第二話(短編版 後半)
再教育を受けていた警備担当一同は、すぐに呼び戻された。
王立学園の卒業パーティの会場を入念に囲み、ネズミの子一匹逃さないようにせよ。
そんな命令を遂行するには、人手はいくらでも必要だったからだ。
卒業式後の、卒業記念パーティ。
公爵令嬢であるリュシエンヌは『ちょっとした』と評価したが、学園に通う生徒と教師の全てとそのパートナーが参加するそれは、規模としてはかなりの宴だ。
確かに参加者は子どもと言って良い年ごろの者が多く、そうかしこまってはいないし、格式を気にするようなものではないが。
ここで何かが起これば、それはすぐに各自の家に伝わり、明日には国中が知っていることになるだろう。それくらい、とにかく規模だけは大きい。
思い出を語り合う者、恩師に感謝を告げる者、別れを惜しむ者。これまでを締めくくる思い出に、これからの未来への餞にと、ダンスや歓談を交わす人々もいる。
卒業は、めでたいことだ。だからと明るく振る舞おうと努めても、どうにも感傷は呼び起こされる。
そんな独特の雰囲気に包まれているはずの会場は、しかし一画だけ、嫌な緊張感が漂っていた。
その一画とは、ダンスが行われているホールの奥。
そこには、王太子アレクシスを含む卒業予定の生徒会役員のうちの男子全員が揃っていた。その背後に庇われるように、役員のような顔をしているが生徒会とは全然関係のない女子在校生クレールも立っている。
そしてその集団と相対しているのは、リュシエンヌ・ドゥ・ルサージュ公爵令嬢。
男性陣は燕尾服、女性二人はドレスと、実に華やかな装いをしている。
男性陣のうち生徒会側の先頭に立つアレクシスだけはマントも身に着けており、少し他とは違う印象だ。
何を、いや誰を意識した物か、クレールとリュシエンヌのドレスが揃って空色であるのが、後者の質と品の良さを強調するような形になってしまっている。
王太子、その側近候補たち、ある意味有名人の女子生徒、公爵令嬢。
ただでさえそれぞれでも注目を集めやすい存在が盛装で集まり、しんみりとした卒業式のムードとはかけ離れたピリリとした一触即発の空気を纏いながら睨み合っているのだ。目立たないわけがない。
自然と、人々の視線はそこに集まって行く――。
◇◆◇
「リュシエンヌ・ドゥ・ルサージュ公爵令嬢! 僕は、アルベール王国王太子アレクシスは……、君との婚約の破棄を……、陛下に願い出……ようと思っている!」
ビシリ! と、アレクシス殿下は宣言しようとしたようだったのだが。
どうにも言いづらい様子、かつ言葉もトーンダウンしてしまい(そこは『破棄を宣言する』で良かっただろう)、彼の傍らに立つ生徒会の一同が『ええ……』みたいな表情になっていた。
それをごまかすように押し流すように、私、リュシエンヌは高らかに声を張り上げる。
「まあ! 私と殿下の婚約を、破棄。それは穏やかではございませんわね。理由をお聞きしても?」
「私から説明させていただきましょう、ルサージュ公爵令嬢。あなたは我が義妹、クレールに対する非道な行為を繰り返した! そのような卑しい心根は、未来の王妃に相応しくない! よって、婚約破棄が妥当である! ……ですよね、殿下?」
王太子の動揺を見て取り、すかさずフォローを行ったのはベルナール。
アレクシス殿下も重々しい表情で頷き、それに同意を示した。
私は一度小首を傾げ、空とぼけてみる。
「クレールさん? どうして私が、彼女をどうこうしなくてはいけませんの?」
「それはもちろん、あたしがアレクシス様に愛されているからですっ! あたしたちはこの一年、生徒会で仲良くなって、お互いにどんどん好きになっていっちゃって……、でも、だから、あたしはリュシエンヌ様にいじめられるように……」
うう、とわざとらしく、クレールは顔を両手で覆って崩れ落ちた。
ベルナールはそれに駆け寄り彼女の肩をそっと抱きしめ、それからキッと私をにらみ上げる。
「泣くな、クレール。証拠は揃っているのですよ、ルサージュ公爵令嬢! 言い逃れできるとは……」
「ああ、そこは省略してちょうだい。証拠、証言、証人、そういうのは私ではなく、しかるべきところに示してくださるかしら? アレクシス殿下も先ほど、陛下に願い出る、と仰ったでしょう」
……。
しまった。無駄に長くなりそうだと遮ったのだが、出鼻をくじいてしまったか。
シン……、と気まずい沈黙が降り、なんとも言えない空気になってしまった。
仕方ない。少し手助けをしてあげよう。
「ええと、そう、それで、私はクレールさんをいじめたから、婚約破棄なのね? けれどアレクシス殿下、殿下にはあなた様を支えるパートナーが必要なのではないでしょうか?」
「アレクシス殿下のことは、殿下と真実の愛で結ばれたクレールが、今後は支えていきます。卒業を間近に控え、クレールと離れ離れになると実感されたのでしょう。つい先日、とうとう殿下はご自分の気持ちを認められたのですよ!」
「そ、そうです! あたしたちは愛し合っているんです! アレクシス様はもう自分の気持ちに嘘はつけないって、あたしが好きだって、あたしと結婚したいって、アレクシス様から口づけまでしてくれたんですからっ!」
急に元気を取り戻したベルナールとクレールが、それはもう元気いっぱいに、どこか得意げな顔でそう断言した。
ははあ、そういう解釈になるのね?
確かに殿下は責任を取ってクレールと結婚すると言ってしまったのだろう。けれど、それはあくまでも子どもができていると思ったからであってクレールに対して好きだの愛しているだの言ったとは思わない。
とはいえ、こんなことを指摘したらまた台無しになってしまうので。
何か反論したげなアレクシス殿下を軽く睨みつけ黙らせてから、屈辱に震えているように見えると良いなと思いながら俯き、押し殺したような声で言ってやる。
「そう……。アレクシス殿下は、真実の愛のお相手と、ご結婚なさるのね……」
「そうです! アレクシス様は、あたしと結婚するんですっ!」
「ルサージュ公爵令嬢、あなたはもはや、王太子殿下の婚約者でもなんでもありません。クレールだってもう、ただの伯爵令嬢ではないのです。これまであなたが義妹に行った残虐な行為の全ては、もはや誤魔化すことはできませんからね!」
ドドドドドヤァッ!
実に得意満面に高らかに、クレールとベルナールはそう宣った。
鼻で笑いそうになるのをグッと堪えて、私は打ちひしがれたような声を絞り出す。
「そ、そんな……。わたくしは、そんなことは……けして……」
ここで涙の一つでも見せられれば、こいつらは調子づいて更にしでかしてくれるのだろうか。
なんて、私が考えたその時だった。
「これは、一体なんの騒ぎだ?」
「パーヴェル殿下……、いらしていたのですね……!」
その人に呼びかけたのは、集団のうちの誰だったか。
不機嫌そうに周囲を睥睨しながら現れたのは、我らがアルベール王国より北に位置する帝国の皇子、パーヴェル皇子殿下であった。
黒檀のようにキリリと黒い髪に、炎を封じたかのようにゆらりと光り輝く赤い切れ長の瞳。
顔立ちは整ってはいるのだろうが、背が威圧感を感じる程に高いのも相まってか、どこか凄みのあるという印象が強い。
あそこの今の国名はセーヴェル……いや昨年にあちらが独立して先月あそこを併合したから……と考えに考えないとわからない。種々の国名がくっついたり抜けたりするまるでパズルのようななっがい国名であるので、正式名称で呼ぶ人はほとんどいない。帝国で良いだろう。
そしてそんな複雑なお国は、なにせ皇帝が新しく支配した国から新しく妃を娶ったりしてきたので皇族の血縁関係も複雑で、この人は確か第三妃の産んだ第八皇子、だったかしら……?
ああそうだ、この学園の外国語の講師に彼と同じ帝国皇帝の第三妃を母に持つ第三王女がいらしたはず。彼女が三〇と少しで皇子が二二歳のはずなので、少し年の離れた姉弟だ。
先生はご結婚もご婚約もされていないので、今日のパートナーを弟に頼んだといったところだろう。
などと考えているうちに、皇子は周囲の人々からの聞き取りを終えたらしい。
「なるほど……」と呟いた彼は、ふう、とため息を吐いた。
それからアレクシス殿下……ではなくなぜかベルナールをにらみ、彼は苛立たし気に吐き捨てる。
「呆れるな。か弱い淑女を男ばかりの集団で囲んで糾弾するのが、この国のやり方か?」
「なっ……!」
「このように人前で騒ぎを起こし、彼女の外聞を貶めてやろうとするようなやり口も、卑怯そのものだ! だいたい、心変わりをした男と、人様のものに手を出した女が悪いのではないか。なぜリュシエンヌ嬢が責められなければいけない!」
私はパーヴェル皇子にファーストネームで呼ぶ事を許可した覚えはないのだが。
「お言葉ですが、こうしなければ義妹は、クレールは命の危険もあったのです! 人々を味方につけるでもしなければ、公爵家にすぐにつぶされていたことでしょう!」
「命の危険? ずいぶん健康そうに見えるが? 浮気は前々からのことであったのだろう? だいたい、公爵家は王家よりも上なのか? 自分たちが間違っていないと思うなら、王太子からその父に訴えさせれば良かっただけの話だろう」
「そ、それは……」
論破、だろうか。
パーヴェル皇子に責めたてられたベルナールはとうとう反論しなくなり、視線を逸らした。
それをふん、と鼻で笑ってから、皇子は私の方を向き、こちらに歩み寄って来る。
「リュシエンヌ嬢、あそこの愚かな男は、愚かにもあなたとの婚約を破棄したと聞く。その根拠のあなたが彼女にしたということも、どこまでが本当か疑わしいものだ」
繰り返しになるが、名前で呼んで良いなんて言った覚えはない。
それに、破棄したじゃなくて破棄したいと陛下に願い出ようとしている(嘘)ですわよ。私の最愛の方を愚かとか言うな殺すぞ。冤罪に関してはその通りだけど。
なんて、言うべき場面ではないのはさすがにわかる。
私がただ黙って戸惑っているかのように視線をさ迷わせているうちに、皇子は私の目の前にまでやって来ていた。
そこからスッと片膝を床に突き、左手を胸にあて右手をこちらへと差し出してくる。
「リュシエンヌ嬢、あなたの評判は、遠く帝国までも届いている程だ。私など、今日は美しいあなたの姿を一目見たくて、姉に頼んでここまでやってきた。実際に目にしたあなたはどこまでも可憐で、上品で、神々しいまでに美しく……」
ほう、と、まるで恋をしている男のような顔で、ため息を一つ。
それから、切なげに表情を曇らせて。
「これが一目惚れかという心地でいたところで、いやあなたはこの国の王太子と婚約していたのだなと、落胆したものだ。そんなところに、この騒ぎだ。いきなりのことで戸惑われるかもしれないが、私はこの千載一遇のチャンスを逃したくはない」
キリリと表情を整えて、更に一段高く、私に向かって手を差し出して。
「リュシエンヌ嬢、私はあなたの新たな婚約者に、名乗り上げさせてもらう。少しでも私との将来を考えてくれるのであればこの手を取り、一曲ダンスをともにして欲しい。そして、そこから私のことを少しずつ知っていってはくれないか……?」
フッと照れくさそうに笑いながら、パーヴェル皇子は締めくくった。
意外なほどにかわいらしい笑みは、ギャップからかなかなかの攻撃力であるらしい。直撃を受けたわけではないはずの私の周囲背後の女性たちから、「きゃー」とかわいらしい歓声があがる。
けれど私は、少しもときめくどころか、どこまでも冷め切った心持にしかならなかった。
なるほどなるほど。そういうことだったか。
絶望的な状況で示される逆転の一手。孤立無援の中に突然現れた頼りになりそうな味方。大国の皇子からの、熱烈なプロポーズ。
なんとも都合の良いことだ。
知らずにこの場面に陥ったら多少動揺して、この場でプロポーズを受けることはさすがになくとも、『庇ってもらったしダンスくらい……』なんてまんまと彼の手を取ってしまっただろう。
婚約に関しても、一瞬くらいは検討してしまったかもしれない。
失恋の傷心から新しい恋を求め、うっかり皇子に恋をしてしまうようなことも、私が私でなければあったかもしれない可能性を一概に否定はしない。
私はアレクシス殿下以外に恋をすることはないし、恋をしたところで私個人の感情と判断で私の売り先を決めて良いような生まれでも育ちでもないけれど。
あまりに長い時間、私が答えることも手を動かしすらしなかったせいだろう。
パーヴェル皇子は笑顔をひきつらせ、『なにかおかしいな……?』とばかりに周囲を窺い始めた。
私は一つため息をついてから、はっきりきっぱりと言ってやる。
「お断りしますわ。ダンスも、プロポーズも、あなた様からの申し出の全て、お断りさせていただきます」
「なっ! え、な、なぜですリュシエンヌ嬢!」
「え? むしろなんで断られないと思いましたの? その誘いに乗るなんて、頭の中お花畑の売国奴の所業ですわ。というか、そんな誘惑に乗るようなヤカラはまた他に誘われてもなびきかねないのですから、即刻縊り殺すのが正解でしてよ」
一度は食い下がられたものの、更にすっぱりと断言すると、パーヴェル皇子は絶句した。
自分の立場も価値もわからず恋愛感情だけで婚約を決めるなど頭の中お花畑と言わざるを得ないし、私ほどの立場と価値の人間を他国にくれてやるなど売国奴と罵られても仕方のない国家に対する背信行為であろう。
そして、そんな一度祖国を裏切るような真似をした人間が、嫁ぎ先の国は裏切らないなんてわけがない。殺しておいた方が良い。
私は断らなければいけなかったし、断って当然である。
ついでに付け加えるならば。
「まあ、そちらが手を下さずとも、私が勝手にこの国を出て他国の皇子に仕えるなんて言い出した時点で、この国に殺されるでしょうが。私にはそれだけの価値がございますもの。むざむざ他国の者の手に渡らせてはいけないだけの、絶対的な価値が」
ふん、と胸を張れば、何を勘違いしたのか、皇子は再びキリリをした表情になって口を開く。
「この国からであっても、私と我が国ならば君のことを護れるさ。安心して私の手を取ってくれ」
「まあ。歴史の浅い国のお方は見識も浅くていらっしゃるのかしら? 私はね、他国に行くくらいならば私は死ぬべきだと、理解しているし納得しておりますのよ。だって私の全ては、この国に育まれたものなのですから」
私が発した皮肉のせいか、示した覚悟のせいか。とにかく衝撃を受けたらしいパーヴェル皇子は息を呑み、それに釣られたように不自然なまでに場が静まり返った。
ちなみに帝国はしょっちゅうくっついたり割れたり革命したりしており、今の皇帝でようやく三代目だったりする。対して我らがアルベール王国は現在の国王が三七代目である。ふふん。
ぐるり周囲を見渡しながら、私は続ける。
「私の先祖から父母から皆この祖国に生かされてきましたわ。私に与えられた衣食住から教育、美容、娯楽なにもかもに関して、未来の王太子妃として直接的に税金から予算が組まれてもおりますし、公爵家の財から出ている部分だって元を辿れば……、ですもの」
そこでピタリとパーヴェル皇子を見据え、私は首を傾げる。
「私が美しいのも、私が聡明なのも、私が生きているのも、私の存在そのものすらも、全てこの国とそれを支えてくれている民のおかげですわ。それをどうして、他国に売り払うような真似をしなくてはならないのです?」
「け、けれど、先にあなたの信頼を裏切ったのはあちらだ。ならば、あなただってしあわせを求めても良いだろう!?」
「ああ。裏切った、そう思わせて我が公爵家と王家を対立させる。それこそが帝国の狙いですのね。私にも流れるこの国の王家の血統を取り込んで正当性を訴えつつ弱ったこの国を併合というのが最終目標かしら? わっかりやすいこと」
「な、そんな、私はそんなこと……」
「考えていない、と? 本当に少しも考えていなかったとしたら、皇族たる資質と教育があまりにも足りておりませんわね。妃教育を受けただけの私だって、簡単に思いつくことですのに」
「……っ!」
「これまで幾度も周辺国を併合してきた帝国の皇子が、王家傍流の公爵家の娘に婚約を申し出た。これだけでも、そう察されて当然でしょう? 裏付けはこれからになりますが、この事態からそちらの仕込みなんでしょうね」
「い、言いがかりだ! そう猜疑心に囚われないでくれ。私はただ心からあなたを愛して……」
「愛? はっ! そんなこと、本気でおっしゃってますの? 大国の皇子が、好きか嫌いかだけで婚約を申し込む? あり得ませんわ。あり得てはいけないことです。信じるわけがないでしょう。ああ、腹立たしい。いくら私がまだ未熟な年頃の娘だからって、あまりにも私を馬鹿にしてませんこと?」
とうとう気まず気に目を逸らしたパーヴェル皇子に向かって、私はどこまでも冷たく告げる。
「私は情報を集めましたしだいたいの所を察しておりますが、たとえ何も知っていなかったところでこんな馬鹿みたいな愚策に嵌るような愚か者ではなくてよ」
それからじろりと周囲を睥睨し、会場中に届けと腹から声を出す!
「婚約破棄? 冤罪? たったその程度のことで、一五年婚約し続けたこの方を見限って、帝国の皇子の手を取る? 他国に利するようなことをする? あり得ません。冗談じゃないですわ。御生憎様。私は心から愛しておりますのよ。この方と、この国を!!」
一番言いたいことを言いきって、少し、肩の力が抜けた。
その状態で、私は続ける。
「しあわせを求めると言われましても、私のしあわせは、アレクシス殿下とこの国のために生きて死ぬことですわ。王妃を目指す者など、国と王のために生きて死ぬと覚悟し教育されていて当然でしょう。私は、国や殿下と対立するような選択肢は、どんな仕打ちを受けようと、死んだって選びませんわ」
もし本当にアレクシス殿下と結婚できないようなことになったら、私は王妃陛下の女官にでもなるのが適当なのだろう。
その上で結婚をしたければ、それなりに釣り合う文官なんかを紹介してもらうのかしら。
アレクシス殿下以外と結婚をしたい気になるとは、とても思えないけれど。
「あははっ、やっぱり君は最高にかっこよくて美しいね。愛しているよ、リュシエンヌ!」
唐突に愉快気に響いたその声に、パーヴェル皇子もベルナールもクレールも周囲で事態を見守っていた全ての人々までもが、一様にギョッと目を見開いた。
「もう良い? もう良いよね? 『もし計画が実行されたら、その後誰がどう動くのか』は、十分確認できたよね?」
声の主は、高らかに私への愛を叫んだのは、アレクシス殿下だ。
そう言いながら彼はいそいそと肩のマントを外すと……、あら? あのマント、布が二重になっていたのね。
バサリ、表の一枚を引きはがしてから、再び彼はマントを身にまとう。
「まあ、アレクシス殿下ってば、そんな物を仕込んでいましたの?」
私は、くすくすと笑わずにはいられなかった。
だって、彼の二枚目のマントには、
『僕はリュシエンヌを愛している! 僕はリュシエンヌと結婚する!
ベルナールらの策略を暴くため、リュシエンヌと両親と公爵夫妻に相談の上で策に乗ったフリをしただけだ!』
なんて、デカデカと書かれていたのだから!
アレクシス殿下は、ふふ、と柔らかく、でもどこか得意げに笑う。
「だって、やらかした後から何を言っても、言い訳みたいだろう? これだけしっかり事前に書いておいた物を示せば、『ああ本当に仕込みだったんだな』とみんなわかってくれるじゃないか」
「確かに、そうですわね。あ、皆さんなんだかぽかーんとされておりますけど、まあこういうことですのよ。私とアレクシス殿下の仲は極めて良好。半年後には結婚いたします。ベルナールら、というかおそらく帝国の策は看破されて失敗しましたわ!」
「皆、騒がせてしまったね。まあ、一風変わった余興が見られたとでも思ってくれるとありがたい。皆は僕とリュシエンヌの婚約も関係もなにも変わらないという事だけ理解したら、再びパーティに戻ってくれ」
私とアレクシス殿下が並び立って周囲のみんなに呼び掛けると、みんなは『おめでとうございます!』『リュシエンヌ様ー! かっこよかったですー!』『おしあわせに!』なんてきゃあきゃあと騒ぎつつも、三々五々散っていく。
「あ、あ、アレクシス様、なに、どういうことなんです!?」
顔色を悪くしたベルナールとパーヴェル皇子はそろりそろりと会場から抜け出そうとしているのに、クレールだけが必死の表情でこちらに駆け寄ってきた。
そのまま彼女は、こちらに詰め寄ろう、としたのだが。
「アレクシス様はあたしのこと、愛してるって、お嫁さんにしてくれるって、きゃあっ!? やだ放してよ! お兄ちゃん、兄様、助けてっ!」
クレールは、散って行っていた集団の中からスッと躍り出てきた給仕服の女性に見える人に、腕をひねり上げられつつ止められた。この絶妙に覚えにくい印象の見た目と、無駄もそつもない動きは【影】だな。
それにしても、お兄ちゃん、兄様ね。
おそらく義兄であるベルナールを二種類の呼び名で呼んだというわけではなく、兄が二人この場にいたのだろう。
やっぱり彼女は。ということは……。
「わかっているでしょうけど、その子は丁重に保護しておいてちょうだいね」
「ベルナール、君にも話を聞かせてもらう。控えておけ。パーヴェル皇子、あなたに命じるというのは難しいが、あなたの姉君は既に別室でお待ちだとだけ伝えておくよ」
私の指示に【影】は頷き、ぎゃあぎゃあと騒ぐクレールを意にも介さずそのまま連れて会場を出て行く。
その後ろには、アレクシス殿下に呼び掛けられたベルナールとパーヴェル皇子がとぼとぼと続いた。
それを見送った私とアレクシス殿下は、どちらともなく手を取り合ってホールの真ん中へと歩み出て、ぴったりと息の合ったダンスをたっぷりと三曲分披露した。
◇◆◇
なお、事情聴取のためにパーティが終わってから別室に行った所、その場に
『私は愛娘に手を出されたくないがあまりに権力と立場を乱用し、一〇年間王太子殿下に大ウソを吹き込み続け、二人の仲を引き裂こうとしました。』
とデカデカと書かれたマントをつけたわが父を見つけ、思わず三度見した。
アレクシス殿下を見ると、彼はいつものように柔和な笑みで笑う。
「ルサージュ公爵にも作ってあげたんだ。僕らが結婚するまでの半年間、あらゆる場にアレを着けて行ってもらおうと思う」
父はかなりおしゃれに気を使っている人なのだが、あのマントはその全てを台無しにするだろう。
「アレクシス殿下、けっこうお怒りでしたのね……」
「当たり前でしょう? 君を失うかと思ったんだから」
「……たぶんですけれど、あのマントをずっと着けさせるより、あの人の目の前で私といちゃいちゃしたりする方が効果的かと存じます」
「あははっ、それは良い! ……八歳のあの日のように、誓いでも立ててみようか?」
八歳のあの日の誓い、つまりはキスをしようと誘われたわけか。
ちょっと恥ずかしい気もするが、まあ半年後の結婚式では参列者みんなの前ですることなので、父の目の前でしたって良いだろう。
子どもは、できないことだし。