ヤンデレメイド
とある漫画喫茶。
今日は小雨がしとしと降っている。こんな日はホラーものが読みたくなる。勿論シンポテ要素が入っているものだ。
主人公はある日突然除霊の能力に目覚め、バッタバッタと悪霊たちを切り捌く。おいおい、幽霊なんてあんな儚げなものを、どんだけ乱暴に扱ってんだ。悪霊になった事情くらいあんだろうから、念仏でも唱えて穏やかに成仏させてやれよ。そんなことを思いつつも、キレの良い戦闘シーンは実に痛快だ。やっぱり念仏じゃ盛り上がらんか。ああ、俺の側にも可愛いヒロインが現れねえかな。
ひとしきり読んで満足すると、残りのアップルティを飲み干し、仕事場兼家の雑居ビルへと戻った。傘なんて必要ないくらい近い上に、このビルの1階はコンビニだ。最近めっきり行動範囲が狭くなったと思う。
おやつにスナック菓子とジュースを買ってから4階まで上る。当たり前だがエレベーターはない。俺の運動は、この黴臭い階段の上り下りのみだ。勢いをつけて一気に駆け上がる方が、意外と楽だというコツまで掴んだ。
後少しで4階というところで、俺は異様な気配を感じた。さっきまで読んでいた漫画の悪霊が頭に浮かぶ。あの時は心の中で大口を叩いたが、俺に除霊のシンポテなんてない。よって、ホンモノの幽霊が現れると普通に怖いのだ。
意を決して覗くと、いたよいたいた、黒いロングヘアを垂らして、ドアの前にぬぼーんと突っ立った細身の女が。一応足はあるようだ。
「あ、あのー……」
声をかけると、女の顔がギギギという錆びた音がしそうなくらいゆっくりした動作でこちらを向いた。
そこにはあるべき目も鼻も口もない……きゃーのっぺらぼう!
なーんてことはなかった。青白い不健康そうな肌色ではあるが、まあそこそこの顔立ちだ。造形だけで言えば、ご当地アイドルくらいにはなれるだろう。
「……ここで特殊な香水を作ってもらえるというのは……ほぉんとぉですかぁあぁ!」
「ひぃぃっ!」
振り返る動作からは想像できないくらいの速さで寄って来た女に、俺は危うく階段から転げ落ちそうになった。
「え、ええと、今日は予約入ってなかったはずなんですが……一体どなたのご紹介で?」
「聞ーていただけますかぁぁ?」
聞きたくねぇ!聞きたくねぇが、女はおれのTシャツをがっちり掴んで離さない。
飛び込み客は基本的に受け付けてないが、仕方なく彼女を中へ入れた。クーラーは意外に早くオーナーが替えてくれた。空き室から持って来た、これまた部品のなさそうなオンボロの中古品で、電源を入れるとヴヴヴヴヴン……という、けっこう大き目の音が出る。ひょっとしたら前のやつより古いかもしれない。それでも冷えるから良しとしよう。
そして座らせた幽霊女から事情を聞く。
「……ワタクシ、雹子といいます。まりさんからここのことを聞いたのですぅ……」
まりさんとは、こないだ店の後輩を紹介した人だ。ということは、こいつもキャバ嬢なのだろうか。全く見えないが。
「ええと……では同じお店の方ですか?」
「面接に行ったお店にまりさんがいたんです……。でも店長が、店長がっ……ううっ」
勝手に涙ぐむ女。何だか幽霊の不幸話を聞いてやってる霊媒師になった気分だ。そこそこ可愛くても雰囲気が怖過ぎるから、はっきり言ってハンカチを貸してやろうという気にもならない。
「……採用されなかったと?」
「いいえ。君にぴったりの所が姉妹店にあると言って、連れて行かれたのが……ヤンデレメイド喫茶だったのですぅぅっ!」
「ヤンデレ……病んでデレるか。そんなメイド喫茶があったんだ。一体どんな客が付くんだか……」
俺は普通のメイド喫茶でいいや。
「……お客さんですかぁ?可哀想な子に同情しちゃいがちな人が多いです。意外といるんですよぉ、同情と愛情をはき違えてる男性は。そういう人って、たいていその子が可哀想じゃなくなったらさっさと捨てて、新たに可哀想な子を探しますけど……」
世の中には色んな趣味の奴がいるんだな。でも俺は普通のメイド喫茶がいい。と2回言ってみたりする。
「ワタクシは元々自分を変えようと思って、あえて華やかな夜のお仕事をしようと思ったのですよ……。病んでるキャラばかりのメイド喫茶では……意味がないのですぅぅぅっ!!」
をーいをいをい! と手で顔を覆って泣く雹子さん。素なのかわざとなのか知らないが、客でもない俺に可哀想でしょアピールをするあたり、ヤンデレメイド喫茶は彼女の天職なんじゃないかと思う。
とりあえず鬱陶しいのでティッシュ箱を机に置いてみる。
ずびびっ! ずびびびっ! すぴっ! と遠慮なしに本気で鼻をかまれ、どうやら可哀想アピールは素でやっているということが分かった。彼女の下瞼には、溶けたマスカラがにじんでいる。ますますホラーだ。
「ふぅ……。それで店長に抗議しに行ったんですけど、取り合ってもらえなくて……丁度その時店にいたまりさんと目が合ったんで、彼女に縋りついたらここを紹介してくれたんです。魅力的になれる香水を作ってもらえって。」
縋りつかれたのか、まりさん。災難だったな。だが紹介する相手は選んでもらわなきゃ困る。雹子さんみたいな自分に酔うタイプは、総じて口が軽い傾向にあるからな。下手に香水の効果を気に入られて、あちこちで喋られたら敵わない。
世の中には、シンポテに食いついて来る奴なんぞわらわらいる。面白半分で寄って来るならまだ蹴り飛ばせるが、本気で調べて利用しようとする奴らは厄介だ。
そういうのの大半は、「君の身体を解明すれば、多くの人々が救われるかもしれない!」なんて言って来る。そんなの知ったことか。何で赤の他人達のために俺がモルモットにならなければいけない。どうせ俺の身体研究して新薬ができたとしても、それを使って助かった奴らは感謝するどころか、モルモットになった俺の存在を知ることもないだろう。まあその前に、様々な脳作用を体臭に込めて自在に操る、なんて俺のシンポテが、命を救うほど尊大なテーマの研究に役立つとは到底思えないが。
つい長く愚痴ってしまったが、とりあえず今は雹子さんを何とかしなければ。
「ええとですね、俺の香水は、付けたら魅力的に変わるわけじゃないんですよ。目の前にいる相手をその瞬間だけ錯覚させると言いましょうか……、とにかくあなた自身が病んでるように見せない努力をしなければ、ここの香水を使ったところで、いつまで経ってもヤンデレメイド喫茶からは抜けられませんよ」
とか言って、さりげなく諦めてもらう方向へ促してみる。キャバ嬢達に渡してるようなものを作ってやれば済む話だが、ヤンデレメイド喫茶で口コミでもされたら、ここはお化け屋敷と化してしまいそうだ。
「そうなんですかああぁぁ!?」
ひょおおぉぉぉぉっ! とムンクの"叫び"みたいな顔をして叫ぶ雹子さん。無理せずヤンデレメイド喫茶にしておけと言いたくなる。店長の判断は正しいと思うぞ。
ショックを受けた感じの彼女は、しばらくムンクのまま俯き、何か考えているようだったが、やがて上目遣いに視線を上げた。青白い顔とパンダ目マスカラが高じて、まるでTVの井戸から出て来そうな雰囲気だ。
「……ここの香水って、付けた本人にも効きますか?」
「ええ、まあ。そういう風に作れば可能ですが」
「じゃあ、自分の気持ちがウキウキ高揚するような物を作ってください!目の前の人に恋するような感じに!そしたら病んでるように見えなくなるでしょう!?」
成る程、店長や客の男に疑似恋愛をして、その場だけでも青白い顔色を何とかする気なのか。だがそうなると、結局は香水を作らなくてはならなくなる。
「誰彼構わず惚れるのは危ないと思いますよ。世の中、悪意と下心に満ちた男は腐るほどいますから。」
と、またまたさりげなく諦めるよう促してみた。
「……まぁ!ワタクシの貞操を心配してくれるのですかぁっ!?何て……おぉ優しいぃぃぃ!」
途端に雹子さんがずぃずぃっと前のめりに寄って来た。
い、嫌な予感……