昭和のかほり漂う眼鏡
割り当てられた部屋は、ヨシオさんと同室だった。ヨシオさんは社長から"ミナミの帝王"のDVDを借り、それを見ると言う。パッケージの竹内力が務める万田銀次郎は、社長そっくりの風貌だったが、俺は全く興味がないので、昼寝をすることにした。小一時間ほど眠ると気分はすっかり良くなり、丁度七佳が検査結果を持って来た。
俺のシンポテは、だいたい前から自分で思っていたのと同じような結果だった。嗅ぐと頭の中で念じた通りになる効果持った物質を体内で作り出し、それを体臭に溶け込ませ、部分的に毛穴や汗腺を開いて出す。俺が実際にシンポテを使っているところを見るだけなら、手を翳すだけで相手を惑わすという、摩訶不思議なものだが、詳しい結果は体臭やら毛穴やら、あまり聞こえは格好良くない。
ヨシオさんは、人間には規格外の肺活量と横隔膜を持っているために、強力な豆鉄砲を撃てるらしい。別に鼻でなくても口から撃つことも可能だが、本人は「鼻の方が接客の時、話のネタになって良い」と言って、今のところ口で撃つ予定はないそうだ。
結果をひとしきり読み終わると、七佳はニヤニヤしながら箱を出した。
「何だよ、これ」
「へっへっへぇ、実はな、私が社長にずっと言ーてたことが、とうとう通ってん。関東から一気に4人も連れて来たから、ご褒美やって」
七佳が喜々として箱を開ける。俺とヨシオさんはそれを覗き込んだ。
「……色眼鏡? 5つあるな……。おい、嫌な予感がするんだが……」
「色眼鏡なんてオッサン臭いこと言いなや。カラーレンズや、カラーレンズ。4年前に東京でCBTのすかしたミラーグラス見てから、やっぱ見た目も対抗せなあかんって思てん。制服の可愛さで学校選ぶんと一緒や。見た目格好良くしとったら、仕事もやる気が出るやろ? あんな安物のサングラスじゃ、恥ずかしぃてしゃぁない」
「こっちの方が恥ずかしいだろーがっ! 昭和の流行りか!」
箱に入っていたのは、紫の色が半分ほど入った眼鏡だった。色違いだろうか、茶色バージョンもある。時代錯誤も甚だしい。
「何でや! 試しに社長にかけさしたら、めっちゃ似合うとったで!」
「当たり前だ! ミナミの帝王はDVDのパッケージだけ見たが、思いっ切り昭和だろ! あれを真似してんなら、そりゃ似合うだろうよ!」
まさかこれをかけて東京帰れって言うんじゃねぇだろうな。んなことした日には、後ろ指差されること請け合いだ。
俺と七佳が言い合っている内に、ヨシオさんが紫の色眼鏡をひょいと取り、何の躊躇いもなくかけた。
「なかなか良いじゃないか。これで顔に皺を寄せて歩けば、親父狩りに遭うこともなくなるだろう」
「……あの、もしかしてミナミの帝王に興味持ったのって、そのためですか?」
聞くと満面の笑みを返された。親父狩りの餓鬼が離れると同時に、富恵ちゃんも離れていきそうだが、良いんだろうか……
「俺はかけねぇ」
「もー、駄々こねなや。ほんま我が儘やなぁ」
七佳はぷぅっと頬を膨らませる。俺は即座にそれを両手で潰した。
「我が儘で結構。お前のセンスは理解できない」
「巧なんかいっつもTシャツとGパンやん。無難なん選んでるだけは素人のやり方や。もっと個性を出さなあかんで」
「CBTから逃げてる俺が、個性なんぞ出したら即見つかって意味ねーだろ……」
言い合いに疲れた俺ががっくりとうなだれると、七佳は逆に胸を張った。
「大丈夫や。あたしら仲間が一緒に行動したる。そのために共同生活してんねんから。皆で守り合いながら行こうや」
「……お前……そこまで考えて……」
「だから巧も遠慮なく個性を出しぃ。はい、どうぞ」
そう言って七佳は俺に茶色い方の色眼鏡を渡した。
「……いや、個性は出さない。ってか俺は元々こういう地味な格好が好きなんだ」
「そう? ま、いきなり張り切っても後がしんどいからな。今はTシャツの襟首に引っかけるだけで勘弁しといたるわ」
コイツ、いずれは顔にかけさせる気なのか……。
渋々俺が色眼鏡を受け取ると、七佳は紫の方を頭にかけた。本気でダサイ。ヨシオさんと並ぶと、痛いカップルのようだ。
雹子とまりさんにも渡して来ると言って七佳が出て行った後、俺はこのビルの近くにあるという漫画喫茶を探しに出掛けることにした。色眼鏡を置いて行こうとすると、ニコニコ顔のヨシオさんに肩を叩かれ、無言で圧力をかけられたから、仕方なく襟首ではなくGパンのポケットに引っかけた。
目的の漫画喫茶は程なくして見つかった。値段やシステムは向こうとそう変わらない。
今回はスパイものを選んだ。犯罪組織に潜入し、内部から潰していく。何と言っても、主人公の身体能力がシンポテ並に凄い。これで普通の人間という設定なのだから有り得ない。だが漫画はぶっ飛んでなきゃ面白くないから良しとしよう。
読み終わって気付いたら、だいぶ時間が経っていた。ヨシオさんに、夕方には戻ると言って出て来たのだ。
急いで漫画喫茶を出ようとすると、出入口で呼び止められた。
「……才田?」
振り返ると、嫌味なくらい綺麗な顔をした奴がいた。……色眼鏡をかけて……。それでも不思議とダサく見えない。
「やぁ、志牙君も来てたんだね」
「その色眼鏡、まさか会社の奴ら全員に配られたのか?」
怪訝な顔で俺が問うと、才田カラカラと乾いた笑い声を上げた。
「そうみたいだね。かけなきゃ田ノ中がうるさいからさ」
「律義に顔にかけてやってんのか? 案外優しいんだな」
「ん? 君はGパンに付けてるんだ。そっか、田ノ中に"かけんとシバく!"って言いながら渡されたんだけど、顔って指定はなかったな」
感心したように頷いた才田は、色眼鏡を片手でスマートに外すと、爽やかな白いシャツの胸ポケットにかけた。
「嫌なことは屁理屈こねて意志表示しねぇと、どんどんあいつのセンスに染まっちまうぞ」
「ハハッ、君はあの子の仲間なのに、けっこうはっきり言うんだね」
「センスまで合わせるつもりはないだけだ。友達同士でお揃いなんざぁ、小学生の女子レベルだろ」
それを聞いた才田は、ニヤッとニヒルな笑みを浮かべた。
「気に入った」
「ああ? お前やっぱゲイか?」
言葉の意味を端的に捉えた俺は、後ずさった。
「違う違う。久しぶりにまともな会話ができたからさ、嬉しいんだよ」
「……まさか、お前の派閥の奴らも変な馬鹿ばっかとか言うんじゃ……」
「そのまさかさ。だから皆この会社に入るまでは、普通の人間から変人扱いされて、色々溜まってたみたいだよ。僕が苛々せず丁寧に彼らの話を聞いてやったら、"アニキ!!"とか言って付いて来たんだ」
才田の派閥に皆入ってしまった時の経緯を聞き、単純な奴らだ、と思った。いきなり現れて優しい言葉をかける人間ほど、怪しいものはない。今まで才田と話していて、コイツがボランティア精神で動くタイプじゃないことは何となく察した。なら、苛々せずに話を聞いてやるに値する、理由があるはずなのだ。その大方は、人数を集めて、この辺をシンポテを持つ者の街にすることなのだろう。だがきっとまだ何かある。行方不明者の件がそこに絡んでいる気がする。俺の長年培ってきた、人間不信の勘がそう告げていた。
「志牙君、本気で君を勧誘したくなったよ。僕の方に来ない?」
「……考えとく」
七佳はぶっ飛んだ馬鹿だが、馬鹿は馬鹿なりに裏がない。他のメンバーもそうだ。俺はあいつらを信用している。だが、あえて才田を突っぱねずに返事を濁した。
その時の俺の頭には、さっきまで読んでいたスパイ漫画が浮かんだのだ。潜入、囮、内部調査……。何とも安直な考えだが、才田は頭が良い。外から行き当たりばったりで崩しにかかっても、決して尻尾を掴ませない。そういうタイプだ。
幸いにも向こうから俺を気に入って、アプローチをかけてきた。七佳が関東出張までして自分の派閥を作ろうとした目的は、才田を調べること。単純に考えて、社長を動かすより俺が動いた方が早いと思う。
才田と一緒に漫画喫茶を出ると、七佳と出くわした。
「……何や才田……、うちの巧とおったんか?」
「ずっとじゃないさ。彼はコミックコーナー、僕はネットコーナーにいたんだ。さっき帰り際にたまたま会っただけだよ」
「ふーん……。巧、あんた遅いで。シンポテレンジャーの皆で晩ご飯食べよう思てたのに、帰って来ぇへんから探したんやで」
七佳は不審そうな顔をしていたが、深く追求はしなかった。
「シンポテレンジャー?何それ、面白そうだね」
「うるさい。あんたには絶対教えたれへん。行くで、巧」
去り際に才田をチラリと見ると、ウインクされた。懲りてねぇな。今度こそネタにされるぞ。そう思って俺の腕を引っ張る七佳に視線を移すと、バッチリ才田のウインクを見ていた。その目は、ネタを発見してほくそ笑むようなものではなく、七佳らしくない、不安げに揺れるものだった。