第三話
卒業パーティの後、学園の応接室にて。
この婚約破棄騒動の関係者一同が揃えられ、事情聴取が行われていたらしい。
らしい、というのは私とアレクシス殿下はすっかりパーティを楽しみきってからその場にやってきたからだ。
一応、ここに来るまでの道中できちんと報告は受けたけれど、あくまでも伝聞でしかない。
たどり着いた応接室。そこにいたのは、まず、アレクシス殿下に迫っていたクレール、その義兄ベルナール、私にプロポーズをしてきた帝国のパーヴェル皇子、その姉であり学園の外国語教師でもあるルフィナ先生。ここまでは、クレールを中心にソファに並んで腰掛けている。
それから彼女らに相対するソファにいるのが、国王陛下により遣わされた国の役人が幾名かとその代表面したわが父ルサージュ公爵。
部屋のあちこちには騎士が立って睨みを利かせているし、隅に控えているメイドたちの中には【影】も混ざっているかもしれない。
そんなところだ。
ちなみに、ダルデンヌ伯爵と伯爵夫人は自邸にいたところを確保され、そちらはそちらで事情を聞かれているそうな。
部屋の空気は重い。
ソファに腰掛けているクレール側の人間は、揃って俯いている。
その対面側に座っていたのだろう父が立ち上がり彼らを見下げながら問い詰めている、というタイミングで私たちは入室した。
お陰で、例のマントがよくよく見えてしまった。わが父ながら、あのマントを羽織っておきながらよくそうも堂々と振る舞えるものだと思う。
現在、父の背後、部屋に入ってすぐのところに、私とアレクシス殿下は並び立っている。
「アレクシス殿下、けっこうお怒りでしたのね……」
「当たり前でしょう? 君を失うかと思ったんだから」
「……たぶんですけれど、あのマントをずっと着けさせるより、あの人の目の前で私といちゃいちゃしたりする方が効果的かと存じます」
「あははっ、それは良い! ……八歳のあの日のように、誓いでも立ててみようか?」
なんて、そんなのんきな会話をかわしていたところで。
「……なんでなんでなんで! なんでこんなに怒られなきゃいけないのっ!? どうしてあたしたちをいじめるのっ!! あたしも、にいさ……パーヴェル様も、ただ恋をしただけじゃないですかっ! なにも悪い事なんかしていないのに!!」
「どうしてもこうしても、戦争になり得たからですわ」
あまりにも馬鹿な事をクレールが叫んだので、つい口を挟んでしまった。
室内の皆の視線が、一気に私へと集まる。
「……っ! リュシエンヌ……様……」
クレールが気まずそうに私の名を呼んだのとほぼ同時に、父と役人の方々が私、というよりは私の隣に立つアレクシス殿下に向かって頭を下げた。
私は殿下とともに軽く黙礼を返してから、アレクシス殿下のエスコートで室内を進む。
自然と譲られたのは元は父が座っていたのだろう位置、クレールらと相対しているソファの中心。
そこにアレクシス殿下が促してくれるのに従って、殿下と並んで腰を掛けた。
ぴたりとクレールを見据え、私は説明してやる。
「クレールさんはわかっていなかったようだけれど、一国の王太子の婚姻というのは、そう軽く考えて良い物ではないのよ。アレクシス殿下の結婚により、政治が動き経済が動き国が動くの。そこに他国から横やりを入れるなんて、戦争でもしたいのかと思われて当然でしょう」
「で、でも、あたしはこの国の伯爵様の娘……、だから、帝国は関係ない……、はずです! それに、に……、パーヴェル様のプロポーズだって、そっちの婚約がなくなったって思ったからだし、結局断られちゃったわけだし……」
諦め悪く、歯切れも悪く、クレールはそんな反論をしてきた。
相変わらず、どこに敬意を払っているのかよくわからない喋り方をする子だ。
私は、ため息を吐いてしまう。
「はあ……、あなた、まだそんな事をおっしゃるの? あなたが殺されることも計画の一部だったかもしれないのに、呑気なものね」
「……え?」
「クレールさん……、いえ、クレール皇女殿下とお呼びした方がよろしいのかしら? あなたが殺される、そしてその報復として戦争を起こすというのも、帝国の計画の一つだったと考えられるのよ?」
「え? え? ……え? な、なに、どういう……」
「ルサージュ公爵令嬢、あまり愚妹をいじめないでやってくださいませ」
戸惑いっぱなしのクレールを庇うようににじり出てきて私を諌めてきたのは、ルフィナ先生だった。
「ルフィナ先生、いえ、ルフィナ第三皇女殿下は、お認めになるのですね。クレールさんがあなたの異母妹であると」
「はい。私の名にかけて認めます。愚妹クレールは、私の異母妹です。ダルデンヌ伯爵家から勘当され貴族の身分を失っていたため正式な妃とはなれませんでしたが、クレールの母は父に囲われておりました。クレールは、父、皇帝の娘です。ただ、まだ公式に認められてはいない事実ですので、皇女と扱わなくてかまいませんよ」
思いがけずあっさりと、思ったよりもしっかりと。
ルフィナ先生は認めた。
その事実を初めて知ったのだろう者、元より知っていたがここで明かすとは思っていなかっただろう者、予想はしていたがまさか本当にと驚いている者、様々いるのだろう。
室内のほぼ全員が息を呑みルフィナ先生を見つめたが、ルフィナ先生はさらりとその全てを受け流し、ツンと澄ました表情でいる。
「えー、なにを突拍子もないことをという方もおられるでしょうし、ここからなおもあきらめ悪くごまかそうとする人もいるかもしれない。というわけで、私から説明させていただきましょう。まず、こちらのクレール嬢の母君はダルデンヌ伯爵家に生まれ……」
ルサージュ公爵である父が、そう切り出した。
そしてそのまま我が家で調べた事実を語るのを聞くともなしに聞きながら、私も情報を整理していく。
まず、ダルデンヌ伯爵令嬢だったクレールの母は、およそ二〇年前に庭師見習の少年と手に手を取り合って駆け落ちしたそうだ。
当時クレールの母は、格上の侯爵家の跡取りと婚約していたにも拘らず、それを裏切って。
それはもうたいそうな騒ぎになったらしい。
これからの輝かしい未来もそれまでの暮らしも身分も名前も捨て、家族親戚教育係使用人友人知人領民大切な人たちの全てを裏切ってまでなんて、信じられないほどの情熱だ。
ところが、そうまで燃え上がったはずがあまりに激しく燃え上がりすぎてあっという間に燃え尽きてしまったのか。
伯爵家を出て三か月後には、二人はそれぞれ別の街で暮らしていることが確認されている。
少年は、帝国の地方の商家の屋敷でまたも庭の仕事をしながら。
クレールの母は帝国の首都で事務所を構え、代書や写本の仕事をしながらと、それぞれに。
クレールの母は、大層美しい字を書く人だったようだ。
恋文や恋物語を得意とし、その優美でロマン的な筆致は人々の心を動かす力があったとか。
市井ではそう見ないような美しい容姿も評判だったらしい。
どちらの評判のおかげかはしらないが、やがて帝城に呼ばれるまでになり、皇帝に気に入られ、定期的に城に出入りするようになったそうな。
そしてクレールは、その母が城に出入りするようになってから二年と少し経った頃に生まれている。
クレールは、かなり黒に近いブラウンの髪と、猫のような印象を受けるきゅっと目尻の上がった大きなシャンパンガーネット色の瞳をしている。
“『彼女の瞳はありきたりな金に近い茶色なのかと思いきや、よくよく見るとほのかにまざった赤の輝きによってピンク色に見えるんだよ。そのことに気がついた瞬間には、その神秘的に美しくも愛らしい瞳にもうどうしようもなく魅了され囚われてしまっていた……』と語ったあの人の表情は、ひどくだらしがなかった。蹴り飛ばしてやろうかと思った”と、あの人=某令息の婚約者である私の友人がいつだかに言っていた。
おっと、某令息とその婚約者の話は、今は関係なかったわ。
クレールの母は、月の女神の如きと評されたプラチナブロンドの髪と琥珀色の瞳を持つ美しい女性だったそうな。
では、クレールの持つ色彩のうち、黒や赤は誰由来の物なのか?
突然変異や先祖返りという可能性もなくはないだろうが、父親由来であろうというのが一番素直な推測だろう。
ちなみに、黒髪に赤い瞳のパーヴェル皇子は、彼の父親である皇帝からその色彩をそっくりそのまま受け継いだ人だ。
なので、まあそういうことかしらと考えてはいたが、こうもあっさりルフィナ先生がお認めになるとは。