豚こま切れ肉は塊で入ってる
高校三年の大学受験期の冬は、イライラするし寒くて腹も鳴る。解けない数学の問題集をシャーペンで殴って消しゴムで擦る。
手の側面が真っ黒になって、机やパジャマを汚した。
イラつく、イラつく、イラつく。
「なぁチトセ」
母がノックなしに私の部屋を開けた。腕には買い物袋を提げている。折れた白ネギのツンとした香りが部屋を漂った。扉の先にはごちゃごちゃしたリビングが映っている。本来なら狭くないはずのマンションも、我が家はなぜか散らかってしまう。
(はやく自立して、家から出ていきたいなぁ……)
考えていたら、親が目を輝かせて言った。
「鍋にしよかっ!」
「またぁ?」
具材は白菜と白ネギと豚の細切れだという。それと粉末出汁。シングルマザーの母にとって、鍋は楽で安く済む料理なのだ。
……だからと言って、3日以上同じ夜ご飯は飽きる。ただでさえ朝ご飯もパン、昼ご飯は高校の500円以内の弁当や総菜パンなのだから。
母は、介護の仕事で乱れた前髪のまま笑顔で言った。
「鍋なんて、いくら食べても楽しいからね♪ あったまろ〜!」
「……はぁ」
「なんや、そのリアクション! ふふ、今日は98円の薄揚げも入れたるで。それまでおとなしく勉強しときー!」
「言われんでもやるわ」
扉が閉められる。白ネギの残り香がする。親は必ず白ネギの青い部分を折るので、ネギ臭い香りが強烈に残るのだ。
「……勉強して立派な企業勤めて鍋以外のもの食べられるようになろ」
そんな目標を抱きつつ。
勉強をしながら鍋が出来上がるのを待った。
◇
「出来たで!」
リビングテーブルに散乱した物を端っこに寄せた形跡がある。何とか空けたスペースに鍋が置いてある。豚肉の独特な香りが換気扇に収まりきらず残っていて、(あぁこれから豚しゃぶを食べるんだなぁ)という気持ちになった。
「よぉ煮たで。白菜も透明や!」
「ふーん」
「SNSにあげてもええんやで」
「にしては具材しょぼ過ぎでしょ」
「ふえーん」
「泣いても具材は増えません」
「www」
「なにわろてんねん」
親は私がツッコミをいれると必ずオーバーリアクションをしてくる。例えば私が、塊の豚こま切れ肉を摘んで「パックのそのまんま入れたやろ」と言うと「大当たりや〜♪」って言ってきたり、ネギを探していると古い歌を歌い出したり。
「お母さん、普通の受験生は焼きおにぎりとか食べるんやで」
「焼きおにぎりは野菜無いやん」
「どういう理屈?」
「私はバランスの良い鍋が良いと思ってます」
「……楽やからやろ?」
「www」
「なにわろてんねん」
……まぁ、具材は少なくても鍋は美味しい。塊の豚こま切れ肉の血の気も、慣れれば旨味だ。確かに白菜も白ネギもよく煮られていて柔らかかった。
シメの雑炊に卵を落とせないのが悔やまれるが、白菜とネギの甘みをより深く感じれて良かったのではとも思う。薄揚げからも何らかの旨味が出ていたし。
では、念のため訊いておこう。
「ねぇお母さん」
「なんや」
「明日も鍋なの?」
母はウェブチラシを見て目を輝かせて言った。
「国産の椎茸6個で200円やって! それに舞茸86円! よし、明日はキノコ鍋やね♪」
「うそ〜!」
「くふふ」
「だから、なにわろてんねん!」
何日も続けて鍋鍋鍋。
片付けられたテーブルには、明日のパンと私の昼食代である500円が置かれていた。
(はぁ、せめて500円で、何か変わったものが食べたい……)
ハンバーグとか、カレーとか。
(購買に売ってないんだよなぁ……)
有ってBLTサンド。お腹に溜まらない。それに私はトマトが嫌いだ。サンドイッチの薄いベーコンも。レタスはまぁ、食感による。
この頃、鍋を食べているからか肌のコンディションや胃腸の調子がよい。それがせめてもの救いである。
「うーん。明日はキノコ鍋かぁ……」
「じゃ、おやすみー」
「え、もう寝んのお母さん」
「だって明日早出やもーん」
食べたら食べたですぐ眠る親だ。私も明日に備えて寝よう……と、その前に鍋の臭いをお風呂で落とさなくては。
念の為、私の部屋や制服にも消臭剤をふっておいた。『鍋臭い』という理由でイジメられたら嫌だからね。




