第一章(第3話)
その時だった。
それまで空を覆っていた分厚い雲が不意に晴れ、満月がその姿を現した。そのか細く儚い月の光は、それでも十分に僕らの姿を互いに認めさせることを可能にしてしまった。
僕の前に佇むのは金の髪を持つ少女。
青空をそのまま切り取ったような青い瞳は不自然なまでに美しく、真っ直ぐに僕を捕らえていた。彼女の周りに漂う眩暈がするほどの甘い花の香は、服に付いた僕の血の匂いとあいまって、咽返るような不快な臭いへと変わっていた。
「……それでは」
彼女は静かに笑みを見せると踵を返し、再び雲に隠れた月の創り出す闇の中に溶け込んでいった。
そんな後ろ姿を認め、僕は静かに銃口を彼女の背中に向ける。
姿を見られたのだ。
生かしてはおけない。
いくら辺りが暗くとも、長く親しんできたこの闇にもう目は慣れている。この銃口の先には寸分の狂いもなく彼女がいるだろう、そう思うには十分すぎるほどに自信があった。
何よりも嫌な予感がするのだ。
あの見透かすような青の瞳が、言い表すことの出来ない不安を掻き立てる。
このまま引き金を引くだけだ。そうすれば彼女を神の御許に届けることが出来る。
この漆黒の闇の中であっても、いくら距離が離れていようとも、長年培ってきた僕の銃の腕さえあればそれは不可能なことではない、不可能であるはずがない。
そう、後は引き金を引く、それだけだったのだ。
しかし何故か僕は引き金を引くことが出来なかった。
早く撃てと唯一絶対の命令を発し続ける僕に、ただ僕は首を横に振り続けた。
今でないといけない。
次なんてない。
第一見逃してどうするというのだ。
ここで殺らなければ自分自身に何が起こるかわからない。
わかっている。
わかっていた。
か細い抗いの声がただ闇に漂った。
そして垂れるように銃を下ろす。
「何故撃てない」
何故彼女を殺せない。
何故彼女の瞳が頭から離れない。
その答えは見つからない。
早くこの国から出なければ。
虚ろな目で白み始めた空を仰いだ。
カツ カツ カツ
闇夜に香った甘い花。
その花言葉は「あなたは私を騙せない」
僕は祈った。神などとうの昔に信じることをやめたが、祈らずにはいられなかった。
『もう二度と彼女と出会わないように』
と。