星の森学園 -根尾 ほのか-
顔が広くて話題に事欠かない3年生。付き合いたての彼氏・瀬戸風真に話した何気ない噂が、思わぬ波紋を呼ぶことになる。
嘘は方便だ。
言葉がただの情報になって、本来の温度も形もわからないまま簡単に拡散されるようになったこんな世界でも、
上手に生きるには、やっぱり言葉を上手に使うしかないんだと思う。
「ていうか聞きました? 生徒会長と木下先生の怪しい噂‥‥!」
野口愛がわたしに顔をよせ、耳打ちした。
愛ちゃんはわたしの一つ下の後輩で、最近できた新しい友達だ。
わたしと愛ちゃんは、ここ中庭で彼氏の部活終わりを待っている。
お互いおしゃべり好きなのもあって、毎日同じベンチで顔を合わせていた私たちが打ち解けるのに、そう時間はかからなかった。
「聞いた‥! 一緒に車で下校してたとか‥‥!」
「付き合ってるとかだったらヤバいですよね。木下先生は結婚してるのに」
「流石にじゃなーい?」
「いやいや分かんないですよ? 二人とも美男美女でお似合いだし」
「禁断の恋ってこと?」
キャーっと私たちは騒ぎたて、ベンチから足を投げ出してバタバタとさせる。
こんなに騒いでおいてあれだけど、噂が本当かどうかは正直どっちでもいい。
こうやって、友達と楽しくおしゃべりできるネタになれば、それだけでいいんだ。
薄っぺらい人間だと思われてもいい。
わたしはその自覚があるし、自分のことを深みのある人間だと勘違いしているような人たちよりもよっぽどマシだ。
わたしは中庭を見回した。
反対側のベンチでは四人組の女の子が楽しく話し込んでいる。
でもそれは表向きだけで、その中のひとりは、彼女らにしょうもない嫌がらせを受けているそうだ。
そのとなりのベンチに座っているカップルは、ひそひそと話していて仲睦まじく見えるけれど、彼氏の小柴綾人は浮気している。
どんなものでも、嘘と建前で綺麗に折り畳んでしまえば、見栄えなんていくらでも良くなってしまうんだ。
しばらくすると、彼氏の瀬戸風真が部室棟からやって来たので、わたしは愛ちゃんに別れを告げて、風真にかけよった。
「あれ、身長伸びた?」
「おまえがちぢんだんだよ」
「えー、ひどーい!」
嘘は方便だと思う。これがわたしの価値観。
でも困ったことに、わたしの彼氏は嘘や隠しごとが大のきらいだ。
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その後の帰り道で、わたしと風真はいつものファミレスに入った。
わたしはカルボナーラで、風真はハンバーグを注文する。
話はもっぱら、生徒会長と木下先生の話になった。
「まさかのってことはないの?」
「ありえないって。太陽が俺に隠しごとするなんて」
橘太陽。それが生徒会長の名前だ。風真の一番の親友でもある。
風真の彼への信頼は絶対的だった。嘘も隠しごとも存在しない。お互いの全てを知っている完璧で最強の親友。
わたしの彼氏には、そういうところがある。
嘘と建前をきらい。真実と本音をどこまでも崇拝しているから、信頼の言葉の重みが人と一線を画している。
「そりゃー風真にはないだろうけどー」
「けど?」
「太陽君はわからないじゃん」
わたしがそう言うと、風真は眉をひそめた。
こういう話をしていると、すごく心配になるんだ。
風真はいつか、本当の世界に踏み潰されないだろうか。
「わかんだよ」
風真はコーラを飲みほすと、氷をガリガリと噛み砕いた。
「まだ一年ちょいの付き合いだけど、俺と太陽は出会った瞬間に意気投合したんだ。あいつはドSの女が大好きな変態野郎で、寂しがりやで、夜にしょっちゅう電話かけてくるような面倒くさいやつで、お化け屋敷にも入れないビビりで臆病なやつだし、妹を溺愛してるシスコン野郎だってことまで。俺は全部知ってるんだよ」
「分かった。分かったよ」
わたしは、もう十分だと風真の眼前に両手をかざした。
「ていうか、あのイケメン完璧生徒会長、実はそんな感じなんだ。なんか聞きたくなかったよ」
「まだまだあるからな」
風真はそう言って、順番に指を折り始めた。
「もういいって! 降参です。降参!」
わたしは背もたれに寄りかかって、窓の外を見やった。思わずため息がでる。
わたしがひねくれているのは分かってる。
だってしょうがないじゃん。
窓の外を見ていると、道路を挟んで向こう側のカフェの扉から、ひと組の男女が出てくるのが見えた。わたしはそれを見て、目を丸くした。
それは生徒会長と木下先生だった。愛ちゃんが言っていたとおり、確かに二人はお似合いのカップルに見えた。
しょうがないんだ。どうしたって、わたしの目と耳には、こういうものが入ってくるんだから。
でも、風真だって真っ直ぐすぎる。
少しくらい理解して欲しい。わたしの目を通して見える世界を。
「ふーま」
わたしは指差した。風真の親友の橘太陽が彼に隠していた真実を。
「太陽君と木下先生だったよね?」
風真は呆然としていた。太陽くんが先生の車に乗り込むところを、しっかりとその目に映せたみたいだ。
「ほんとうに全部わかってるの?」
風真は黙っていた。
「なんどだって言うけど、だれにでも嘘や隠しごとのひとつくらいあるんだよ。風真みたいに、みんな強いわけじゃないんだから」
わたしは手元のグラスをストローでかき混ぜた。もう中身は氷だけになっていて、カラカラと虚しい音が鳴る。
「わたしね。風真にずっと訊きたかったことがあるんだけど‥‥」
風真は本当に、こんなわたしのことが好きなのかな。
訊こうと思って顔を上げると、風真の打ちひしがれた顔があった。きっと彼の中では親友に裏切られたことになったのだろう。
「ううん。やっぱり何でもない」
結局また、訊けなかった。
わたしは風真みたいに真っ直ぐ生きられるほどの勇気がないんだ。
「なんでもなくないだろ? 言えって。隠しごとは嫌いなんだ」
そんなこと言わないでよ。
「隠してるんじゃない。伝え方を考えてるだけ」
「だからそれが嫌いだって言ってるんだよ。はっきり言わないと伝わることも伝わらないだろ」
わたしの彼氏なら、わたしのことを理解してよ。
「そっちの価値観を押し付けないでよ!」
気づけば声をあげていた。
「自分が傷つかないように言葉を選ぶのも、風真を傷つけないために言葉を迷うのも、そんなに悪いこと? 私には私なりの伝え方があるの!」
「そんなんで本当に言いたいことが伝わるのかよ!」
「あんたが汲み取る努力をしないのを、他人のせいにしないでよ!」
しばらく沈黙があった。このままでは何を言っても平行線だった。
「……もういい。先帰る」
風真は席を立つと、テーブルにお金をおいた。
わたしが呼び止めても聞く耳なんか持たず、店を出ていった。
---
おまえは可愛いやつだ。おまえはいいやつだ。
嘘のない風真がわたしに言ってくれた。わたしにはそれがとてもうれしかった。
そんな風真の言葉にだから救われたことは何度もあった。
わたしが彼を好きになる理由はある。でも彼がわたしを好きになる理由は?
分からないんだ。
「真帆ちゃん。お願い!」
「しかし、そんなことを急に言われても‥‥」
「教えて! 生徒会長のひみつ!」
「ちょっと‥‥! 声がでかいです‥‥!」
この子は久保田真帆ちゃん。生徒会の会計をやっている子だ。
「今は文芸部の人にも嗅ぎ回られて面倒なんですから」
真帆ちゃんは眼鏡の端をつまんで、廊下を見回した。
「そうなの?」
「少し場所を変えましょう」
校舎の端っこの階段の踊り場まで移動して、わたしは真帆ちゃんに事情を話した。
「なるほど。彼氏の瀬戸さんのために、本当のことを知りたいと」
「真帆ちゃんなら知ってるんじゃないかなー。なんて」
「知っています」
真帆ちゃんはあっさりと答えた。
「え‥‥! じゃあ教えて!」
真帆ちゃんは私の目をじっくりと見つめて、何かを考えている。やがて「だめです」と答えた。
「どうして‥‥」
「生徒会長のあらぬ噂が広まることは私だって良しとしません。しかし、会長が‥太陽くんが親友である風真さんに秘密を隠すのであれば、わたしはその意思を尊重します」
だけど、と真帆ちゃんは続ける。
「風真さんのそばにいるあなたが何も知らないままでは、もっとこじれるかもしれません。彼に言わないと約束できるなら、ほのかさんにだけは全てを話してもいいですよ」
胸がキュッと閉まる。同時に、しかたないんだと自分を説得する。
こういう状況になると実感する。
ああ、私はどうしたって、私なんだ。
「わかった。約束する」
ごめんなさい真帆ちゃん。ごめんね風真。わたしは嘘をつく。
「それと」
真帆ちゃんは凛とした顔で、わたしを見た。
「わたしも風真さんと話をさせてもらえませんか?」
「へ?」
---
放課後、いつものファミレスで真帆ちゃんと一緒に待っていると、風真はやってきた。
昨日よりも沈んだ顔をしていた。
今日、風真は生徒会室に出向いて、太陽くんと話したらしい。
真帆ちゃんからつまみ聞いたのと、今の風真の顔で状況はなんとなく分かる。
真実を教えてもらうことはできなかったのだろう。
「この子は久保田真帆ちゃん。生徒会の会計をやっている子ね」
真帆ちゃんは小さくお辞儀した。
風真は真帆ちゃんにあまり興味を示さずに、わたしの顔を窺うように見た。
「ほのか。昨日は‥‥」
わたしは何も言わず首を振った。
「言ったでしょ。わたしにはわたしの伝え方があるの。だから今日は何も言わず聞いてくれる?」
「わかった‥‥」
風真は力なく頷いた。こんなに憔悴した彼の声を聴くのは初めてだった。
「真帆ちゃんは生徒会にいるだけあって、私たちよりも太陽くんの事情を知っているみたい。だから今日は来てもらったの」
わたしはオレンジジュースの入ったグラスを両手で包んだ。ひとつ深呼吸をする。
「ねえ。真帆ちゃん。太陽君と木下先生って、ほんとうに付き合ってるの?」
向かいに座る真帆ちゃんは、眉を上げて、わたしの顔を見た。
あなたにはさっき説明したじゃない。と言いたげな視線を向ける。
わたしはここでは、なにも知らない人を演じる。真帆ちゃんにとっても、そっちの方が都合がいいはずだ。
真帆ちゃんはすぐにわたしの意図を掴み取った。
「そういう噂が流れているのは知っています。それを信じたんですか?」
と質問する。
「だって見ちゃったから」
そう言って、わたしは風真に視線を投げた。
「俺はもちろん信じてなかった。だけど‥‥」
風真は言いながら、テーブルに視線を落とした。
「あいつは俺に本当のことを隠した。だから分からなくなった。あいつのことは、もう全部信じられない」
沈黙があった。
「瀬戸風真くん」
真帆ちゃんが、その沈黙を切り裂く。
「あなたは太陽君のなんですか?」
敵意の混じった声だった。真帆ちゃんは太陽くんに対して特別な感情があるのかもしれない。
「親友だった」
風真は答えた。
「でも今は分からない」
真帆ちゃんはしばらく風真の目を見ていた。表情は変わらずで、彼女の気持ちを読み取ることはできなかった。
「わたしは一年の頃から、同じ生徒会役員として、ずっと彼を見てきました。だから彼があなたに隠していることも分かります」
「それって?」
わたしは身を乗り出して訊いた。
真帆ちゃんは少し考える素ぶりをみせてから、かぶりをふった。
「勝手に言うわけにはいきません。わたしは太陽君の意思を尊重したいので」
でも、と彼女は続けた。
「少なくとも言えることは、彼が噂にあるようなことをする男だと思いますか?」
「分からないんだ」
風真は言った。
「ふざけるな」
一瞬、自分の耳を疑った。わたしの知っている真帆ちゃんから出てくる言葉じゃない。
「太陽君がそんなことするわけない!」
声は静かなままだった。それでも真帆ちゃんの怒りだけは、はっきりと伝わる。
「そんなことすら分からずに、何が親友ですか! 本当の彼は完全無欠なんかではなくて、臆病で寂しがり屋で、誰よりも大事なものを失うことを恐れているんです! だからこそ、あなたに伝えられなかったこともあるのでしょう!」
「そんなこと知ってる!」
風真も強く言い返す。
「それでも本当のことを言って欲しかった!」
「それでも!」
真帆ちゃんの声は静かなままなのに、言葉の一つ一つは力強い。
「彼をひとりにするべきではなかった! 本当に橘太陽の親友であるならば!」
数秒の沈黙が流れた。
そして毅然とした真帆ちゃんの表情が一気に崩れて、わたし以上に驚いた顔になった。
「……すみません」
小さく言う。
「私なにを言って‥‥、あ、ほんとに、すみません」
真帆ちゃんの顔はどんどんと赤くなっていった。
「ごめんなさい。わたし‥‥帰ります。あ、お金‥‥」
慌ただしく立ち上がって財布を取り出そうとしたから、わたしがそれを止めた。
「いえ、そんなわけには‥‥。は。払います。わたし‥‥」
「わたしが払いたいの。そうさせて」
真っ直ぐに見つめて言った。
「あ、ありがとうございます‥‥」
真帆ちゃんは小さな声でお礼を告げて、ペコペコと謝りながらファミレスの喧騒から消えていった。
彼女がいなくなってから、私はしばらく、窓の外を眺めていた。
風真はなにも言わない。
真帆ちゃんに言われたことを考えているのだろうか。
「あれが、あの子の本音なんだね」
わたしは言った。
「たしかに風真の言うとおりだよ。本音でしか伝わらないことは絶対あると思う」
それでもさ、と続ける。
「この世界で嘘や隠しごとをなくすことなんて、できないよ」
そうなんだ。だからわたしのことも許してほしい。
「ねえ。二年前に飛び降り事件あったでしょ?」
「……あったな。俺が転校してくる前の話だけど」
「そのきっかけを作ってしまったのは、太陽君なんだってさ。あと、飛び降りた子のクラスの担任だったのが木下先生。ここまで言えば分かる?」
わたしは窓の外を見続けた。風真の顔を見るのが怖かったから。
「実はさ、風真に言わないならっていう条件で、真帆ちゃんは私にだけ教えてくれてたの」
「……それを今、俺に話してるのか」
「わたしは風真に言うつもりだったけど、分かった、て嘘をついた」
「おまえ‥‥! 自分がなにをしているのか--」
「わかってる!」
分かってるよ。わたしはもう一度、小さくつぶやいた。
そうだ。分かっている。わたしは自分がそういう人間だって。
自分の中にある、ちっぽけな勇気を最大限ふりしぼって、風真の顔を見た。
「でも、それでも黙っていたら、風真はきっと太陽くんを本当に失うと思った」
風真のまっすぐな目を見ると、臆病な自分が顔をだそうとする。目を逸らしたくなる。
それでも今度こそ、ちゃんと伝えないと。
「わたしはね、自分や風真のためだったら、どんな嘘もつけちゃうし、どんな隠しごとだってできちゃう。これがわたしなの」
これが私の伝え方なんだから。
「こんな私でも、まだ好きでいれる?」
とてもこわかった。自分の本心を打ち明けるのは。自分の弱さをさらけ出すのは。
きっと太陽君も同じ気持ちなんだ。
「あたりまえだろ。やっぱり嘘は嫌いだけど、それ以上にほのかが好きだから」
その言葉を聞いた瞬間、わたしの感情は崩壊して。瞳に涙があふれた。
「よかった‥‥」
風真は嘘や隠しごとは嫌いだけど、きっと、それをする人間まで嫌いになるわけじゃない。それを知れてよかった。
「だったらさ、太陽君とも仲直りできるよね!」
いつからだろう。自分の声がふるえていたことに、たったいま気づいた。
何にも堰き止められることなく涙がボロボロと流れていく。
「ちょっと待て。どうしておまえが泣くんだよ」
「だってぇ」
わたしは鼻をすすりながら言った。
「ずっと怖くて言えなかったからぁ! 嫌われるんじゃないかって、言えなかったからぁ!」
「おまえ、そんなことで悩んでたのかよ」
「そんなことってなにさぁ! おかしいのは風真なんだからね!」
「分かったから、それ以上泣くなって‥‥!」
「むりぃ! 出るものは出るの!」
涙は止まらない。でもわたしの気持ちは軽やかになっていく。
これからはなんの疑いも持たずに言えるから。
わたしはこの人の彼女だと。




