたオッサンに負ける要素はない。
それに、ムングは土魔法が使える。
水魔法使いなど、最初から相手ではない。
作戦は、簡単だ。
アオシが近づくのを待って、樹上の男が弓を射かける。
そこにムングともう1人の男が飛び出して、トドメを刺す。
失敗する恐れは、全くない。
だから、アオシが斜め後方から放たれた矢をかわすのを見ても、ただの偶然だと思った。
地面に身を投げ出して矢をかわすアオシの姿が、無様でしかなかったせいもある。
隣の男が飛び出すのを待って、ムングは土の飛礫をばらまいた。
同時に5個の飛礫だ。
その全てに、人間を即死させられるだけの威力が籠められている。
ギィン!!
が、小柄な人影が5個の飛礫を身体で阻む。
「な!?」
人影は倒れない。
小揺るぎもせずに、手槍を構える。
金属鎧に身を固めているのか。
それでも、負ける気はしない。
小柄な人影に踊りかかった仲間の男は、剣の腕だけならムングより上なのだ。
肩口への斬撃は、小柄な人影の手槍を弾き飛ばす。
続いて、腕。頭。胴。
次々と白刃が叩き込まれる。
連続して鳴る金属音。
人影は倒れない。
まさか、全身を金属鎧で覆っているのか。
そんなヤツ、見たこともない。
ムングが再び魔法を放とうとした時。
背後で悲鳴が聞こえた。
木の枝が折れ、人間が地面に落下したのが分かる。
振り向くと、鷹が2羽、落下した男に襲いかかるのが見えた。
弓を射た男は、顔面から激しく出血している。
「なにっ!?」
状況が掴めない。
このタイミングで、なぜケモノが襲ってくる?
それに、この金属鎧は何者だ?
一気に危機感が膨れ上がる。
アオシだけでも倒さねば。なぜか、そう思った。
が、不意に身体がバランスを崩す。
「――――!?」
視界の隅を逃げて行く剣兎。
その肌は黒く、鉄のようだ。
脇腹から突き出した刃は、血にまみれている。
誰の?
ムングのだ。
ムングの右足は、膝の下で切断されていた。
本来、剣兎には、そこまでの攻撃力はない筈だ。
それが、骨ごと綺麗に足を切断してのけた。
ますます混乱が深まる。
何が起こっている!?
地に倒れ伏すムングに、金属鎧の男が手槍を突きつけた。
男を攻撃していた仲間は、いつの間にか泡を噴いて倒れている。
本当に、何が起こっているのか?
下から金属鎧の男を睨みつけるしか、ムングに出来ることは残っていなかった。
足の痛みと出血のせいで、魔法を撃つ気力もない。
朦朧とする意識の中、気がついた。
目の前の男は、金属鎧をまとっているのではない。
フードの下からのぞく顔は、皮膚そのものが鉄色に鈍く輝いている。
しかも、その顔は人間ではない。
「ゴ、ゴブリン!?」
片足を失った男は、アイアン・ゴブリンの正体に気づいてしまったようだ。
理由は分からないが、青志の生命を狙ってきた男だ。
秘密を知られたまま生かして帰すのは、青志自身の首をしめる結果になることが明白だ。
殺すしかない。
青志の気分が重くなる。
いくら殺されかかったとは言え、すでに半死半生になっている男を見ると、憐れみの感情が湧いてしまう。
しかし、彼がこの世界で生きていく以上、危険因子は摘み取っておかねばならない。
彼がゴブリンに合図を送るのを見ると、片足を失った男が慌て始めた。
「ま、待て!尋問とかしなくていいのか!?」
確かに、本来なら、ここで襲撃の理由を聞き出しておくべきだろう。
が、人間を殺すだけでも気が重いのに、拷問まで行うとなったら、青志の神経が駄目になってしまう。
「もういいよ。あまり見苦しくなく死んでくれれば、それで」
「ほ、本当に待ってくれ!あんた、“落ちてきた者”だろ?お、俺と組まないか!?」
「組まないよ」
「いやいやいや、よく考えろよ!あんたを襲わせたのは、ウィンダだぜ。俺と一緒に、あの女に仕返しを・・・!」
ゴブリンの手槍が、男の胸を貫いた。
ミミズゴーレムに穴を掘らせ、3人の襲撃者の死体を放り込む。
むろん、全てゴブリンゴーレムにやらせている。
結局、青志は男たちに手をかけてもいなければ、その死体に触れてもいない。
こんな事では生き抜いていけないと思うが、どうしても手を汚すことが出来なかったのだ。
襲撃者の魔ヶ珠を取り出すことも考えたが、それも実行できなかった。
それでゴーレムを作ったりすれば、呪われたゴーレムでも誕生しそうな気がしたのである。
面倒に巻き込まれるのもイヤなので、お金以外、男たちの所持品には手をつけず、土の中に埋もれてもらった。
「しかし、ここでウィンダさんの名前を出して欲しくはなかったなぁ」
いくらなんでも、ウィンダが自分を襲わせたというのは、信じる気にはなれない。
が、ウィンダが青志に良い感情を持っていないことも確かだ。
だとすると、この襲撃に、あながちウィンダが無関係とも言い切れなくなってくる。
「ああ、めんどくさいなぁ」
北門に帰ろうとしていた青志だったが、行き先を東門に変えることにした。
ウィンダのいる北門ギルドには、しばらく近寄らない方がいいだろう。
また半日かかるが、東門ギルドに拠点を移すことにする。
せっかく、可愛い女子高生たちのお誘いもあったことだし。
青志は、年齢相応のくたびれた足取りで、東門に向けて歩き出した。