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9 動揺が収まらない




 リックスの寝室で休んでいたエカチェリーナの下に彼が戻ってきたのは、アフタヌーンティーを侍女に用意してもらって部屋から眺める景色を楽しんでいた時だった。


 大きな開き窓の窓越しから眺める景色は、並んでいるエカチェリーナの部屋から眺める景色と大差ないはずなのに、なぜかずいぶんと違って見えた。王都のフォンテーヌ伯爵家のタウンハウスは他の貴族と違って庭も広い。下を見下ろせば、贅を凝らした庭園の噴水や美しい真っ赤に咲き誇る大輪のバラが目に映る。いつ見ても美しい庭は庭師たちが日ごろから手入れに余念がないからだろう。


 眺めているだけで、リックスとの情事を思い出し動揺してしまう心が落ち着きを取り戻し、心地よく癒されていくのがわかる。


 (――やっと落ち着いてきたわ。・・・・これなら――)


 「――どうやらゆっくり過ごせたようだな」


 ――どきんっ・・


 折角冷静さを取り戻していた胸の鼓動がまた早鐘を打ち始める。

 部屋の入口へ向くと、クラヴァットを緩めながらニヤリと笑うリックスの姿があった。


 「・・お仕事・・お疲れ様です・・・・」


 美しく精悍な顔立ちのリックスはただでさえ直視しがたい神々しさだというのに、今朝の事も相まってまともに見つめることもできない。

 さっと視線を逸らすと、当たり障りない挨拶で胡麻化すエカチェリーナ。しかし、リックスはそんな反応を見逃すほど鈍感ではない。


 「どうした?随分顔が赤いようだが、なぜこちらを見ない?いつもなら顔を見て早々に睨んでくるじゃないか――」


 「――そんなことございません!!旦那様の気のせいです!」


 リックスの言葉に慌てて反論するも、まともに顔を視る事も出来ず視線は彷徨うばかり。


 「・・・・そうか、わかった」


 冷たい声が頭上から降ってくる。あっという間に目の前にまで移動していたリックスは、手に持っていたティーカップをあっという間に取り上げ、隣に腰かけたると膝の上にエカチェリーナを乗せてしまった。


 「~~~なっ・・・何を――」


 突然の彼の行動が理解できず、耳まで真っ赤に染め上げて動揺するエカチェリーナを、なぜかリックスは愛おし気に見つめてくる。その眼差しが心を焦がしていくように熱く、腰に添えられた手の温もりが異様に熱を持っているように感じる。

 きゅうっと締め付ける甘く切ない胸の痛みを堪えるように、エカチェリーナは両手で自分の胸を押さえつけた。


 「随分と雰囲気が丸くなったじゃないか・・昨日までは毛を逆立たせた猫のようだったのになぁ?―――今は喉を鳴らしているようにすら見えるぞ」


 「そ・・そんなこと・・」


 ちらっと視線を向けるが、やはり恥ずかしくてまともにリックスの顔を見ることができない。初夜を終えた夫婦というのはこういうものなのだろうか。

 この隠しきれない心の動揺に何か理由を付けたくて逡巡しても、彼に触れられている部分に意識が向いてしまって集中すらできない。


 ――くっくっ・・・


 耐えきれなかったのかリックスは随分と嬉しそうに小さな笑い声を漏らした。


 「――随分素直な表情を出せるようになったものだな。睨まれていた日々が嘘のようだ」


 (―――!!)


 リックスは満足げであったが、エカチェリーナは冷や水を浴びせられたような気持だった。

 一人の時間に誓った決意が全く役に立たず、今も睨もうとは思っているのに全く睨むことすらできない。


 (――どうしよう・・どうしたらいいの?!)


 焦りと不安が次第にこみ上げてくる。しかし、そんなエカチェリーナの心の内に気付くより前に、リックスの方が先に動いた。

 エカチェリーナを横抱きにして立ち上がると、リックスは部屋から出る。

 向かったのはエカチェリーナの部屋だった。


 「――今から夕食を共に食堂で食べる。すぐに夫人の支度を終わらせろ」


 突然現れた主人からの命令に、エカチェリーナの侍女たちは動揺しつつもすぐに従い動きだす。


 「早く来いよ!」


 エカチェリーナの返事を待たずにリックスは一言告げると自室へと戻って行った。


 彼の言葉は強引であっても間違いなく今までとは違う。言葉の節々に微かな甘さが含んでいるのだ。

 些細な変化にもエカチェリーナは気づき反応してしまうというのに、どうやって睨んで浄化することが出来るというのだろう。


 リックスへの甘く切ない感情と、聖女としての役割を全うできない自分の不甲斐なさで、心が追い付かず感情がぐちゃまぜでちっとも落ち着けない。


 心中穏やかでいられないエカチェリーナが思いにふけっていても、侍女たちは支度を円滑に進めていた。しかし着替えの最中、エカチェリーナの身体のところどころに残る花びらが散ったような痕が、侍女の目にしっかりと映る。


 エカチェリーナは全く気づいていないようだが、侍女たちは二人がとうとう結ばれたことに気付き、声を押し殺しながらもキャーキャーと色めき立っていた。


 支度を終えて鏡に映る自分の姿に気付いたエカチェリーナは驚愕した。


 なぜこんなことになったのか分からず目を瞬かせてしまう。まるでどこかの夜会にこれから行くかのように、しっかりと頭の先からつま先まで綺麗に整えられていたのだ。

 思わず侍女たちに目を向けると、なぜかキラキラと輝く眼差しで「行ってらっしゃいませ!!」と熱烈に見送られてしまった。


 (――どういうこと?!)


 状況に頭が追い付かず、エカチェリーナだけが困惑していた。

 食堂に入ればすでにリックスが席について待っていたが、エカチェリーナの姿を目に映すと甘い微笑みを向けてくる。


 (――――???)


 なぜ甘い微笑みを向けられているのかわからない。それに今更ながらに気付いたが、いつもならリックスの身体を黒い靄が少なからず漂っているのに、黒い靄どころか輝いているようにすら見える。

 エカチェリーナとしては、魔気がリックスの身体に纏わりついていないことは喜ばしいことだったが、どうしても状況が飲み込めず訝しんでしまう。


 食事の最中もリックスはなぜか常にご機嫌だ。


 エカチェリーナは、睨むことすらできない役立たずな自分は大人しくしていようと黙々と食事に集中した。


 「――――おい、聞いているのか?」


 突然リックスの声が自分に向いていたことにハッとするが、自分が彼の話を全く聞いていなかったことに気付き、冷や汗が背中を伝う。


 「・・・え・・えぇ・・」


 「なら構わないんだな?」


 (―――何が?)


 全く聞いていなかったエカチェリーナは、何を言われたのかわからなかったのに咄嗟に「えぇ」と頷いてしまった。


 なぜ頷いてしまったのか。

 しかし、時すでに遅し。リックスはにやりと笑みを浮かべた。


 「では明日は昼前から街でデートだ。朝のうちに支度をすませておけよ」


 「・・・・・・え?」


 エカチェリーナの気の抜けた声はリックスの耳には届かなかった。

 告げたリックスはすでに食事を済ませていたらしく、席を立つと再び執務に戻って行ってしまった。


 一人残されたエカチェリーナは、ぽかんとしたまま状況を理解するまでに数分時間がかかったのは言うまでもない。


 『デート』―――青春を謳歌するような出来事を経験したことのないエカチェリーナ。


 つい数時間前に『一人の時間を多く貰おう』と決心したばかりだったというのに、あっさりと崩れた現状に愕然とした。更に未知のデートに困惑し、その夜は一睡もできないのだった。


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