生き物は大切に
動物さんと戦うシーンがあります。ご注意ください。
不意に唸り声が耳に入った。人間のものではない。血に飢えた獣のような……
ぐゎるるっ!!
「巧! 伏せぇ!」
背後から咆吼が迫ると思うや否や、七佳が急に険しい顔で叫ぶ。本能的に危機を察知し、俺は何も考えずその場にしゃがみ込んだ。
ギャゥンッ!!
「えらい気の荒い番犬やのぅ」
顔を上げて七佳の視線を辿る。そこには鼻を床に擦り付けるドーベルマンがいた。
「……犬? 今度は人造犬だとか言うんじゃねーだろうな」
「いんや、鼻っ柱殴ったら普通に痛がってるし、こいつはただの犬やろ」
「素手でか!? ……前から思ってたがお前、猿からじゃなくてゴリラから進化した部類だろ」
「助けてもらっといてよぉほざくな。進化やなくてシンポテや。元オリンピック選手の親から生まれたサラブレッド言うたやろ。そんなことより、いよいよボスに近づいてきたで」
ドーベルマンを睨みつけたまま、七佳は不敵に口元を吊り上げた。
そしてドーベルマンの方も鼻の痛みがマシになったのか、再び唸りながら臨戦態勢に入った。更に水槽の陰からまた新たに2匹の敵がそろりと歩み出てくる。
「な……何だと!?」
俺は思わず声を上げた。何故ならその2匹は、いかついドーベルマンでも、貫禄たっぷりのブルドッグでもないからだ。
流行りのプードル……いやこれはまだスタンダードだからある程度の大きさがある。若干戦う気がなくなるが、トイやティーカップじゃないだけマシだ。
問題はもう一匹。それは小さなフェレット。もう犬じゃねーし。噛まれたら痛そうだが……
「おい、どうボスに近づいたのか、説明してほしいんだが」
「才田はマルチリンガル。人も動物も問わず話せるシンポテやって言ーたやろ。こいつらはきっと部下や」
「なるほど。そういや前に才田は、野良達を使って同族の情報を集めてるって言ってたな」
「マジでか!? くっそー、せやからあいつ、あんなに営業成績良かったんか!」
「別にもういいじゃねーか。これからは俺が同族引き付けるんだからよ。とにかく、ドーベルマンもプードルもフェレットも野良だってんなら、皆捨てられたペットだったのを才田が仲間にしたってわけか」
泉堂や栗林に付け入った時と似ている。相手の負の感情に滑り込み、言葉巧みに取り込んでいく。人間だけでなく、言葉の話せない動物をも手玉に取れるということなのか。
バゥウッ!
突然、プードルが飛び掛ってきた。狙いは七佳!
「ぬぁんとぉ!」
七佳はそれを避け、着地したプードルの背後に素早く回り込んで、綿飴のような尻尾をむんずと掴んだ。
「食らえ! 保健所スイングッ!」
両手でしっかりと尻尾を掴んだまま、七佳はその場で回転した。遠心力でプードルの体が浮き上がる。こいつ、犬相手にジャイアント・スイングかけてやがる!
「だりゃっ!」
綺麗に3回転した後、解き放たれたプードルは、臨戦態勢で隙を窺っていたドーベルマンに突っ込んだ!
がぅ! ぎゃぅう!
2匹一緒に折り重なって吹っ飛んだ。
シャッ
次はフェレットが俺に向かって床を蹴った。何とかかわすも、相手はイタチ。素早く体勢を整えてはまた飛び掛ってくる。
「うわっ!」
今度は避け切れなくて、咄嗟に腕を振り払うと、運良く手が当たった。フェレットが床に叩きつけられて転がる。ぼぅっとしている暇はない。俺はフェレットが起き上がる前にその小さな首根っこを摘み上げた。
「巧! 動物愛護スリーピングや!」
「分かってる! 変なネーミング付けるんじゃねぇ!」
七佳の横槍に若干イラッとしながらも、俺は手の中でもがくフェレットの鼻先に指を近付けて眠らせた。
グルルルル……
やっと3匹倒したというのに、更に複数の唸り声が聞こえた。
水槽の横からやる気満々の柴犬とゴールデンレトリバー。機械の上には凛と立つ黒猫と、やる気なさそうに寝そべりながらこちらを見詰めるペルシャ猫。そして出てくる意味があるのか、床をのんびり這う大きめの緑亀数匹。
「あんた、才田を追え!」
七佳の言葉にぎょっとして振り向いた。
「はぁ!? 一番才田をぶっ飛ばしたいのはお前だろ。それにまだ何匹隠れてるか分かんねぇのに、一人で…」
「ぶっ飛ばしたいけど才田の目的はあんたやねん! 野良を全部倒すなんてキリがない。あいつが何でこんなことしたんか、事情を聞いた後、問答無用でシバいて来て!」
そう言って七佳は動物達の方へ走った。
「七佳!」
「大丈夫! あんたがあいつの口車に乗せられてまうことは絶対にないって、信じてるから! 早よ行けっ!」
こちらを見ずに言いながら、手始めに柴犬へ拳を繰り出す。一人で戦うその姿を見て、俺も今から一人で才田とケリをつける覚悟を決めなくちゃならない、と思った。
「分かった! 俺も、ゴリラの腕力が世界最強だって、信じてるからな!」
「あたしはサラブレッドやぁ言ーてるやろっ!」
背中に「ドッグトレーナー・クラァーッシュ!!」という、気の抜けそうなネーミングを聞きながら、俺は更に奥へと進んだ。
青白い照明で薄暗い上に、機械がごちゃごちゃしていて見晴らしの悪い中、俺は必死で才田の姿を探した。
奴がこんなまどろっこしい戦いを仕掛けてきた理由は、薄々感づいていた。タイプの違う敵を順番に送り込めば、戦いに向いていない俺が最終的に一人になると踏んだのだろう。実際思惑通りになってしまったが。
「やっと来たんだね」
突然の呼びかけに振り向くと、機械の上に足を優雅に組んで腰掛ける才田がいた。どうやら見落として通り過ぎていたらしい。間抜けな話だ。
「……随分と手の込んだことしてくれるじゃねぇか。思い切り面倒くさかったぞ」
「仕方ないじゃないか。こうでもしないと、君にはいつも誰かくっついて来るんだもの。僕は君をスカウトしようとしてるんだよ。交渉は1対1じゃないと、第3者が入ったら余計な口を挟まれてやりにくい」
「スカウト……まだ諦めてなかったのかよ」
才田も案外しつこい男だ。それとも"失敗しましたぁ、テヘッ♪"じゃ済ませられない命令なのか。
「僕にはもう時間がないんだ」
俺の考えていることが分かったかのように、才田は答えた。
「何だよ、時間って。俺のスカウトが失敗したら、ペナルティでも科せられるのか? それかお前自身が標本体にでも?」
敵の時間なんて知ったことじゃねぇ、と茶化すように言うと、才田は視線を横に逸らして薄く笑った。
「僕はもう既に標本体になってるよ」
「……は……っええ!?」
驚いて二度見する俺を気にも留めず、才田は横に逸らした視線を上げた。
それを辿った先にあったのは……
「さ……才田が……入ってる……?」
俺は慌てて水槽に駆け寄った。他の水槽の後ろ、一番奥に設置されたそれは、硝子が少し汚れていて、古びたものだった。その中に入っていた人間の顔は、紛れもなく才田。違うところといえば、肌に血の気があるかないか。
水槽を唖然と見上げる俺の隣に、才田がやってきた。硝子にそっと手を当て、自分を見つめるその顔に表情はない。
「僕は才田陽路のクローン。CBTが作り出した人造人間の第一号で、偶然できた唯一の成功例なんだ」
淡々と語る彼の雰囲気に、今まで戦ってきた人造人間のような異様さはない。どこからどう見ても、人間だ。
「昔からCBTは、製薬会社を営む傍ら、内緒でクローン技術の研究を行っていたんだよ。大々的にすると世間から批判されるからね。クローンに興味を持った富豪や政治家、そういう富と権力のある人から支援を受けつつ、世界に公表しない独自の技術を開発していた。日本人のオタク的性質は凄いよ。いつの間にか外国の技術を追い越してしまった。世界に先駆けてマウスのクローンを作ることに成功したその年、今から23年前、CBTのクローン研究室室長の息子、才田陽路は交通事故で頭を強く打ち、植物状態になった」
そこで無表情だった口を僅かに歪めた才田は、硝子から手を離し、近くにあったパイプ椅子に座った。
「父親は嘆いた。相当優秀な息子だったらしいからね。でも回復の見込みがないというのは、医者じゃなくたって、長年生物のクローン技術に関わってきた父親には分かった。だから無駄な延命措置は、すぐに取りやめさせたんだ。そして仮死状態のまま息子をこの研究室に運び、今まで動物でしか成功していなかったクローン技術で、息子をもう一度作ることにした。姿形が同じで優秀な息子を、そっくりそのままね」
才田の目付きが一瞬で変わった。色んな感情が瞳の中で燻っているようだ。
「ま、見た目は同じでも、僕は本物ほど優秀には育たなかったみたいだけど」
そして才田はパイプ椅子の背もたれに体を預け、小さくため息をついた。
父親の異常な思想で作り出されたクローンである彼は、自分の存在をどう思っているのだろう。その瞳の奥に窺えるのは、悲しみと憎悪と……だがそれだけではない生みの親への切ない愛情も少しだけ、混じっているような気がした。