爆乳キャバ嬢は俣治郎
今のご時世、就職難だ。良い大学に行ったところで社員になれる保障なんてどこにもない。高卒で内定くれるとは、かなりの魅力だ。だが……
「社名とスカウトのネーミングセンスが悪過ぎるから嫌だ」
「はっ!? あたしの名前については言い返されへんけど、社名は富利異盟損やで、富利異盟損! めっちゃイケてるやん!」
七佳は心外だと言うように、目を剥いて抗議した。
「イケてねーよ。怪し過ぎるだろうが。どうせ入社早々健康診断とか言って、俺の身体を調べるんだろ?お前らもミラーグラスの奴らと一緒だ」
「そらちゃんと社員の能力を把握しとかんとあかんから、一応は調べるけど……全然痛くないで。あいつらの組織とはやってることが違うねん」
こいつの言う"痛くない"は、歯医者の"痛かったらやめるんで手を上げて〜"くらい信用できない。
「だいたい、お前んとこは何やってる会社なんだよ……」
「何って、まぁ簡単に言うと、正義の味方やな。……って、ちょっと待ちぃや!」
"セイギノミカタ"。聞いた途端に馬鹿らしくなって、俺はベンチから立った。見ず知らずの他人のために、身を粉にして戦い、正体は秘密だから誰にも感謝されない。それが正義の味方だ。んなもんやってるなんて、どうせロクな会社じゃない。
「ちょぉ!人の話は最後まで……」
俺の肩を掴んで引き止めた七佳の鼻先に、手の平をかざす。彼女は驚いて息を呑んだが時既に遅し、その目は即座にトロンとして閉じていった。脳に直接作用する眠気に勝てるわけがない。
「俺の細胞は、何人たりとも覗かせねえ……」
丸くて大きな目が閉じきってしまう直前、俺はそう言ってやった。
「まぁ! 巧さんの身体を調べるだなんて……なぁんて破廉恥なあぁぁ! ぁうがっ!」
俺の意図する方向とはまるで違う所で興奮しそうになった、雹子の顎を掴んだ。どうやらこうすると、彼女の妄想と興奮は停止するようだ。
「……そういう訳だから、あいつが来たってことは、ここもヤバイかもしれない。新しい住処を探すまで、俺のいない時は客以外中に入れんじゃねぇぞ」
「は、はひ……」
雹子に3度ほど念を押し、俺は不動産屋を回るために外へ出た。
今日の予約は夕方からだ。まだ十分時間がある。七佳がその辺をウロウロしてるかもしれないから、キャップを深くかぶり、周りを警戒しながら馴染みの不動産屋に入った。
「またか……。いい加減その夜逃げ癖を治せよ」
開口一番、呆れた声を出したのは、不動産屋の店長だ。いかにも肩や背中に龍のタトゥーが入ってそうな風貌のオッサンである。
店長の顔の通り、ここは普通の不動産屋じゃない。ブラック不動産屋と言った方が良いだろう。
仕方がないのだ。俺は高校を卒業するとすぐに実家を出た。組織の奴らが何も知らない家族に接触して、迷惑をかけるかもしれないからだ。だが保証人もいない未成年に、部屋を貸してくれる正規の不動産屋はなかった。何日かホームレス生活をしながら、かなり怪しげな店を回って、やっと保証人なしで貸してくれたのが、ここだったのだ。高校3年間のバイトでコツコツ貯めていた金を、根こそぎ取られたが。
「お前、そのうちブラックリストに載せるぞ」
「はぁ、すみません……。でも今回はまだ逃げてないですよ」
ブラック不動産屋にもブラックリストなんてあるんだな。正直このオッサンにブラックリスト云々とは言われたくない。
「それで、今回も怪しい組織ってぇ奴らが来たのか?」
店長はボールペンで頭をポリポリ掻きながら、かったるそうに言った。
彼にはサングラスの奴らのことは話してある。勿論、シンポテのことは伏せているが。逃げている事情を話していないと、こんなに何度も部屋を紹介してくれるわけがない。
「以前接触したことのある奴が、さっき尋ねて来ました。まだ完全にバレたというわけじゃないと思いますけど、そろそろヤバイかなって……」
「ふんっ、その年で一体どんな危ない山に手ぇ出したんだか。まあいい。逃げる前に部屋を探しに来ただけでも進歩だ。ちょいと日にちがかかるがいいか?近所付き合いなし、風呂屋が近い、徒歩2分圏内で食料と生活必需品が整う、それでいて人気絶不調の部屋、なんて言うお前の条件に合った所を探すのは、結構難しいんだからな」
我ながら無茶な条件だとは思う。だが店長は何だかんだ言いながらも、結局探してくれるのだ。人にはそれぞれ色んな事情があるだろう、と詳しく理由を聞くこともしない。
なるべく早くお願いします、と言って俺は店を出た。雹子がちゃんと言われた通りに留守番していてくれると良いが……
雑居ビルに戻ると、夕方から来るはずの予約客、まりさんが来ていた。彼女は前に住んでいた所からの常連だ。逃げた俺を偶然街で見つけて、また利用するようになったのだ。
「やっほー。ちょっと早いけど、来ちゃった」
「お、お客さんなら入れて良いんですよね……?」
爆乳流し目ダイナマイツなまりさんの横で、オドオドしながら雹子が言った。
丁度良い。ヤンデレ女を紹介したことで、文句が言いたかったのだ。
「雹子、お前ちょっと隣の漫画喫茶行って来い。済んだら連絡する」
「す……済んだらって……、二人で何をする気ですかあぁぁ! 破廉恥な……っうがっ」
「破廉恥の話はもういい。さっさと行け」
俺の目が本気で据わっているのを見た雹子は、コクコクと2回頷いて、尻尾を巻くように飛び出して行った。
「随分手なずけたじゃない。同棲するんだって?」
セクシービームびんびんなまりさん。だが騙されてはいけない。こう見えても元男なのだ。本名は俣治郎。オカマバーに行くのが嫌で、現在元の性別を隠してキャバ嬢をしている。爆乳は勿論豊胸で、丸みを帯びたボディラインはホルモン注射の賜物なのだ。下も工事済み。キャバクラの店長は少し疑っているものの、まだ周りに元男だということはバレていないらしい。
「……あのですね、口コミする時は人を選んでくださいって、よくよく言いましたよね?何なんですか、あの子は」
「ゴメンゴメン。目が合った瞬間に、化け物みたいな殺気を纏ってしがみついて来るもんだからさぁ。タクミンなら何とかしてくれると思ったのよ〜。……できなかったみたいだけど」
「タクミンって言うな、俣治郎」
「やっだぁ、その名前を呼ぶなんて、もしかして相当怒っちゃってる?」
他人事だと思って、態度が軽過ぎる。元が男と分かってるだけに、ぶん殴りたくて仕方がない。
「もう次の住処を探してもらってます。見つかったら雹子は置いていくんで、あとはよろしくお願いします」
「かわいそー。さっき話したら、アンタに惚れてるみたいだったわよ?乾いた独り身だからそんなカリカリするんだわ。人生には潤いが必要よ」
「森の小川のような潤いなら歓迎しますけどね、雹子は濁ったアマゾンの河ですよ。人食いワニとピラニア付きの」
身震いをする俺を見て、まりさんは「想像の方向は間違ってないけどさ……」と言ってため息をついた。
言いたいことは言ったので、香水作りに取り掛かる。半分の狭さになった隣の部屋に移動し、容器に精製水を入れ、まりさんが好きなイランイランのアロマオイルを垂らした。好みの別れる匂いなのだが、催淫作用があるらしい。このエロニューハーフめ、といつか言ってやりたい。
容器に指を差し込み、思い浮かべるのは、色白透明感が売りの若手女優みたいなもち肌のまりさん。髭は脱毛しているが、やはり客に近くで見られると気になるらしい。対象として想像するのは、滑々肌にうっとりするオッサン。まりさんは肉感系を好むオッサンに人気なのだ。
「私もちょくちょく様子見に来るから、いきなり雹子ちゃんを置いて行くのは考え直して?また殺気を纏って縋り付かれたら、呪い殺されそうだもの」
帰り際、まりさんはそう言った。だからって何で俺が面倒見なくちゃいけないんだ、と不満に思いつつも、少し複雑な心境になった。それは、普通に生きてきたのに、普通の人のようにいられないという、同じ境遇だからなのかもしれない。
漫画喫茶にいるはずの雹子に電話しようとした時、ふと思い出だした。あいつは、自分のシンポテの話を最後まで聞いたのは、俺しかいないと言っていた。
友達、いなかったのかな。シンポテを自覚してからの俺みたいに。