第5話「雨に溶ける」
結衣は震える手でスマホを耳から離した。
通話は切れておらず、母の泣き声が小さく漏れ続けている。
けれど、その声はもう遠い世界のもののように思えた。
(まさか……そんな、わけ……ないよね……)
さっき確かに悠斗兄ちゃんに会った。
声も、手の感触も、頭を撫でてくれたあの優しい力も――全部、ちゃんとそこにあったのに。
結衣はよろよろと数歩歩き、もう一度あの場所へ戻って兄を探す。
鳥居の下。
ついさっきまで悠斗が立っていた場所。
「……兄ちゃん?」
呼んでも返事はない。
その場には、ただ雨に濡れた草むらが広がっているだけだった。
細い草がしきりに揺れ、雨粒を落とし続けている。
さっきまでの笑顔も、ぬくもりも、声も――何一つ残っていなかった。
(えっ……やだ……やだよ……)
結衣は立ち尽くしたまま、冷たい雨に濡れていく。
体の奥から、ひとつひとつ現実が崩れていく音が聞こえる気がした。
周りでは、まだ他の子どもたちが肝試しを終えて戻ってきてはしゃいでいた。
なのに、その中にさっきまでいた悠斗の姿はない。
結衣は小さく震えた唇で、ひとことだけ呟いた。
「……お、お兄ちゃん……?」
けれど雨が答えることはなかった。
ただ冷たく降り注ぐ雨だけが、結衣の髪と頬を、そして涙のあとを静かに洗い流していった。