表舞台(Ⅲ)
「……うん。この森で間違いない。ようやく着いたわね」
地図を見て現在位置を確認したアンナが呟く。
祖父であるアルバラ伯に自分の後継者になってほしいと頼まれてから数日後、アンナはアルバラ伯に渡された地図が示す場所に訪れていた。
地図が示している場所は、アルバラから東に五日ほど行ったところにある大きな森の中だった。
アンナがアルバラ伯の跡を継げば、父親や義兄達は必ず何らかの妨害をしてくるだろう。それに対抗する力になってくれるとアルバラ伯が言う人物がこの森に住んでいるらしい。
「アンナ様」
後ろから呼びかけられたアンナが振り返ると、そこには腰に剣を差した三人の男女の姿があった。
彼らはエンプレスズ家に長く仕える家の騎士達で、アンナの護衛としてついてきていた。
「何? どうしたの?」
振り返ったアンナに三人の騎士の一人、長く伸ばした茶色の髪を後ろで縛った女騎士、リリア・テンペランスが質問する。
「一つ聞きたいのですが、この森に住むハングドマンという方はどのような人物なのですか?」
「そもそも、何で俺達がこんな所までこなきゃいけないんですか? 用があるならそのハングドマンという男を呼び出せばいいのに」
リリアの言葉の後に、彼女の隣に立つ見るからに洒落者といった外見の騎士、ジャック・フールドが不満を隠すことなく言い、アンナはジャックの言い分に思わずため息をついた。
「そんな事できるわけないじゃない。お祖父様のお知り合いの方に協力を求めるのなら、こちらから出向くのが当然でしょ?」
「それはそうですが……。しかしアンナ様。いくらアルバラ伯の元同僚とはいえ、その男一人で何ができるというのですか?」
ジャックがそこまで言ったところで、それまで黙っていた銀色の髪を短く切りそろえた褐色の肌の女騎士、イザベラ・プリステスが口を開く。
「ジャック。お前が知らないのは無理はないが、ハングドマン殿はこの国で大きな影響力を持つ偉大な方だぞ」
「それはどういうことですか? イザベラ様はハングドマン殿に会ったことがあるのですか?」
「いや、会ったことはない。だが以前に父上から聞いたことがある」
リリアに聞かれてイザベラは首を横に振って答える。
「ハングドマン……いや、ここではハンニバル・グッドマンと言ったほうがいいか? ハンニバル殿は農民出の騎士でありながらアルバラ伯と同じ代の騎士の中でも抜きん出た実力と忠誠心を持った優秀な騎士で、先王は彼に密偵や暗殺などのいわゆる“裏”の仕事を任せていたそうだ」
「裏の……仕事?」
リリアが言葉を漏らし、イザベラはそれに一つ頷くと話を続ける。
「“裏”の仕事など、世間には公表されない騎士として不名誉なものばかりだ。しかしハンニバル殿はそれらの仕事を忠実に全うし、ルシャトリアの間者から王族の命を守ったこともあったと聞く。
しかし王が代わると、現国王と一部の貴族達はハンニバル殿を国の機密に触れすぎた危険分子として殺そうとしたのだ。幸い殺されることはなかったが、彼は騎士を辞め、この森で『ハングドマン』と名乗って暮らすようになったらしい。
……つまりこの国はハンニバル殿、いや、ハングドマン殿に星の数ほどの借りと負い目があるということだ。ここまで言えば、何故アルバラ伯がハングドマン殿の協力を求めよと言ったか分かるな?」
つまりトライオンの上層部に顔が利くハングドマンの協力を受けることができれば、アンナはアルバラ伯と並ぶ大きな後ろ盾を得ることができるということだ。
「な、なるほど……」
「そんなにすごい人だったんですね。そのハングドマン……殿は」
驚きながらもアルバラ伯の考えを理解するリリアとジャックの二人。
だがそこであることに気づいたジャックが口を挟む。
「でも、今の話だとハングドマン殿はトライオンに愛想を尽かしてこの森に引きこもっているんですよね? もしかしたら行っても門前払いになるんじゃないですか?」
「それは大丈夫よ」
首を傾げるジャックに答えたのはアンナだった。
「さっきイザベラが言ったでしょ? 一時は処刑されかけたが助かったって。それってお祖父様が国王に直訴したおかげで、その縁もあってハングドマン殿はお祖父様とだけは今でも交流を保っているの。だから向こうもこちらの事情をある程度知っているし、いきなり門前払いはしないはずよ。……そう言えば」
アンナは何かを思い出した風に呟く。
「これはあまり関係のない話なんだけど、お祖父様に聞いた話だとハングドマン殿は何年か前に子供を拾って、自分の後継者として育てているらしいわよ」
「ほう……。ハングドマン殿に後継者が……どんな人物が知っているのか?」
興味を覚えたイザベラが聞くと、アンナは小さく頷いて答える。
「ええ。何でも私と同い年くらいの男の子で、名前は確かハー……」
「待て」
イザベラが片手をあげてアンナを制止する。だが彼女はアンナを見てはおらず、その後ろにある茂みに視線を向けていた。
「出てこい。そこにいるのは分かっている」
イザベラが茂みに向かって静かに告げると、茂みの中から薄汚い格好をした五人の男達が現れた。男達は全員手に武器を持っており、アンナを見ていやらしい笑みを浮かべる。
「へへっ、聞いた通りだ。本当に貴族のガキがろくな護衛もつけずにこんなところをうろついてやがった。どうやら俺達にも運がまわってきたみたいだな」
「聞いた、だと? お前達、一体誰から私達のことを聞いた?」
イザベラがアンナを守るように前に進み出て男達に問いかける。
「それは言えないな。そんなことよりそのガキをこっちに渡しな。おとなしく渡せば見逃してやるが、抵抗するんだったらただじゃすまさないぜ?」
「笑えない冗談だな」
イザベラは短く言い捨てると獰猛な笑みを浮かべて腰の剣を抜く。リリアとジャックもまた腰の剣を抜いて構える。
「私達が『ろくな護衛』か否か試してみるか?」
「上等だ! お前達、やっちまえ!」
男の一人の叫びを合図に五人の男達がイザベラ達に殺到する。イザベラは向かってくる男達から目をそらすことなくリリアとジャックに呼びかける。
「リリア、ジャック。三人は私が始末する。残り二人は任せたぞ」
「わかりました」
「は、はい!」
「死ねえ!」
「遅い!」
ザシュ!
男の一人が右手に持った手斧をイザベラの頭にめがけて勢いよく降り下ろす。だがイザベラはそれを難なく避けると男の首を切り落とし、頭部を失った男の胴体から血が噴水のように吹き出した。
「う、うわぁ!?」
「ひいぃ!」
仲間があっさりと切り殺される姿を見て、後に続いていた男達が悲鳴をあげる。そんな男達にイザベラは内心で呆れた声を出す。
(威勢の良いことを言っていたくせに腕は未熟、殺される覚悟もないとはな……。まあ、賊ごときに覚悟を問うのも酷な話か)
「悪いが雑魚に構っているヒマはない。さっさと終わらせてもらうぞ」
イザベラはそう言うと、すぐ近くにいた浮き足立っている男を袈裟斬りにし、すぐさま武器を捨てて逃げようとしていた別の男の背中に切りかかった。
ズバッ! ザシュ!
「ぐわぁ!?」
「ぎゃああっ!」
二人の男達が同時に悲鳴を上げて地面に倒れる。
あっという間に三人の男を倒したイザベラがリリアとジャックがまだ戦っているのを見て、どちらかの手助けをしようと思ったその時、
《気をつけて! まだ右の茂みに盗賊達が五人隠れているから。そのうち二人は弓でお姉さんを狙っている!》
「っ!」
突然イザベラの頭に聞き覚えのない若い男の声が響いてきた。
バシュ! バシュ!
正体不明の声に戸惑いながらイザベラが右の茂みを見ると、茂みから二本の矢がイザベラを狙って放たれた。
「くっ!」
イザベラは飛んできた矢の一本を剣で切り落とし、もう一本の矢を大きく体をひねって避ける。
(危なかった……。今の声がなかったら避けれなかったかもしれない)
自分に忠告した声が一体何なのか分からなかったが、イザベラはその疑問はひとまず後においておくことにして、敵が隠れている茂みにと走った。すると隠れても無駄だと悟った男達が三人、姿を現してイザベラに襲いかかる。
「無駄だ!」
イザベラは敵の攻撃をかいくぐりながら鮮やかといえる剣技で三人の男達を瞬く間に切り伏せる。
(さっきの声によると隠れていた賊は五人。残りは二人か)
「も、もう駄目だ!」
「逃げろ!」
声がした方を見れば、ここから逃げようとする弓を持った二人の男の背中が見えた。恐らく彼らがイザベラを狙い撃とうしたのだろう。
「逃がすか!」
(私達が、いやアンナがここに来ていることは一部の人間しか知らないはずだ。一体誰が奴らに情報を渡したのか確かめる必要がある!)
せめて男達のうちの一人でも捕まえようと走り出すイザベラ。だが、
バシュ!
「何っ!?」
イザベラが走り出したのと同時に何処からか矢が飛んできて、逃げようとする男の一人の足を貫いたのだ。
「ぎゃああっ! グワッ」
足を貫かれた男は悲鳴を上げてその場に倒れ、イザベラは男に近づくとみぞおちに剣の柄尻を叩き込んで気絶させた。
「もう一人には逃げられたか……。まあ、一人捕まえただけ良しとしよう」
イザベラがもう追い付けないほど遠くに逃げた男の背中を見ながら呟くと、彼女の元にアンナと戦闘を終えたリリア、ジャックがやって来た。
「ご苦労様、イザベラ。怪我はしていない?」
「これぐらい余裕だ、アンナ。私がこの程度の敵に手傷を負うはずがないだろう?」
近寄ってきたアンナにイザベラは笑って答える。
「お見事です。イザベラ様」
「リリアの言う通りです。六人の賊共を倒した剣の腕はもちろん、敵の奇襲をああも容易く避けるなんて、見事としか言いようがありませんよ」
リリアとジャックの賛辞にイザベラは苦笑を浮かべて首を横にふる。
「いや……あの矢の奇襲を防げたのは私の手柄じゃない。……この矢の持ち主のおかげさ」
イザベラは足元で気絶している男を、正確には男の足に刺さっている矢を見た後、この矢が飛んできたと思われる方向に顔を向けた。
「誰かは知らないが協力を感謝する。それですまないが、姿を見せてくれないか? このままだと私達はキミをここにいる賊の仲間だと思わなくてはいけないんだ」
「…………」
イザベラが穏やかな声で告げると、前方の草むらが揺れて、そこから一人の少年が現れた。
草むらから現れたのは、十五、六歳くらいの不細工ではないがこれといった特徴もない平凡な容姿の少年だった。
髪の色は黒で瞳の色は青。服装はフードつきのマントを羽織った猟師みたいな服を着ていた。
少年は今、敵意がないことを示すため両手を上げており、右手にはクロスボウが握られている。
イザベラはそんな少年の姿を見て小さく笑うと口を開いた。
「まずは賊を捕まえてくれたことに重ねて礼を言う。それで、やっぱり君があの時、私が矢で狙われていることを教えてくれたんだな?」
「あ、はい」
イザベラの質問に少年が頷いて答えると、アンナが少年の前に進み出た。
「それだったら私もお礼を言わないといけないわね。イザベラを、私の騎士を助けてくれてありがとう。私はアンナ。アンナ・アルバラ・エンプレスズ。あなたの名前を聞いてもいいかしら?」
「う、うん。僕の名前はハーミット」
「ハーミット!?」
少年の名前を聞いてアンナは目を見開いた。何故ならその名前は彼女が祖父であるアルバラ伯から聞いた、今から自分達が会おうとしているハングドマンの後継者の名前だったからだ。
「……そう。あなたがハーミットなのね」
「え? 何? 僕のことを知っているの?」
これが後の歴史に名を残す少女『始まりの女帝』アンナと、
歴史に名を残さない少年『顔のない英雄』ハーミットの出会いだった。