女冒険者
突如現れ、3秒後に落とし穴に消えた美女は、絶賛気絶中である。
落ちる際に落とし穴の縁で後頭部を打つのが見えたので、笑い話では済みそうにない雰囲気だ。
おそるおそる小さな顔を覗き込むが、細く高い鼻の、右の穴から血が垂れている。
きつく閉じられた目蓋は、開きそうにない。
頬をペチペチ叩いてみたが、やはり反応なし。
気のせいか、美女には似合わぬイビキをかいているような・・・
「脳出血か!?」
弛緩し切った美女の身体を抱き上げ、近くの木の陰に横たえた。
美女に粉砕されたゴブリンゴーレムを再び呼び出すと、周辺の警戒を任せる。
鷹とウサギのゴーレムも同様だ。
とりあえず、近づいて来るようなケモノも冒険者もいない。
青志は木の幹に背中を預けて胡座をかくと、美女の頭を自分の太ももの上に置いた。
分かりやすく言うと、胡座での膝枕である。
美女の体温を太ももに感じて、かかり不埒な気分になるが、今はそれどころではない。
彼女の小さな頭を両手で包み込み、治癒魔法を発動する。
しかし、頭の中で血管が破れたり、血栓ができたりしていることを想定して魔法を使うのだが、効いているのかどうか、さっぱり分からない。
クリムトを治療したときは、かなりの大怪我だったが、患部が目に見えたので、少しずつとは言え治すことが出来たのだ。
が、患部が脳の中では、どこをどう治していいのか見当がつかないのだ。
もっと魔力が強ければ、脳全体を治療するという漠然としたイメージでも効果が出そうだが、ウサギ1匹殺した程度じゃ、まるで成長は感じられなかった。
仕方ないので、クリムトの治療をした時のように、ピンポイントで治癒魔法を使うことにする。
美女の形の良い頭を仮想で何分割にもし、その一部分ごとに治癒魔法を注ぎ込むのだ。
それも、表面から始まって、少しずつ奥の方へと。
もちろん時間はかかるが、やがて魔力が吸われるような感覚があったと思ったら、ふいに表面の寝息が穏やかなものに変わった。
効果があったらしい。
良かったぁー。青志は、脱力した。
異世界に転移して早々に、後ろ暗い人生に突入するところでした。
さて、クリムトの例もあるし、目覚めた美女に食事でも提供すれば印象も良くなるかなと思い、青志が立ち上がろうとした時――――
目の前に刃物の切っ先があることに気がついた。
明らかに、青志に向けられたものだ。
心なしか、殺意まで伝わってくる。
「え、えーと・・・」
ゴーレムたちの警戒をかいくぐって、誰も青志に刃物を向けられる筈がない訳で、必然的にその刃物の持ち主は、彼の太ももに頭を横たえた美女であった。
青志に向けたナイフを微動だにさせず、美女が身体を起こす。
太ももの心地よい重さと温もりが失われ、悲しい気持ちになる青志。
「私が気を失っている間に、何をしたのですか!?」
本気で怒っている様子なのに、丁寧な口調は崩さない美女。逆に、怖い。
「あー、落とし穴に落ちた時に頭を打ったのが見えたから・・・」
「だから?」
「頭の中の治療を・・・」
美女の瞳が、更に剣呑な光を放つ。
「どういうこと?」
「頭を打ったショックで、脳の中で血管が切れていたんだ。それを治癒魔法で・・・」
おそらくは人体の解剖学的な知識など持ってないであろう相手を、なんとか頑張って納得させるのに、30分かかった。
「では、私が余計な真似をしてしまったのですね。
せっかく作った落とし穴まで台無しにしてしまって、申し訳ありませんでした」
美女がシュンとして、頭を下げる。
「いや、オレみたいな素人丸出しの人間が、あんなデカいイノシシを倒せる筈ないからね。
助けてくれようとした分、感謝しなきゃ」
獲物を奪われた上に落とし穴まで壊されて、正直ムッとしていた部分もあったが、傷心の美女に謝られると、一発で許してしまう。
て言うか、ここで仲良くなっておきたい。
千種青志42才、まだまだ煩悩を捨てられないのである。
実際、目の前の女の美しさは、青志が見てきた女性たちの中でも群を抜いていた。
上司に連れられて行ったロシアン・パブのナターシャちゃん(20)より、間違いなく美しい。
真っ白とは言え革鎧を着て、肌の露出も全然ないが、すらりと伸びた長い手足から、スタイルの良さも容易に想像できる。
年の頃は、20代半ばであろうか。
日本に連れ帰って着飾らせたら、確実にスカウトされるに違いない。
「あのイノシシは差し上げますし、この後、狩りの手伝いもさせていただきます」
単純に獲物狙いならイノシシをもらって片が付くところだが、青志の場合はイノシシを倒して得られた筈の魔力の問題がある。
それを考慮して、美女は手伝いを申し出てくれたようだ。
が、青志としてはゴーレムを使役しているのをバレたくないし、美女の前で、槍もまともに扱えない不格好な真似を見せたくないのである。
ちなみに、ゴブリンゴーレムは、美女が目を覚ました瞬間に姿を隠している。
「あー、イノシシ全部はもらえないよ。あくまで、倒したのは貴女だし。
それに、狩りを手伝ってもらうより、もっと基本的なことを教えてもらった方が嬉しいかな」
「基本的なこと、ですか?」
「そう。イノシシをどうやって処理するかとか、こんな大きな獲物をどうやって持ち帰るのかとかいうことを」
「・・・本当に、狩りをされたことがないんですね」
そう言って、美女はクスリと笑った。
「名前を聞いて、いいかな?オレは青志」
「失礼しました。名乗りがまだでしたね。私はウィンダといいます」
「冒険者になって、長いの?」
「もう、10年ぐらいになります」
青志の質問に丁寧に答えながら、イノシシを解体していく美女が1人。
そのほっそりとした外見から想像がつかない膂力を彼女は持っているらしく、体重数百キロの巨体を苦もなくさばいていく。
血抜きをしていなかったせいで肉は捨てていくことになったが、毛皮や牙、一部の内臓、魔ヶ珠を売れば、儲けはウサギ肉の比ではないらしい。
「今回は肉がないからいいけど、肉ごとだと、どうやって街まで持って帰るの?」
「これぐらいの大きさなら、背負って帰ります。
もっと大きくなると、即席のソリを組んで運びますね」
「へー・・・」
こんな細身の女性が、イノシシを背負えるのか。冒険者、恐るべし。
青志は、ようやく自分の目論見が甘かったことに気がついた。
しかし、冒険者の仕事ぶりを見るいい機会なので、そのまま街まで同行してもらう。
ウィンダの身体を思えば、今日は狩りなどせずに休むべきなのも確かだし。
ゴブリンとウサギのゴーレムは、このまま待機だ。隠れていてもらう。
彼女に気づかれたら、また破壊されてしまうに違いない。
気絶したせいか、イノシシと同時に破壊したゴブリンについては忘れているようである。
鷹ゴーレムのみ、上空からの索敵を続行だ。
美女を相手にした途端、片言だった筈の異世界語を流暢に話し始めてる自分に気づかず、青志はウキウキとウィンダと並んで、街に向かうのだった。