第四話
「ルサージュ公爵閣下の推測は当たっており、クレールは現皇帝の娘です。といっても、よほどのことがなければ、この子が自分の子であるとはあの人は認めないでしょうけれど」
ルサージュ公爵である父の説明の最後にそう付け加え、ルフィナ先生は纏めた。
「よほどのことというのは、具体的にはどういった……?」
役人の一人がおずおずと尋ねると、ルフィナ先生は困ったように眉を下げ、しかししっかりとした声音で告げる。
「結婚か死亡、でしょう。結婚については心当たりのある者が多いでしょうから、そちらから説明させていただきます。もしも……」
そこで一度言葉を切ったルフィナ先生は、チラチラビクビクと私とアレクシス殿下と父との顔色を伺いながら、とても気まずげに続ける。
「その、不快や無礼にお感じになられるかもしれませんが、これはあくまでも仮定の話でございます、仮定の。もしも、万が一、仮に、クレールがアレクシス王太子殿下と相思相愛となった場合には、『我が国の皇女を愛人として扱うつもりか!?』などと怒鳴り込んでくるつもりだったのでしょう」
仮定の話でイラッとなんてしないとは言わないが、私もアレクシス殿下も父も内心を簡単に表に出すような未熟者ではないので安心して欲しい。
「誠に、誠に申し訳ございませんでしたっ……!」
安心して欲しくて微笑んで見せたのに、ルフィナ先生は悲痛な声音で詫びながら、深く深く頭を下げた。
「頭をお上げください、ルフィナ皇女殿下」
そう告げながら父が漏らしたため息は、ルフィナ先生を怖がらせた私への呆れが原因の半分くらいかもしれない。もう半分は、きっと疲れとか。
さて。クレールは、一応は伯爵令嬢であるが父親もわからない養女でしかなかった上に資質も教育も到底足りていない。
そんな彼女が王太子の正式な妃となるなんて、難しいどころかまず無理だ。
たとえ、アレクシス殿下と相思相愛であったとしても。
ただ、どうしても想いあっているということなら、私が正妃となりクレールを日陰の身とする条件で、二人の関係は認められた可能性が高い。
あるいは既に子がいるともなれば、その軽率さを理由にアレクシス殿下は私との婚約を破棄した上で王太子の地位を返上しただの王子となり、クレールと結婚。こちらがアレクシス殿下が昨日号泣しながら選ぼうとしていたルートだろう。
いずれにせよクレールとアレクシス殿下が結ばれる段になれば、『クレールは皇帝の血を引く皇女である』という伏せていたカードを切り、盤面をひっくり返すつもりだったのだろう。『王太子の正妃となるのになんの不足があろう。我が国の皇女を蔑ろにするつもりか』と。
とんだトラップだ。
このトラップは、アレクシス殿下が私への愛を貫きキスで子どもが云々の誤解も解けた事で回避できたのだが。の、だが。
伏せていたカードを切ることで発動するトラップは、残酷なことにもう一つある。
父の言葉の後もしばらく頭を下げたままだったルフィナ先生は、ようやくゆっくりと頭を上げ、周囲を見渡した。
そこで当事者であるのにポカンとしたままのクレールに気づいたらしく、ルフィナ先生は仕方なさそうにため息を吐く。
「死亡についての話をしましょうか。愚妹クレール、愚弟パーヴェル。あなたたちはクレールが皇女であるから、どうなると考えていたの?」
「あ……、あたし、あたしは本当はお姫様だから、王子様とも結婚できる、って……」
「そうね。それは私がさっき言った通りね。他には?」
「ほか……? 他なんて、なにも考えてなかった……。兄様も、そうとしか言ってなかったし……」
「私は、クレールが危険な目に遭うとは考えていなかった。……だが、言われてみれば、クレールが死んでいれば父は嬉々としてこの国に戦争を仕掛けただろうな、とは思う」
チラリとクレールに見上げられた兄様ことパーヴェル皇子は、苦々しい表情でそう認めた。
その顔面は蒼白で、固く組まれた彼の指先は、堪えきれない恐怖を感じているかのように震えてまでいる。
演技ならば大した役者だが、この様子はまさか、本当に気がついていなかった……?
「皆様としてはどちらでも良いことでしょうが、愚弟の名誉と今後のきょうだい関係のために主張させていただきます。愚弟は愚かですが、さすがに愚妹が死んでも良いと考えるほどの悪辣さはありません。けれど、そうですね。帝国の誰かあるいはどこかの派閥がそれも良いと考えていたのは事実でしょう」
ルフィナ先生が言った通りだ。
確かに、どちらだろうと私たちには関係ない。
パーヴェル皇子が悪辣な策士だろうとそうでなかろうと、その策を考えていたのが帝国の誰であろうと。
「ど、どういうこと、なの……?」
「どういうもなにもよく考えなさいな、愚妹。仮に、王太子殿下が伯爵家の養女と浮気をしたとして。あなたが聞き分けの良い子であれば穏便に愛人にとなったかもしれないけれど、あなたは王妃の座を狙ってしまったわね。そこで、リュシエンヌ様やリュシエンヌ様に王妃となってもらわねば困る人が取る一番簡単な方法は、あなたに消えてもらうことよ」
「そ、そんな……」
「あなたに素直に身を引くだけの賢さか謙虚さがあれば、消えるのはどこか遠い土地で暮らすというので済んだかもね。でも、そうではない以上一番簡単で確実なのは、あなたにこの世から消えてもらうことなのよ。そうしてあなたが死んだら、帝国は皇女の弔い合戦だとこの国に攻め入ったわ」
「あたし、そしたらもう死んじゃってるじゃない! 後からとむらわれたって、そんな、そんなのって……」
「あなたをうっかり殺してもらうためにこそ、あなたが皇女であるという情報は伏せられていたんじゃないかしら。婚外子一人が死んでくれたおかげでこの国を攻め滅ぼす理由ができたら、得したと考えるような人なのよ、私たちの父親って。だいたい、死んでも良いと思われていなかったら、あなたは最初から城で大切に保護されていたはずじゃない」
「……!」
ルフィナ先生はどこまでもきっぱりと断言し、クレールは顔色を悪くし言葉を失っている。
具体的にどういった経緯だったかは知らないが、クレールは実際にこの国にやって来て、ダルデンヌ伯爵家で暮らしていたのだ。
ルフィナ先生やパーヴェル皇子と違い、帝国からの護衛が付いている様子もない。
なにより、その身分は公的に認められておらず、手を出してはいけない存在だと周知されてすらいない。
おまけに、クレールが公爵令嬢である私に睨まれるような事をした後でさえ、助言も保護もされずに放置されていたのだから。
『殺しても問題ない存在ですよ。さあさあ殺してしまいなさい』とでも言わんばかりだ。
あからさまに、そう見えるようにされている。実際は、そうではないというのに。
こういう風にクレールの周囲の場を作ったのは誰かといえば、帝国ないし皇帝であろう。
クレールの結婚の際には怒鳴り込んで来るだろうという予測はしたが、それもどうせ親心ではなくこの国を支配せんとする下心由来だ。
少なくとも、帝国も皇帝も、クレールを大切にしているとはとても言えない。
『君にいじめられたとあの子は言うけれど、君がそんなくだらないことをするわけがない。気に食わなければ、君が一言『邪魔だ』と漏らせば、あの子の一人程度、すぐにいなくなるんだから』
昨日、アレクシス殿下は私に向かってこう言った。
その通りだ。
クレールらが主張したようないじめて心を折るなんていうまどろっこしくて不確実な手段は、とる理由がない。
私が命じたり察させたりせずとも、私が王妃となるべきだと考える誰かが、勝手に何かしたかもしれない。
危ないところだった。
内心の動揺を隠すべく、私はパサリと扇を広げ口元を隠し、冷めた視線を送りながら主張する。
「私も我が家も我が派閥も、クレールさんをどうこうするような短絡的で野蛮な行為はいたしませんわ。というかむしろ、帝国がそうする可能性を私どもは警戒しているのですけれど?」
「そこまではしない、とは言えないところが、母国ながら本当にお恥ずかしい限りです。誠に申し訳ございません」
「え、え、なに? なにそれ、どういう意味?」
ルフィナ先生はすかさず頭を下げてくれたが、クレールは相変わらず首を傾げるばかりだ。
そっと顔を上げたルフィナ先生は、心底嫌そうに表情を歪めながらも、妹に向かって説いていく。
「愚妹クレール、あなたはね、ルサージュ公爵令嬢やその支持者がやったように見せかけて、帝国の手の者に殺される可能性もあったのよ」
「……!?」
「動機があるように見える。かつ、それができるだけの力を持っている。そんな方がいるこの国であなたが死ねば、実際のところ誰がどう殺したかなんて関係ないの。『皇女が殺された! 王国の仕業である! 戦争だー!』ってするのよ、あの国は」
「まったく良い迷惑だね。動機があるように見えるの部分は、先ほどのパーティでうちの娘たちが徹底的に潰したわけだけど。それでもあなた方には、さっさと揃ってお国に帰っていただきたいものだ」
ルフィナ先生が吐き捨てるように告げると、はあ、と疲れたようなため息と共に、我が父はそう零した。
それにすかさずキラリと瞳を輝かせ、期待したような表情をしつつも、慎重そうな声音でルフィナ先生はそっと問う。
「……ルサージュ公爵閣下、我々は、この度の事件に対する処罰を、国外退去で済ませいただけるのですか?」
「まあ、ね。全て推測でしかなく、あなたの証言くらいしか証拠らしい証拠はないのだよ。実際に事が起きたわけでもない。この状態であなた方の拘束や処刑なんてしたら、それこそ戦争の口実にされてしまうじゃないか。抗議と慰謝料の請求とあなた方の我が国への再入国の制限がせいぜいってとこだろうね」
国王陛下とも事前にそう話していたのか、どこかのタイミングで城からの連絡でもあったのか、陛下に任された裁量の範囲での最良と思われる判断なのかは知らないが。
父の言葉に同意するように、役人の方々一同が次々に頷いた。
そして父から伺うようなアイコンタクトを送られたアレクシス殿下も鷹揚に頷き、仕方がないのでその隣の私も首肯する。
「ありがとう存じます……! アルベール王国の御慈悲と御配慮に、心より厚く御礼申し上げます……!」
「ま、待ってください! クレールが一方的に罰されるなど、おかしいじゃないですか! ルサージュ公爵令嬢とてクレールに対して罪を犯したというのに……!」
ルフィナ先生の歓喜の声とほぼ同時に、ダルデンヌ伯爵家長男にしてクレールの義理の兄であるベルナールが、そんな抗議の声を上げた。
瞬間、ギロリ、とんでもなく強い怒りと恨みのこもったような視線が、ルフィナ先生からベルナールへと飛ぶ。
先生、その形相は、皇女としても王立学園の講師としても淑女としてすらも、よろしくないかと。
そう言いたいくらいに、実に苛烈な視線であった。
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