表舞台(Ⅳ)
トライオン辺境の地アルバラ。
トライオンの領地で最も南にあるこの土地は、「辺境」と呼ばれてはいるが実際は国内でも有数の豊かに発展した都市である。
領主であるエドワード・アルバラ・エンプレスズの善政により治安は常に保たれており、またアルバラはトライオンとルシャトリアのどちらにも属しない小国と交易を行う交易地点でもあった。
数日前にタトス砦がルシャトリアに落とされたという情報は、アルバラの住民とそこに訪れる行商人達に少なからず不安を与えたが幸い大きな騒ぎにはならず、アルバラの街の広場は今日もいつも通りの賑わいを見せていた。
†
「やれやれ。やっと帰ってこれたな」
「そうね。中々、楽しい旅だったわね」
広場を歩きながら言うイザベラの言葉に、その横を歩くアンナが微笑みながら答える。
アンナ達は数日前まで祖父であるアルバラ伯から頼まれた用事でここから東にある森に住む人物を訪ねていて、今日このアルバラの街に帰ってきたばかりだった。たった数日間だが馬車ではなく徒歩で、わずか三人の護衛と共に行ったこの旅は貴族のアンナにとっては初めての体験で、まさに「冒険」と言えるものだった。
「……だけど、肝心のアルバラ伯の用事は果たすことができませんでした」
アンナとイザベラの後ろを歩くリリアが若干沈んだ声で言う。
アルバラ伯の用事とは、ハングドマンというかつてトライオンの騎士であったアルバラ伯の友人と会い、アンナの協力者としてこのアルバラに連れてくることだった。しかし、いざアンナ達が訪ねに行くとハングドマンはすでに亡くなっていた。
「目当ての人はすでに死んでいて、代わりについてきたのが得たいの知れない子供一人ですか……」
リリアの隣りのジャックがうんざりした口調で言うと視線を横にそらす。彼の視線の先には、忙しなく首を動かしてアルバラの街の様子を見る一人の少年、ハーミットの姿があった。
「うわぁ! 凄い凄い! 人がこんなにたくさんいる! こんなに賑やかな所、初めて見た!」
町の様子を見てハーミットが興奮した様子で声を上げる。
ハーミットはアンナ達が会う予定だったハングドマンが十五年前に拾って育てた捨て子の少年だ。今は亡きハングドマンはハーミットに自分が持つ全ての知識と技術を伝え、彼自身には自覚があるか分からないがそれでも「元」トライオンの騎士ハンニバル・グッドマンの後継者といえた。
ハングドマンに会うために彼が住まう森に訪れたアンナ達はそこで盗賊達の襲撃に遭い、盗賊達を撃退していた時に騒ぎを聞きつけたハーミットとであったのだった。
そして盗賊達を撃退した後、アンナはハーミットが「スキル」と呼ばれる異能を使える存在「スキルホルダー」であることを知り、更に彼が使うことができるスキルを聞くと彼を雇うことに決めてこの街まで連れてきたのだ。
「ふん。あんなに浮かれてみっともない奴だ」
「まるでお祭りの日の子供のようですね」
「まあ、この街を気に入ってくれたようで何よりだな」
今まで育ての親であるハングドマンと二人っきりで一度も人里にでたことのなかったハーミットの浮かれようにジャックがため息をつき、リリアとイザベラがほほえましいといった表情を浮かべる。
「でもいつまでも遊んではいられないわ。ハーミットには悪いけど今は早くお祖父様のところに行かないとね」
アンナはそう言うといまだに興奮しているハーミットを呼んで屋敷への帰路につくことにした。
†
屋敷に戻ったアンナ達は旅の報告をするためにアルバラ伯が待つ部屋へと向かった。そしてそこまでの通路でもハーミットは珍しそうに周囲を見回していた。
「……凄いな。こんな立派なお屋敷、生まれて初めて見た」
家といえば今は亡きハングドマンと暮らしてきた年季のはいった森小屋しか知らないハーミットが呆けたように呟く。その様子を見てアンナは口元に小さな笑みを浮かべる。
「ふふっ。屋敷を誉めてくれるのは嬉しいけど、早いうちに馴れてくれないと困るわよ? 何しろこれから貴方はこの屋敷で働くことになるのだから」
「アンナ様……。本当にコイツを雇うつもり何ですか?」
ハーミットに笑みを向けるアンナにその後ろを歩いていたジャックが苦い顔をして口をはさむ。
「そうよジャック。何か問題でもあるの?」
「問題もなにもコイツはス……」
首を傾げながらジャックを見上げるアンナに、ジャックは思わず「スキルホルダーだ」と言いかけたがとっさに言葉を飲み込んだ。
この国、トライオンにとってスキルホルダーは禁忌とされている存在だった。
スキルホルダーは体のどこかにドラゴンの紋章があり、トライオンの人々はそれを伝説に登場する悪竜の紋章と考えたのだ。そのためかトライオンでは古くからスキルホルダーは「呪いつき」と呼ばれて忌避され、スキルホルダーの子供が産まれてすぐに親に殺されたという話も珍しくない。
そんなスキルホルダーのハーミットをアルバラ伯の孫娘であるアンナが屋敷に招いたことを知られてはマズイとジャックは思ったのだ。
「構わないわ。ハーミットが何者であれ、私もお祖父様もきにしないわよ。……ふん。あんな迷信をいつまでも信じているからこの国は勝てないのよ」
トライオンには「スキルホルダーは悪竜の子孫であり、国に災いをもたらす」という言い伝えがあるのだが、アンナはそれを「くだらない迷信」と切り捨てた。
「何が勝てないって?」
アンナが話を終わらせてアルバラ伯の部屋に向かおうとすると、通路の曲がり角から一人の男が現れてアンナに話しかけてきた。
現れたのは二十代くらいの若い男で、髪の色や顔立ちはどこかアンナに似ていて見るからに貴族の御曹司といった外見だったが、他者を蔑むような目付きが本人の品位を大きく下げていた。
男の姿を見た時、アンナは一瞬露骨に顔をしかめたがすぐに表情を消すと男の名前を呼んだ。
「……お久しぶりですです。アサンお兄様」
男の名前はアサン・アルバラ・エンプレスズ。
「エンプレスズ」という家名から分かるようにこのアサンもエンプレスズ家の一員であり、アンナの三人いる腹違いの兄の一人だった。
「しばらく家を空けていたそうだが一体どこに行っていたんだ? 毎日毎日お祖父様のところへ媚びを売りにいっていたお前が珍しいじゃないか?」
アサンはアンナに侮蔑の視線を向けながら話しかけ、彼女はそんな腹違いの兄の言葉に内心でうんざりとため息をついた。
(これだからこの男とは会いたくなかったのよ……)
アサンはアルバラ伯の孫息子、孫娘達の中で最も歳上で、地位だけで言えばいつかこのアルバラの地を継ぐことが約束された人物である。しかし人格や能力は貴族としては凡庸でとてもアルバラ伯を継げるだけの器とは言えず、そのことはアルバラ伯自身の口から直に言われたこともある。
そのせいか、アサンはアルバラ伯から最も将来を期待されているアンナを前にすると、決まって今のような侮蔑の……いや、嫉妬の視線を彼女に向けて憎まれ口を叩くのだった。
「ん? おいアンナ。そこにいる薄汚い餓鬼はなんだ?」
アサンはアンナの後ろにいるハーミットに気付くとあからさまに顔をしかめさせる。
「全く汚ならしい餓鬼だ。ここにまで臭ってきそうじゃないか。こんな餓鬼をこの屋敷に連れてくるなんて一体何を考えて……」
「アサンお兄様」
ハーミットに向けて嫌みを言い始めようとしたアサンの言葉をアンナが遮った。
「私がここにいる少年を連れてきたのはお祖父様の言いつけによるものです。つまり彼はお祖父様の客人。それを汚ならしい餓鬼と罵るとはどういうことですか?」
アンナの言っていることは事実である。
今回の旅に出る前にアンナはアルバラ伯より可能であればハングドマンと彼の後継者であるハーミットを連れてくるように言われており、そのことを知ったとたんアサンの表情から血の気が引いていった。
「そ、その餓鬼……いや、少年がお祖父様の客人だと? ……ふ、ふん! それだったらこんなところで油を売っていないで早く行くのだな!」
それだけを言うとアサンはまるで逃げるようにアンナ達に背を向けて立ち去っていき、そんな彼を見送ったアンナ達は全員揃って疲れたようにため息をついた 。
†
「ここがお祖父様の部屋よ。途中で不愉快な思いをさせちゃってごめんなさいね、ハーミット」
アルバラ伯が待つ寝室の前につくと、アンナは後ろにいるハーミットを振り返って苦笑を浮かべながら詫びの言葉を告げる。彼女の言う不愉快な思いとは、言うまでもなく先程のアサンのことである。
「あっ、いえ、僕は全然気にしてませんよ。その、汚い格好をしているのは事実ですから」
ハーミットが自分の服装を見て恥ずかしそうに言うとアンナは「気にしないでいいわよ」と柔らかく言い、寝室のドアをノックした。
「お祖父様。アンナです。ただいま帰りました」
「……うむ。待っておったぞ。早く入るがよい」
「はい」
部屋の中からの返事に頷くとアンナは後ろに控えるイザベラ、リリア、ジャックが小さく頷いてから一歩後ろに下がりこの場で警護をする意思を見せる。そしてそれを確認するとアンナは次にハーミットに視線を向ける。
「さあ、ハーミット。行くわよ」
「ええっ!? ぼ、僕が入っていいんですか?」
「何を言っているのよ? 私の役目は貴方と貴方のお師匠様であるハングドマンをお祖父様の所へ連れてくることなのよ。それなのに貴方が来ないでどうするの? ほら、行くわよ」
アンナは驚くハーミットの手を強引に取ると、ドアを開いて二人でアルバラ伯の寝室へ入った。
「よく帰ってきたな。アンナよ」
アンナとハーミットが部屋に入るとベッドに寝ていたアルバラ伯が上半身を起こして出迎えた。
「はい。お祖父様」
「……ふむ? そこにいる少年は?」
「は、はい! 僕の名前はハーミットです。ハングドマン師匠の……その、弟子です!」
アルバラ伯の視線を受けてハーミットが緊張しながら名乗ると、それを聞いたアルバラ伯が興味深そうに目を見開いた。
「ほう。お主があのハングドマンの後継者か。あの男はよい後継者を育てたようじゃな。……それでハングドマンはどこにおる?」
「……それがお祖父様。ハングドマン殿は私達が訪ねたときにはすでに亡くなっておりました」
「なんと!?」
「あの、それは本当です。師匠は数日前に死んでしまって……僕が森にお墓を作りました」
「………っ!」
アンナとハーミットの言葉があまりにも衝撃的であったのかアルバラ伯は驚愕の表情を浮かべて固まってしまう。
「………なんということか。まさかあの男が死んでしまうとは……!」
友人の死を知らされ、思わず顔を手で覆って悲しむ祖父の姿にアンナは気の毒そうな表情をする。だがまだ急いで知らせる事があったアンナは、気が進まないと思いつつもアルバラ伯に向けて口を開いた。
「……お祖父様。ご友人の死に悲しんでいるところ申し訳ありませんが、もう一つ凶報があります」
「もう一つ凶報? アンナよ、これ以上まだ何かあるというのか?」
「はい。私達は、ハングドマン殿が住まう森に訪れた時に明らかに私を狙う賊に襲われました」
「何じゃと!?」
アンナがハーミットと出会うきっかけとなった盗賊達の襲撃の話を話すとアルバラ伯は上半身を乗り出してアンナの話を聞く。
「そして……調べてみたところ、その賊はお父様が差し向けた刺客であると分かりました」
「なっ……!?」
アンナの言葉にアルバラ伯の体は今度こそ驚愕のあまりに彫像のように固まってしまった。