シンギュラリティ・ポテンシャル
人間の能力が完全解明される日など、来るのだろうか。
もし異常な能力がある人間が、ふとした遺伝子の気まぐれで存在したとする。だが本人が「私を解明してください」と自ら実験体を買って出るなどするだろうか。常人との差が大きければ大きいほど、名乗り出るなんて有り得ないと思う。自分なら絶対に嫌だ。例えそれが多くの他人を救う研究に役立つかもしれないとしても、だ。人間自分が一番大事。
特異な潜在能力。俺はシンギュラリティー・ポテンシャル、略してシンポテなんて勝手に呼んでるが、それをひけらかして目立った人間の末路なんてろくなことはない。超能力とか千里眼とか、昔から公に発表したら、すぐに科学者やらマスコミやら野次馬やらが寄って来て、検証実験したり煽てたり批判したり中傷したり、散々騒ぎ立てる。そして身も心もボロボロになって消えて行くんだ。
だから本当にすげぇ奴は隠す。隠してたまに便利な時だけこっそり使う。もしかしたら周りが気付かないだけで、シンポテを持ってる人は、すぐ近くにいるかもしれない。
もし怪しい研究家が寄って来たら、言うべきキメ台詞はこの一言。
"俺の細胞は、何人たりとも覗かせねえ!"
薄い間仕切りの向こうから、カチカチとキーボードを叩く音がする。不規則なその音をBGMに、パラリとページを捲った。
読んでいるのは特殊能力を持った人間達の冒険物語。こういうファンタジーものは飽きない。
「よくまあ、こんなに色んなパターンを思いつくもんだぜ。それか、書いてる奴が本当に何らかのシンポテでも持ってんのかもな……」
漫画喫茶で独り、呟いた。
ここはフリードリンクで1時間ワンコイン500円。ちょっとした気分転換には手ごろだ。
「あ、いけねえ。時間だ」
俺は飲みかけのコーラを急いで流し込み、席を立った。
外はじりじりと照りつける太陽。空からとアスファルトの照り返しでダブル攻撃だ。だがそんなものは一瞬で終わる。俺の仕事場は目と鼻の先、漫画喫茶の隣にある古い雑居ビルだからだ。
【お好みの香水 調合いたします】
かまぼこ板2枚を並べて、マジックインキで書いただけの、貧相な看板。別にふざけてるわけじゃない。立派な物を掲げられない、列記とした理由はあるのだ。決して貧乏だから、というのじゃないぞ。いや、まあ金持ちでもないのだが。
「すみませーん」
ほら、独りでちんたら意味のない言い訳してるから、客が来ちまった。これでも一部では知られた香水屋なのだ。
「はい、どうぞ」
「まりさんっていうお店の先輩から聞いて予約した、ゆうなですけどぉ」
「ゆうなさんですね。ええ、ええ、伺ってますよ」
入ってきたのはキャバクラ嬢。最近お水系の客も増えてきた。彼女達の金髪盛りヘアと付け睫毛を初めて見た時は、少しばかり衝撃を受けたものだ。それでも話してみると、多少声がでかいだけの、普通の女の子だ。俺にとっては大事なお客である。
「あれ?思ったより若いんだぁ。いくつ?」
今日の客は俺を見るなりそう言った。
「あー、よく言われます。22ですよ。」
「マージーで?あたしとタメじゃん」
「はあ、そうなんですか。それで、今日はどんな物を作りましょうか」
後の予約が突っかえてるから、その手のお決まりなやり取りは軽く流す。
俺の香水は効果覿面だ。そのため、周りには内緒の調合を頼んでくる客が多い。個人情報の保護が叫ばれ始めてから随分経っているが、俺もその辺はきっちり守っていて、接客は1対1が基本。その代わり、ある事情のため、客にも俺の店の存在を不特定多数に喋らないという約束をさせている。要は、その約束が守れる知り合いにしか、口コミをしてはいけないということだ。
契約書もないただの口約束だが、ここに来る客は、案外それを守ってくれる。下手に店が有名になったりしたら、俺は忽然と姿を眩ますからだ。まあ、約束が守られていても、口コミで評判が広まり過ぎ、やむなく店を引っ越したことは過去に3度ほどあるが。かまぼこ板の看板は、そういうわけなのだ。でかい看板なんぞ提げていたら、目立って忽然と眩ますどころじゃなくなる。
「あたしさぁ、色気がないないって店長に言われるんだ。だから売り上げが伸びないって。チョーむかつく」
「そうですか。色々大変なんですねえ。では相手に色っぽく感じさせるものがいいんですか?」
「うんうん。あ、でもぉ、あんまりやり過ぎて変なオヤジに襲われたら嫌だからぁ、ちょっとだけね。それから香りはピーチっぽいのね。可愛い匂いにしてよ。」
色っぽくなりてぇのか、可愛くなりてぇのか、どっちだよ……。なんてことは包み隠して「お安い御用ですよ」と愛想を振りまく俺。この商売始めてから、女の我侭には慣れっこだ。
客をそのまま待たせて、俺は隣の小部屋に入った。中は別に大した物は置いてない。旅行鞄に詰め込めるだけの空容器と水、それからちょっとした添加物があれば十分なのだ。作業が客の目に触れなければ、別にダンボールで作った仕切りでも構わない。まあ、せっかく小部屋のある所を借りたのだから、勿体つけて使っているだけだ。
小さなロールオンタイプの容器に精製水を入れる。香水をスプレー容器にしないのは、客からの要望が多かったからだ。効果覿面の香水を少量だけ使いたい時に、プシュッと出ちまうと量が調節できなくて困るらしい。
「匂いはピーチね。確かこの辺に突っ込んだ気が……」
鞄をガサガサと漁り、桃の香料を取り出す。それを精製水とよく混ぜ、容器の口の部分に人差し指を差し込んだ。
ふんっ……と息を止めて、指に力を込める。その間思い浮かべるのは、最近話題になっているグラビアアイドルの水着姿。ただし顔だけゆうなさんに変えた。そして対象を限定するために、男がぽうっと見つめる姿も想像に付け加える。すると、俺の体を駆け巡る何かが指先に向かって収束し、容器の中の精製水に流れていった。
「ちょっとだけ色っぽくって言ってたからな。こんなもんだろ」
指を抜き取り、俺は自分の絶妙な匙加減に満足した。
これが俺のシンポテだ。指から流れ出た"何か"は、香料やアロマオイルで簡単に紛れてしまうが、多分俺の体臭だ。気に入っているTシャツと同じ匂いだからな。今は若いから良いが、年を取ったらオヤジ臭になって、商売しにくくなるかもしれない。
そしてここからは俺の想像でしかないが、頭でイメージしたことが体臭に乗って香水に移り、嗅いだ人間の脳に作用する。ゆうなさん用に作ったのは、男性ホルモンでも刺激するんじゃないだろうか。脳科学者じゃないから詳しいことは知らないが。ま、俺は体臭の遺伝子が突然変異したということなのだろう。
キャップの蓋を閉め、待たせていたゆうなさんの所へ戻る。心なしか、金髪盛りヘアギャルが魅力的に見える。今回作った香水の効果は、不特定の男に限定してあるから、蓋を閉める前にちょっと吸い込んでしまった俺にも効くのだ。もっと強い効果を要求された時は、風邪ウィルスも防ぐようなマスクを付けてから作業に当たる。一時的な偽りのものとは言え、客に一々反応してたら身がもたない。まあそこまで強力なものを欲しがる奴はほとんどいないが。何事も程々が良いというのは、皆よく分かっている。
「お待たせしました」
「やったぁ。ありがとー」
「料金は一律10000円です。お気に召されなかった場合は、明日中に限り効果の変更、もしくは商品と交換で返金に応じさせていただきます」
手の中で簡単に握り込めてしまうくらい小さい容器でこの値段は、自分でもかなりぼったくりだと思うが、客は普通には出回らない怪しげな効果を分かっているから、高いとごねられたことはない。
「うんうん、分かったぁ」
本当に聞いているのか疑わしいくらい浮かれたゆうなさんは、料金を支払うと大事そうに香水を鞄に仕舞った。
「ああ、ご存知だとは思いますが、この店のことはあまり広めないようお願いしますよ」
ニコニコしながら出て行く彼女の背中に念を押した。