2ー1 豹変
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それから、ひと月が過ぎた。
ラングイットと、たまに夕食の時間が重なることがあったが、最低限の挨拶程度の会話だけでそれ以外はほとんど彼と顔を合わすことはない。
ただ、彼は毎晩私が寝た後に部屋にやってくるのだ。何をするわけでもなく、私が寝ていることを確認すると私室へ帰っていく。
私が夜中に抜け出して、遊びに行くと思っているのだろうか。毎晩毎晩よく続くこと···うんざりだ。監視されていると思うと、とても不愉快だった。
ある日の休日、私は公爵夫妻に呼び出された。
本邸の執事が別邸まで言伝にきたのだ。
その日、私は夕食を食べ終わると本邸へと向った。
邸の前までくると、直ぐに執事に案内されて応接間へと入室した。
「旦那様と奥様を呼んでまいります」
執事の言葉に頷くと、先に扉から入室してきたのはカルヴァイン様だった。
「やぁ!新婚生活には慣れたかな?」
含み笑いをして入室してきた彼にコクリと頷くと、彼の後ろから公爵夫妻が現れた。
「その後、体調はどうだ?」
公爵様がにこやかに笑みを浮かべた。
その後で、話の本題が始まった。
先日、公爵夫妻が登城し両陛下に謁見したときの話らしいが、私が王妃様に呼ばれてソフィアを菓子で懐柔しようとしたときとほとんど同じ内容だった。
公爵夫妻は少し複雑な表情を浮かべて私をじっと見る。カルヴァイン樣は黙ってその様子を見ていた。
「先立って王妃様とお話した内容ですわね。ならば、公爵様もその先の事もお聞きしたと思いますが?」
私が優雅な表情を作り牽制したことに腹がたったのか、公爵様とカルヴァイン樣の眉がピクリと動いた。
「突然知らされたことで、錯乱しているために気持ちを固めてからとお聞きしてきたが?」
ジトッと睨むような目つきで公爵様は私の言葉にそう返した。
「なるほど。そうでしたか。では、私が王妃陛下へとお返しした言葉になりますが。ご安心下さい。ラングイット様の魅了が取り除かれ約2ヶ月後に伯爵邸に移住するまでの間はこのまま公爵邸で生活しようと考えております」
「はっ?なんだそれ?」
突然椅子から立ち上がり、カルヴァイン樣が前のめりになり両手でテーブルを叩いた。
「フェルーナ。私は貴女のことを幸せにすると国王陛下に願い出たのだ。貴女の父上にも約束した」
「そうでしたね。私は一生寄り添って生きられる相手との婚姻を願っていました。しかし、この結婚ではそれは叶わないのです。幸せと両陛下も公爵夫妻もいいますが、幸せの形は結婚だけではありませんわ」
冷淡な態度で公爵様にそういわれ腹立たしいのを押し殺し、私は柔らかく微笑んで反論した。
すると、カルヴァイン樣がケタケタと笑い私を上から目線で見下ろすと冷静な口調で私を攻め始めた。
「何を言っているのですか?残り二ヶ月の間に子を授かるかも知れない。それに王命での結婚だったにもかかわらず、離婚となれば貴女の次の嫁ぎ先まで閉ざされます」
「ええ。きちんと考えてのことですわ」
「ほう。フェルーナ様のお考えとは?是非お聞かせ願いたい」
ククッと喉を鳴らし呆れ顔で私を馬鹿にしているようだ。
「そもそも、私とラングイット様は白い結婚生活ですの」
「は?」
「ですから、同衾しておりません」
「は?」
「それに後者の件ですが、実家に戻るつもりはありません。平民となり国外へ出ますので心配していただかなくても大丈夫ですわ」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ!同衾していない?一度も?」
「えぇ。もしかして、ラングイット様が私のことが大嫌いなのをカルヴァイン樣はご存知なかったのですか?···まさか?公爵様も知らなかったのですか?」
公爵様が狼狽えだしたところで、とりあえずこの話は持ち越しということで本日はお開きになった。
しかし、私を呼ぶ前にラングイット様に事実確認くらいしてほしい。知らなかっただらけの会話では話が前に進まないのに。
その夜、私はいつもより遅い時間に眠りについた。
『ガチャリ』
扉が開かれる音で目を覚ます。
今夜も彼はいつものように私が眠りについたところで入室してきた。
毎晩のことなのに、私は毎回扉を開く音で眠りから意識が戻るようになってしまった。
そして私は、毎回瞼を閉じたまま耳を澄ませる。
『コッ、コッ』
そして、彼はいつものように寝具脇まで来て、足の歩みを止めた。
ん?いつもなら、私に近づいた後すぐに踵を返すのだが?
不審に思っていると、
『チュッ』
ん?おでこに、温かいものが···?
『チュッ』
ん、ん、ん?
ほっぺに?···この温かい感触は···
悶々としている間に彼が部屋から出ていった。
私はガバリと布団を剥ぐと、まさかの出来事、想定外の出来事、いや···言葉にできない出来事に驚き慌てて心臓がバクバクと鳴り響く。
今のは、なに?
今のは・な・に?
そっと自分の頬に手を当てる。
今···したよね?
今···されたよね?
どうして?なんで?
私を大嫌いなはずの彼が?
急にどうしたのだろう?
···深酒でもして、誰かと間違えた?
うん。それしかないよね
考えていても埒が明かない問題に、私は蓋をして「うん。寝よう」そのまま横になると眠りについた。
次の日の朝、支度を終えたところに侍女のマリアナがバスケットに入った朝食とお茶の入った水筒を手にして扉を開いた。
「おはようございます。フェルーナ様、ラングイット様が···」
そこまでいうと、彼女の後ろからラングイットが顔を出した。
「おはよう。出掛けるようだが、ちょっとだけいいかな?」
突然の彼の登場に、私は昨夜の出来事を思い出してしまい顔から火が出たように熱くなる。
「どうした?顔が赤いが熱でもあるのか?」
切れ長の空色の瞳で覗き込まれると、私は彼から視線をズラした。
どうしたことか、いつも硬い表情の彼が柔らかく微笑みふんわりとした雰囲気で私を見ているのだ。
私は、久しぶりにきちんと彼の顔を見た気がした。
「熱もないし、体調もなんともありません。それで?ラングイット様のご用事とはなんでしょうか?」
私は顔をそむけたまま、彼に尋ねた。
「5日後にリグニクス伯爵領へ行くので、一緒に行ってほしい」
「分かりました。5日後ですね」
すると今度は私の手を取り、唇を落とすと「あぁ、5日後が楽しみだ」と頬を赤らめ穏やかに微笑んでから踵を返した。
···あれは誰?
私は固まった。
彼がいなくなったところで、マリアナが大きく目を見開き紫色の瞳を揺らした。
『あの人···あんな表情できるんだ?』
彼女に視線を向けると、ポツリと呟いたマリアナは慌てて両手で口を押さえたが、そこじゃない···私の気持ちを代弁したかのような彼女の呟きに頷いた。
「マリアナ?私もそう思うわ」
「···ですよね。ラングイット様のデレ顔なんて、朝から大変貴重なものを拝見させていただきました···フェルーナ様?お顔が真っ赤っかですわ!」
そして、ラングイットの言動がこの後従来では考えられないほど豹変していった。
その日の夕食の席では、なぜか彼の座る席が私の隣に移動されていた。
···な、なぜ隣?
私が執事に視線で疑問を投げかけると、彼はスーと目を逸らした。
「フェルーナ、立っていないで座って」
ラングイットは隣の席をトントンと叩きながらそういった。
私は身体を強張らせたまま促された場所に腰を下ろす。
「結婚してから月日も経ってきたことだし、お互いを知ることが出来てきたと思う。そろそろ夫としてフェルーナと向き合いたい」
頬を赤らめ首を傾げて彼は私の手に自分の手を重ねてきた。
心の中で『ひぃっ』私は悲鳴をあげた。口に出なくて一安心だが、心臓がバクバクと早鐘を打つ。
「あぁ、ごめん。食事前だというのに、気が急いてしまった。さぁ、温かいうちに食べよう」
どう対応したらいいのか分からない。
更に、多分食事も喉を通らないと思う。
いつもの冷徹さは何処へ?切れ長の目が細められ甘い表情を浮かべた彼。
彼に、どう対応したらいいのか?私は脳内の引き出しを瞬時に漁る。
これだ!引き出されたのは営業スマイル。対応に困ったときには笑顔で流す。学園の専攻科で習ったことだった。
「はい」
とりあえず、ニッコリ微笑んで見せてから心の内を悟られないように冷静な表情を作り食事の時間をやり過ごすことに徹した。
しかし問題はその後に起きた。
そろそろ寝ようかとベッドに入った直後のことだ。
『ガチャリ』
主寝室の扉から彼が現れたのだ。
な、なぜ?早すぎだよ。私、まだ寝ていないのだけど?どうしたらいいの?
考えているうちにラングイットと目が合ってしまった。
どうして目を閉じていなかったのだろうと後悔している場合じゃない。
「な、何かございましたか?」
私は掛け布団をはぎ身体を起こした。
「今夜から一緒に寝ようと思って···主寝室へ行こう」
···は?···え?···なんですと?
返事を待たず、彼は私を抱き上げた。
「フェルーナ。落ちないように、腕を俺の首に回して」
···ちょ、ちょ、ちょっと待ったー!
慌てている私を見下ろすと、ガッチリホールドしたかのように強めに抱かれ『コッ、コッ』主寝室へと運ばれた。
···どうなって、こうなった?
ゆっくりベッドに下ろされると、そのまま彼が隣に横になった。
「あの。私は早起きなので、一緒に寝ると起こしてしまいますから」
「問題ない」
そういって艶めいた視線で私を見据える瞳が···ち、近いなんてもんじゃない。
私は彼と距離を取るようにベッドの隅まで移動しようと動く。
「落ちてしまうよ」
寝たまま腰を引き寄せられて、逆にピタリと身体がくっついた。
「今夜は何もしないよ。おやすみ」
彼の腕が私の腰から外され首の下へとまわされる。そして、何もしないといった彼は、私の額に唇を落した。
···こ、今夜は?
この不測の出来事に、悶々としながらも今の事態に思考を巡らせる。全く頭が働かない。そんな中、ようやく思い出されたひとつの言葉を口にした。
「あのー。私たち『白い結婚』ですよね」
その言葉に閉じられていた彼の瞼が開かれると、私をチラリと横目にした。
「俺は、そんなことを一度も貴女に言った覚えはないが?」
そういって、両腕で私を引き寄せた。密着した彼の身体から伝わってきたのは強く波打つ心臓音だった。
私には、今日の彼の行動が理解できなかった。
もし、リリアンヌの魅了から解き放たれたとしても···それは、それだ。
私のことが嫌いな彼が、急に妻として扱いだしたのはなぜ?何か政略的な絡みがあるのかも?彼の言動が全く分からない。
ということは、私もそろそろ動きださなくては?
彼の体温の心地よさに睡魔が襲ってくると、私はそのまま意識を手離した。
誤字脱字がありましたら
申し訳ございません。