序章Ⅰ
暗殺者を主人公とするため多少残酷な表現があるのでご注意ください。
序章Ⅰ
穏やかな時間など彼が享受できるはずもなく
運命は常に華やかに、残酷に
大陸統一第二期時代二年、初冬。
金縁の豪奢な窓の外の世界では、軽やかに軽やかに雪と雪の精が舞う。天にはどんよりとした分厚い灰色の雲が君臨し、地を白く塗り替えるが如く絶え間なく真白い雪を地へと遣わしていた。
天は灰。
地は白。
冬に入ったこの日、いと高き天に住まうという「神様」というお方は、どうも完璧に天と地を隔てたかったらしい。決して決して交わることのないように完璧に。しかしそれは、天と地が相容れない完璧なる存在であることは、考えてみれば誰にでもわかることだ。
地上の者の思いは天に届くことはないし、天の思いも届くことなどない。
“神は存在する”と思い奉っていた頃、そのように考える者などこの大陸にはいなかった。地上の者の思いも、天の者の思いも、神なる存在により助けられ必ず成就すると。地から天へと向ける思いは“死者の復活”、天から地へと向けた思いは“予言・神託”として必ず姿を現すと……。
しかし、それら神を信じるが故に築き上げられ、神を信じるが故に矛盾に悩まされ続けたこの思想は、この時代になり抹殺されることとなる。
この大陸に「神」など存在しない。するのは唯一絶対の、絶大なる権力を誇る大陸を治める帝王と、それに付き従う者たちのみ。
静かに降り積もる雪と雪の精に彩られ、金縁の窓の外の世界はただそこにあった。ただただそこにあった。
金縁の豪奢な窓の内側の世界。年間を通して魔法の力により適温に保たれた王城の、広くそして豪華な会議室。床一面に金糸で繊細に細工された真紅の絨毯が広がり、赤と金とで統一された室内には、品を欠かない程度の粗い言葉が飛ぶ。
そして数人の人物が確認できた。
真っ白な大理石の卓に向かう者で大半を占めるのは恰幅のよい壮年の男。上等な服を纏っているのを見れば彼らが大陸王より爵位を賜った者や、大臣といった身分の者たちであることは一目瞭然だった。
そしてそれらの者達から少し離れたところに座るのは、銀の長い髪を持つ整った顔立ちの男と、黒髪を優雅に結い上げた隻眼の美女、そして大陸王の側近として名高い白髪交じりの焦げ茶の髪を持つ初老の男。
それらの人物は、卓上に山のように積まれた書類に休むことなく目を通し、議論の真っ最中であった。地方の統治方法、税の徴収、特権身分の整備、帝都へと続く道の敷設……大陸が統一されて早くも二年は経とうとしていたが、議題は尽きることをしらない。それこそ山のようにあった。
ただし、いくら熱く激しく議論をしていようと、彼らは必ずある一方を盗み見ていた。結論を口にする時は必ず、視線はある人物に向けられていた。抜け目のない王の優秀な参謀は、その鋭い瞳に決して悪意を忍ばせることはしない。ただそこに宿るのは畏怖の念。
いったい何故か?
いったい誰がいるという?
しかし、答えは彼らの視線を辿れば自ずとわかる。
そう、視線の先にはこの大陸を二年前に統一した者、今や「皇帝」として大陸の民すべてから敬愛と畏怖の念を抱かれる、二十代半ばの長身痩躯の男がいたのだから。
適度な長さで切られた漆黒の髪。深い深い青、藍色の瞳。王としての威厳は、まだ歳のせいかまだ感じられないが、その醸し出す威圧的な、絶対的なオーラは他に存在を認めさせるには十分だった。
「……帝都と各地方を結ぶ街道を敷設するにあたる予算を、次の会議までに各地方の代表者は算出してきていただきたい」
山ほどあった議題の最後の一つは初老の男のこの言葉により一先ず終結する。大臣諸侯の顔には疲労の色が色濃く滲みでていた。会議が始まってから、かれこれ半日が過ぎているのだ。
この長い日彼らの緊張の糸は途切れることはひと時もなく、そして今この開放された瞬間でさえそれが許されることはない。
しかしそれでも大臣らは幾分かは解放された表情を見せると、卓上に散らばる各自の資料を手早くかき集め、若い皇帝陛下に恭しく一礼しては部屋を後にした。皇帝よりも早く退出したこととなるが、そのようなことを気にする者などいない。結局皇帝自身は、大臣諸侯が全員退出するまで席を立つことはしなかった。
部屋に残ったのは四人。皇帝と、彼の側近中の側近として知られる初老の男、そして銀髪の長い髪を持つ男と黒髪を優雅に結い上げた女。
「……では、私たちも先に上がらせてもらいますね。あなたもお仕事は程々になさいな」
にこりと綺麗に微笑んで、黒髪の女は優雅に席を立った。それに呼応するかのように銀髪の男も席を立つ……もっともこちらは無表情、無愛想な顔ではあったが。
「私は北西部の方の視察に。今回の会議を欠席した真意の程を確かめて参ります」
そう言って一礼した彼だが、その言葉を紡ぐその口は不服そうに歪められていた。
「よろしくお願いします、閣下」
初老の男は人の良い、朗らかな笑みを覗かせると、深々と一礼する。
「頼みましたよ、兄さん」
そう苦笑混じりで言ったのは、他でもない皇帝自身だった。
つまりは、この銀髪の男と大陸王は“兄弟”関係にあるということだ……もっとも特別仲がいい、というわけでは決してなさそうだが。
銀髪の男は、軽く皇帝の方を見やると、特に何の表情も表すこともなく足早に扉へ向かい部屋を後にした。荒い靴音がその機嫌の悪さを象徴していた。
「では……」
それに続くようにして黒髪の女も微かな苦笑を残して部屋を去った。柔らかな足音は遠ざかる。華やかな空気もそれにつられるかのようにしてこの部屋から消え去った。
部屋に残された人物は二人。皇帝とその側近の初老の男。
「……あの方も大変ですな。あなた方のような弟御が二人もいらっしゃいますと」
微かな苦笑の込められた、そして真意をおそらく含んでいないその言葉は皇帝の不機嫌そうな咳払いによって一蹴された。
黒髪の女性が二人の姉というならば、皇帝、銀髪の男、かの女性は“姉弟”の関係にあるとみなしていいのだろう。会議室は広い。部屋は魔術によって適温に保たれているにも関わらず、残された二人に向けて寒さは確実に手を伸ばしていた。
「部屋を移しましょう、陛下」
そうしてゆったりと紅茶でもワインでも頂きましょう。
しかし、それに対する答えはなく代わりに皇帝はその巨大な金縁の窓に近寄り、深い深い青、藍色の瞳を外の世界へと向けた。相変わらず外では真白き雪と、淡い光を放つ雪の精が舞い厚い灰色の空を彩っていた。