空照らす、月だけが見ていた。
「……急に何言ってんだい? 確かに、そうだけどさ」
唐突な私の言葉に、ドミニクの声が変わる。
ああ。
綺麗だ。
やはり、ドミニクが一番美しいのは、剣士である時だ。
きっとドミニクが聞けば、身勝手だと詰るだろう感慨が浮かんでくる。
私は、このドミニクを独り占めしたかったのだ。
「ふとね、思い出したのですよ。あなたと出会った、あの夜。
あの日からきっと、ずっと、私はあなたが欲しかった」
「……もう随分とあんたのもんになってると思ってたんだがね?」
「あなただって、わかっているのでしょう?」
答える彼女は、いつもの顔を作ろうとしていた。
でも、出来ない。あの、いつだって飄々としていた彼女が。だから、そのことが、嬉しい。
「私が望んでいるあなたは、当たり前の形では手に入らない。
ずっと、忘れていた。もしかしたら、忘れている振りをしていた。
でも、思い出してしまった」
誰に向かって言っているのだろう。
彼女に対して? 自分に向けて?
わからない、けれど。一つだけ、わかること。
私は、ゆっくりと空を見上げた。
「……こんなに、月が綺麗な夜だから。だから、死合いましょう?」
随分と馬鹿げたラブコール。
頭がおかしくなったと笑われても仕方のない私の誘いに。
彼女が返したのは、溜息だった。
「ったくさぁ……これだから、やなんだよ。あたしのことを、よくわかってやがる」
彼女もまた、空を見上げて。
月を、その目に刻み込むようにしばし睨み付けて。
「そんな酔狂なお誘いされたら、さ。断れないじゃないか」
視線が、下りてくる。
剣士の、それが。
彼女は傭兵で、相棒で。そして、やはり、剣士だった。
「ええ、わかってますよ。何せ、相棒ですから」
「ばっかやろう、そんな顔で言ってんじゃないよ」
はて、私はどんな顔をしているのだろう。
聞いてみたい気もするけれど、知らない方がいいかも知れない。
それに何よりも。
もう、待ちきれない。抑えきれない。
逸る心の割に、剣の柄にかけた手は、随分と静かで、滑らかだった。
音も無く引き抜かれる刃。
ああ、今までで一番上手く、抜けた。
間違いなく、今日の私は、最高のコンディションだ。
「さあ、いきますよ」
「ああ、来なよ」
開始の合図は、それで充分だった。
互いの呼吸がわかっているから、急に私が仕掛けても、不意打ちにもなりはしない。
渾身の、そして会心の一撃は彼女の刃でいなされる。
下手に受ければ刀身ごと身体を両断したろうに、まるで風を斬ったかのような手応え。
即座に飛べば、私が一瞬前にいたその場を彼女の刃が薙ぐ。
追撃に出ようとした彼女へと、下から斬り上げる一太刀。
見切られて、踏みとどまった彼女の目の前を通り過ぎる刃を、そのまま返して上段に構える。
普通の人間なら今のでもう二度斬っているというのに、彼女にはまるで届かない。
楽しい。
やはり、彼女だ。彼女こそが求めていた人だ。
彼女を斬ることが出来れば、その時私は。
ああ。
今ならわかる。私はきっと、笑っている。
笑いながら彼女へと、刃を振るっているのだ。
愛しい彼女へと。
冴え冴えとした月の光の下、白い光が二筋走る。
私の刃と彼女の刃。
剛の刃と柔の刃を体現したような私達。
まるで性質の違う太刀筋が、これ以上なく息を合わせたかのように振るわれる。
わかる。
私達は今、登り詰めている。剣の道を、今まで以上に。今までになく。
もっと、もっと高いところへ。
誰もたどり着けなかったところへ。
恍惚感にも似た高揚の中、幾度も、幾度も刃が振るわれて。
そして。
見えた。
彼女を斬る事が出来る、刃の道筋。
そこへと振るわれたのは、間違いなく生涯最高の一太刀と確信したもの。
だったというのに。
ああ。これが、彼女だ。
これだけの、鎬を削るようなやり取りの中で。
私は、誘われた。そして、彼女が望むままに。もしかしたら、望まない形で。
私は、刃を振るった。
最高の一撃は、それ以上の捌きで逸らされて。
私が反応するよりも速く返された刃は、私の目でも追えないほどの鋭さで、私の胸を捉えたのだった。
彼女の刃が引き抜かれるに合わせて、私の身体から力が抜けていく。
立っていることも出来なくなった私はその場に崩れ落ち、すぐさま彼女が私を支えてくれた。
「ほんとさ、何やってんだよ、相棒」
彼女が、泣いている。
初めて見るその珍しい表情に、私は思わず笑ってしまう。
力の入らない身体が横たえられる間も、ずっと。
「……残念。あなたを私のものに、し損ねました」
本当に、残念だ。彼女を斬れたら、きっと永遠に私の血肉となっただろうに。
まあ、これはこれで悪くない。
「でも……これで私は、永遠にあなたのもの、ですよ……」
「……ああ、あんたは永遠に、あたしのものさ」
「そう、良かった……嬉しい」
私を斬った彼女に、私が刻まれたことだろう。
少し残念だけれど、それでも、私は満たされた。望んだ形ではなかったけれど、彼女と一つになれたのだから。
ぼんやりとした目で、空を見上げる。
「……月が、綺麗ですね」
「死んでもいいくらいに、かい」
「ええ、そうですね……きっと、そう」
だから私は、それを見上げて。
彼女の泣き顔を、最後に見つめて。
それから、目を閉じた。
彼女の嗚咽が、耳の奥で聞こえ……それも、聞こえなくなった。
それは、月が綺麗な夜だった。
初めて出会ったあの日のような。もしかしたら、それ以上に。
とても、とても綺麗な月だった。
そして私の意識は、闇へと、その先へと落ちていった。
※ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
もしも面白そうだと思っていただけたら、ブックマークやいいね、☆評価などしていただけたら嬉しいです!
後一話だけ、明日の朝に更新できたらと思います!




