第一三話
哀れにも床に両手両膝をついたベルナールに、どこまでも冷たくアレクシス殿下は言い放つ。
「ベルナール、君が僕の側近となる可能性は、もはや皆無だ。単純に能力だけで考えたって、君はあまりにも考えが足りていない。そもそも僕は、リュシエンヌとの仲を引き裂こうとするような人物を自分の側に置く趣味はないよ」
「い、いえけれど……、その……。そ、そもそもはアレクシス殿下がルサージュ公爵令嬢と不仲であるご様子から、我々は殿下の御心を慰める存在が必要だと考えたのです! 私はあくまでもアレクシス殿下のために……」
ベルナール、その食い下がり方は悪手だと思うわ。
「僕とリュシエンヌが不仲だって? 君は本当にどこまで僕を不快にさせるのか……。その発言は聞き捨てならないな。我々とやら一同とは、詳しく話をする必要があるね」
案の定、アレクシス殿下の機嫌が更に急降下してしまった。
仕方がないので、私からフォローを試みる。
「まあ、私たちは人前ではわきまえるようにしておりましたからね。不仲というか、あくまでも政略上の関係と見る方がいても仕方がない部分はあると思いますわ」
それを聞いたアレクシス殿下は、はた、と動きを止めた。
それから数秒じーっと私と父を眺めてから、アレクシス殿下はおずおずと口を開く。
「……僕は、『人前で不必要に触れたりなどされますと、娘がそれほど軽い存在だと周囲から見られます』と教わったのだよね。僕以外までリュシエンヌに触れる事などあっては我慢ならないから、人前では殊更、厳格に君との触れ合いは律した」
「あら、まあ。娘ということは、それを教えたのは父ですね? 確かにそういった面もあるでしょうが、無礼な者は、護衛に遠ざけてもらうか自分で対処いたしますもの。あなた様と不仲と思われるくらいならば、我慢せずとも良かったかもしれませんね」
「それとその……僕は君を見つめたり君の近くにいると、すぐ君にデレデレしてしまうだろう? それがみっともないとリュシエンヌが言っていたとも、公爵は教えてくれたのだけど……」
「私そんなこと言っておりませんし言うわけがありませんわ! 父が、そんな大嘘まで殿下に吹き込みましたの!? こ、国賊……!!」
私は思わず、少し仰け反って国賊=父から距離を取った。
私だけでなく周囲全方位から非難の目を集めた国賊は、ぶんぶんと必死な様子で首を振る。
「言ってない! それはさすがに言っていないよ!! 私はただ『あまり人前で締まりの無い顔をされていては、みっともないと感じる者もおります。リュシエンヌも……』と『リュシエンヌも……時折恥ずかしそうにしておりますし』と続く部分をちょっと省略しただけで!!」
「まあ、恥ずかしかったことがあるのは事実ですわね。あくまでも気恥ずかしいだけで、嫌というわけでは全然ありませんでしたが」
「そうなんだ。良かった……。けれど、公爵のその言い方は、誤解させてやろうという悪意に満ちていた気がするなぁ……」
父の言い分を私は一部認め、それを聞いたアレクシス殿下はじとりと父を睨んだ。
「そうですわね。そしてお父様、そもそもそんなことをわざわざ殿下に申し上げた理由はいったいなんです?」
私に問われた父は、ぎこちなく視線を逸らしながらもごもごと言う。
「……かわいい娘が男と睦まじい様子なんて、わざわざ見たくはなかったから、です」
「なるほど。その事含め諸々、両陛下はもちろんのことお兄様とお母様にも報告し、きっちり対応させていただきますね」
「あああああ……」
バッサリと断じられた父は、力ないうめき声をあげながら脱力した。
私の兄すなわちこの人の息子に呆れられるのも、私の母つまりこの人の妻にドづめされるのも、さぞつらかろう。
特にうちの母は笑顔で的確に逃げ道を塞いでくる人なので、本当に恐ろしい。
父はさぞ嫌だろうな。自業自得である。
まあ、とはいえ。
『マントに記載の大ウソというのは何か?』と問われた場合、キス云々と答えてしまうとアレクシス殿下の名誉に傷が付きかねなかった。
今後は『娘が殿下に触れられるのを嫌がっている、殿下の事をみっともないと思っているなどといった嘘ですね』と答えていけるようになったのは、正直良かったなと思う。
これだって二人の仲を引き裂こうとする大ウソだ。
なのでというわけでもないが、この場での父の糾弾はここまでにしておいてやろう。
母と兄の協力があった方が、より父を追い込めることだし。
「あのぉ、小さい頃に婚約して、自分たちで決めた婚約でもなくて、それでうまいこと好き同士になれるって、ちょっとふしぎだなぁって感じするんですけど……」
その時クレールからそんな意見が出て、アレクシス殿下と私は一度アイコンタクトを交わし頷き合ってから答えていく。
「単純に、人というのは接する機会の多い人間を好きになりやすいらしいよ。それに加え、リュシエンヌは僕に好かれようと努力をし続けてくれているとも感じるね」
「そうですわね。そして、アレクシス殿下も同じように努力してくださっていると思いますわ。それはもちろん互いへの愛故にでもありますが、それだけでもないかと。私とアレクシス殿下の関係が良好であれば、それは国にとっても良いことですもの」
「そうだね。そういった打算……というのはあまり適切な言葉ではないな。自分たちの立場と関係への自覚と責任感、それと愛国心かな。そういった物もあって、僕らはこういった関係を目指し実際にこうなった、のだと思うよ」
最後は照れくさそうに笑って、アレクシス殿下は締めくくった。
その肩にそっと寄り添い上目遣いで彼を見上げ、私は微笑む。
「うふふ、私、アレクシス殿下の好むタイプの女性に育ちましたでしょう?」
「そうだね。リュシエンヌは僕の理想の女性そのものだ。そしてそこに至るまでの努力を隣で見続けたからこそ、そのありがたみと愛しさをより深く感じるよ。僕も、君の理想に近づけていれば良いのだけれど」
「アレクシス殿下はもちろん、私の最上にして最高にして最愛の王子様ですわ。理想、よりももっと上かもしれません」
「うーん、そう言われてみると、リュシエンヌは理想の女性どころではなかったな。君を讃えるにも君への愛を語るにも、どんな言葉を重ねたって足りない気がして、僕はいつももどかしさを感じるんだ……」
うっとりと見つめ合い睦言を交わし合う、私とアレクシス殿下。
その視界の端で父が実に悔しそうにしているのを捉え、ちょっと溜飲が下がった。
たぶん、殿下も我が父への意趣返しのためにあえてこの場でこの会話を交わしてくれた気がする。
「……なんか、そんなだって知らないで、ズカズカ割り込もうとしたりして、すみませんでした……」
「本当に申し訳ない……。リュシエンヌ嬢の美しさも何もかも、アレクシス殿のために磨かれたものだったのだな……」
声のした方を見れば、クレールとパーヴェル皇子が揃ってしおっしおになって頭を下げていた。
あらまあ、思いがけないところに刺さったようね。
そういえばこの二人、殿下と私にフラれたばかりだったわ。少し気まずい。
こほんと一つ咳払いをしてから、アレクシス殿下は言う。
「ああいや、頭はあげてくれるかい? その辺りは、もうあのパーティの場で済んだことだから……。むしろその、僕らをあまり恨まないでくれると嬉しい」
「いいえ。愚妹も愚弟も、もっと反省なさい。このお二人の仲に割り込もうとしたあなたたちが馬鹿だったのよ」
「はぁい……」
「はい……」
ルフィナ先生からの厳しい言葉に、クレールはどこか間延びした調子で、パーヴェル皇子はしっかりと、けれど両者揃ってしわっしわしおっしおの顔で応えていた。