追憶
上京して大学に進学してすぐ、学生談話会、というサークルを同じ高校から合格した子と一緒に覗きに行った。
本を読んだり映画を見たりしての感想とか、あるいはそういうきっかけも何もなしに、心に浮かんだ考えを論理の筋道を組み立ててきちんとまとめて書き、話す。元新聞記者のOBが時々来て、講師として講評・添削もする。
「談話会」なんて何をするのかもはっきりしないほんわかした名前のサークルにしてはずいぶん硬派できちんとした活動をしていたものだと思う。
わたしたちが入学してふた月ほど経ったころ、やつがサークルの集会にふらりとやってきた。それがやつとの出会いだった。
やつは2回生だった。初めの一年間は大学の講義だけでは退屈で、自分で小説を書いたり、自作曲をSNSにアップしたり、アルバイトをしたりしていた。そういう課外活動に全部飽きたので、高校時代の同級生が所属している学生談話会に来てみたのだと言う。計算機科学教室以外の進学先は、入学した当初から考えていなかったと言っていた。当時の計算機科学教室は、採用人数も少なくて狭き門だった。
「計算機をもっと賢くして、人間は楽をするのだ」というのがやつの口癖で、そんなに何もかもコンピュータにやらせたら人間は楽になるかも知れないけど、そのあと人間はすることなくなって困らないのか、わたしには疑問だった。
九州の造り酒屋の一人娘だったわたしはゆくゆくは家業を継ぐつもりで、そのために農学部の発酵学教室に進みたいと思っていた。学費を出してくれた親もそのつもりだったろう。
やつとわたしとは、興味も考え方も全然合わなかったけれど、講義の合間などに学生談話会室に行くと必ずといっていいほどやつが来ていて、とりとめもなく会話するのは楽しかった。
わたしたちは「付き合っている」という関係には最後までならなかった。それでも、互いの存在がそばにあるのがひどく心地よくて、気がつけばいつも一緒の時間を過ごしていた。学生談話会だけでなく、大学の図書館、学食、帰り道。くだらないことでも真剣に話したり、何も話さずただ並んで歩いたり、そういった何気ない時間がいつまでも続けばいいと思っていた。
§ § §
わたしは農学部の発酵学教室を目指していたはずだったのに、「計算機をもっと賢くして人間は楽をするのだ」と熱っぽく語るやつの計算機科学、とくに人工知能研究への情熱に、知らず知らずのうちに強く影響を受けていた。
やつの話を聞いているうちに、全く違う分野だと思っていた計算機科学が、実家の酒造りの現場を改革し、発展させるために応用できるのではないか、特に人工知能を使えば、杜氏の経験や勘をデータとして学習させ、より品質の高い酒を安定して造ったり、新しい味を開発したりできるのではないかという具体的な可能性を感じ始めた。
そして、悩んだ末、わたしはやつが3回生になって進学した計算機科学教室に、自分も進むことを決めた。
ところが、計算機科学教室に進学して以降、やつの興味は人工知能の研究から、より汎用的で多くのプログラマの役に立つプログラミング・ツールの改良開発の方に移っていってしまった。わたしが研究者として外資との合弁研究所に就職したころには、やつはオープンソースのプログラミング・ツール開発プロジェクトを率いていて、やつのツールは世界中で使われるようになっていた。大学院を続けてゆくゆくは博士になるのかな、と周囲の皆が思っている間に、やつは企業スポンサーを見つけてきて、大学院を中退し、あっという間にシリコンバレーに移住してしまった。
やつの「計算機をもっと賢くして」に刺激されて人工知能の道に引き込まれたわたしは、なんだか騙されて知らない国に連れてこられた挙げ句、ひとりで置いていかれたような気持ちだった。
大学を卒業して以来、わたしたちは一度も会っていない。
いま、やつはどうしているんだろう。もちろん、やつがやっているオープンソースのプロジェクト自体はとても有名だから、毎日のようにプロジェクトの仕事をしているようすはネットを見ていればすぐにわかる。
でも、プロジェクト以外の生活についてはどうなのだろう。
まだ、「計算機をもっと賢くして」なんて考えているのだろうか。
まだ、当分の間日本に帰って来るつもりはないのだろうか。
まだ、あの黒いタバコを吸って、キーマン紅茶を淹れているのだろうか。
そして。
まだ、わたしのことを覚えてくれているのだろうか。