4 縮まらない心の距離
「そうだ、お前がやりたいようにさせるものか!
嫌いな俺に口づけてみろ!」
動揺を隠せず目を見開くエカチェリーナを揶揄するように言う。
(――嫌い?リックス様を?・・誰が?)
彼の言葉にエカチェリーナは更に困惑する。
リックスは自分にかけがえのない大好きな初恋の人だ。虐められても嫌ったりなんてしない。
(――やっぱり私の罵声が、彼を嫌っているように思わせてしまっているのね・・)
リックスを見つめると、明らかに歪んだ笑みに喜色が滲んでいる。
エカチェリーナにキスを無理強いすれば、悔しがるとでも思っているのだろう
(――私はリックス様が好きなのに・・こんなの・・許されるの?!)
リックスの勘違いをどう正すべきか逡巡する。しかし、彼は待っていてくれるわけもない。
「早くしろ!もっとひどい仕置きがいいのか?!」
「そ・・そんなこと・・し・します・・しますから!!」
更に近くに顔を寄せられて、茹蛸のように真っ赤になるエカチェリーナ。
震える身体を懸命に堪え、胸の前でぎゅうっと両手を握りしめる。
目を閉じると、意を決っして彼に近づく。
――ちゅっ
エカテリーナはそっと触れるような口づけをリックスの頬へ落とした。
瞳を開け一番に目に映ったのは、普段の冷めきった色ではなく暖かみを持ったファウンテンブルーの瞳。
夢のように感じる唇に感じた彼の肌の感触。余りにも幸せ過ぎて、つい見惚れて惚けてしまう。
「――なんだよ、普通は唇にするもんだろ?」
リックスの不満げな声音でハッと現実に引き戻される。
「お・お仕置きは・・これでよろしいでしょう!!ではっ!!」
慌てて膝から降りようと体勢を変えようとした。
(――え?!)
降りようとしたエカチェリーナは身動きできない。
後ろから座ったままリックスがエカチェリーナをぎゅっと抱きしめたのだ。
「俺から逃げるな・・。
俺を罵倒しようが睨もうが構わん!・・・・逃げるのだけは・・やめてくれ」
先ほどまでの揶揄するような声とは全く違う。
首元に顔を埋め悲しげに囁くリックスは、まるでエカチェリーナに懇願しているようにすら思えた。
(――リックス様?・・なんで・・私を嫌いなのに・・)
彼はエカチェリーナに「逃げるな」と言った。
ここ数日、食事ですら一度も共にしていなかったことを言いたかったのかもしれない。流石に形だけの結婚だったとしても、一日全く顔を合わせないというのは夫婦として良くなかったのだろう。
「――わ・わかりました。
食事はちゃんと・・食堂で一緒に食べます・・から・・」
前を向いたまま告げるエカチェリーナの身体の拘束はふっと緩くなる。
リックスは抱きしめていた腕を離すとエカチェリーナを床へ降ろす。
「――行け。許す。
だが、約束は違えるな」
再び彼はいつもの冷徹な口調に戻ると、さっと立ち上がり仕事に戻って行く。
ぎゅっと抱きしめられた力強さにドキドキして、エカチェリーナはしばらくその場を動けなかった。
***
「――奥様、今よろしいでしょうか?」
「どうぞ、・・何かあった?」
自室で夫人の嗜みとして縫っていた刺繍の手を止めて、エカチェリーナは侍女に目を向けた。
「三週間後にアンダンテ侯爵家主催の夜会がございます。
・・・・旦那様とご一緒にエカチェリーナ様もご招待されております。
今、招待されている貴族リストを旦那様が取り寄せ、ご用意してくださっているのだそうです。
夜会までに確認して一通り覚えておくようにと旦那様が仰せです」
「――・・夜会・・初めてね。・・私が参加だなんて良いのかしら」
「旦那様がお決めになったことです。・・・・従われたらよろしいかと」
「・・・・そうね、わかったわ」
侍女は必要最低限度の報告を済ませると、再び部屋の外へと戻っていった。
やはりエカチェリーナが睨みながら話を聞くから怖かったのだろう。
(――・・・・ごめんなさいね・・)
報われない想いだけが宙を彷徨った。
***
「――・・馬子にも衣裳とはこのことだな」
馬車に揺られながら、対面の座席に座るリックスは腕を組みながらにやりと笑みを浮かべる。
「素晴らしいドレスのおかげです。ありがとうございます」
今夜はアンダンテ侯爵家主催の夜会。
何とか招待客リストの情報を覚えたエカチェリーナだったが、ドレスの用意などは全くしていなかった。しかし、夜会の三日前にはドレスが届けられ、サイズ調整までしっかりと準備が整えられた。
頭の先からつま先までの装飾品も全てリックスの指示だ。
ドレスは大人っぽいシャンパンゴールドだが、フワフワと広がる折り重なった白のフリルのプリンセスライン。ふんだんに使われた繊細な金糸の刺繍のフリル。胸元には美しいクリスタルとサファイアの輝きの宝石やパールが煌めく。
ヘッドアクセサリーはサイドにシャンパンゴールドと白のフリルの華やかさに、宝石をあしらった美しい髪留め。更にピンクの髪を煌めくパールチェーンで編み込んでいる。耳元にはパールイヤリング。首元には白いレースに金糸の刺繍のチョーカー。足元はリボンとパールのついた可愛らしいパンプス。
まるで妖精のように美しく愛らしいコーディネートに、エカチェリーナは驚きが隠せない。
まさかリックスが、これほどまでに素晴らしいセンスを持っているとは知らなかったのだ。
「自分の妻を夜会に連れていくんだ。完璧でなければならないからな!」
自信満々に告げたリックスはいつもの冷徹さはなく、完璧にエカチェリーナを貴婦人に仕上げた満足感に浸っているようだった。
「今回の夜会主催は大した貴族ではない。侯爵であろうと金策もまともにできないような名ばかり貴族だ。
それでも今夜が私たちの夫婦での初の夜会だ。
嫌であろうとなんだろうと人前で喚き散らしてフォンテーヌ家に泥を塗るのはゆるさん!
言いたいことがあるなら二人きりになってから言え。わかったな!」
「・・・承知しました」
先手を打って告げられた言葉に、改めて自分の行動がフォンテーヌ伯爵家に泥を塗る行為なのだと思い出す。とはいっても、リックスはどうしようもないほど毎日魔気を引き寄せてしまう。
今はうっすらと纏っている程度なので、睨めば半刻程は問題ない。しかし、夜会となれば話は違う。多くの魔気が集まりやすいのだ。
エカチェリーナと結婚するまでの間、リックスが無事だったのが不思議な程だ。
あれだけ頻繁に魔気を引き寄せていたら、精神的に病んでいてもおかしくない。それどころか死んでいてもおかしくないはずだ。
無事だったのは、リックスの精神力の強さや身体能力が優れていたからもあるだろうが、運も良かったに違いない。
きっと今夜は強い魔気も寄ってくるだろう。しかし、大勢の貴族の前でエカチェリーナが罵声を上げるわけにはいかない。
(――・・二人でいる時なら・・きっと・・浄化しても構わないという事・・よね?)
悩んでいる間にも二人を乗せた馬車は侯爵邸へと到着した。
勝気な笑みを浮かべたリックスは、エカチェリーナへ手を差し出す。
「さぁ、初めての夜会だ。俺を怒らせてくれるなよ?」
しっかり牽制されながらも、エカチェリーナはリックスの手を取り会場へと向かうのであった。




