第一〇話
「どこかでクレール嬢に謝罪をしなくてはと、ずっと思っていたんだ。僕は一度は君に結婚を申し込み、そして公衆の面前でそれを撤回した。クレール嬢に大いに恥をかかせ、そしてひどく、その心を傷付けたことだろう。どんな理由があれ、それは赦されることではない。本当にすまなかったね、クレール嬢」
アレクシス殿下は、席に戻るまでの道中でそう語った。
確かに、それはそうだ。
乙女心を弄んだと非難されても仕方がない。
しかもその乙女は、まだ一三歳の夢見る少女だったのだから、殿下の罪悪感もひとしおだろう。
クレールの本当の年齢と彼女の夢を知った殿下がこの行動に出たのは、当然の事かもしれない。
王太子ともあろう者がこれだけの人数の前でそれをしたのは、ちょっとどうかと思わないでもないけれど。
まあ、公的な場というほどではないし、関係者一同が揃ったこの場で詫びておきたかったのだろう。仕方ない。
心臓には悪かったけれど。すごく悪かったけれど。まあ仕方がない。
クレールだって殿下の唇を奪ったりしたじゃないか、彼女だって全く悪くないわけじゃないだろう。
そう反論したいところだが、それは子どものした事だし、アレクシス殿下ほど整った顔立ちの顔が目の前にあったら魔が差すということもあるだろう。
よって、先ほどの卒業パーティで彼女がかかされた恥と相殺で見逃してやる。
ふと、しばらく何やらこそこそとルフィナ先生から吹き込まれていた様子のクレールが、ピッと背筋を伸ばして、口を開く。
「えっと、……『しゃざいを受け入れます。あた……わたしこそ、もうしわけありませんでした。すべては、おふたかたの間にわって入ろうとしたわたしが悪いのです』」
うーん、意味をわかって言っているのかしらね、この子は!?
そう不安になるようなたどたどしさだったが、ルフィナ先生に教えられた通りに言えたらしいクレール本人はどこか満足げだ。
と、そこで私たちの不安げな視線に気づいたのか、一瞬ハッとした表情を見せてから、クレールは再び口を開く。
「その、本当に、あたしが悪かったんです。ごめんなさい。あたし、色んなこと、全然わかってなくて。アレクシス様が好きってのも、よく考えたら、王子様への憧れかもっていうか。とにかくお城に住みたい! って気持ちで、つっぱしってたんです。そんなの、愛してもらえなくって、当然です」
「ねえクレールさん、そのお城というのは、……本当に、この国の王城なのかしら? 帝国の、あなたの父君の住む城ではなくて?」
不躾だとわかってはいたが、私は尋ねてしまった。
問われたクレールは、こてんと首を傾げる。
「え? あたしが住みたかったのは……、ママがずっと住みたがってた、パパ様が住んでる、あのお城……だったのかな? そう言われたら、そんな気もするけど……。でも、パパ様は、あたしなんか死んでもいいって思ってるんだから、どっちみちあたしには無理な夢だったんです」
瞬間、ぽろりと、クレールのシャンパンガーネットの瞳から、涙がこぼれ出た。
ぽろぽろと流れ続ける涙を手でぐしぐしと拭いながら、彼女はへらへらと力なく笑う。
「あれ、変なの。涙出てきちゃった! ……うん、あたし、本当はパパ様のお城に住みたかったみたい、です。アレクシス様にフラれたことより、パパ様とは住めないんだって事の方が……つらい、みたい、で」
「申し訳なかったわ! 酷な事を言わせてしまったわね。謝罪させてちょうだい」
その痛々しい様に、私はすぐに頭を下げた。
「え、いやいや、リュシエンヌ様が謝ることなんて、何も。あたしこそ、ごめんなさい。泣いたりとか、アレクシス様とのこととか、色々。本当に、ごめんなさい、ごめんなさい……っ!」
もはや何に謝っているのかもわからないが、ただ「ごめんなさい」と繰り返しながら泣き続けるクレールの肩を、ルフィナ先生がそっと抱き寄せる。
一瞬ビクリと硬直したクレールは、そろりと力を抜いてルフィナ先生の手に従い彼女にもたれかかると、ますます激しく泣き出した。
するとそこで、パーヴェル皇子がぼそりと呟く。
「……あいつの城での暮らしなんて、そんなに良いものでもないけどな。どこも無駄に天井が高くて冬は寒いし上の方の掃除は大変だし、しかもあちこちの柱だなんだに掃除の手間を増やすだけの無駄な装飾が彫り込まれていたりして」
「ちょっと、愚弟……! ……まあ、そう、だけど。それでまた最悪なのが、部屋の主に対するあの人の寵愛がなくなると、そういう不便をどうにかしてくれていた人や物が引き上げられたりするのよね。そうならない限り、そういうあれこれなんて気にもならないのだけれど。……ね、最悪でしょう?」
一瞬だけ怒りの表情を見せたルフィナ先生は、しかし途中でそれが皇子なりの不器用な慰めだと気づいたらしい。
パーヴェル皇子に同意を示し、最後はおどけたようにそうまとめた。
それを聞いたクレールは顔をあげ涙をぐいっと拭い取ると、大げさなまでに大きく笑う。
「あははっ! なにそれ! ほんっと最悪! ……なーんだ、あんまりステキなところじゃないのね、パパ様のお城って!」
「ああ。なにせ、城の支配者であるアレがアレなんだ。良い場所なわけがない」
「見た目はきらびやかだから、憧れる気持ちはわかるけどね。でも、その憧れを叶えたところで、絶対ガッカリするだけよ。憧れにとどめておくのが一番賢いわ」
「……そっかぁ」
うん、うん、と力強く頷いた兄パーヴェル皇子と姉ルフィナ先生の言葉を受けたクレールは、肩の力の抜けた様子で微笑んだ。
その無理をしている様子のない彼女の笑顔は、まつ毛が濡れまぶたが赤くなっていてもそれも化粧の一種に見える。そのくらい、とても美しかった。