10 街デート 1
翌朝早くからエカチェリーナは狼狽えていた。
昨夜と同じように、侍女たちが朝早くからエカチェリーナの身支度に精を出していたからだ。
(――一体昨日から侍女たちはどうしたというの?)
張り切り様が異様すぎる。
たかだか街へ出かける為だけに、何故夜会へ参加するかのように念入りに身体を磨き上げられているのか全く理解できない。しかし、侍女たちは全くこちらの動揺を気にも留めず、張り切ってエカチェリーナの頭の先からつま先まで丁寧に磨き上げていく。
嫁いできてから数か月経ち、暴言を吐いたり睨みをきかせるエカチェリーナへの耐性でもついたのだろうか。
商家の娘風な装いは簡素ではあったが、それでもエカチェリーナの優雅さやにじみ出る楚々とした美しさを隠す事は出来ない。
気づけばすでに約束の時間は訪れ、いつの間にかドアの前にはリックスの姿があった。
「やはり元がいい、黙っていれば美しさは隠しようがないな」
「―――?!」
(――今―――う・・美しいと言われたの?!)
当然とばかりに告げるリックス。しかし、嫌われていると思っているエカチェリーナとしては『褒められる』など信じがたい。
突然最上級の誉め言葉を浴びせられて、反射的に「びくうっ!!」と大きく肩を揺らしてしまう。
普段から冷静を装ってきたにも拘らず、動揺をを隠すことが出来なかった。
「・・・・なんだ?まさか照れているのか?」
物珍しいものを見るように目を瞠った後、リックスはなぜか機嫌をよくしたらしい。支度を終えたエカチェリーナをサクっとエスコートすると二人は馬車に向かう。
さも当然とばかりに馬車内へエスコートして、そのままひょいっとリックスはエカチェリーナを膝の上に座らせた。
「―――?!」
あまりにも可笑しな状況であるハズなのに、流れるように無駄のない動きでわずかに思考が停止してしまう。
――しかし、馬車のドアが閉まってすぐに洋服越しのうなじに柔らかい感触が触れる。
感じたことのない感触がぞくりとするような甘い痺れと共に、滞っていたエカチェリーナの思考が急速に動きだした。
「なっ・・何をなさるのですか!」
言葉は厳しくとも、言葉には威嚇できる程の強い意思を込めることができなかった。ただの悪あがきでしかなく、エカチェリーナは乱れる心を落ち着かせることが出来ない。けれど、少しでも気取られまいと振り返ることはない。
否、できなかった。
冷静さを保とうと視線を足許へ向けて凝視する。
沸騰したかのように首まで熱をもち、口元は動揺しすぎて力が入らない。斯様な状況で睨みつけたとしても、威嚇どころか媚びているように捉えられかねないだろう。
懸念した通り、リックスはこちらの状況を把握していてくすりと小さく笑う。
堂々と聞こえないふりをして到着するまでの間、後ろからエカチェリーナの腰に腕を回したまま至る所に微かな唇音を立てながら口づけを落としていった。
王都の繁華街の馬車寄せまで十五分程。
わずかな時間であったはずなのに、到着した頃には頬は火照りとても人前に出られるような状況ではなくなっていた。
「困った奥様だな」
にやりと笑みを浮かべて意地悪な言葉を投げつけながらも、こちらを見つめる瞳には絡めとられそうな程の熱が籠っていた。
結局馬車を走らせたのと同じだけの時間を到着後も馬車に居座り続け、リックスのそつのないエスコートで馬車を降ろされた。
(――や・・やっと解放されたわ・・・・)
目的地に着いたばかりというのに、なんという疲労感だろうか。
たった三十分程で数時間の執務をこなしたかのよう。
精神はごりごりと削られて疲れを隠せない。けれど、エカチェリーナはおくびにも出すことはない。
「――なぁ、お前は学生の時、街で買い物をしたりしたのか?」
綺麗に舗装された石畳の上を進みながらリックスは問う。
「特に用事もなかったのでしていません」
「・・用事なんかなくても気分転換に出かけたりしなかったのか?」
「必要性を感じませんでしたので」
明らかな憐みの籠った眼差しを向けられむっとしてしまう。けれど、それも仕方ないこと。
学生の時だけでなく、今ですら浄化のために人付き合いなどしていないのだ。余程の用事がない限りで掛けたいとも思わないし、だからこそ友人もできるはずがない。特に魔気が溢れやすい人の多い街中など、気疲れするだけで良いことがない。
エカチェリーナにとって貴重な休みは部屋でゆっくり過ごすのが一番だった。
リックスの問いに淡々と答えた。
「それなら買う物はどうしていたんだ?」
「実家に帰省する度に必要なものを追加で揃えていましたから、買い足す必要もありません」
「・・・無駄がない奴だな・・・・」
まるで珍獣を見るかのように驚愕の眼差しが降り注ぐ。
「――やるべきことが他にありましたから」
学業に専念していたエカチェリーナは、全ての熱を単位に全振りしていた。
学園生活の五年間、単位成績は最優秀で最上級のSランクを全てにおいて取得し、それを卒業まで持続させた。優秀な成績を収めていたリックスと、学年順位の二位以内を二人で独占していたのだ。
「・・あぁ、確かにお前は勉強への熱意が凄まじかったからな・・」
「・・ご存じだったんですか?」
ぼそりと呟いたリックスの言葉に思わずぴくりと反応してしまう。
それは仕方ない。二人の接点は成績が常に並んでいた。ただそれだけだったので、エカチェリーナが勉学に情熱を注いでいると気づいてもらえるなど思いもしなかったのだ。
思わず「しまった!」という気まずで微かに動揺する表情を向けた彼の姿は、耳がほんのりと朱を帯びていて初めて目にしたものだった。
「トクンっ」と胸が甘く弾み、面映い気持ちになってしまう。
「そりゃいつも学年順位を争っていたからな!俺がちょっとでも気を抜けば、お前はあっという間に抜いてくるから気が気じゃない五年だった」
「まさか・・・・意識して貰えているとは・・思いませんでした」
「はは・・おかげで五年間二位以内を持続出来て、周りからの評価も随分あがったものだ。これもお前のおかげだな」
信じられないという思いで告げたエカチェリーナに、リックスは顔を綻ばせて笑みを浮かべる。
ほんのわずかであったが、幼き日の彼が垣間見えたきがした。
切なく甘い胸の苦しみと共に、エカチェリーナの胸の鼓動はトクトクと早鐘を打ち続ける。
「――だったら休みの日は部屋で過ごしていたのか?」
「そうですね、―――・・ゆっくり過ごしました」
「・・・まさか・・・勉強ばかりしていたなんて言わないよな?」
訝しむリックスに、思わず言葉を詰まらせてしまう。
「そんなことは・・―――多少は・・他の事もしました」
「他の事とは?」
「刺繍をしたり、読書をしたり・・・ですね」
「―――そういえば、嫁いできた頃に刺繍糸を買いに出かけたいと言っていたな。まだ買えていないのか?」
「外出する機会がなかったので」
事実を述べただけであったが、リックスがきまり悪そうに視線を逸らした。
「あ~~~・・そういえばそうだったな。行きたい手芸店は決まっているのか?」
立ち止まり眉間に手をあて項垂れながらも、リックスはこちらにチラリと視線を向けた。
「買い出しに行ったことがなかったので・・行って良いのでしたらこれから探します」
「そうか、それなら良さそうな店を部下に探させておくから、その間暇つぶしでもしているか」
「暇つぶし・・ですか?」
聞き慣れない言葉にエカチェリーナはきょとんとしてしまう。
「そうだ。買い物も初めてなのだろう?適当に店を見て歩くぞ」
「――はい」
リックスは部下を呼び寄せ指示を出すと、再びエスコートしながら街歩きを始めた。
初めて街中を歩くエカチェリーナは、全てが目新しく柄にもなく目を輝かせながら店のウィンドウに並ぶ商品を楽しそうに眺めた。
絶妙なタイミングで、エカチェリーナの興味を示した店に流れるように誘うリックスに乗せられて、二人きりの外出であることなどすっかり忘れたように夢中になってしまう。
時間を忘れてウィンドウショッピングを楽しみ、次の店を見ようと意気揚々と歩き出そうとしたのを、リックスは腰を引き寄せて後ろから抱きしめる。
「―――ちょっと待て」
「――え?どうかしました?」
抱き寄せられすっぽりと身体を包み込まれ、心臓が飛び跳ねたかのような衝撃を感じた。
突然のリックスの抱擁が、すっかり忘れていた『二人きり』な状況を甘く呼び起こしたのだ。
「少しあそこに入るぞ」
声に振り返り指を差された先へ視線を向けると、テラス席のあるレンガスタイルのカフェレストランが目に入る。
道行く人人々も店内を見る事が出来るガラス張りと暖かみのあるレンガで彩られた外装。内装はベージュ塗装にアクセントとして外装と同じレンガも取り入れられているようだ。天井からは八灯の真鍮シャンデリアが幾つも吊り下げられていた。
暖かみのある雰囲気でありつつも、落ち着いたダークブラウンのテーブルや椅子は、乙女心をときめかせるようなロココ調。曲線的であり、優雅な装飾であしらわれた上品で可愛らしい空間を演出している。店内から漏れ出る芳しい香りが。道行く人々の視線を集めていた。
二人は香りに吸い寄せられるように店内に足を踏み入れると、中の装飾もとてもセンスが良くついつい見惚れてしまう。
外から眺めただけでも素敵な店だと一目瞭然であったが、混み具合から見ても人気な店なのだと容易に判断できる。
席に案内された後も、エカチェリーナは店内の素敵な雰囲気に惚けていた。
いつの間にかリックスが注文を済ませてくれていたらしい。目の前には前菜が用意されていたのだった。




