押しかけヒロイン
迫り来る貞……いや、雹子さんから離れるべく、俺は座っていた椅子から飛び退いた。
「どおぉぉして逃げるんですかああぁぁ!?」
「当たり前だろーがっ! お前鏡見てみろ! 店長がヤンデレメイド喫茶に行かせた理由がそこにあるっ!!」
雹子(もう"さん"付けはしてやらん)は悪霊的な負の気をビシバシ放ちながら、じりじり俺を追い詰め非難する。もう穏便に断る余裕など吹っ飛んでしまった。ドアの前にいた時の妙な気配といい、普通じゃない。コイツ、本当は実体を持った幽霊なんじゃないか!?
「理由なんて分かってますよぉ。でももう香水は必要ないです。さっきあなたにキュンとしちゃいました……。ワタクシ、今凄く気分が、高ぉ揚ぉしてますぅぅっ!」
何故"高揚"の所からいきなり声が低くなる! 最後まで声を張れ! 余計におどろおどろしてるように聞こえるじゃねーかっ!
「んな簡単にキュンとすんな! だから鏡見ろって! 高揚してる割りには青白い顔のまんまだぞ!」
「まあ! それじゃ胸キュンが、足ぁりぃないんだわぁぁっ!」
頼むから後半声を低くしないでくれぇ! 今度は貞子じゃなくて、お岩が「皿が足りないわぁ……」って言ってるようにしか聞こえん!
とうとう俺は壁際まで追い詰められてしまった。女の雹子相手なら力付くで突き飛ばせるはずなのだが、何故かそうはさせない異様な雰囲気を彼女から感じる。
「ふふふ……ワタクシ良いこと思い付きました。香水に頼らなくても、ここに居座れば……ずぅっと胸キュンじゃあなぁいぃでぇすかあぁぁ!」
「やめろおおぉぉ! ヤンデレ幽霊に住み着かれたら不眠症になるだろーが!」
冗談じゃない。四六時中こんな恐怖を味わっていたら、俺がヤンデレ執事喫茶にでも転職出来そうだ。
その時ふと、圧迫されるような雹子の存在感が和らいだ。
「……あ、あれ……?」
「大丈夫ですよぉ。ワタクシ、何でか分かりませんが、自由に気配を調節出来るんです。興奮するとさっきみたいに暴発しちゃいますけど……」
「え……、それってまさか……」
思いがけないネタばらしを聞き、俺はまじまじと雹子を見た。青白い幽霊顔は変わらないが、逃げたくなるような恐怖感はない。
「他人が部屋にいると落ち着かないのでしたら、気配を完全に消すことも可能です。」
雹子はそこで一旦、スカートのポケットから携帯用の拭き取るメイク落としを出し、目の下にべったり付いたマスカラを落とした。
「いや、背後霊みたいで余計に怖い……ってそうじゃなくてだな。気配を調節って、普通出来ないだろ。実は忍者なのか?」
「違いますぅ」
「……な、何なんだ、お前、何者だよ?」
訝しむ俺の視線を受け、雹子は少し淋しそうに顔を逸らすと、ゆっくりした足取りで椅子に戻った。
雹子は俺がさっき買ってきたジュースで一息つくと、スナック菓子を頬張りながら、自分の妙な特技について語り出した。
「ぶぁりぼり……、ワタクシ、小さい頃から虐められ体質なのか、よく学校のトイレに入るたびに外からドアを押さえられて、"花子が出たぞ〜"とか言われてたんです。どんなにコッソリ入っても誰かが気付いて閉じ込めるんで、さっきあなたが言った、忍者みたいに気配が消せたら良いのにって思って、毎日ひたすら念じてたんです。」
「え……気配って念じて消せるもんじゃないと思うんだが……」
「ええ、でも小学生の頃でしたから、ニンニンニンってやってたら出来るって信じてたんです。そして……本当ぅに出来ちゃったんですうぅ!」
身を乗り出してきた雹子を避けつつ、俺はスナック菓子を全部食べ切られる前に、袋を自分の方へそっと引っ張った。
「……それで閉じ込められなくなったのか?」
「はい。逆にワタクシが気配を消して閉じ込もり、虐めっ子が来たらいきなり飛び出して脅かしてやりました。」
「やっぱりヤンデレメイドになっとけ。それかお化け屋敷にでも就職しろ」
虐めネタを逆手に取って仕返したぁすげぇな。コイツのクラスメイトは、触れてはいけない奴に手を出しちまったのか。
「酷いです……。でもあなたに言われると何となく癖になりそうな感じが……」
「そらぁアレだ。気のせいだ、うん。とりあえず話は聞いたが、俺は一人で細々とやって行きたいんだ。だから居座られても困る」
「まあまあ、そんなこと言わないでください。こういうひっそりと怪しげなお店を男の人がやっていたら、ヒロインが現れるのが王道でしょう?」
「確かにヒロインがいたら楽しいが、それは明るい美少女であって、青白い顔のヤンデレじゃない。」
俺は漫画喫茶で"可愛いヒロインが現れないかな"と思ったことを後悔した。考えたことが悪い方の意味で実現してしまうのは、世の中の基本的な事例である。
「ああ何て冷たいお言葉。ツンデレの素質がありますね。ヤンデレとお似合いですぅ」
「デレない! お前にはデレないぞ! 商売の邪魔だから、そろそろ帰ってくれ。」
どうやら雹子もシンポテの持ち主みたいだが、今まで一匹狼でやってきた俺に、ヤンデレメイドは必要ない。そう結論付けた俺は、彼女の腕を掴んで引っ張った。
「い、嫌ですぅ!最後までワタクシの話を聞いてくれた人は、あなただけなんですぅ!」
雹子は俺に引きずられながらも抵抗した。
「……あ、そんな引っ張らないで。お願いですよぉ、お望みなら本当に空気のようになれますからぁ! ヤンデレメイド喫茶で働いて、生活費もちゃんと入れますうぅ!」
「ヤンデレメイド喫茶で働きたくないから、胸キュンしたいんじゃないのかよ……。」
「そうですぅ!不本意ですがお金のために働いて、見事ヤンデレを卒業した暁には……あなたのお嫁さんにいいぃぃ!!」
いよいよドアの前まで引きずられて来たからか、雹子はうるさいくらいに騒ぎ出した。このまま追い出しても、ドアの外に居座られたら、他の客が逃げちまう。
「ようし、そこまで抵抗するなら、俺を嫌いで仕方なくなる匂いを嗅がせてやる……。お前もまりさんに紹介されて来たなら分かってるだろ?俺の能力は効果覿面だって。思い切り強力なの嗅がせて、お前がトンズラこいてる間に、どこか遠くへ逃げるとするか……」
「やだ、目が据わってますって。そんなことしたら、我に返った時、あなたの能力のことを怪しい組織に喋りますよ。いーんですかぁ?」
「……お前、組織の人間か?」
俺は思わず雹子の胸倉を掴んだ。つい力が入ってしまい、「うげぇ……」という声が聞こえた。
「ギブ!ギブ!……はぁ、情熱的なんですねぇ。ワタクシは組織の者じゃないですよ。人間離れした特技を持つ人達を探している怪しい組織は、世界中にありますし、日本にもいくつか存在します。一時期周りをウロつかれたことがあるんで、その時に少し調べました。と言ってもそれ以上のことは分かりませんでしたけど。あなたもウロつかれた経験あるでしょう?能力者同士、仲良く助け合いましょうよぉ」
「お前の場合は助け合うと言うより下心が見え見えなんだ!」
「大丈夫ですぅ! 相思相愛になるまで襲いませんからぁ! 置いてくれたら喋りません! ワタクシ口は軽い方ですけど、いくらなんでも愛しのダーリンの秘密までは喋りませんよぉ!」
「愛しのダーリンとか呼ぶな!」
押しかけ女房になる気満々な雹子。怪しい奴らにウロウロされたことがあるということは、コイツも間違いなく俺のようにシンポテを持っている。だが匿ってやろうという気にならないのは、青白い幽霊顔と、馬鹿にしてるのかと疑いたくなる程妙なハイテンションのせいだろう。
追い出せば怪しい組織に俺のことを喋ると言う。そんなことをされたら逃げるだけなのだが、新しい住処と口の堅い客を掴むまでが大変なのだ。まぁ、シンポテを使った商売をしなければ、こんなコソコソする必要はない。だが香水屋を始める前に組織の奴らは俺の存在に気付いていた。普通のバイトをしても、すぐに嗅ぎ付けて接触して来るだろう。結局はシンポテに縋って、その場しのぎの生活費を稼ぐしかないのだ。
ああ、欲しかったのは可愛いヒロインなのに……