エピソード0
こちらは異世界恋愛ジャンルで『青とポニーテール』から続く四作すべてに登場しているリナの学園卒業後の話となっています。
もちろん単独で問題なく読めますが、読者様が苦手とする、または不快になる何かしらの要素が含まれている可能性がありますので何でもOKという場合に限り読み進められることを推奨いたします。
私は自国の王都にある高等学園を卒業後、魔導技術大国といわれる外国に移り住み、そこにある魔導研究所に就職した。最初は単純に留学することを考えていた。
しかしここでは即戦力として育てるために学ばせながら仕事にも携わらせる方式で留学生を受け入れており、私はそれに魅力を感じてこの研究所に就職することを決めたのだ。
そして入所してから一年ほどで研修期間を終えた。
その期間中はほぼ魔導技術について学ぶ時間に当てられるが、一週間に一度か二度は必ず指導員という立場にいるものが研修生を伴って様々な機関や企業、個人事業主の元を訪れ、打ち合わせ等に同席させることになっていた。
私は元々魔導技術に興味があり、個人的に本を読むなどしてその知識を得ていた。それもあってかなりスムーズに技術の会得も進んでいた。だから研修期間中であるにも関わらず専門的な会話にも普通に対応でき、打ち合わせの相手からの評判もよく、指導員からも太鼓判を押されるほどであった。
二年目に入り、研究所職員として自身の名前が記載された名刺も渡されいよいよ本格的に独り立ちをスタートさせた。だがここから約一年ほどは営業という様々な場所に赴き新規の契約をもぎ取ってくる仕事が主となる部署に配属されることになる。この時の私の本心は一言でいえば向いてないであった。技術者としての仕事がしたくて目指してきた道であったが、やはりそううまくはいかないものだとここで一度諦めるという選択をした。
私は人と話をするのはとても好きだ。
けれど強引な会話はとても苦手なのだ。それはこちら側の思考や感情で相手の都合を無視する形での会話のことで逆も然りである。営業というのは当然そういう形のなる場合がほとんどだ。だから自身も相手もストレスを感じるのだからよいイメージなど持てるわけがない。
それでもこの仕事をしていくと決めたのは他の誰でもない自分自身である。
よって仕方なく毎日営業の仕事に向かうのだ。そして担当者に会うどころか受付の段階で断られてしまうという門前払いは常となり、運よく会えたところで相手の暇つぶし程度でほんの数分で帰されてしまう。恐らくそんな状況でも仕事だと割り切って淡々とこなせるものはいるのだろう。だが私は頭ではそう思ってもやはり心ではそうはいかなかった。毎回毎回わかっていて傷つくということの繰り返しだ。そんな緊張と恐怖の心を抱えたまま使命感というよくわからないものに突き動かされリストに載る各所へと足を運び続けていた。
その日は朝から照り付ける太陽の熱でじっとしていても汗が背を伝っていた。
午前中の最後となる訪問先は別に契約しているところがあり、長期に渡る契約と更新が続けられているすでに以前から何人もの営業担当者が門前払いをくらい、ここ数年では訪問すらしない担当もいたという難関企業であった。当然私もそのような情報を知った上で行きたいわけがなく、それでも何事も経験だと半ばゲーム感覚で営業先を回るようになっていた私は{超難関コース門前払い回避突破コース}と題し、額の汗を拭いつつ建物の中へと入って行った。
「突然の訪問、誠に失礼いたします。私、魔導研究所の営業担当をしておりますリナ バレンシアと申します。恐れ入りますが運営事業部の担当者様にお会いさせていただきたく、取次ぎをお願いできませんでしょうか?」
私は名刺を差し出し軽く頭を下げてそう言うと、受付の女性が担当に連絡するので後方のソファーで待つようにとの指示を受けた。私は冷房の効いたホールの座り心地のよさそうなソファーで短い休憩が取れるとポジティブに考え有難くそこに腰を下ろし門前払いになるのを待っていた。
思ったよりもかなり短い休憩だったと少しばかり残念に思いつつ、受付から呼ばれたので立ち上がり向かうと「担当のものが四階におりますのであちらのエレベーターから上がられてください」と、訪問者専用のバッジを渡された。思わず「えっ!?」と、口から出そうになったのを寸前で堪え、なんとか笑顔で礼を述べた。混乱した頭を整理するようにゆっくりとエレベーターに向かいドアが開くのを待つ。そして乗り込んだエレベーターの中で門前払いを回避したという事実にようやく喜びの気持ちが湧きあがってきた。もういっそこのうれしい気分のまま帰宅させてほしいとさえ思ったが、ゲームはまだ途中だったと背筋を伸ばして呼吸を整えた。
「魔導研究所のバレンシア様でしょうか?私は運営事業部のクラークと申します。あちらで何か飲み物を用意させますのでどうぞ」
エレベーターのドアが開くとそこで待っていたと思われる男性がそう言って奥にある談話スペースに案内してくれた。座るように指示された椅子に座るとすぐさま女性が近づいてきて飲み物のオーダーをとった。一瞬ここはカフェかなにかかと勘違いしそうになったが有難くちょうど飲みたいと思っていた冷たいコーヒーをお願いした。
クラーク氏は最初この暑さの中、足を運んできた私を労う言葉をかけてくれた。正直もうそれだけで今日は十分だと妙な達成感に浸りかけてしまったが、なんとなくクラーク氏はきちんと話を聞いてくれるのではないかと感じ、私の持てる限りのトーク力を発揮させ、最後はやり切った感に満たされていた。
クラーク氏は私が若いのにかなりの知識を持ち、質問に対する答えもすべて納得のいくものだったと満足気に頷いた。それになにより私の感じがとてもよいことが一番のポイントになったのだと力強く語った。ビジネスといえども人と人の関係で成り立つものだから、どうせなら私のように感じのよい人とやっていきたいのだと微笑み、現在の担当者の感じがよくないことがずっと気がかりだったということを教えてくれた。そしてそろそろ今の契約先との更新の話が来るというタイミングだったこともあり、今日の私の訪問にこれはいろいろと考え直す良い機会なのではないかと思いつき、会うことにしたのだと言っていた。
ただの業務用コーヒーをおいしいと本当においしそうに口にして笑顔を向けてくるのも、相手の目を見て頷きながらしっかりと聞く姿も、丁寧に説明しながら相手を置いてきぼりにしないように気遣う様子も素晴らしいと褒めてくれた。
そして驚くことにクラーク氏は新規に契約を結ぶことを決断してくれたのだ。
クラーク氏の都合で二週間後、私の上司を連れて正式に契約を結ぶための話し合いが持たれることになった。私はその時恐らく生まれて初めて天にも昇る気持ちという実体験をしたのではないかと思う。本当にうれしくて家までスキップをして帰りたいくらいだった。
私はウキウキとした気持ちのまま上司が帰ってくるのを待っていた。
そしてその日の終業間際に帰ってきた上司にすぐにその報告をした。
「‥‥‥それは間違いないのか?あそこはもう何年も門前払いで誰とも会えずじまいなんだ。それが今日新人がいきなり訪問して担当者に会えた上に契約?そんなミラクル信じられるわけがないだろ?」
この上司はいつも明るく私たちを激励してくれるとてもやさしい最高の上司だと評判の人だ。だが私の報告を聞いた上司はそれとはまったくの別人と化していた。私はショックを受けるとともに何かとても嫌な予感がして胸騒ぎを覚えた。
私が手にしていたクラーク氏の名刺を取り上げると、上司である自身がまず確認の連絡を入れると宣った。私は上司に言われるがままにその場を後にし、帰宅する以外何もすることが叶わなかった。そして翌日にはやけに機嫌のよさそうな上司に呼ばれ告げられた。
「確かに新規の契約をしてもらえるようだ。クラーク氏との話し合いは私が一人で行くことになったから君は通常の業務に戻るように」
この時の私の感情をなんと言い表せばよいのかわからない。
言いたいことも山ほどあった。
それなのに唇も手足も震え、その場で立っているのがやっとの状態だった。
だがもしも何か言えたところで上司が自分の手柄にするということは決定事項なのだ。特に今回は大企業であり過去に誰も成し得なかった新規の契約獲得なのである。当然どんなに素晴らしいと評判の上司であろうとも何をしてでも奪おうとするだろう。そして実際それができるのが上司という立場なのである。これは会社や企業の通常システムだ。
私はそれらすべてを理解していたつもりが心は悲鳴をあげていた。
この件は私が語らない限り、誰も何も知るすべはない。
それでも私の様子がおかしいことに気づいた仲の良い一人の同僚が声をかけてくれたので二人で食事に行った。そしてそこで私はすべてを話した。同僚は言葉を失った。それはそうだろう。だって上司はとても良い上司として同僚たちからは尊敬されているのだ。それが新人の部下から契約の手柄を横取りした上に何のフォローもしていないというのだから誰が聞いても同じ反応になるに違いない。
その後、その月の営業成績上位者の発表にはトップのところに大きく上司の名前が載り、拍手とともに大勢からの賞賛と祝福の言葉を浴びていた。
私は頭で考えることを止め、心で感じることに集中した。
本当なら今すぐに辞めてここから離れることが最良なのかもしれない。
だが私は魔導技術に携わる仕事が好きで続けていきたいという気持ちだけは決して揺るがなかった。だから発想の転換で出来得る限りの技術や知識、情報を吸収できるだけ吸収しつくしてから独立しようと決心した。それまでは今まで通りゲーム感覚でやり過ごし、希望する部署に異動した後は一生懸命目標に向けそれらを詰め込み積み上げていくのだ。
翌年には無事に異動となり、そこからおよそ二年で私は独立の準備に入り、さらに一年後退所した。研修期間中に縁があり付き合いが始まった彼と田舎町に移り住み、魔導式の小型機械や製品を扱う個人事業を興した。彼も大企業で魔導の術式をはめ込む術者として活躍していたので問題なく開業に至った。
何か仕事を始める時、恐らくほとんどの人ができるだけ人の多い場所を探し選ぶだろう。だが私たちは人はそれほど多くないが生活に特に不便はないという環境を探し選んだ。私たちは利益優先、追求が当たり前の現在の社会において目を付けられないそれとは正反対を行く事業主としての生活を望んでいるからだ。
私たちはもう仕方がないという我慢ばかりの囲いの中から逃げ出し、ようやく私という個性のままで息継ぎができる環境を作り出すスタートラインに立つことができた。そしてもし自分の今の環境に何か疑問を感じているのならば、幸せになりたいと願うならば、もう住み分ける以外の方法はないのだと早い段階で気が付き逃れることができた私たちはかなりの幸運であったとここに至るまでの切欠となったすべてのことに感謝さえしている。
疑問を持つことはとても大切で、それは命をつなぐことでもあると感じている。
ここで平穏自由な暮らしを実現させるためのベースづくりを始めた私たちの
エピソード0。
読んでいただきありがとうございました!
ここまで読んでくださった皆様に心からの感謝を申し上げます。