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日昇

作者: 橿原岩麿

 夏の盛りを迎えようとし、むわっとした熱気がじんわりと体を包む。日が昇りきる前の時間。グウェイ・スネアのひまわり畑をうろうろとしていた。大した目的もなく、仕事を始める前に散歩によって、まだはっきりと目覚めていない頭をすっきりさせていた。


 いつも73区画のあたりまで歩いたところで、頭が目覚めきるので、そこからは歩きながら新聞を読む。彼はこの新聞社の社長が書いているコラムがお気に入りであった。社長が読んだ本から心に響いた言葉を選んで紹介するものである。二日に一度だけの掲載であるから、昨日はなかった。今回の内容は詩に出てきた花についてのことであった。グウェイはそれほど心が動かなかった。


 前回の内容は季節についてであった。それは気候の四季についてではなくて、人生の四季についてであった。青春という言葉には続きがあって朱夏というらしい。その朱夏の続きは白秋というらしい。そして、そこでおしまいである。冬は来ないのかと思ったが、冬は青春の前にあって玄冬という。確かに突然春は始まらない。備えあっての春である。この四季についてグウェイはぼんやりと考えを巡らせていた。


 大抵は自分自身の人生について考えるものであるが、グウェイは彼の懐かしい友人のことを考えていた。彼のことを振り返るとあまりにも多くの発見があり、彼の存在がグウェイにとって、湧き出続ける思考の泉のような存在であった。この四季の言葉について知ったときにも、すぐに彼に結びつけた。


 彼の才能を私の知りうる言葉で表現するのは難しい。なので、私は最近彼のことを考えるのではなく、むしろ彼を取り巻くその環境について考えている。しかし、具体的に彼がどのようなことをしているのかはよくわからないので、いつも比喩表現で考えている。彼の環境を戦場と仮定すると、とても良い表現ができたので、それが気に入っている。


 まず、彼を除いた環境はこうなる。ありとあらゆる選択が自由となって皆が一流の兵士たる訓練と軍師たる教育を受けられるようになった。ゆえに、一流の兵士を率いる一流の軍師たちの発生が見られるかに思われた。そして、あわや思考する兵士が出てくることさえ期待された。


 しかし、やはり現実は人類の希望を机上の空論を嘲笑うようで、考える兵士が出てくるのかと思えば、誰もが軍師になりたがる時代になった。当然と言えば当然だ。誰が戦場の最前線に行きたがるものか。結果から見れば至極当然の話であった。人類はいつも人類自身の欠点を理論に入れ忘れる。料理を作る側でなく作ってもらう側の方を選びたがる。


 初めに指摘され出した問題は、軍師が軍師の間で些事を哲学的に表現して翼賛しているだけで、一切の実務的な面は進行していない問題であった。すこしばかりの時を経て、次の問題が発生した。当然、兵士の不足である。兵士から軍師にはなれるが、軍師からは兵士になれない。もはや兵士に戻るには、人々の頭が重くなりすぎた。軍師、つまり知識は年齢を問わないが、肉体的訓練には期限がある。決して取り返せない質の差が生まれてしまう。


 ただ、悲しいことに、現場志望の兵士志願者は減る一方。椅子に座っているだけの軍師が減少してゆく兵士について、指摘されつくした問題をまるで自分が発見したかのように繰り返すだけであった。金も血も出さずにいたい。臆病者の欲望の表現だけは一切指摘しなかった。指摘する者はいても、自分もそうだが、と自嘲気味に意見に添えるだけで結局椅子から立ち上がることさえしない。


 そこに、彼は現れてしまった。一流の兵士であり、一流の軍師である彼が。戦場帰りの彼の意見に、建設的な反論を生み出せるものがいなかった。現実的な経験に織り込まれた徹底的な客観的意見。つば競り合いに命を懸けながら、戦場を図面上で考えているような正確さ。圧倒的であった。やせ細っただけで、軍師としても三流程度の人間たちは、屈強な肉体に怯える情けない生物としての本能が、彼らが知性と呼んで悦に入っていた反響を黙らせた。反論は本人に届かぬ陰口のみであった。


 才に自我が形成された。もしくはその才によって、自らの道筋を定められてしまったその友人のことを、通常ならばグウェイは考える。しかし、その夏の熱気がそうさせたのか、グウェイは彼自身のことを考え始めていた。他人を通じて自らを理解しがちな彼が、自分自身のことを、一切の客観性に頼らずに考え始めていた。学術的論調ではない彼自身の言葉で、彼は彼の心の中を見つめていた。


 ギリシアの神話の華やかさはありませんでしたが、古事記に出てくる朗らかで爽やかな小話のような思い出たちに囲まれて生きてきました。その思い出たちがふと、不意に日常の中で私を訪れに来ると、今では見慣れた景色になってしまったはずの満開の花畑を見た時のように今でも微笑んでしまいます。私は幸せでした。


 そんなぬくもりから私を前進させたのは、強制や信念よりもむしろ、愛する者たちの私に対するあまり余った愛が、行く末を案ずる不安となり、それが私に伝播して、私の中で不安となって、私を駆り立てたのでした。新大陸を見つけるという目標がなければ、ただの難破船だ。優劣も貴賤も美醜もない、ただ何かに向かって進まなければならない。自らを自らで鼓舞し、突き進んでまいりました。これからもそのつもりであります。


 新たなる冒険への旅路には、いくつもの別れがありました。出会わなければよかったと思うほどの別れでした。しかし、その私に押し寄せてきた悲しみが、今まで私に与えられていた幸福の分だけ押し寄せてきていると、気づいたときに、私は冷たい逆説的な幸福を感じました。


 今まで、支えられていたものを奪われて、失って、落ちていく。そしてそこから這い上がろうとして、手を離されて落ちて、叩きつけられている。ではどこに立っているのか、どこに落ちて、どこを歩いているのか。人間は何に立脚して生き続けていられるのでしょうか。


 私にとってはそれはその思い出たちでした。しかし他の人はどうでしょう。誰もが恵まれた土に根を張れるわけではない。つまり、人間のあらゆるの基礎となる幸福な思いでなくして、一体何を糧として、生きてゆくのでしょうか。何かがあるはずです。悲しみに包まれて大人になった人たちの何と多いことでしょうか。しかし彼は立派に懸命に生きている。私はこの自らが持っていることを自覚して、持っていない者たちのことを考える傲慢さに嫌気がさしています。


 グウェイは珍しく、自分のことを考えた後、あの友人のことが頭をよぎった。


 泣きたい時に泣けるのが子供の特権です。彼はそれを奪われてしまったのではないでしょうか。彼自身がそれについてどう思っているかはわかりませんが、やはり、それは安らぎを知らぬ不断の苦痛の連続ではないかと思われます。帰る場所のない旅は放浪に違いありませんから。


 もうすぐ日が昇り、朝がやってくる。彼は徐々に明るくなってきた周囲と、顔を上げ始めているひまわりたちを見てそれを感じていた。仕事の時間が近づいてきた。仕事が始まると思って、陰鬱な気持ちになるような年齢はとうに越していた。しかし、未来への憂いは募るばかりであった。


 未来という概念の拡張が現代を憂鬱で包み込んだ。今や芽吹きの時から枯れゆくことを考慮して、今だ種ですらない次の芽のために、陽のあたる場所を取っておかねばならない。未だ存在しない芽のために、陽をあてる準備をし、根を張ることに備え、ミツバチを呼び寄せなくてはならない。現在はどこへ行ってしまったのか。


 数百年前に人間自身が何にもとらわれずに、生きて行くために考案された平等な保護と自由競争は人間の人生を売りはじめ、そして、時間でなけなしの脳内物質を購入するに至った。あまりにも悲観的な表現で、しかも短絡的だ。こんなものは二、三冊本を読めば誰でもたどり着く浅い結論だ。まだ何かあるはずだ。我らが百年前を振り返って、なぜここでこうすればいいのに、なぜこんなことをしたのかと嘲笑するような明らかな解決策があるはずだ。


 グウェイは待ち望んでいる。この現在の向かうべき方向と新たな未来が切り開かれることを。彼自身が、納得することのできる答えをずっと考え続けている。すべては人類の手の届くところにある。この地上に全てある。天使と悪魔が未だこの地上で戦っている。皆が自らを天使だという。グウェイは悪魔の誘惑に乗らず、自らを焼くほどの天使の光の中にいたいと思っている。


 突然、畑に害獣が入ったことを知らせる警報が鳴った。こんな季節に一体何が来たのか。グウェイはかなり困惑した。それはあまりにも抽象的で答えから遠ざかった自身の考えを間違った方向に進む前に神が止めてくれたのかもしれないと思った。ここからそう遠くない区画からの警報だった。グウェイはすぐに向かうことにした。


 陽の光まだ地面を照らしきらず、ひまわりも顔を上げ切っていない。グウェイの顔を撫でる風もまだ生暖かく、夜明けはまだ来ていなかった。

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