それは上から倒錯した
「お前は死ぬのが怖いか」
「怖いさ。愚問だろう」
「それなら、ずっと怖い思いをすればいいさ」
落とした雫は、夜空の星のように見えた。あの山に帰るのか、口にはしなかったがそんな気がした。どこかに隠したままの弱さは、しぶとく生きていたのか。舌にのせ、口にした言葉を聞いて確信した。
「ありがとう」
わがままだった、俺の過去。まだ間に合うと言うなら戻して欲しい。
どこから間違ったのかもう分からないかれど。
嫌いだったお前の存在、欲しかった誰かの存在、俺の生きる意味、証。
その全てを形にしたお前がいなくなるなら、俺はどうすればいい?
行かないでほしかった。
死ぬことも、生きることも、厭じゃないから。
忘れていくくらいなら、いっそ壊して。
欲しい言葉はありがとうなんかじゃないんだよ、山の怪。
いいんだよ、いい、言葉はいいから。行かないでよ。
燈した 命の灯 指先に宿らぬ熱よ 魂とは 尚も消え入りて
流した 血の意味に 還る場所だけ求めては 音無き様 訪なふ己に
「蕾は遥か昔の花に咲き散る、抱く両手に護られし……愛を忘るる若人よ――……」
口ずさんだ山の歌、どこにも響かずただ消える。
命を狩りにやってきた、不死の寂しい山の怪は、静かに山へと帰った。
俺はもう生きちゃいないだろう。あれだけ恐れた山の祟りは、俺から幸せを奪ったのだ。
例え健康な身体だとしても、お前がいなければ……。
「……と言う内容、は変ですかやっぱり」
一刻も早く家に帰りたかった柴田は、データを送信した後、部長の曽根に呼び出された。凄い形相のおまけつきで。曽根は、柴田を睨みつけると「やり直せ」と非情な言葉を言い放った。柴田の貼り付けた笑顔は徐々に力なくして青褪める。曽根は始めから柴田の言葉を聞く気がなかったのだろう、携帯ミュージックプレイヤーに繋がったイヤホンを気だるそうに右耳だけ外して、財布から何かを取り出し、柴田に差し出した。
「せいぜい頑張れ。何の趣味か知らないが、お前専攻のジャンルが需要あるんだから泣く泣くプラトニックで許可したんだ。何だこの意味を成さないような文字の羅列。文芸部を潰したいのか。裏部員の癖に」
畜生、いっぱしの編集長ぶりやがって。タッチタイピングくらいなら、俺でも出来るのに。精度は誇れないけど。
心の中で存分に曽根を罵ると、渡されたものを確認する。
柴田は目を見張った。女児の使うような可愛らしい熊のキャラクターがあしらわれたちいさなメモ帳に、「ばーか」 「明日11時彌桜駅前」 と書かれていた。
曽根はもう、柴田を見ていない。タッチタイピングが上手いくせに、忙しなくディスプレイとキーボードを交互に見ている。右耳も既に、イヤホンによって塞がれているようだ。
部長の権限で、っていつものように言ってくれたら幾分か気が楽なのに。
小説ほど心を動かしたものは無いのに。
これだけでこんなに焦るのはなんだろう。
いつもと違う雰囲気で書きたかったが見事に玉砕しました。