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6 重なるトラブルの結末は




 目の前に現れた令嬢は、いかにも自分より下の者には見下してかかる浅慮な貴族然な振る舞いなネヘラ・ウィンデール。

 

 ウィンデール伯爵家のご令嬢だ。

 このご令嬢とは話はした記憶はないが、噂だけはよく知っている。『リックスの追っかけ』だ。


 漆黒の腰まで伸びた真っすぐな髪の毛にエカチェリーナと同じ金色の瞳。ぽってりとした真っ赤な唇と、豊満な身体つき。その身体の凹凸をこれでもかと見せつけるような際どいドレス。

  

 黙っていれば美人と十人中九人は頷くであろう美貌の持ち主であるが、性格の苛烈さが残念過ぎる。エカチェリーナの苛烈な罵声も、自分の外見を貶めていることはよく理解しているが、罵声はわざとである。しかし、ネヘラは元々苛烈な性格で、相手を貶めて自分を上げる性格であるため、到底美人とは思えなかった。しかも学生時代は執拗にリックスを追い回し、猛アピールをしていたらしい。正直百歩譲ろうと拘わりたくない人物である。


 横に並び立つのはブレッド・アンダンテ。アンダンテ侯爵家の三男坊だ。

 アンダンテ家事態が、リックスに言わせれば金策もまともにできない爵位だけの家とのことだった。しかし、嫡男はまだしっかりしているのでは?とエカチェリーナは思っていた。それは下の二人の弟が出来が悪すぎるからかもしれないが。


 いつもネヘラと一緒に行動し、腰ぎんちゃくと呼ばれているとかいないとか?

 漆黒の髪に釣り目なこげ茶色な瞳。ネヘラより拳ひとつ分大きい位の背丈。

 ネヘラの隣に立つと、彼女のインパクトの方が圧倒的に強く、ブレッドの存在感は希薄になりがちだ。それでもなぜかこの二人は学生の頃からずっと一緒にいる。

 

 「冷徹悪女なエカチェリーナさんが、まさかフォンテーヌ家に嫁がれたと聞いた時は、なぜそのようなことになったのかわけがわかりませんでしたけれど・・やっぱりリックス様には嫌われていらっしゃるのねぇ」


 「・・・・」


 なぜだろう。

 先ほどまでは至る所に魔気が漂っていたのに、大広間のどこを見渡しても視界がすっきり見える程にもやもやした黒靄がどこにもない。エカチェリーナはネヘラよりも、大広間の魔気の漂っていないことの方にしか目がいかなかった。


 (――まさか・・誰かが浄化してくれたのかしら?!?)


 ――ばしゃぁぁあんっ!!


 「――ちょっと!!人の話を聞きなさいよ!!」 


  突然目の前が冷たくなったかと思うと、エカチェリーナはネヘラのグラスに入ったワインを浴びせられていた。


 「――ぇ?」


 何が起こったのか分からずキョトンとネヘラを見るが、いつもならずっと睨みを聞かせているはずのエカチェリーナ。なぜか表情筋がはたらかず、口元が緩んでしまう。

 顔からドレスまでワインを滴らせているにも拘らず、まるで微かに微笑んでいるようにすら見えるエカチェリーナを、ネヘラは訝しみつつも嫌味を言い放つ。


 「あら、ごめんなさいね、手が滑ってしまったようですわ。

 ですが、貴女もぼーっとされていて普段とは違ったのだもの目が覚めてよろしかったのでは?」


 「ネヘラ、ワインがもったいないだろう?まぁ、普段睨むことしかできない女には顔色が少しばかりよくなってよかったかもなぁ?」


 ネヘラに続きブレッドも助長するように言い放つ。

 クスクスと笑みを浮かべ、二人はエカチェリーナを更にみじめにさせようと挑発的に言う。

 

 「ふふ・・私の事をご心配して下さるだなんて、お二人ともとってもお優しいんですのね」


 「「―――?!」」


 普段滅多に返事を返さないエカチェリーナが、返事をするだけでも珍しいというのに微笑みかけてきたことに驚愕する。

 元々見目は可憐な美少女だからこそ、少し微笑んだだけでも尊いものがある。


 唖然としつつも惚ける二人に、エカチェリーナは更に饒舌になっていく。


 「このかけて下さったお飲み物もとっても美味しいですわ。私もおひとついただこうかしら」


 ずぶぬれになっているにも拘わらず、舌でペロリとワインを舐める仕草は見てはいけないものを見てしまったやましい気にさせる。


 「そんなにびしょ濡れなのにワインが飲みたいなら別室でどうだい?―――私が付き合ってあげるよ」


 エカチェリーナに見惚れながらも動きだそうとしたのはブレッドだった。


 そっと可憐なエカチェリーナの手に触れようとした瞬間「――ぱしんっ!」と小気味よい音が大広間に響き渡る。 


 「――っつぅ!」


 顔を歪めて叩かれた斜め左前方をブレッドがキッと睨みつけると、そこには青筋を浮かべたリックスが佇んでいた。


 「フォ・・フォンテーヌ卿?!」


 顔を急激に青褪めさせてブレッドは叫ぶ。


 「貴殿は私の妻に何をなさろうとしているのか?」


 「こ・・これは――」


 「あら?旦那様!見ておわかりになりませんか?

 ネヘラ様とブレッド卿が私にお飲み物をかけて下さったところですわ!美味しかったのでもっといただこうと――」


 「――お前はもうしゃべるな!」


 頬を赤く染めて口元が緩みっぱなしでニコニコ微笑むエカチェリーナを、会場中の誰も見たことがない。

 その可憐で美しい少女が、普段は睨みを効かせて一切微笑みもしないというのに、恐らく酔ったのだろう。瞳は潤み、顔は火照り、口元からはチラリと覗く舌が艶めかしい。

 様子を伺っていた貴族の紳士淑女が皆エカチェリーナを見つめて惚けている。


 リックスは誰にもエカチェリーナの姿を見せまいと、グイと腰を引き寄せ腕の中に閉じ込めてしまった。


 「――失礼、今宵はハプニングがあったようだ。

 詳しくは後日伺おう。妻がこの有様な故、先に帰らせていただく」


 言うべきことのみを端的に告げると、一瞬だけブレッドを鋭く睨みつけてからエカチェリーナを横抱きにしてリックスはアンダンテ侯爵家を後にした。


 噂など悪評しかないエカチェリーナは普段から噂など興味を持たない。しかし、奇跡的に見たエカチェリーナの微笑みや貴重な艶やかな表情を、一気に様々な貴族によって噂されるようになったのであった。


 『冷徹悪女の隠された微笑みは、まるで天使の様でも妖艶な妖精のようでもあった』――と。





 ――ガタンっ・・


 フォンテーヌ伯爵家の馬車が邸に戻り、出迎えた使用人たちはフォンテーヌ小伯爵夫妻の姿を見て驚愕した。

 エカチェリーナのドレスはシャンパンゴールドと白地のドレスだったハズなのに、前方が真っ赤なワインで染まっている。しかもそれだけではない。普段睨むことしかしないのに、何故かぽーっと惚けて口元はほんの少しだけ口角が上がり別人のように愛らしく美しく・・艶めかしい。

 使用人がエアチェリーナの様子に気付き、頬をほんのり朱に染めたのをリックスは見逃さない。


 「今夜のエカチェリーナの件は後日調査する。今夜は私が世話をするから誰も部屋には近寄るな!!」


 使用人たちに睨みつけて告げると、颯爽と階上の自室へとリックスは戻っていくのだった。





 「――リーナ・・可愛いリーナ・・俺の・・」


 誰かが懐かしい私の愛称を呼ぶ声が聴こえたような気がした。

 優しくて蜂蜜のように甘い声音で甘やかしてくれている。


 (――私が・・誰かに甘やかされるなんてあるわけないのに・・)


 きっと優しい夢。


 普段では魔気を祓う事にいっぱいいっぱいで『優しく甘い時間』など皆無。


 暖かい熱が額や瞼、頬に降り注ぎ、甘くほんのりと胸が苦しくなるような感覚でぎゅうっと誰かを抱きしめた。優しく触れてもらって微笑み合って・・なんて素敵な夢だろう。


 まるで抱き合っているのがリックス様のように見える。―――でも普段のリックス様は絶対に微笑まない。


 だからこれは夢、私の願望が映し出した私だけの特別な―――





 柔らかい陽の光を感じそっと重い瞼を開けると、そこは見知らぬ部屋の見知らぬベッド。


 (―――――――??)


 「――ここは・・ど――――?!?!」


 自分の部屋とは違う天蓋に疑問が浮かぶ。ふと周りを見渡そうと横に視線を向けると、拳ひとつ分程の距離に美しリックスの顔があった。

 あまりにもあり得ない状況に、声は喉の奥に引っ込み身体はカチコチに固まる。

 ぐっすりと眠るリックスは、よく見るとエカチェリーナの腰に腕を回し抱きしめて眠っているではないか。

 天と地がひっくり返ってもあり得ない状況に、思わず頬をぎゅうっと抓ってしまう。


 (――い・・痛いっ!!夢じゃないっ!!)


 再び視線をリックスの顔へ戻すと、美しい彫刻のように整った顔が目に入る。

 長いまつ毛、すっと通った鼻筋、ほんのり赤みを帯びた薄い唇、眠っていても色気を放つ両眼の下の黒子。このままずっと見ていられそうなほどに、見惚れる美しさだ。


 (――こんなに素敵な方が私の旦那様だなんて・・今も信じられないわ・・)


 しかしハッと我に返る。

 ここでリックスが眠っているということは、自分がもしかしたら夜這いしてしまったのかもしれない。

 昨夜の夜会の記憶が、ネヘラに飲み物をかけ垂れた後辺りから思い出せない。


 (―ま・・まさか・・私・・とうとう旦那様を襲ってしまった?!)


 何も思い出せないからこそここにいるのは危険すぎる。もし襲ったかもしれないというのが自分の勘違いなら良いが、それでもリックスの部屋で寝ているのはどう考えてもおかしい。

 

 (――きっとリックス様が起きたら激昂されるに決まっているわ!!早く部屋に戻らなきゃ!!)


 すでに嫌な予想で胸の鼓動はバクバクと物凄い早さで高鳴っている。体も震え始め、少しでも気が緩めば自分の起こした状況に耐えきれず泣いてしまいそうだ。


 エカチェリーナはそぉっとベッドの外側に向くと、リックスの腕をもち上げベッドから抜け出そうとした。


 「―――どこに行くつもりだ?」


 聞こえるはずのない寝起きの気怠さを含んだ低い声がエカチェリーナの耳朶をくすぐる。急にグイっと身体を引き寄せられて、温かい胸の中に閉じ込められてしまった。

 


 (――ど・どうしましょうっ!!!!)


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